詰所
「……ああ、死体ですか?見たところ、商人ではないようですが」
「ああ、そうだ。しかし、困ったことに……」
「そうですか。では、いなかった人間ということで」
話の流れが止まり、詰所の人間の視線が私を見る。
「こちらの部署では対応し兼ねますので、ちょっと死体を本国に持ち込むことは……」
「それは、彼をなかったことにするという了見ですか?」
「ええ、そうなります。ここまで運搬していただいて何なのですが、彼は正式に国境を越えた人間ではないようなので」
「……正式に国境を越えていないので、そちらで受け取りをすることはできないとそういうことですか?」
「はい。そうなります」
ここでいくら問答を重ねても無駄か、と数度の質問で私は肩を落とす。故郷の土を踏ませてやりたかったものの、彼が正式な手続きを終えていなかった以上は無理な相談である。私は静かに息を吐くと、死体をどうすべきか思案する。しかし、リリンはすでに処遇を決めていたらしい。
「それでは森に捨てることにしましょう。幸い気温もそう低くはないですから、すぐに分解されて土に還るはずです」
庶民は大体このようにして埋葬し、適当にその方角に向かってお辞儀をしたりして故人を偲ぶのだという。貴族の場合は遺体をより大きく深く危険な森に埋めることで、魔物に対する対抗力や財力を見せつけることが多いのだとか。とは言え、これはデザアルでの話であり、シハーナでは聖堂に近いほど良い土地であるという。
「いいんでしょうか」
「ええ、問題ありませんよ。金がなくて街道近くで捨てる人間もありますから、むしろ森に捨てるだけでも良い方です」
埋葬までは望まれないことが多いという。私は納得し、それからリリンは森に入ることのできる人材を幾ばくかの金で雇うと、森に捨ててくるようにと依頼した。幸いにも雇われの護衛が職を欲していたりする場所でもあるので、すぐに当てが見つかったという話を聞いて私は密かに安堵した。交渉のために少し離れるといったことに了承の意を示すと、まるで歴戦の猛者と戦うことになった初心者のような顔つきで歩いていく。どうやら相手に舐められないように、ということのようだが子猫がいくらすごんでも子猫であるには変わりない。
「良かったですね。本当に」
リリンが相手に指示を出している間にマクシミリアンがポツリと漏らした言葉が気にかかり、私は聞き返した。彼は困ったような微笑みを浮かべると、少し頬をかいた。
「こういう場合は、大抵『兵士』の所轄になるんですよ。街の外にあった死体を他国の人間が親切心で持って帰ってきたりすることはありますし、もちろん子供の死体を親元に渡すこともある。それでも死体ですから腐ったりして……時にはごみとともに燃やしてしまうこともあります」
燃やして仕舞えば、命がこの世界からは永遠に失われることになるのだという。私からすれば燃やした方がと思うが、命が濃密な循環をしている世界においては燃やす行為は命の循環を妨げることになるのだ。それはあまりに無碍で、冒涜的な行為なのだという。
「先ほど預けた方々の分も心付けをリリンが渡してくれました。もともと兵士をしていた私からすれば、とてもありがたいことだと思うのですよ」
私は静かに俯いた。そんなことにまでしっかりと気を回せるような人間ではなく、今回のこれも、心付けのことも、リリンが全て自分で考えて手配してくれている。
「……私は主人としてやれていないですね」
「いいえ、そんなことはございません。これだけは申し上げておきますが、貴族として教育を受けたあなたでは決して今回の事態を収めることはできませんでした。貴族、それから平民の視点を両方持つことで従者は主人の動きを全て補佐することができるのです。ポルヴォル様であっても今回の件で心付けを渡す必要などないと口にしたでしょう」
彼がキッパリとそう言い切ったのに驚いて仰ぎみれば、若干困ったような表情で彼は笑った。やはり彼はポルヴォルと何か、と思った瞬間胸からリッカが飛び出してきた。
「きゅ!」
「あ、ああ……食事の催促か。ほら」
氷を生み出して餌としてやれば、上機嫌な様子でもぐもぐと胸元でむさぼっている。リッカの体温自体はそう感じられないので、きっと私と同じ程度の冷たさなのだろう。
「そうでした。この子の国境越絵の手続きもしなければ」
「そうですね。まあ、問題になるような生物でもないでしょうし」
成獣でさえなければ、という但し書きはつくがと二人で顔を合わせて苦く笑っていると、リリンがはあと溜息をあからさまにつきながら戻ってきた。どうやら手回しが終わったらしく、遺体はむさ苦しい男の一団によって運ばれていく。
「あ、すいません、ハイル様」
ちょっと態度の崩れたリリンだが、彼はもういっか、という表情になって肩を竦めた。
「ちょっと相手に引っ張られてしまいまして、予定外の出費になってしまいましたが……」
「あ、いえ、今回の件、私が全面的に色々とやらかしたものですし」
むしろ、運が悪すぎたせいでもある。そう口にすると、彼は「それを起こさないようにするのが従者の務めなのです」と反論してきた。
「足元を見られたようでして……全員雇えば行くぞと言われて、やむなく」
それは貴族なら誰だってむしり取れるだけむしり取るだろうし、仕方がないことなのだろうとは思うが、彼にとってはそうでないようだった。
落ち込み方が尋常でないので、相当ふっかけられたのだろう。しかし、私としては気のつかぬところまでしっかりと気配りしてくれているので安心できる。
つと気配を感じてあたりを見回してみれば、詰所の兵士がわらわらとこちらに集まってきていた。しかも、テブルテの方の兵士である。
「すみませんが、詰所の方までご同行願いたい」
「え?」
何か捕まるようなことをやらかしていただろうかと思ったが、それはあり得ないと思い返す。しかしそれにしては兵士の様子が物々しい。嫌な予感がして少し声を尖らせて返答する。
「何用でしょうか」
「その、アショグルカ家の使いと言われる方がいらしておりまして……」
なんだ、と私は張っていた気を緩めたが、周りはギョッとして顔を見合わせていた。静かになった空間で一人のほほんとしているのも流石にまずいと思いつつ、リリンに耳打ちをする。
「そんなにすごい事態なのですか?」
「あ、あ、あ、当たり前です!」
よくよく考えてみれば、会社で働く係長のところに突如として隣国の富豪の関係者がやってきたようなものだ。しかも、迎えに来られている。よほどの事態であるのだろうが、貴族と王族に対する知識が半端で、さらにほとんど自治の区域に住んでいたためまるで危機感がない私がいる。
「それでは、即時向かいましょう」
「は、はい!ご案内いたしますので」
私は静かに兵士の後をついて歩く。旅装のままであるのが気にかかったが、向かわない方が失礼にあたるのだとリリンに耳打ちをされ、そのまま向かうことになった。
貴賓室の前に通されると、私は一度呼吸を整える。兵士が中に向かってはっきりとした大声で話しかける。
「ロスティリ家の使いの方をお連れいたしました!入室許可を願います」
「入れ」
くぐもった声に私は一度目を閉じ、それから開いた扉の中を見る。蝋燭でひどく暗い中、私は礼を一つしてから正面に座る。無論相手は不愉快そうに眉を潜めた。
「夜分遅くに突然ですね。アショグルカ家の方が一体どのような御用事でしょうか?」
「……使者といったか?このような子供が?」
笑わせるな、と続けた言葉に私はにこやかな微笑みで応える。
「生憎、ただの伝書鳩とでも思っていただければ結構です」
「……ふん。まあ、いい。此度、こちらの当主に面会を求めたようだが、今回の件はクリフォード様にオフェルス閣下が一任なされた」
す、と脳の中心が冷える。後継者と目されているオフェルスだが、当然ながら私は『悪くない』程度の試金石にされるということだ。私は即座に微笑みを消し、それから静かに歪んだ笑みを浮かべた。
「左様ですか。他にご用件は?」
「不気味なガキだな。まあ、いい。面会はオフェルス閣下ではなく、クリフォード様としていただくことになる。それからそこまでの道中、私が案内させていただこう。野蛮なデザアルのことであるから、ヒトらしい生活も忘れてしまったのだろうがな」
私の全身を舐めるように見て、それから嘲笑ったような微笑みを向けてくる。旅装で、しかも暗がりであるためにこちらの顔もあまり見えないのだろう。
「ええ。こちらとしても急ぎの旅だったものですし、なにぶんお待たせするのも悪いと思いましたので。用件が以上であれば、宿のほうに失礼させていただきますが」
旅装なのはわかり切っていることだし、加えてあれこれとあったものだからそりゃあ当然の格好だ。そこをネチネチと言われてはたまらない。
「いや、今すぐ出立する。予定する日時がギリギリなのでな」
「は、」
はあ?と言いそうになったのを無理やり抑え、私は静かに頭を抑えた。それから目の前の男を見据え、反論されるとも思っていない顔をぶん殴りたくなるのを抑えながらにっこりと笑った。そちらがその気なら、こちらも相応の対応をさせていただくまでだ。一つ息を吸う間に私はしっかりとセリフを決めて吐き出した。
「それでは道中お世話になりますね。よろしくお願いいたします」
「は?何をーー」
「不慣れな旅路、双華の加護を頂けるとは、本当にありがたいことです。では早速出立すると伴に声がけいたしますので」
双華はアショグルカ家の象徴である。それに加護をもらうというのは当然ながらおごりを意味するのである。堂々とタカる宣言をして、私はさっと立ち上がる。困惑している相手を尻目に、私は扉を開けてもらって外に出た。
「は、はあ!?今から出立ですか!?」
のんびりしようと構えていた兵士たちにはとても申し訳ないのだが、と口にしたが今回はアショグルカ家の無茶振りであり、特に私は困るわけでもない。代わりと言ってはなんだが、アショグルカ側からのオゴり旅になると言うとわあっと声が上がる。
「あ、そう言えば……」
「マハラティエの赤い絹糸であれば、ご用意しましたよ」
「え?」
必要なんですよね、とリリンがちょっと悪戯っぽく笑い、私はいつの間に、と口にする。少し離れた間にどうやら買ってきていたらしい。
「用事は全てすぐに済ますに限りますから」
「ありがとう、リリン。とても嬉しいです」
リッカの件も兵士に話だけ通しており、あらゆる手続きを省いてすぐに出立できるというところで、アショグルカ家側が用意した車に乗り込む。移動に使われている生き物がまた違っていて、ヌンスと呼ばれる生き物に豪奢な車を引かせているようだ。ヌンスは四つ足のすらりとした生き物で、頭が燃えている。
そう、燃えていて、頭は存在しない。
ボォオ、と炎を出しながらしゃなりしゃなりと歩いていく。動きはまるで猫科の肉食動物のようだが、頭がないので食事をしない。では何を食べるかというと、頭の炎の中に炎を突っ込むことで動くという。熟練の御者が動かすらしく、クィルドーのように笛を吹くだけでは動かないようだ。
「豪奢な車ですね。寝台もついていて」
「……」
すでに車の中に乗り込んでいる相手は寝台に背を向けて寝ており、私を無視することにしたらしい。どうやら私がアショグルカ家の奢りにしたのがよっぽど気に入らなかったようである。それとも、してやられたことに拗ねているのか、少し子供っぽい使者だな、というのが私の印象だ。
私のしたことも大人気ないが、まあ、子供のすることである。それにいちいち腹を立てる方がよほど子供だ。
「それにしても、ここまで大きなものを拵えて襲撃されたりしないのでしょうか?」
「シハーナ宗主国では、魔物がそう多く出現しないんですよ。なぜかはわかりませんが、弱いものが基本多いのです」
「そうなんですね」
その疑問も今回解消することができれば良いが、まあ、無理だろうなと思う。三男の試金石にされた以上、シハーナ本国に入ることは夢のまた夢と考えていい。ましてや、宗教的に大事な場所などそうホイホイいけるものではない。
「……」
むっすりと押し黙った男はまだこちらを睨んできているが、声をかける気にはなれなかったらしい。そのまま寝台に横になり、私は向かいにある寝台に上がるとのっそりと横になる。リリンは後ろの牽引されている従者用の車に乗り込んだようで、ここにいるのは男と、それから私だけになった。
「いい気なものだな」
「やめてくださいよ、眠る前まで」
そう稚拙な敵意を向けられては、切り飛ばしたくなってしまう。
「ふん。具体的な話も出さずに、本当に御当主様とお会いできるなどと、本気で考えていたのだろうな」
「ええ、考えておりましたよ。そこは私も見通しが甘かったですね」
それもそうである。たかが一領主の不明瞭な顔つなぎなど、次期当主で構わないと考えたのだろうな、と私でも思う。
今回の件では情報など、ないに等しい。ポルヴォルの使用人は、実に恐ろしいほど私に甘いため情報を漏らすことすらない。薫陶を行き渡らせることで、情報漏洩がなくなるのは怖いくらいだ。
私は少し脳内で考えて、それから静かに結論を出す。手紙はアショグルカ元当主に向けたものだと口にしていた。ならば、三男のクリフォードに手紙を渡すわけにはいかない。剣だけ引き渡し、当主との面会をねだれば相手も無碍にはできないだろうからそこで手紙を当主に渡すことにしよう。
一つあくびをして、私はあっさりと眠りについた。無論、手紙と荷物は全て布団の中に抱え込んだまま。




