襲撃
「揺れるクィルドーで、尻を痛めない方法を聞いてきました。まあ、単純なことですが……」
乗らないのが一番だ、と彼は話したという。もともと長距離の移動には向いてはいるものの、正直にいえば好んで乗る人間は少ない。だいぶマシになるとしたらクッションを持ち込んだり、あとはピルケと呼ばれる魔物の素材を敷いたりするそうだ。
ピルケに関しては取り扱いがあるということなので、リリンが買ってきたという。それを見せてもらうと、ゼリーのようなぐんにゃりとした冷たい感触で、衝撃や圧力を加えると少しだけ硬くなるらしい。
硬い木の椅子に敷いて座ってみると、包み込まれるような弾力がありつつムッチリと押し返してくる。
「これは……見た目さえ工夫すれば、色々なところで売れるかもしれないですね」
私がそう口にするが、リリンはちょっと肩をすくめる。
「貴族には魔物の素材は不人気なんです。おそらく人気は出るでしょうが、庶民は基本的にこういうところには金をかけませんから」
「ああ、そうなんですね……」
そりゃあ、食うに事欠くのであれば間違いなくそんなところに金を回している暇などないだろう。私はちょっと色気を出した自分を反省して、それからその素材の上に腰掛けた。
前とはまるで違い、ぴったりとフィットするその素材は非常に座り心地がいい。会話をしたところで舌を噛まないのだから、その衝撃吸収能力ときたら驚くべきものだ。私たちはここに来るまでとは打って変わって積極的に会話を始めた。
「アショグルカ家について、もう一度おさらいをしておきましょうか」
シハーナ宗主国は、その宗教と政治力で周辺国をまとめ上げている。主に四つーーテブルテ大王国、ロウガ仙国、ミシュラ王国、そして最後にアイポーラ連合王国だ。その他小国は多くあるが、それらもおおよそはシハーナ宗主国の傘下に入っている。しかし、それは厳密に言えば正しくない。
テブルテ大王国はその昔、二つに分裂しかけた。それがアショグルカ王家と、テブルテ公爵の争い、通称テンネの乱だ。
アショグルカはもともと王家であったが、テブルテ公爵はその座を狙い、そして天候やありとあらゆる運が味方をして見事に反乱は成功した。しかしながらアショグルカ家を潰すまでにはいかなかった。その理由が、シハーナ宗主国とミシュラ王国の横槍だ。
シハーナ宗主国はテンネの乱の前から諜報員を送り込んでいたが、アショグルカ家にがっちりと囲まれた上層部故に食い込むことができないでいた。しかしながら、乱によって内部へと侵食ができるようになり、ついにテブルテ王国はシハーナ宗主国から半分ほど乗っ取りを受けた状態になる。
そこでストップをかけたのが、元王家として君臨していたアショグルカ家だった。シハーナや他国とのやり取りをし終え、そして傘下に下るということで事態を落ち着かせた。一面ではテブルテ家を君臨者などにしてたまるものか、という執念が垣間見られる結論でもある。
そして現在またアショグルカは隆盛を極めており、もはやテブルテ王家は影のような存在になりつつある。そりゃあ、運だけで左遷させた元上司と、無茶振り常習の宗主国から板挟みになっているのだ。正直なところ、宗主国に対するパイプは間違いなくアショグルカ家の方が大きいだろう。
とは言え、だ。
「王家を飛び越えてシハーナ宗主国とのやり取りが大っぴらにできるわけではありませんから、入国の際には非常にデリケートな立場となるでしょうが、それでもやると?」
「目的が達せられるなら、ですがね。正直ちょっと厳しいかな、とは思っています」
勢いだけでここまできたが、正直なところ私がシハーナ宗主国の中に入って重要な文書を見せてもらえるというわけがないだろうな、とは思っている。だから、今回は『手がかり』まで。
アショグルカ家は現在、国内の流通を牛耳り、さらに外交分野にまで手を出している。先代の継承者であるチェンブロ・エスティ・クリステアは現在生存している。しかしエスティがいない後、後継者で揉めており現在は家を先代のオフェルスという老人が仕切っているそうだ。
「ポルヴォル様の人脈で入手できたのはこのくらいの情報ですね。秘密裏にオフェルス閣下と密会する手筈が整っておりますから、順当に行けばまず間違いなく会うことができるでしょう」
「警戒すべき人物はエスティの叔父であるラフラスと、それから次兄のワーレスだったっけ?」
「ええ。オフェルスの後継者候補となっているのは三男のクリフォードですね。実際、彼の手腕は『悪くない』程度におさまっています。他は際立ったところさえあるものの、やはり力不足が否めないから、と」
「……なるほど」
いくつか情報不足はあるかもしれないが、ひとまずこんなところで良いだろう。互いに細々とした打ち合わせをしていると、ふっと血の匂いが鼻に触れた。寒く風邪が吹き荒れる北の大地でさえ匂いというものは重要な情報の一つであり、私はすぐさま声を上げる。
「警戒してください!」
しかし、私がその声をあげた瞬間にドカカッ、と車の外壁に矢が突き立つ。車の薄い扉を突き破って中に倒れ込んできた護衛を見て、私は声を上げる。ねじ切られたような頭部は外に転がっていて、体だけが倒れ込んできていた。首からあたたかい血液を撒き散らしながら私を染め上げる赤の色に怯む間もなく、剣が差し込まれた。
「ッハハッ!!死ね!!」
その剣を思い切りそばに置いていた仕込み杖で受け止めると、腰に佩いていたナイフを使って刀身を挟み込むようにして車の底に叩きつける。車輪が地面にぐいっとえぐり込まれたが、剣もまた耐えられずに折れ、そして呆然とした男の顔に一気に膝をぶち込むと、首に躊躇なく剣を突き込んだ。
一切の躊躇はしない、それが私が森で命をやり取りする上で習ったルールだ。
「くっ、矢で射れ!」
私は勢いよく飛んできた矢を殺した男を盾にして防ぎ切る。屑か、という声が聞こえたが構うことはない。勢いよく射手の方向だけ確認して、残りの人数を確認する。クィルドーは動くことはないようで、どうにも状況は悪い。私はリリンを無事にポルヴォルに返さなければいけないし、何より護衛はかなりやられてしまっている。マクシミリアンも怪我をしている一人だ。私が強かろうと、多数の獣が勢いよくかかってきている状態で手負いの仲間も守りきれる自信はない。
ふっと私の警戒が沸き起こったのは、そんな時だった。命の危険を感じて、私は勢いよく剣を振り抜き、逆側の車の扉をぶち抜いた。
「リリン、逃げてください!!何かきます!!」
「は、はい!?何か、って……」
ミシミシミシ、という音とともに、周りの木々が勢いよく凍りつき出す。私を射てきた男であろう物体が勢いよくおかしなポーズで地面に叩きつけられ、クリスタルの彫像のように中身をばら撒きながら粉々になった。
中まで全てが凍りついて、それがバラバラになるほどの衝撃を受ける力で飛ばされたのだ。
「対処ができるかどうか、わかりません。逃げてください」
「はーーはいっ」
カクンカクンと首を振ると、彼は勢いよく走り出した。無論、私の荷物を持って、マクシミリアンともう一人の護衛と共にではあったが。
他の護衛は動ける怪我ではなさそうだ。私はすぐに切り捨てを判断し、剣を構える。しかしながら、そこへ鬨の声を上げながら切りかかって来る者たちがいた。
「何をしてるんですか!早く逃げないと、」
「何ってよぉ、坊ちゃん、あんたを殺せば金が手に入るんだ。しけた傭兵なんておさらばできる、大量の金がよ」
「さっき逃げたやつはポルヴォル様の犬だからな。お前だけ殺せば、そのままそっくり俺たちが貴族の部下になれるのさ!」
もはや絶句しか生まれないが、彼らは至って真剣のようだった。しかし、森の中にいた傭兵たちは大きな悲鳴をあげ、それから街道へと逃げてきていた。
「やべえ、逃げろ!死ぬぞ!」
「あ?魔物くらい倒せよ、お前らなあ」
「ニーへ山脈の化物だあ!!」
ふっと、村に嫁いできたノズルゲという女性の言葉を思い出す。確か、ニーへには山脈があって、それからーー。
(大きな、そう、白い化物だと言っていた。確か)
白く大きい毛むくじゃらで、首の周りにぎっしりと歯が並んでいて、耳は大きく刃のようになっている。その足はかぎ爪をもち、鋭くそして俊敏で、さらにその首、どこからでもばっくりと開くらしい、と。
がさり、と大きく木立が揺れる。みしり、と木々が揺れ、そのままかしいで嫌な音を立てながら倒れ込んでいく。舞い上がった葉っぱと粉塵、それから巻き起こった風に身構え、目を閉じる。
ずしん。
ずしん。
砂埃の中からぬぅん、と立ち上がった影にその場にいた全員が固唾をのんで見守る。果たして砂埃が消えた先にいたのはーー。
「きゅ」
白く丸っこい、大きな体躯で可愛らしく小首を傾げて、その生き物はちょちょいと耳をハムスターのようになでる。鉤爪、どこに行った。大きな頭についているつぶらな黒い瞳がより可愛らしさを演出し、その下の三角の鼻はひくひくと動いて、愛らしさを放っている。
可愛らしい声を上げて、てしてしと四足歩行に戻る姿には鋭さとか素早さとか、そういうものはまるで感じられない。私は呆然としたまま剣を構えて動けなかったし、化物だと聞いて身構えていた男たちはすっかり毒気を抜かれたような表情になっていた。
「あ、あ?なんだ、この生き物……」
「そ、そいつに騙されるんじゃねえ!ニーへの二番山脈の化物だ、すぐに凍りつかされちまうぞ!!」
「あ……?」
「きゅっ!」
一声それが鳴いた直後、のたのたと右の腕を振り上げる。振り下ろされれば確かに致命傷になりそうだが、動きはとろい。そう危ない存在には見えないが、と思った瞬間だった。私の目の前に、とは言っても3メートルは離れていた大男が、爆発四散した。
いや、そう見えただけだが、正直に言おう、私の目には映らなかった。顔一面に粘ついたあたたかい液体がぶちまけられる直前に無理やり剣をふり、液体を凍らせることさえできたが、正直に言おう、それでもまるでその爪を止めることすらできなかっただろう。
私は即座に森の中に逃げ込むことを決めた。瞬間、その場にいた男たちは即座に動くことができず、地獄絵図が繰り広げ始められる。私は響く悲鳴を無視して、その場を急いで離れていく。森の木を蹴るように進んでいき、しなる枝に感謝しながら猿のように進んでいく。顔に引っかかる枝は無視して、とにかく奥へ、奥へと進んでいき、そして漂う冷気にはっと意識を取り戻した。
あたり一面が、真っ白の白銀に染め上げられている。気温の割に場所が冷えているからであろう。蜘蛛の巣のように氷が張り巡らされ、そしてその場所に磔にされている、村人と思しき普段着の人物。ひくりと喉が震え、それから私は勢いよくえずき、無理やりに吐き気を飲み込む。
なんだかはわからないが、きっとこれは何か、魔物の仕業なのだろう。近くの村ではきっと被害にあっていたはずだ。
先ほどまで人殺しをしていたくせに身勝手な物だ、と思いながらその巣に捕まっている人間をおろしてあげようと剣を抜き放った瞬間だった。
ーー木々に網目のある氷の巣を作るって話でね。
ノズルゲの落ち着いた低い声を思い出して、私は一気に震え上がった。
「寝ているのか、この馬鹿!」
この場所は、あの怪物のテリトリーだ。一足飛びにズズン、という地鳴りを聞いた瞬間、私は勢いよく巣にあった死体に張り付いた。匂いも消していない、ついこの間体を拭いたばかりで、体の匂いはかなり薄まっているはずだし、加えて言うなら冷たい体だ、騙されてくれはしないか。
近づいてきた鼻がふんふんと匂いを嗅ぐ。その鼻息が直にあたり、熱に少し顔を歪ませた。首に並んでいる氷の牙の隙間からデロリ、と赤い舌が出て、瞬間的に斬り伏せたくなる衝動に駆られる。
動いてはいけない。動けば、あの男たちのようにすぐさまやられてしまうはずだ。
冷たい襟首に顔を押し当てたまま動かずにいると、私の頭のすぐ上を舌が通過していって、そしてベロンと舐めた。そのはじからピキピキピキ……と凍りついていく様を見て、ああ、こうやって巣を作ったのだ、と納得しつつ去っていく足音に私は詰めていた息をそっと吐き出した。
誤字報告ありがとうございます。
めっちゃ助かります。ありがとう。




