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宿屋

宿屋というものがこの世界に存在するのは、基本的に旅人という存在が珍しくはないからである。商人が主だが、デザアルでは基本的に移動する際に苦労することはない。様々な種族が暮らしており、基本的に傭兵として働く種族もいるためだ。しかし、他国ではそうはいかない事情もあるという。


「やはり、人間が多いんですよね。支配層にいることが多いんです」

「支配層に?」

普通は優秀なものがいるべきだろうに、と口にするが、リリンは肩をちょっと竦めて笑った。

「人間は支配に対して貪欲なんですよ。馬鹿馬鹿しいと思われるでしょうが、あなた方は支配することに対してあまり主張しないでしょう?」

「まあ……日々の生活を侵されなければ、それで満足します」

「そうでしょうね。やっぱり、私たちの住むデザアルは割合に特殊で、いくつかの代表者は人間の種族ではありません。まあ、パム族なんかを除けば、ほとんどは人間が治めています。割合に複合的なことを考えるのも向いていますし、非力ゆえにいろいろな発想ができますからね」


なるほど、多少は人間にもアドバンテージがあるらしい、と私はうなずいた。

「それでもやはり調子に乗るやつは多いようで、今で言うとあなたの領地の領主、ミル・ボルアル・ドリュグァーでしょうか?」

「あ、確かに。私の村から女性を差し出すようにと言われました」

「その他にも色々とちょっかいを出していますよ。まあ、かなりあなた方は住み良い場所に住める種族ではないですし、加えていえば力も強いでしょう?だから、たまに反乱が起こって、一代だけちょっと入れ替わるんです。でも、あまりのやることの多さに領主を放棄する人も多くて」

「……そう、ですね。殴って終わりになる獣との関係とは違いますから」

「ええ。ですから、ある程度人と近い力を持っていたり、または考え方が似通っていたりする種族が統治にあたります。正直、ここまでその話をあなたが理解できるということも驚きですがね」


普通は理解できないことを並べ立てられると、もっとわかりやすいようにだとか、色々と文句をつけてきたり、または理解を投げ捨ててくれるので対策を考えていたらしい。まあ、前世の記憶ーー正しくは魂の記憶の写しーーを持っているのだから、当然といえば当然だ。記憶のままに行動すれば異端児になる。そして私はまさしく、頭がおかしいと集落から分離された。

「ここからの移動はクィルドーによります。乗られたことは?」

「いえ、初めてです」


クィルドーというのはもっぱら長距離の移動手段であり、その名の通りクィルドーと呼ばれる生き物に牽かせるものである。しかしながらその生き物というのは六本足の軟体動物で、表面がぶよぶよした茘枝(ライチ)の白い実ににたものである。目が六つ足の上についていて、さながら陸上の白い蛸といった風体だ。

そのグネグネした生き物は初め気味悪がられ、避けられていた。しかし、あるとき荷車を押していた男がその生き物はなぜか親切にも荷車の牽く場所にすっぽりおさまったらしい。


それから色々と調べた結果、ある一定の形の場所に入る習性があるらしく、また一定の周波数の音のした方向から逃げる性質も発見されて、それらを利用してこの形式に収まったようだ。

「うーん……」

それにしてもタコである。


「よしよし」

少しひんやりした手を当てると、ぺちりと払われた。これでも草食だそうで、長い脚の一本を使って草をむしりとり、大きな体の真ん中にある口に運ぶらしい。

「夏ならきっと喜ばれますよ。というか、力が強くないと払われた時に脱臼したりするので……」

「ああ、そうなんですね。まあ、脱臼くらいなら自分で治せるように仕込まれたので」

「……戦う際には心強いですね」

リリンの引きつった微笑みが私の心をえぐり、その話はおしまいとなった。


ガタゴト、という衝撃が私の尻をえぐり込むように包み込んでくる。喋れば舌を噛みそうだ。半分くらい感覚がなくなっている尻は正直、痛いとかそういう段階を通り越してしまっていた。


「……だ、い、じょ、う、ぶ、で、す、か」

一音一音区切っているのは、自分も舌を噛まないようにするためだろう。まず間違いなく大丈夫ではないだろう私に向けて言っているらしいが、正直私も首を横に振るくらいしかできない。

ようやくごっとん、と音を立てて止まったのを皮切りに、私は力一杯溜めていた息を大きく吐き出した。


「リリン……このクィルドー、本当に……しんどいですね……」

「仕方がありません……正直、クィルドーは、車部分は使い捨てになる場合もあります。例えば魔物に襲われた時、車を捨ててほうぼうに散って逃げれば、生存する確率が上がりますからね。いちいち高い車両なんて作っているわけがないでしょう?」

「それも……そうですね……」

それに、道が整備されていないというのも大きな理由らしい。

ドリュグァーの領地に入った後だが、道が整備されていないということは通る者が少ないという証左でもある。それをいきなり通ったのだから、それはやられて当たり前、ということだ。


「ですが、整備されていないということは、魔物が出やすいですからその分注意が必要です。いつでも逃げられるようにしておかなければなりません、が……」

今、私たちは車の硬い座席にぐったりと倒れ込んで会話をしているのである。万事がこの調子であるからして、突然獣に襲われた日には……。


「村に到着して隊商の者がいたら、どうやって凌いでいるのか聞いてみましょう。襲撃に対応できないようでは危険ですから」

「そうですね……」

リリンの提案にフニャッと笑ってうなずき、その直後またクィルドーは動き始めて会話はできなくなってしまった。


夕方ごろ、手配をしていたように村に到着できたようだ。私は5人ほどの護衛と、それから側仕えのリリンと共に夕食を宿でとるという手筈になっている。

「宿というものに泊まるのは初めてです」

「……あまり、期待しない方がいいと思いますよ。こういう村の宿は特に」

「そうなんですか?」

キョトンと問えば、リリンは静かに顔を歪めた。

「高級志向の宿でない限り、浴場などは存在しませんし寝床はわらの上に布を敷いています。まあ、何度も頻繁に変えるわけではないので当然虫がわいたり、カビが生えたりします」

「あ、そうなんですね」

よくよく考えてみれば、カビくらい生えるだろう。私が今まで生活してきた場所はほぼ毎日冷凍庫のようなものだから、気にしたことすらなかったのだが。後、寒い場所ゆえに虫はいない。


「……そう言われてくると、何だか急に肌が痒くなりそうな話ですね」

「ええ。まあ、食事はそれなりに、食べられるものだと思いますよ。とはいえ、過度な期待は禁物ですがね」

にっこりと笑われ、私は少し肩を落として力なく微笑んだ。ガタガタと揺られながら、この後にそんな宿が待っているのかとげんなりしつつ、私はだいぶ落ち込んでいた。


予想に反して、宿は明るくこぢんまりとしたいい雰囲気の場所だった。

「このような場所ですから、なかなかお客さんが来られないもので。隊商の方が来られる期間は決まっていますからね、決まった期間、事前に通達があった時のみ宿屋として営業しているんです」

「そうだったんですね。てっきり宿を生業としているのかと」

「いえいえ!そんなことはありませんよ。村長の家から家具を貸し出していただいているのでできることなのですがね、ここにいらっしゃる方は割合、皆様気が立っていらっしゃることが多いんです。事件を起こされないためにも、こういう対策をとっているんですよ」

「ああ、なるほど……」

北の領地にはあまり旨味がない。そこにくる人間は大方、ほとんどが『領主の要望』によって来るわけだ。そこでひどい目にあいでもすれば、すぐに商人が寄り付かなくなる。それをどうにか防いでいるのがこの宿、というわけだ。


「料理の方もご堪能ください。旅の汚れも取れますようにお湯を沸かしてございますので」

料金自体はポルヴォルが支払ってくれているというので、その言葉に甘えて旅の汚れをさっと落とす。車の中にいたのでそう汚れていないだろうと思っていたけれども、やはり砂埃がついていたらしく髪に櫛を通すとざらりとした感触が入ってくる。

「こちらを着てください」

リリンは村人とまるで違う仕立ての良い白のシャツを出してきた。綺麗な白の服というものはあまりない。繊維自体に生成り色がついているのが普通だからだ。ゆえに白い服というのはどこでも好まれる傾向にある。様々な色抜きの方法が試されてはいるが、あまり白い服を見かけない以上は手間隙がかかるのだろう。


私はそれを紺色のこれまた仕立てがいいことがわかるズボンと合わせて着る。ズボンも仕立てに合わせて何やら名前があるようだが、私にはさっぱりわからなかったのでズボンはズボンである。


「装飾品などは必要ありません。本当に私的な場ですから、女性も普段着が多いのですよ」

「そうなのですね。勉強になります」

「とはいえ村人の目はありますから、最低限のマナーは守っていただかなくてはなりませんよ。良いですね?」

「それはもちろん……」


出された料理は大きめのキッシュに似ており、フォルツゥと呼ばれる穀物の粉を使って土台を作り、そこに乳を足した卵と鶏肉、野菜を詰め込んで焼き上げたものだった。彩りもよく、綺麗な見た目であり食欲をそそる匂いがする。それに川魚を使ったスープが添えられていて、香味野菜でしっかりと臭みが抜かれているのだろう、魚介の香りこそすれ、生臭さはまるで感じられない。また中には川海老だろうと思われるものもあり、私は期待で胸を高鳴らせる。

添えられているパンケーキもあるが、これはベベリアで作られたものらしい。北でしか取れない作物で、暖かくなるとすぐに腐ってしまう。懐かしい、と思いながら食卓についた。


まずはスープに自前の匙を浸し、それから色が変わらないことを確認する。これは毒があるかどうかを確認するためだが、反応しないものもあるのでその匙で護衛の一人が毒味をする。一口飲んで彼がうなずくと、同じ匙を使って私も食事を始める。

匙で魚の身をほぐして口に入れれば若干の処理の甘さがあるのか川魚の味が少しぼんやりしていた。旨味が全て汁に溶け出てしまったのだろう。汁と一緒に口に入れると元の旨味が戻ったような気がする。川海老は小さめで、ギュッと噛みしめればまだまだ旨味が滲み出てくる。


パンケーキはもっちりとしており、どうやら二チェッカを少し混ぜて腹持ちをよくしてあるらしい。ここいらではよく食べるんですよ、と言いながら主人はクリームを出してくれた。

少しつけて食べてみれば、二チェッカの甘味がふんわりとしながらももちもちした食感がたまらなく素晴らしい。クリームもパサつきを抑えてくれ、大変満足できる味だ。


キッシューードゥルドゥと呼ばれるその料理は、中がとろりとしていて非常に美味しい。生地のフォルツゥは小麦粉よりもざっくりとした歯応えで、そばのような風味があって香ばしく、少し濃いめに味付けされている中身の卵を受け止めきり、しかも自己主張が激しくない。野菜も火の通り具合がよく、非常に美味しい。


「これは……美味しいですね!」

リリンが目を輝かせる。貴族の従者でも美味しいものは食べるが、これは美味しい、とはっきり口にする。

「ミンジェント様に教えて差し上げれば、非常に喜ばれると思いますよ」

「ミンジェント様というと、美食にお心を砕いているという?」

「ええ。ポルヴォル様の兄上でいらっしゃいます。この間もいいワインを一本取り寄せて、ポルヴォル様に怒られていらっしゃいましたが、食事の手配は全てミンジェント様が執り行っているのですよ」

なるほど、と私はうなずく。


余韻も覚めやらぬうちに口を濯ぎ、食事は終了した。最後に毒消しの丸薬を飲み込むと、私はふうと息を吐く。部屋に戻ると、護衛の一人が少し笑って私の寝台を調べ、それから一つうなずく。

「針や毒物の類はありませんでしたよ。ゆっくりお休みください」

「あ、ありがとうございます。本来は私もそちら側の立場なのに」

「客将のようなものですし、長命なあなたを永遠にプラスティアーゾくんだりに縛りつけるのは難しいでしょう。せめてポルヴォル様の存命の間、あの方の友人でいてくだされば幸いです」


にこりと笑う様子には少しだけ、哀愁が見られた。


「あなたは友人にはなれなかったのですか?」

「はい。私では……足りませんでした。彼を受け止め切るには、私の心が足りていなかったのです。ですから、どうか、彼の友になってあげてください。私からお願いできることはそれだけなのです」

彼と、それからポルヴォルの間に一体何があったのか、私にはまるで想像などできない。それでも、私は彼の名前を聞こうと思った。


「名前を教えてくれませんか?」

「は、はい!マクシミリアンと申します。護衛の武官として勤めて十六年になります」

よろしくお願い申し上げます、と彼は口にして、にっこりと笑った。私もそれに応えるように笑いかけ、それから同じ部屋にあるソファーに腰かけたまま座って眠る彼にちょっと申し訳ないと思いつつも、ふかふかとした寝台に入って眠った。

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