任命
結局ポルヴォルから話されたことはそれきりだったが、私はその後任命式を行うということで、体のあちこちを計測された。型紙式ではなく育ち盛りとはいえ成長速度が遅いスニェー族であるから、二年ほどは着られるということで式典服を受け取った。
式典服はさすがに一人で着られるものではない。ポルヴォルは毎日着替えを専用の侍女に手伝ってもらっているが、それも一人で着られる服ではないからだ。簡便な羽織物などを着る場合はとりに行かせた後で一人で着る。
体にぴったりとした内着は手首から足首までを綺麗にぴったりと覆う。すみれ色や肌色が多いが、私には白で作られた。これは肌が出来るだけ見えないようにする、という貴族のならわしに拠っているという。次に、襟ぐりが詰まった白いシャツ。首周りにはその上から装飾を施し、襟自体には装飾は施さないようだ。ポルヴォルの家紋の入ったブローチつきのクロスタイを巻けばいい、と非常に美しく織られたタイを渡された。足元は武官だということでコルセットに似た帯を巻き、膝から下を紐で締め上げて下半身の動きやすさを優先したズボンになっている。編み上げブーツを履けば完璧だそうだが、出来上がるのは少し後だという。上に着るのは、ジュストコールのような上着で、ペティアーゼと呼ばれているものだ。こちらも私が教育されている間にどうやら作られたものらしい、刺繍のできばえは非常に見事なものだ。想像する限りでは私が優勝することを確信していたのだろうとしか思えない。
「ポルヴォル様、代金なのですが」
「いい。それは別段、構わぬ。礼装の一つや二つ贈れずして主人が名乗れようか」
彼はそうあっさりと言うと、別にただ美しく装うための服まで用意してくれた。こちらも一人で着ることを度外視したものとなっているため、舞踏会や茶会に招かれたときには適切に引いて使えば使いまわせるという。しっかりと色々考えられているあれこれにちょっと場違いな気持ちを抱きつつ、私はそれを受け取った。
「それから、傍仕えがいるだろう。一人つけるので、必ず伴うように」
「は、はい」
「彼に関してはこちらから給料を出す。シハーナに入れるように手続きはしているがニーへは考えていないので、ニーへに入国するときには必ず返還すること。いいな?」
「わかりました」
その翌日に部屋を訪ねてきたのはその傍仕えだというリリンという少年だ。年のころはきっと同じ程度なのだろう、十五かそのあたりの少年は非常ににこやかな表情であった。若干の丸みのある顔つきは愛嬌があり、どんぐりのような丸い茶色の瞳が感情を豊かに伝えてくる。
「お初にお目にかかります、ハイル様。私はリリンと申します、以降お世話を勤めさせていただきます。何かご要望がございましたら、なんなりとお申し付けください」
きらきらとした表情でにこやかに告げられて、ちょっと気後れしてしまいそうになる。
「あ、ええと……とりあえず、私に対してはそこそこ丁寧に接してくれさえすれば、特に望むことはないのですけれど」
「いいえ。生ける宝石、動く彫刻というにもおこがましいほどの美しさを持つあなたに対して、それはなりませんから!」
恐ろしいまでに件の薫陶が行き届いていると心をどこかにやってしまいたい気分になるが、ひとまず彼がそうしたいならそうするべきだろう。私が主としてふるまえるかどうかは、ともかくとしておいて。
「それでは、私の立ち居振る舞いに関して。何か気になる点がありましたら教えてくれると幸いです」
「そうですか?それでは、私に対して敬語をお使いにならないでください」
「と、言われましても」
ピチェルに対してだって、結局最後まで敬語は抜けなかったのだ。家族同然に過ごしている相手に対して敬語を使っていたし、正直なところ今更そんな言葉遣いが出来るかどうかはすごく怪しい。何かしてもらったら誰に対してもありがとうとか言ってしまいそうになる。
そんな話をすると、それではせめて、と呼び捨てにするように頼まれた。それなら出来そうだとうなずくと、これを機に徐々に変えていけば良いんですよ、と言われてしまった。訂正する気はまだまだあるらしい。
「それでは、式典の準備としてですがこちらを」
手渡された紙にはずらりと手順が書いてある。リリンはそれを丁寧に説明してくれて、適宜するべきことを教えてくれる。
「これでも、だいぶん簡略化されているのですよ。本当ならば二日間かけて広く貴族に喧伝するのですが、今回はポルヴォル様が怪我を負ったと言うことで短縮されています」
「これで、短縮……」
「その間、一度や二度は離席が許される時間がございますゆえ、せめてそれまで耐えられるよう水分の摂取はお控えになってください。何しろ主役でございますから、席を立つにも色々とございますので」
「わ、わかりました……」
絶句しながら手順を覚えていく。正直、私がやることはそんなに多くはない。ポルヴォルから剣と身分を証明する細工物を貰い、それに対して礼を返し、忠誠を誓うのみ。あとは祝賀のパーティーで貴族相手ににこやかに談笑するだけ。貴族の名前もあらかた覚えさせられており、警戒すべき人物はおおよそ検討もされている。
「とはいえ、完全に貴族からの横槍を防ぐのも難しいでしょうね。ハイル様は別領地の方でいらっしゃったので、それに関してはかなり苦情が来るものと思われます」
「え?でも、他の参加者も、完全にこの領地出身というわけではないんでしょう?」
「ええ。ですが、彼らはあえて領地にとどまることを捨てた流民です。一定金額を納入することによって住民となれますが、正直なところ……流民から住民になるには非常に難しい。今回あなたを採ったのもかなり異例の事態です」
「そ、それは……」
そうだったのか、という思いで一杯になる。正直なところ、優勝してそれでいいというわけではないと思っていたが、様々な人たちの思いを押しのけるだけの理由があったかといえば、コネと伝手でなんとかもぐりこんだ私だ。金の稼ぎようならそれなりにあったはずだというのに。
「とはいえ、生まれた領地の村から追放処分があった身です。五十年の期間限定とはいえ、人間から見ればもう終身追放と変わらないでしょうし、そう気にすることもありませんよ。もうほとんど流民みたいなものです」
大丈夫、とうなずかれたが、それでも私の気は重くなってしまう。確かに、私からすれば弱い人の集まりだったかもしれないが、彼らも彼らなりに色々と背負ってきたものがあるわけだ。私の単なるわがままでこれを通してしまったのだから、手に負えない。
それでもニーへへ行きたくないのかといわれれば、弱い。目の前に餌をぶら下げられている気分のまま悶々と十数年過ごすよりは、こちらの方が余程良い。
「なので、シハーナ宗主国に向かい、国外に出るまでは負けた人たちが徒党を組んであなたを暗殺しに来るかもしれませんね」
「え?暗殺ですか?」
「そうすると、それ以下の人たちが滑り込めるとでも思っているんでしょうね」
そんなわけがない、とリリンは肩をわざとらしくすくめて見せる。
「力の差を見せ付けたわけですから、かなり出国まではピリピリした感じになるとは思いますよ。けれど、かなり頭数を揃えなければ対抗できないわけですし、それから大層な護衛をつける理由もしっかりとある、と聞いています」
詳しくは分かりませんが、と口にしてちょっと微笑むと、彼は真剣な表情になった。
「ですから、あなたが心配することはありません。正直、世間一般ではかなり話題になっていることは間違いないですよ。白の天使という名前も見事に広がっているようですしね」
「へ?い、いや、白の天使って、一体なんで」
「暗殺したマロゥ・ロバッゼを殺した後、涙を流したということで慈悲深いという噂が広まっているみたいですね。実際、泣かれたんでしょう?」
「い、いえ、その、泣きはしましたけど……」
あれは自分の不甲斐なさというか、色々な気持ちがあふれてしまって涙しただけで、正直慈悲なんぞ微塵も持ち合わせていなかったのだが、世間から見ればまるで違うらしい。
色々と自分のイメージと世間のイメージが食い違っていることに頭を抱えつつも整理していくと、私の人物像は『強い力を幼い体に宿しながら、非常に慈悲深い性格の少年』だそうだ。慈悲深いというよりは知識欲のためにわりと色々やらかしている迂闊な少年という認識が一番正しいと思うのだが、そのあたりは民衆がやはり都合の良いように捻じ曲げるらしい。世間は自分の見たいものしか見ないからな、というのがポルヴォルの言だ。
「現に私も死亡説が出たからな。全く、領主をなんだと思っているのだ。私がいなければこの領地はおしまいだぞ」
「ああ、そういえば、一族ほぼ全員が芸術狂いでしたね……」
「まあ、私もまだ『マシ』という程度だがな。ミラスの絵を見に行けるチケットがあれば、まず間違いなく血涙を流す自信がある」
「私ももしシハーナ宗主国に向かえないとなればきっと、国境を突破していたかもしれませんね」
「そっちのがなお悪いだろう」
突っ込まれながらも、きっとポルヴォルの伝手が無ければそうしていたかも知れないと苦笑いを浮かべた。
「ハイル、忠告はそう多くない。調べたところ、ニルズベルグ流ではマロゥはコルトスと名前を変えて動いていたらしく、その正義に対する姿勢を評価する者も多かったようだ。シハーナ近郊のニーへの町で拾われて、そこからニルズベルグ流に入門したらしい」
資料をぱらりと渡されて、ざあっと目を通す。
「ニルズベルグ流では相当支持を得ていたようですね……これは、まず間違いなくポルヴォル様に対して隔意を持っている人間がいるのでは?」
あのコルトスという男は信頼できる正義の味方だ、なら彼が殺そうとしたポルヴォルという男は悪だ、と断定されるかもしれない。
「それは別にかまわんさ。何、今でも領民からはそれなりに恐れられているのだ。だが、一番影響があると思しきはお前だ。どうやらコルトスはシハーナに招致されて、さる方の子息に剣術を教授したことがあるらしい」
「それは……」
もしかして、思想まで伝授していたりするのだろうかと思ったが、どうやらその通りらしい。
「かなりの立場ながら、貴賎を問わず優秀な者を集めていたようだ。しかし以前から貴賎を問わず過ぎて問題になっていた節もある。思想などを事前に調査することはしていたが、ある程度であれば問題視しなかったようだ」
それから、と彼は思い出したように続ける。
「デザアルではカミというものが流行っているようだがそれについてはどう思うかという問いには、けして肯定的に答えてはならない。いや、もうそんな言葉があるとは知らないような振る舞いをしても良いくらいだ」
「カミ、ですか?」
前世の記憶というもので聞き覚えのある概念だ。人を超えたものをすべて、神と呼ばわって崇める。これに関しては光と闇も変わらないはずだがと首をひねるものの、おそらく自分と同様に前世の記憶があるのではないか、と推測する。
「そうだ。カミだ。光と闇をまとめたものを言い、それと同列に様々なことを扱おうとしている。混沌も、火や水、雷なんかの自然現象も含めてすべてがカミのしわざだとするものだ。デザアル共和国の人間の数が多い場所で、突如として現れた思想なのだが――正直に言おう、あまりに格が落ちる。光や闇に対しては私もテーマとして描かせるときは細心の注意を払うが、あれには思慮がない。そのくせ、神秘を感じられない人間から見ればなかなかに魅力的な教えを謳う」
「魅力的な教え、ですか?」
前世の神もそう魅力的な教えは無かったはずだが、と思いながらいろいろ話を聞いていると、どうやら宗教で商売をしている輩のようで、これを買えば救われるとお守りを売ったり、あれこれと祈祷したりとして厄除けを語っているらしい。
「元の生まれた場所はここより南のアルツェという場所らしいが、どうもそこから広まってきたらしい。正直、こんなことは言いたくないが……人間は光と闇の恩恵を感じられない。故に、どうしてもすがるものがあればすがってしまう」
私もそうだ、と彼は口にした。
「カミは即物的だ。光や闇はこの世界に何ももたらしてはくれない。だが、それは人に限ったことで、他の種族は何故それを信じないのか、何も与えられていないなどというのか、と口にする。我々は、見てもいないことを信じなければいけないのだ。何故、人間だけがこのような思いをするのか、知りたいと私は思うのだ」
光と闇の罰にすらゆらぎが出るほどの時間、人は罰を受けてきたのだろう。何の、何に対する罰なのか。それを知ればきっとこの全てに終着点が見つかるかも知れない。
「私は、光と闇に見えたことがあります。……こんなことを言うようで恐縮ですが、あの方々は人の形などしていません。人の前に現れるとき、彼らは様々な形をとる。故に絵画で描くことは禁じられる。人間の前に方々が現れないのは、きっと何か理由があると私は考えています。それがいかなことか、私には分かりません。それを明らかに出来れば、きっと何か解決する方法があるのではないかと私は考えています」
シハーナ宗主国に行くのは、エスティの剣を届けるためだけではない。もっと、私自身が納得できる結論を探すためにあの場所に行くのだ。
それに、他の種族が人間とは違う様々な儀式があるというなら、それを知らねばならない。ヒトが光と闇に見えることが出来ないのは、なぜなのか、そこからわかるかもしれないからだ。
「カミなど胡散臭い対象にすがることがばかばかしいと考えるのは、ヒトを除いた私達だけでしょう。ですが、どうぞこれだけはお忘れの無いように」
神はそもそも会える対象ではない。ただの、すがりつくだけの概念だ。そしてすがられたとしても、それに応えるだけの地力がそれにはない。もし前世の記憶を利用して宗教というものを作り出したとしたならば、彼か彼女かは知らないがとても面倒なことになるだろう。
「なぜなら、見える信仰を私は知っている。実際に言葉を交わし、そして跪いた私は方々を知っている。あなたが今抱いているくすぶりは、カミを語る概念に対しても抱かれ続けるものでしょう」
飢えは妄想だけではとどめられない。いずれ、何らかの形で破綻を引き起こすであろうことは想像に難くない。
「そうか。いや、すっきりした。何しろこの街にも少しずつ流入しつつある考えだからな。……お前が出す結果を楽しみにさせてもらうとするよ」




