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荊棘

パルヴォのその凄まじいところは、鞭捌きだろう。まるで生きているように動き、うねり、しなる。動きながら全てを傷つける有刺鉄線みたいなもので、正直相手にしたくはない。とは言え近づいてしまえばこちらのものである。

近くまでの算段は、まああると言えばあるしないと言えばない。


剣で勢い良く鞭を弾きながら突進していき、気絶させる。まあ腹でも剣の柄でぶち抜けばいいだろう。


「それでは次の試合を始める!荊棘のパルヴォ、そして白の天使ハイル・クェン!」

名を呼ばれ、私は剣を下ろすと手に持った。しょっぱなからぶちのめす気満々のスタイルだが、私が一番警戒しているのは彼女自身だ。本当に痛みを感じないだけならば、ここまで来ているわけがない。彼女が恐れられている理由が必ずある。


「それでは、よろしくお願いします」

「ええ」


にっこりとお互いに柔和な笑みを交わし、そして合図が聞こえたのを皮切りにどちらともなく動き出す。


黒の茨はその鎌首をもたげ、そしてギュルリ、とまるで生きているかのように動いた。ザリザリと赤い石畳を這うようにして伸びてくるそれを軽く避けると、ひょいと剣を支えにして荊棘が蠢く中へと飛び込んでいく。周りを不規則に蠢くそれはしっかりとパルヴォの手によって操られており、その手は忙しなく動いて中心から私の体めがけて茨を飛ばしてくる。


しかし、鞭はその威力はあるものの一拍遅れて私の動きに反応する。ならば動き続けていれば問題はーー


ぴ、と服が引っ掛けられた気がして地面に足をつけ、瞬間的に剣を勢いよく振り抜いた。パルヴォの黒い瞳がじい、と私を観察している。

「……今のを避けられる、とは思いませんでしたよ」

「攻められているにしては、表情が動きませんね」

「攻められている?いいえ、違いますよ」


獰猛な表情を垣間見せて、彼女は微笑う。


「罠に囚われるのは、あなた」


ギュルリと動いた鞭が突然、勢い良くしなって地面をのたうちながら跳ね回り、そして不規則に暴れ回る。その鞭は同時に彼女をも傷つけるが、私にも同様に牙を剥く。

「うわっと……」

髪を一筋すり抜けるように鞭が通り過ぎていき、そして空気を切り裂く音が遅れて聞こえてきた。冷静に避ければなんということはない、しかしながら少しでも慌てれば見事に退路がなくなるであろう。


ひゅお、とまた鞭がしなり、次第にその動きは高まっていく。地面を蹴り、時に剣で鞭を押し返しながらさばくが、ふと違和感を感じて剣を止めると、フィールドには私を取り囲むように固定された鞭が現れていた。茨の迷路じみた檻が即席で完成させられていたのだ。


「……な」

なんだこれは、と思った次の瞬間、私目掛けて白い刀身が突きだされる。瞬時にそれを受けきり、相手を見る。


パルヴォの左腕がぐにゃりと脱力している。ぺらぺらのゴム手袋のようなそれに、私はそのいつ手に出したかわからない剣を見やり、そして得心した。


骨牙人(コスチェ)ですか?珍しい」

300年も前ならばざらにいたようだが、その見た目が人と変わらないために仲間意識というものをあまり持っていなかった種族だ。私にしてみればスニェーとそう変わらないと思うのだが、良く考えてみればスニェー族自体寿命が相当に長いため人間とは分かり合えないな、と思ってしまう。

骨牙人はその体自体に骨を溜め込み、外に放出することが出来る。骨はかなり硬度な物質であり、密度を操作すれば鎧すら不要になるのだ。


「コスチェ?」

「ああ、もうその言葉自体、残っていないのですね」

種族としてのことばすらすでに失われていたなら、彼女がそれを知らないのも無理は無い。そして血がずいぶん薄まってしまっているのだろう、彼女はすでに劣化した技しか使うことができない。本来の骨を溜め込む性質があれば、あのようにゴム手袋のような体になることもない。しかし血が薄まった彼女ではそれすらできない。


「何を言っているのか分かりませんが、投降なさったらどうですか?」

私は彼女のその言葉に少しまゆをひそめて、笑った。その無言の返答が何を意味しているのかわからなかったのか、彼女はさらに言い募る。

「あなたは既に私の檻の中です。これ以上の戦闘を重ねたところで、あなたに勝ち目は無いはず。ならば、投降してこれいじょうの傷を重ねる必要はありません」

ぽつり、と一滴の雫がわたしの頬を叩いて、ふと上を見上げる。薄い雲ですぐに止みそうな雨が降り始めていた。


「良い雨ですね」

ぬるい雨が体を叩いていると私には感じられるが、彼女にとってはそれは寒さを覚える要因になる。しかし、まるで意に介したような雰囲気がない。無痛症はきっと、体に宿る寒さや暑さという感覚すら鈍くしてしまうのだろう。ならば、ちょうどいい。


「先ほどまでの鞭での攻撃は、たいへん素晴らしいものでした。でも、ただの檻ならば邪魔なだけですからね」

すらり、と仕込み杖を抜き放つ。深く澄んだ冬の星空のようなきらめきが現れ、彼女は息をのんでその刀身を見つめる。

「ただの、杖ではないのですか」

「ご覧の通り、剣ですよ」

鞭の材質は、おそらく金属だ。しかし、この程度の細さの金属ならば、わたしの人並みはずれた怪力とこの剣の鋭さをもってすればまず間違いなく断ち切れる。


「せぇの」

間の抜けたような掛け声で一閃。張り詰めていた鞭が緊張を失って地面にゆっくりと落ちていく。私はにっこりと微笑んで、それから驚いた顔をしている彼女を挑発するように剣を鞘に収めると、鞭の棘のない部分を踏みにじって見せる。じゃり、と小気味良い音がした。


「……全く、嫌味がすぎますよ?まだ本気を出していなかったなんて」

「殺し合いでもないんですから本気なんて出すわけが無いでしょう?この剣は壊し、命を奪い取るための剣です。ただの喧嘩のお遊び程度に私はこの刃を見せるつもりもない」

「いい趣味をしてますね。でも私は――強いですよ?」

その言葉尻も消えぬまに、一足飛びに私との距離を詰めてくる。しかしながら、私はそれを軽く受け止めて見せる。傍目にもしっかりと分かるように、舐めきった態度で。


「んなッ……」

「あなたが私と戦えていたのは、あの茨の鞭があったからです。剣で私と対等に渡り合う?ばかばかしい」

そう吐き捨てて、少しばかり力をこめて弾き返すと、よろめいた彼女の腹に杖の先をどす、と打ち込んだ。咳き込む音と同時に骨の剣が地面を滑っていく。どうやら武器を手放してしまったらしい。


「さて。降参しませんか?今ならばまだ、無傷ですみますよ」

「……冗談、言わないで、ゲホッ、ください」

よろよろと立ち上がろうとする彼女に、私は困りましたね、と微笑みかけると、その体をそっと抱きしめた。そして、くん、と力をこめて冷やし始める。


「う?」

何をされているかわからないが反撃のチャンス、と思ったのだろう。しかし彼女は動けなくなっていた。急激な冷えが体の熱を奪っているのだ。しかも濡れた体のまま。

凍えながら、彼女にはそれがわからない。震え始めた体を抱きしめ、ゆっくりと石畳の上に横たえる。


「残念です。せめて戦士として、降参する機会は差し上げたのですが、受け入れてもらえないとは」

何が起こったかまるでわからない民衆がざわりざわりとしていたが、パルヴォが動けないと判断した審判が私の勝利を告げたことでさらにどよめきが上がる。毒でも使ったのか、という囁き声が観客席から聞こえてきたが、それには構わずに控え室へと戻っていく。


ふと、襟足に少しだけぴりっとした痛みを感じて手をやると、既に乾ききった血液が少しだけ指にかすれた。あの鞭が怪我をさせていたのだ。

あのまま戦っていたなら、やられていたのは私だったかもしれない。


次の相手を聞くべく、私は楽しげな足取りで係員の元ヘ向かった。


予想に反して次の試合相手は前の試合で怪我をしたらしく、まるで動きが鈍かったため一撃で終わってしまった。それでも槍というリーチ外のところから一方的に突いて来る動きは非常に正確で、怪我さえしていなければと残念な気持ちになってしまった。


そして、次の相手が決勝の相手となるという。


少しばかりの休憩を挟んでいる間にポルヴォルの使いだという下男が来て、私に軽食を渡してくれた。

「ありがとうございます」

「いえ、これが職務ですから。しかし……ずいぶんと、早く終わりそうですね。今年はなかなか骨のある人たちが出ていると踏んだのですが」

「あ、やはり、ちょっと展開が速すぎでしたよね」


そこは反省しなければならない、と私は苦笑したが、早く終わる分には問題ないらしい。


「どうせ、この後の任命式典がメインになりますからね」

「え?そんなにすぐに式典に?」

「聞いていないんですか?連絡事項が行き届いていないとは……式典であなたを特殊技官に任命するんです。まあ、勝ったことを民衆に知らしめるためですね。服装も準備するものもありませんし、あなたが言葉を発することもないですから、おそらく言わなくても良いだろうと末端が判断したのやもしれません」

その話を聞いていた者には叱責を与えなければ、と彼が死にそうな顔をしているのを見て、誰が伝え忘れたのか特定するのが難しいことを察する。

「……そうでしたか、大変ですね」

ありきたりな言葉しかかけられなかったが、それでも彼は非常に嬉しそうだ。


「スニェーの双璧にそのような言葉をかけていただけるなんて、幸いです」

やはり、末端でもポルヴォルの部下ということらしく、私は少し苦笑いして軽食にかぶりついた。薄いもっちりとした生地に包まれた中身は、しゃきしゃきとした酸味のある野菜と少し苦味と辛味のあるフィッという香辛料、そして叩かれた肉を濃い目の甘辛い味付けで締めてあるものだ。食感が良く、すべての風味が口の中で交じり合って食べていて楽しいと感じられる。


「おいしいですね。これ、名前はあるんですか?」

「ええ。プィルツゥ・プラスティアーゾといいます」

プィルツゥ、すなわち表わすもの。プラスティアーゾという街にはいかんともしがたい苦しみや貧困がある。しかしながらそれを越える楽しさと、味わいが待っている、というネーミングなのだろう。味のセンスも、名づけのセンスも良い。


「お気に召したのであれば、東中央広場に出ている屋台でもいろいろな種類が食べられますよ。ぜひお試しになってください」

にっこりと笑うと、彼は立ち去って行った。量もこれから戦闘というときにちょうどよく、空いていた小腹が満たされた。


「次の相手は、センダ、でしたっけ?」

なかなかに珍しい名前だ、と思う。滅多に前世の言葉と酷似したものには出会うことも無いのだ。もちろんいくつかの単語には似ているものがあるはあるが、それでもセンダというのははじめて聞く。

ただ珍しいといっても、私の感覚だ。もしかすると他の国ではメジャーなのかもしれない。


「ハイル様。闘技場が整いましたので、こちらへ」

「ああ、はい」

考えても無駄なことか、と立ち上がる。センダという相手がどんなものかはまるで知らないが、戦う上で不足が無い相手だと良い。若干心を浮き立たせながら、私は戦いの土俵に赴いていく。


この戦いで勝ち、そしてこの場所に立つということがどういうことか、私ははっきりと理解をしていなかった。そして、この場所に立とうという人間達がどのような思いを抱いてここに来ているのかということすら、私も、そしてポルヴォルでさえも気づいていなかった。


幼さゆえの無知と、権力者ゆえの無知。


どちらがより悪いかといわれれば、どちらも悪いとはいえない。しかし、それが『善し』か『悪し』かと問われれば、悪しに傾くだろう。

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