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凡愚

ひとえに彼は凡愚であった。

故にこの痛ましい、どうしようもなく愚かな事件は幕を開けたのだろうと誰もが語った。


後々まで語り継がれるこの逸話は、ハイル・クェンという人間が初めて歴史の表舞台に上がったものとして有名である。しかしながら、その敵側に関していえば、ひどく貶められているものばかりが並ぶ。

事実を問えば、きっとハイルはこう答えただろうーー「彼も、私も、等しく愚かでどうしようもなかったのですよ」と。





********


私がポルヴォルの治める領地に到着すると、そこはつい先日来たばかりでまるで変わっていなかった。私はほう、と息を吐き、それから今度はしっかりと歩き始めた。

中央街への道中留められたが、訝しげな顔をしていた彼は私がテルシュを取ってポルヴォルへの取次を願うと慌てて詰所へとすっ飛んでいった。

「ハイル様ですよね」

「あ、あの、私は別に貴族というわけではなくてですね」

「いいえ。ポルヴォル様が直接お出迎えになられる方ですよ?様をつけずしてなんと呼べばいいのですか」

できればそこのチビ助とでも呼んでくれればなお嬉しいのだが、彼はまるでそんな気がないらしい。慕われているというよりは、ポルヴォルは恐れられていると言った方が正しいだろう。彼の強かなところは、その冷徹さだ。


実際私に対しては発揮されたことはないが、それでも周りの反応から窺い知れる。彼は絶対だ。街をふらふらで歩いていたところで切りつけられたりすることもなく、それでいて歓迎の言葉をかけられることもない。触らぬ神に祟りなし、と言ったところか。


「で?一体どういうわけでここにいるのか、聞いても良いな?」

「ええ、本当につい先日お訪ねしたばかりなのですが、のっぴきならない事情が出来まして」

「のっぴきならない、とは?」

こめかみを揉み解すようにこちらを綺麗な碧眼で睨むポルヴォルに、できるだけ可愛らしく見えるようにえへへ、と笑いながら軽く事実を告げる。


「実は村から追放されまして。五十年ほど」

「……」

絶句したポルヴォルというものを、なかなか久しぶりに見たらしい。周りの人間まで絶句していた。


「そ、その。ハイル、まさか貴様人を殺したりは」

「しません。村の人全てが家族のようなものですし、理由もなしに人を殺したらそもそも手足を縛られて獣の餌にでもなっていますよ。今回の処断は村の長老が私の気質を知ってのことです」

「……なるほど。村においておくには厳しい、と判断されたか。それならば納得だな。しかし、私にそれで一体何を取引として持ちかける気だ?」


取引か。彼とは様々話してきたが、そのどれもが取引だったような気がする。


「ニーへ、それからシハーナに行きたいのです」

「ニーへか。ニーへに関しては難しくはないぞ。私から推薦状を書けば、学びたいことの百や二百簡単に学ぶことができるぞ。しかしシハーナか。デザアルとシハーナの直接の国交は、ほとんどないのだ。なぜかわかるか?」

わからない、と首を振ると、彼はシハーナとデザアルの統治形態の違いだと話した。デザアルはかなりの地域でシハーナ宗主国の支持するラゥダ教が出回っていない。シハーナの統治はラゥダ教を主としており、実質的な支配ではなく道徳的な支配によるところである。

加え、共和制などというなかなか不可解な統治形態で、国交を結ぶにしても大した返答が得られないという。


「この国では貴族がいる。しかし、彼らは完全に貴族というわけではない。この国には国王がいる。しかし、国王というのは名ばかりだ。すなわち国として不完全な形態のまま、デザアル共和国は存在している」

「すなわち、国体を維持していない存在と『国交』を結ぶのは、いささか不都合があるということですね?」

「そうだ。我々を事実、国としては認めていないということに等しい。まあ、それでも不都合はないのだが……」

「私、アショグルカ家に用があるのですが」

「んん?アショグルカ、か?いやいや、用があるとは、それはおかしいだろう。あそこは今、栄華を誇る家だぞ?国交がない我が国ですら名前を聞くほどの……」

「ええ。まあ、その、少しお使いを頼まれたんです。私たちの住む場所に足を踏み入れた人がおりまして、彼女から文と、それからいくつかのお願いを」

「その彼女とは一体誰なんだ」


私は背嚢から預かった文を取り出して、それから机の上に置いた。エスティは私が紙を持ってくる前にも一枚手紙を認めていたようで、二つの文が並んでいる。近況をしっかりと書き連ねてあり、また家族を心配する文と、それから別にもう一つ渡されたものは封蝋でしっかりと閉じられて開かないようになっている。

「……チェンブロ・エスティ・クリステア?お、お前、まさか、これ……」

「行軍で行方がわからなくなったのだろうと彼女は言っていましたけれど、ポルヴォル様がそれをご存知であるということは」


いやな予感に心が沈む。


「……ああ。彼女は稀代の裏切り者として軍に扱われている。十余名を率いて逃亡した、と。彼女を見かけた場合、即刻捕まえてテブルテ大王国に送還すれば、賞金が出る」

途方もない額のな、と彼は言ってソファにぐったりと倒れるようにもたれた。


「一応言っておきますね。彼女がいる場所は、人間は二度と生きて出てこられない、極寒の地ですよ」

「そんなことだろうと思ったよ。その女性が手配されている理由はもう一つある。……彼女が、家督を継ぐという剣を持ち去ってしまったんだ。いや、どちらかといえば、家督を継ぐための正式な剣を持った正式な継嗣だった彼女が、人の立ち入れぬ場所に住んでしまったというべきか?」

「そういうことになります」


互いに深く深くため息を吐き合うと、視線をテーブルの上にある手紙に落とした。

「状況を整理するには、とても厄介なことになりましたね」

「ああ。これで彼女が裏切り者の誹りさえ受けていなければまだやりようはあっただろうが……一応、非公式的に接触を試みてみるが、おそらく偽物扱いされるだろうな。せめて剣でもあれば……」

「あの、それなんですが」

持ってます、と口にすると、今度こそはっきりと呆れられた視線を投げ掛けられた。少し複雑な気持ちなのはわかるが、私にそんな視線を向けられても困ってしまう。


「……どうしたものか。そうなると、デザアル側からの使者としてお前を送り込んだ方が良さそうだな。時に年齢はいくつだ?」

「ええと……多分、十五、いえ、この冬で十六になります」

「嘘だろう?……四十くらいでは?」

「年齢はごまかしているわけじゃないですよ。むしろ見た目的には六歳児とかその辺りでしょう」

「どこが六歳児だ、どこが。もういい、ひとまずお前を送り込むには立場が必要だな。よし、一時的に書記官という立場にするか」

むぐ、と私は口に含みかけた紅茶を吹き出しそうになったが、なんとか抑えて飲み干すとカップを力強くタン、と置いた。


「あのですね!私はこれでも、戦うことを第一に生きている戦士ですよ?」

「ング、しかしだな。子供を戦わせ……いや、もう十五だったか?いかんな、正直感覚がめちゃくちゃだ」

私も言っていてなかなか混乱するが、実際に戦闘をこなせるし、森での一人歩きも許可された。それに、自分が思っている以上に、私は私の持つ知識よりも、戦闘技術に重きを置いているらしい。

「……そうだな。それでは、特殊技官として扱おう。書記官としての仕事、それから戦闘。ニーへに行くには問題ない程度だが……取り立てにはある程度の実績が必要となるが?」

「実績ですか?」

「ああ。闘技大会が春祭り(ファルラ・ウーヴェ)ーーああ、民衆には魂叩き(コルズ・ネッゲ)と呼ばれているのだったか?全く、語感が汚いにも程がある。そこで開かれる闘技大会で、優勝してこい」


軽くサラリと言われたが、優勝とはまた大きく出たものだ。しかし私には躊躇うところもない。


「はい、わかりました」

「……一応、言っておくぞ。このプラスティアーゾ全域から集められた勇猛な者たちだ。それを全員倒して、ということなのだが、本当にわかっているのか?」

「私は私の技と自然の厳しさが与えてくれた勘を信じていますから。それにーー私の初めての獲物は古のもの(リ・コルキュル)ですよ?高々ヒトの形をしたものに恐れ慄いてどうします?」


そう茶目っ気を乗せて笑って見せれば、彼はもう好きにしてくれ、と考えることをやめたようだった。


「ひとまず、我が館に招待しよう。何、絵は描かせてもらうが好きに過ごしてもらってかまわん」

「え?でも、お礼などはしなくていいんですか?」

「今回のことは国で処すべき問題だ、正直なところお前一人に任せることが不可能な案件だよ。ハイル、君には私という友がいる。知っておいてくれたまえ、その友が権力というものの化け物であるということをな」

「……権力というものは、誰かに認められるものですよ。それはあなたが良かれ悪しかれ認められていることの証左でもある」

実に悪ぶって見せる態度が気に食わなくて、私はそう吐いた。


「私は権力というものがその人の人間性を損なうとは考えていません。むしろ、人間性を明らかにするとさえ思いますよ」

興味がないものに対して、どの程度の関わりができるかどうか。平等でないにしろ、偏りがないように全てを動かそうというのは手間のかかること。それをやろうというのだ。

「そも、権力とはなんなのでしょうか?」

「他人を支配し、服従させる力。命令を聞かせる力と言ってもいいだろうが……それが?」

「今の答えでは3点程度しか上げられませんね」

「さ……」


呆然としているポルヴォルをよそに、私は机の上にとある鱗を十枚ほど並べる。これは村ではまるで使いでのないものだが、ポルヴォルはそれを見てむ、と目を輝かせる。


「権力とは目に見えませんが、ひとまずこれで話をしましょう。人類が皆平等であるならば、各個人の持ち物は平等でなければなりません。まず、等分に分けましょう」

鱗をざらざらと五枚ずつに分ける。しかし、一枚が宙ぶらりんになる。


「一枚余ってしまいましたが、これを割れば価値は失われます。そこで私はポルヴォル様にこれを管理してもらおうと思います。みんなの財産として」

「あ、ああ」

ポルヴォルの手元に一枚の鱗を押しやり、そして私は「はい」と手を打った。


「これで、ポルヴォル様は権力を持ちました」

「な、何……?」

「その一枚分の余剰が、権力の正体です。それをどう扱おうがあなたの自由ですから、ほとんどあなたのものと言ってもいいでしょう。しかしながらそれは厳密にいえば、公共的なものでもある。余剰を委託する先として作られた、それが権力です。それを再分配することで見えない信頼を手に入れ、また投資して増やすことで見えるお金を手に入れることができます。しかし元はこの高々一枚の鱗です。この管理者がいる限り、社会に不平等というものは存在し続けます。一方でその管理者が失われれば、社会は崩壊します。管理者の不在と社会の崩壊が関連づけられていなければ、その社会は失敗した、とみなされるべきでしょう」

「失敗、か」

「ええ。高々子供の戯言と思われるやもしれませんが、いなくなって困りもしない人間にもかかわらず社会が維持されているならば、陰で管理者をやっている者が必ずいます。しかしポルヴォル様がいなければ、この領地は碌々成立しないでしょう?」


芸術という価値がはっきりと見えないものに価値をつけ、それを商材として売り出す人間。文化に価値を見出す人間。

彼という価値基準がなければ、この領地は一瞬でただのガラクタの掃き溜めになる。


「……なるほど。随分とわかりやすい話だ。要するに、王侯貴族ですらその枠組みからは逃れられんか。高貴な血筋の大元はただの公共財の管理者、とはな。ふふ、なんだか肩に乗っていた荷が軽くなった気分だ」

「それは安心しました」

「だが、よりお前を文官にしたくなった気持ちが強くなった。はてさて、私はこの気持ちを一体どうしたら良いのやら?」

ニヤニヤしながら私のことを見つめてくる目の前の男の視線をペイッとそらしながら、私は「寡聞にして存じ上げませんね」と嘯いた。

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