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追放

本日4話目です。

「どうしてあんなこと言ったのよ!」

ピチェルが私の頬を殴ったが、じいん、とした衝撃が走っただけだった。彼女の腕はまだまだ細く、そして小さい。私は静かに目を閉じて、それから笑った。震えるピチェルの顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。


「なんで笑ってられるのよ!!」

「いえ、私の欲求の帰結がこれならば、それも納得かと思いまして」

「言ってることがわからないわよ!あんたの言ってること、全然わかんない!!」

「わからない方が幸せですよ」

両親はピチェルとの言い合いを眺めていたが、父親はようやく「なあ」と口を開いた。


あまりに唐突なために困惑したままの表情で、私と目線を合わせてしゃがみ、そして話し始めた。


「何が起こったのか、何がネーナ老との間にあったのかわからないが……謝罪に行って許されるものではないのか?」

「ええ、間違いなく」

「そうか。なら、俺から言えることはこれ以上ない。外の世界を見て来なさい、ハイル」

「……はい」


父はただ静かにうなずいて、それから私を抱きしめた。線が細いと思っていたけれども、その腕には筋肉がしっかりとついている。頼り甲斐のある胸にギュッと顔を押し付けて、背中に腕を回す。

「ありがとうございます、父さん。やっぱり父さんは頼りになります」

「う、うん……」

こういう扱いに慣れていない父がもじもじしながら下がって行くと、母は次に歩み寄ってくると、私の中身が出るくらいに抱きしめた。いや、父よりも激しい。なぜだ。鯖折りなのか疑う手前でその腕がふ、と緩くなる。


「五十年経っちゃったら、あなたが大きくなってしまうじゃないの。……どうしてよ」

「ごめんなさい、母さん。でも、必ず帰ってくるから」

「必ずよ」

そう言って再度抱きしめられ、それからテルシュのことだけれど、と相談ごとを口に出す。急いで織れば間に合うだろうから、少し大きさが足りなくても許して欲しい、と言ってきた。

「構いませんよ、全く。大きさが足りなくとも、母さんのテルシュは一番肌になじみますから」

「そうかしら」

えへへ、と笑いながら頬に手を当てて照れているのを見ると、可愛らしいなと思う。先ほどの鯖折りの衝撃さえ抜けてさえいなければ、一言褒め言葉を追加しても良かったほどだった。

私はそれからピチェルに向き合った。顔を苛立ちに真っ赤にしたまま彼女はギリギリと歯を食いしばっていて、とても辛そうに見えた。


「ピチェル、母さんと父さんのことをよろしくお願いします。ああ、そうだ。信頼のおける知人ができたら伝手で便りを送りますから」

「知らない……ハイルなんて知らないッ!ばっかじゃないの、あんたなんかッッ」

虚を突かれて呆けてしまったが、飛び出していった彼女を追いかけるには少し、私に誠意が足りない。だって、わくわくしてしまっているのだ。五十年村から出ていいという保証を受けた。全て五十年を自分のために使えるということだ。ネーナ老もそれはわかっていて、そう口に出したことは間違いない。


「無茶だけはしないと約束します。これでもスニェーの民ですから無茶な状況になるとは言い難いですが、今までの所業を省みるとなかなかひどいものかもしれませんが」

「ええ、そうね。確かにあなた、無茶というよりは不可解な事態にどんどん巻き込まれていくんだから、嫌だったらきちんと断らなければダメよ?」

「それはもちろん」

プラスティアーゾの件でかなりその思いは深まっている。確かに貴族相手に際限なくいうことを聞いていたらあれよあれよという間に奴隷にされてしまう。まず私がすべきことは貴族相手の礼儀作法をニーへにおいて完璧にすること。それから残るは出国する方便だろう。


こんなことしか考えられない人間が彼女を拾いに行って、一体何になるだろうか。ふと気づけば、コンコン、と家の扉をノックする音がして開けてみる。つんとした表情が心配そうに歪められていて、そんなことを考えていた自分が申し訳なくなってしまう。

「エヘルナ?」

「ティオがピチェルを見つけたのよ。顔が溶けちゃうんじゃないかって位にめちゃめちゃ泣いてたわよ?」

「……ええ、そうですね。多分、彼女には理解できなかったんでしょう」


自分が慕ってやまない人たちが突如として失われる悲しみを知っているからこそ、私が追放される決定に異を唱えなかったことがあまりにも不可解に思えたのだろう。彼女にはなんともすまないことをしてしまうようだが、私はそれでも、きっとやらかしただろう。


「エヘルナ、ピチェルをよろしくお願いします。なんだかんだ言って、厳しく接してくれるのはあなたくらいでしょうから」

「き、厳しくって、私のはただ……」

「嫉妬でもいいんです。でも、彼女に対して理不尽な真似をしたことは、ないでしょう?」

「それは……卑怯じゃない、やっぱり」


唇を尖らせて二の腕をもじもじとこすっている。きっと私では煙にまいて子供扱いすることしかできないのだ。言い聞かせ、同じ目線に立ってあげることは私には難しい。

「あの子は最年少ではないですけれど、やっぱり純真なただの子供です。私とは違って」

「ハイルだって子供じゃない。やっぱり長老は、あなたのことを嫌ってらっしゃるの?」

「いいえ。多分、わかりすぎるんだと思いますよ?お互いに」

「わかりすぎるの?なら仲良くったっていいじゃない」

「いいえ、わかるからこそ、相手のダメなところがよくよく見えて、相手のダメなところを許せないんですよ。だから、私とネーナ老は今回こんな結末を迎えた」


静かに笑いながらそう口にすると、彼女はなるほどね、と静かに壁にもたれかかった。


「私、どうしてかね、気になっていたのよ。あなたはやっぱりこの村から出てくんでしょう。でも、私たち子供の純粋な興味とかじゃなくって、ほんとに準備して、ほんとに出て行くんだわ。……どうしてかは分からない、でも、いくら村中で止めたところで、本当に出て行っちゃうんでしょう?」

「ええ、その通りです」

他の子供がどうしようもないやらかしをしたとして、村においておけなくなった場合は他の村によろしくお願いします、と預けるのだろう。だから、これは間違いなく異例のことだ。


「この村では狭すぎるとネーナ老が判断した結果でしょう。私がもしこのままあと十年ちょっと居座らなければならないとしたら、きっとどこかで爆発していたかもしれませんね」

「爆発、ねえ。想像できないわ。ハイルはずっと落ち着いているように見えたから」

「そんな、まさか。嘘でしょう?私、自慢ではないですが実に落ち着きのない性格の上行動まで突飛そのものですよ?」

「ああ、ううん、えーっと、まあそう言われればそうなんだけど、勝手に大人っぽく見えてたっていうか。私の周りには同世代の子供がいっぱいいるからむしろ、驚いてたの」


大人か、と私は思う。

大人になりたい、大人になりたいと思っていた子供の時代には、きっと自分がそう大して大人ではない、ということに気づくのだろう。そして別の世界の記憶がありながらも、私は全くもって自分が大人だとは考えていない。そりゃあ、子供は子供に見えるのだけれども、大人とは自称し難い。


「きっと、エヘルナも大人になった時に気が付きますよ。あと五十年もすれば、きっとわかります」

うんうんと深くうなずいていると、ぺちりとおでこを弾かれた。

「何を一体したり顔でうなずいているのよ」

やはり子供かな、と少し薄く笑いが漏れたのをまた見咎められ、またもう一撃をおでこに喰らった。


翌朝になるとティオのところから帰ってきたピチェルは、私が話しかけても返事を返さなくなった。まるで子供のすね方だと思うけれども、このまま出発になってしまってはなんとも後味が悪い。静かな家の雰囲気に加え、家にいることを狩りの面々に許された父は居心地が悪そうで、母はパタン、カタン、という織機の音を少し静かめにさせながらこちらの様子を窺っている。よくそれで紋様を間違えないものだと感心しながらピチェルに「あのさ」と声をかけた。


「ふんッッ」

鼻息だけで絶対に会話しませんよ、というアピールをされ、困ってしまって差し出しかけた右手をまた元に戻す。仕方のないことだ、だってピチェルはまだ子供であるし、実際成長の度合いを見てみれば彼女はまだ五歳くらいの赤子と同じくらいだろう。綺麗な白髪をブンブンと振り回し、私から顔を背けるのはなかなかに見ていて楽しい。


小さい子の癇癪というのはあまり長続きしないものであるが、ピチェルはよくもった方だろう。夕飯がピチェルの好きなものばかり出てきて歓声をあげ、そして「ハイル見て……」とこちらを向いて手をつかんできた。やはり興奮すると怒りはすっ飛んでしまうのだろう、私はそれににっこりと笑顔で返す。

「はい、どうしましたか?」

「……ふ、ふーんだ」

「ピチェル、食事は美味しくみんなで笑って食べるものです。いつまでもあなたがむくれていては、みんな食事を美味しく食べられないでしょう?」

「わ、わかったわよ!うるさいなあもう!!」


顔を真っ赤にして食卓につくと、ムシャムシャと食べ始める。その顔が綻んでいくのを見て、そう長くは続かないだろうと思った翌朝。


「いや違うでしょ!ハイルがよくわかんないことするから分かんなくなっちゃったじゃない!!」

「誤魔化し切れませんでしたか」

あちゃあ、と額を抱え、そして出発の日までこんな具合のまま私たちは過ごした。しかし、これはこれでよかったのかもしれない。もしかしたら、両親とは一言もまともに話すことができないかもしれなかった。ピチェルの猛抗議によって皆が同情的な視線を向けやすくなったというのがあるかもしれない。


ひゅるり、ひゅるりと風が抜けて行く晴天の中、私は新しく作ってもらったテルシュを身に纏う。どうやら予定よりも少し大きくなってしまったようで、少し余り気味だ。張り切って夜なべまでしていたらしく、母の顔には濃いくまができている。

「それじゃあ、行ってきます。母さん、父さん、ピチェル」

ピチェルだけは表情が硬いままだった。それでも私は彼女の体を引き寄せて、抱きしめる。どん、と突き飛ばされ、そして「バカッ」という一言だけをもらって彼女は別れの場から走り去っていった。


「試練をすべて超えたハイルなら大丈夫だとは思うけれど、何かあったら困るからね。くれぐれも気をつけるんだよ?あと、女の子と間違われないように!」

「え?あ、はい」

流石にそこを間違える人がいるとは思いたくないのだが……しかし、自身の顔を見ているとどうも否定できないような気がする。


「ハイル、あなたはあなたの道を生きると思ってたからネチネチと小言を言いたくはないのだけど……私、どうしても言いたかったの。だって今まであなた、大きな事件ばかり起こしたり、その割に生活についてはそつなくこなしてしまうでしょう?今まであれこれと言えなかった分、少し言わせて頂戴な」

それから、それからと続けられる小言を一つずつ聞いて、そしてようやく陽が昇り始めた頃、私は言葉に詰まり始めた母の手を取った。


「無事に帰るから、そんなに心配しないで」

「……ええ。あなたにとって、ここが帰る場所であるのなら、それが一番だわ」


白い肌をころん、と氷の粒が転がり落ちていった。


出立になるとどうしても見送りをしたい、という人々が出たが、こればかりは許されなかった。罰を受ける者の家族ならいざ知らず、そうでない者たちが別れの場に立つことを許さないということらしい。

村の入り口に続く広場は、この時間にもかかわらず閑散としていて、ネーナ様だけがそこに立っていた。


「ネーナ老」

来ましたよ、と片手を振ると、硬い表情で迎えてくれた。

「本当ならば、このことは私の身のうちに秘めておくべきだったのでしょうね。あの晩に何があったのか、ということを。ですが、よもや隠しておけるとも思っていません」

コロリ、と手渡されたのは木の枝だ。見覚えがあるそれは、確か匂いを移すための枝だったはず。それが一体、と首を傾げていると、彼女は混沌を呼び出そうと図ったのだという。


「なぜ、と思うでしょうね。でも、昨晩の話を聞いていて思ったの」

「一体、何をです」

「もしあれがすべて正しい話であれば……混沌が、これを対価としているなら……と、儀式を行なってみたの」

「……儀式を、ですか?あなたは絶対に、この村に必要な人です。あなたこそ自覚が足りない行為をなさる」

「ええ、そうね。わかっているわ。けれど、確かめてみたかったのよ」

確かめなくてはならなかった、ではなく、確かめてみたかった、と。これはまた随分と毒されてしまったらしい、と私は少し気が重くなって話の続きを聞いた。


「来たのは混沌ではなかった。もっと別の、何かだったわ」

「え?」

それが胸を通り抜けた瞬間、ネーナ老は意識を失った。私は重たく募る衝撃に耐え切れず、よろりと後ろに下がった。あの時のネーナ老から感じた気配は間違いなく、古のものだった。しかし、彼女は古のものでもない、と口にした。


「古のものの気配は禍々しくて、すぐにでも殺さなければいけないという気分になるでしょう?でも、あれは……言葉にはできないけれど、混沌の懐かしさとも、古のものの嫌悪感とも違う感情を抱かせたの」


それはあまりにも受け入れがたい事実を示していた。


「つまり、儀式をしているあの場には、混沌以外の何者かがいた。そしてそれは追い払われたか、もしくは……未だ私たちの体の中に残っているか。これに関しては考えたくもありませんが」

「混沌を呼び寄せるために匂いのついたテルシュを外しますからね。……さて、答え合わせはこの辺でいいでしょう、ハイル?」

「ええ、ありがとうございます」

私はゆっくりと跪いて、それから頭の上に手が置かれるのを感じた。


「五十年後に、また会いましょう」

その声はどこまでも優しくて、私はまだ語りたい気分にかられた。それでも先に進まなければならない。私は静かに寒空に向かって息を吐き、わずかに白く染まる煙に導かれるように歩き始めた。

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