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高潔

本日2つ目です。

私がそう声をかけてみたが、フィロー・デスタゥは自らの剣をガチリ、と凍りついた地面に突き立てた。彼ははあ、と長い息を吐き、それから歪に歪んだ自らの手を私の方に差し出した。私が困惑していると、彼は俺を睨むように見た。

「斬れ、ハイル。お前の剣で斬れ」

「……私にやれと?治す手立てもないけれど、それを斬ればあなたは……」

「俺は絶対に嫌だぞ、この手を残すことなどしたくねぇ。古のものに噛まれた腕は呪いを体に巡らせる。痛み続けるんだ。この手があろうとなかろうと、俺の剣を振る腕は一本だ」

みっともねえ、と彼は左手を少し振った。すでに凍りつき始めている手だ、おそらく魔力の巡り自体が既にない。

「斬ってくれ、頼む。こんなみっともない腕をあいつらには晒したくねえ。特に、お前の父親には」

私の父親?と一瞬疑問符がよぎったが、彼がそう言い張るならば、致し方あるまい。私は抜いていた剣を一度拭き、それから自らの着ていたテルシュを剥ぎ取った。


背嚢から傷を清めるのに持たされていた蒸留酒を取り出すと布に染ませて、丁寧に剣を拭き、口に含むとぐちゃぐちゃになった左手へとバッと吹きかけた。ついでに少しだけ飲み干すと、カッと血が勢いよく、爆ぜるように回った気がした。

「ゔぅッ!?」

顔をしかめ、そして目を見開いて唇を噛み締める。獣のような唸り声に私は何か噛ませるべきかと服の裾をちぎり取り、その頑なに食いしばられた口に突っ込んで食いしばらせる。

「いいですね、斬ります」

コクリとしかめられた顔にはすでに苦悶が見え隠れしているが、酒精によって判断力が少し落ちているために私は躊躇いなくどこから落とすべきかとそれを見つめた。


肘から先が残っていれば、できることも増える。ぐちゃぐちゃに噛み砕かれている腕、そこから先を綺麗に切り落とす。

テルシュを敷いた上に左腕を乗せ、そして私は剣を振りかぶった。空気を裂く音が静かな林の中に響き渡り、私は一瞬で腕の先を切り飛ばした。私はほとんど同時に断面を凍らせるとフィローは唖然としたようにそれを見て、それからふっと笑った。苦痛はほとんど感じなかったようで、少し安堵した。

「お前は、躊躇なくやるのだな」

「酒を少し。それから、フィローさんがそれくらいで腕を落とすような戦士だと思っていませんから」

彼は目を見張り、それから白い髪をかき上げた。たてがみのようなそれは威圧感を与えるように見えたが、今その姿は少しばかり小さく見えた。


「後で村の医師に綺麗にしてもらう、お前はその剣を拭いておけ」

「先に、少し」

私はその手を検分し、それから表層にある古のもののよだれを少し指で拭った。ふと、魔力の通りが異常にいいことに気がついて目を見張った。

「……少し調べたいことができました。古のものの骨、血液でしょうか。それとも命石……いずれにせよ私にとって非常に興味深いことです」

人間の呪いを解く鍵になるかもしれない、そのものに。


この事実に気づけただけでも十分というものだ。私は一つうなずいて、腕を包み込んだテルシュを雪の中へと埋めた。

英雄の腕ならば、ふさわしい葬り方がある。仲間の一部のようなものだ、それを蔑ろにそこいらに捨て置くことはできない。それからフィローさんを連れて村に戻った。医師は即座に凍った断面をぬるい湯につけて若干溶かす。それからベトベトする樹脂を傷口に塗りたくった。壮年のはっきりした面差しの美しい男は、舌打ちをしながら処置を終えるとため息を吐いた。

「傷が塞がるまで、それを取るなよ。無論湯につけてもいかん。そいつを剥がすのは傷を失ったときだ。あまりいいことではないが、腕を失い戦う男は死ぬほどいる。が、いささか訓練が必要だ。体の平衡は変わるからな」

「ああ、わかった」

「それにしても綺麗な切り口だな。お前がやったのか?自分で」

「いくら利腕じゃねえとはいえ、切り落とせやしねえよ自分では。こいつを切り落としたのはほれ、そこにいるハイルだ」

「ほぉ?そこのちび、あー、なんとかって言ったか?ま、いいや。剣、見せてみな」

「え?あ、はい」


すらりと剣を抜き放つと、医師はそれを検分する。

「へぇ、いい剣だ。こいつは斬った獲物に応じて様々な色に変化する。強さも変わるってことだな。命を吸うらしいんだが、まあ詳しいことはわからん。俺は実際のところこの剣は倉庫で腐らせているからわかったもんじゃないが」

「そうなんですか。この剣っていうのは、実際何で作られてるんです?」

「古のものの骨と命石を炉に入れて、鉄を鍛える。それを浄化するのに聖水を入れた瓶の中に三日三晩つけ込むんだ。まあそこいらは重要じゃねえか?」

「いえ、参考になります。古のものも命石を持つんですね」

「ん?まあ、なあ。だがあいつらのは命石と呼ばずに大抵は悪石と呼ぶんだ。触る時も手袋をはめるし、炉の煙を吸い込むこともあまりしない。聖水を炉に入れながら鍛えるんだ」

私はその聖水が古のものの何か悪いものを消し、それから魔力を伝導させなおかつ魔力により変質するということを聞いて少しばかり首を傾げる。その聖水の成分を知ることができれば、と尋ねてみた。

「あの、聖水とはどのように作られるのでしょうか?」

「聖水はシハーナから買い上げてるんだ。製法も何もわからんよ」


そうだったのか、と私はうなずいた。

「それならば仕方がないですね」

シハーナ宗主国へと向かってその謎に迫りたいところではあるが、もしかすると秘された製法かもしれないし、あるいは人が作ってすらいないのかもしれない。私が受けてきたように、光や闇もまた様々に現れいで、そして人々に与えるのやも。


「そういえば、我々の他にけが人は?」

「ああ、いねぇよ。死んだやつもな。今回は長引かなかったからけが人も自分で手当てできる範囲で済んでんだ。英雄の片腕一本なら釣りがくらぁ」

やさぐれた男は笑いながら手に持っていた鋏を手に取り、フィローの腕に包帯を巻きつけた。

「訓練は少なくとも、七日経つまではするんじゃねえぞ。でないと、傷の治りが悪くなる。早く治したけりゃ、栄養をとって休息しろ」

「あ、ああ、わかった」


フィローがうなずくと医師は満足げに笑った。


広場へ戻ると私の父親と母親が走って駆け寄ってきた。ピチェルは眠りこけているらしい。

「よく無事だったわね、ハイル!」

ぎゅう、と私を抱きしめる母の腕はいつもの倍は力強い。父は優男の外見のまま、良かったと微笑んでいるだけだ。どっちかというと割り込めないほど抱きしめられているだけだろうか。

「あの、母さん、ちょ、ちょっと苦しい……」

「あらごめんなさい?おほほほほ」

その腕が少し緩むと、父が頭を撫でて「よくがんばったな」と声をかける。

「……いえ、私は頑張ったというよりも」

く、と唇を噛むと、はあ、と息を吐いた。自らを褒める事はできない。私は静かにその胸に抱かれたまま、動くことをやめた。走りっぱなしで疲れているのもあったが、それ以上に動く気力が湧き上がらない。そのまま柔らかな温もりに抱かれたまま静かに眠りに落ちた。


次に目覚めると、1日が経過していた。

「……んぅ」

ラグマットから身を起こすと、いつもの焚火の音とピチェルの寝息だけが聞こえてきて、私は二度三度と目を瞬かせた。

「朝、いや昼ですか」

テルシュはフィローの腕を包み込んできてしまった。私のテルシュはなくなってしまったのだ。気に入っている柄だったのだけど、と少し残念に思いながらも、フィローの左腕をそのまま放置してくるつもりもなかった。


「テルシュなしでしばらく狩りになりそうですけど、ま、夏ですしねぇ」

狩りに出る時以外はあまり使うこともない。特に今の暑い季節では脱いでいる者も多くいる。


もしくは織り方を習って自分で織るのもいいかもしれない。この村にいるのも、そう長い期間ではない。そう考えて、つくづく長命種族らしい考えになったものだと息を吐く。三十まで、そう約束した期間まではまだまだ時がある。だというのに村にいるのはそう長い期間ではない、と言い切ってしまったのだから。

「ん……あれ、おふぁぁあああよ、ハイル」

「ええ、おはようございます」

「ねえ!赤ちゃん見に行こうよ、赤ちゃん!」

「一目会いたいというのはわかりますけれども、子供にとってはテルシュができるまで全く安全な場所はありませんから、ひとまずテルシュができるまでは行かない方がいいのではないでしょうか」

「ええ!?子供、かわいいよ?」

「この村ではかなり生まれますよね。初めての年下の子ですから、大切に育てなければいけません。ですが気が急いてもいけません。私がまだずっと小さかった時分には、上の子供達に少しばかり遠くまで連れ出され、焼け焦げる寸前でしたから」

「ずっと思ってたんだけど、ハイルってへんなやつ」


なかなかに衝撃的な言葉を吐かれたのに目を丸くしていると、ピチェルはふん、と鼻を鳴らしてもう一度横になり直した。

「ハイルってさ、村を出るわけでしょ?一体村を出て、何してみたいのよ。結局あっちこっち行った旅人気取りは村に戻ってくるんだよ?」

「定期的に戻ろうとは思っていますよ。でも、村にずっと住み続けて外に出ないというのは選択肢にはありません」

あちこちで見たいものがある。

直したい病がある。

知りたい知識がある。


そう言っても、多分彼女には伝わらないのだろう。安寧と平穏こそが最も良いものだとこの年にして悟り切ってしまった彼女にとっては、私の気持ちは永遠にわかることはない。

「きっとピチェルは、ひと所に住んでいることが性に合っているんです」

「ふーん?よくわかんないけど、本当に私にはわかんないや。ハイルは出会った時からおかしな人だったし、この村の人も、あんたの両親もへんな人じゃないから」

「きっと、本当の意味で私のことを理解できるのは神様くらいでしょうね」

いや、それもきっと違う。私ですら理解できていないのだ。神様はきっと、知ることはできる。けれど理解することはあるまい。あの白銀と黄金の眼が胸に刻まれたように残っていて、ひどく見透かされているのに、わかってもらえないような眼差し。


「ふーん。まあいいんだけどさ、どうでも。あたし、ハイルとはあんたの両親に頼まれても結婚しないからね」

「私は結婚するつもりもありませんでしたけれど」

「はあ!?い、いくら放浪するって言ったって、そういう人もお嫁さんくらいいたわよ!?」

「そうなんですか。まあ、私は例外ということなんでしょうか」

のんびりと言っていると、ありえない、と彼女は立ち上がった。どうやら何処かに行って、何かするつもりのようだが面倒ごとの気配がする。家を飛び出して行った彼女を見送り、ほとんど入れ違いのようにして帰ってきた母に告げる。

「私、少し用事があるので行ってきます」

「ええ、いってらっしゃい。夕飯までには帰るのよ」

のんびりした言葉に私はそのまま家を出ると、一気に走り出す。テルシュがないので厳密には森に入れないが、死体の後片付けをしている皆のところへと行くのはまるで問題ない。古のものの肉は命石が残ったままだと獣は食いにこないのだという。


「おやおや、ハイルじゃないか。今度の走り手はなかなか優秀だと聞いたよ。僕の時は3人死んだと聞いたからね」

「ハイルの時は5人死んだっていうじゃないか。今回は大怪我はフィローだけだろう?第一走り手を逃すために止まったんだから、死んでいてもおかしくないよね」

そんな会話に、私は「あの」と割り込んだ。


「子供が生まれるとき、混沌がさらいに来るのでしょうか?」

「うんにゃ、どっちかというと古のものが嗅ぎ付けて、殺しに来るって言ったほうが正しいかな。その辺のことはネーナ長老に聞いた方が分かるんじゃないかな?」

ネーナ様のところには頻繁に行っているが、なかなかそういう出生に関わることなどをはっきりと聞いたことはなかった。大半の用事が事務的な連絡に関することで、私の興味を満たすような会話ができたのは狩りに行く前のことだ。

「ありがとうございます。ネーナ様に聞いてみたいと思います。幸い、テルシュが出来上がるまでは時間がありますから」

「おう」

返事をしながらつい、と手を伸ばすと缶に入った飴玉のようなものを一つ投げてよこす。

「古のものとかちあったんなら、こいつを飲んでおきな。穢れを払う薬草を混ぜたもんだ。苦いが、食っておけ」

「あ、はい。ありがとうございます」

「礼したいなら、今度何か肉でも持ってこい。そうだな、ギッチェンがいい」

高級食材と言われるギッチェンだが、運が良ければ私くらいの実力でも獲ることができる生き物だ。おそらく気を使ってくれたのだろうと思われるその言葉にはい、と笑顔で頷くと照れたようにぷい、と顔を背けて薬をゴリゴリと薬研で潰し始めた。しっしっと手を払っているところを見るとどうやら私は早めに退散した方が良さそうだ。

「では、失礼します」

丁寧に辞去の挨拶を述べてその場を後にした。その足でネーナ様の家に向かうと、中にはなぜだかピチェルもいた。

「なんでピチェルがここに?」

「なんでって、あんたのお嫁さんを探しにきたんじゃない。ちなみに私を除いてよ」

「そうですか。ですが、それは別に良いと……」

「よくない!」

ビシリ、と人差し指を胸に突きつけられて私は眉尻を困ったように下げる。

「良い?ご両親だってあんたの子供が見たいのよ。それを軽々しく必要ないとか、本当に信じられないわ」

「そうではなくてですね。私が仮に結婚したとして、この土地にそう幾度も帰ってくるかと聞かれればそうではないんですよ」

私のやりたいことを考えれば、五十年ほど嫁と呼ばれる人間を放置してしまうかも知れない。もし彼女がそれをよしとしても、私にはそれが耐えられるわけではないのだ。ピチェルは震えながら、「何それ」と口にする。


「何よそれ。意味わからない。意味がわからないわ!!」

ほとんど叫ぶようにそう言って、彼女はネーナ様の家から飛び出していった。一瞬後を追った方がいいのだろうか、と思ったが、いずれ頭も冷えるだろう。私は困ったような表情のネーナ様の前に座る。

「お久しぶりです」

「まあ、ごく最近会ったばかりでしょう。でも、子供の成長は早いものね」

その言葉に少々苦笑いしながら、やは時間のスケールが違うようだ、と前世の記憶と比べてしまうことに、少し嫌になりながら勧めのとおりにラグの上に膝を崩して座った。

誤字報告ありがとうございました。伏して拝み奉り申し上げたいありがたさ。

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