魔力
私の持っている「力」、この呼称を魔力としよう。毎度毎度力と呼ぶのも味気ないが、私には大して名付けの才能が欠けているためにあえて魔力、あるいはマナと呼ぶことにした。前者は私的に。この世界の言葉に混ぜて日本語を言われると違和感しかないからである。
さてその魔力だが、私たちはありとあらゆる場所から放出できる。だがそれが一点に絞られていないせいで、たとえば私が体から冷凍ビーム(センスがない)を出そうとしても、せいぜい回りを凍らせることしかできない。一ヶ所から強く放出することはできたが、あれは力を無理矢理押し止めて足に留まらせただけでもある。
つまりは使い方として間違っているのだ。
魔力のその本質は、生命が活動をする上で一部のエネルギーを魔力に変換することで、世界に適合するものである。つまり、元世界の、細胞にあるミトコンドリアとでも言うべきものだ。ミトコンドリアは元々酸素を用いたエネルギー変換を行える好気性の生物であり、それがあるからこそ生命があそこまで進化しえた。
そしてその魔力は認識すら出来ないが空気、地中、水中すべてこの世界に存在している。感覚がぎりぎりまで引き伸ばされたとき世界を過剰でひどいものだと感じたのはそのせいでもある。あのとき、《闇》に感覚を引き伸ばされたことで体内における魔力は感覚と同期するように動いていたが、体外の魔力はそれに反して通常通り動いていた。すなわち両者が反発することで私は魔力が体外に出て行く様すらはっきりと認識できたのである。
つまり魔力が無ければ生物は世界に生存できない。誰しも魔力を持つことで、世界と同期しているのである。
さて、その魔力であるが、私の場合氷や雪、そのほかの温度低下にかかわる現象を引き起こすことが最も余分が少ない。これは種族的なものであるし、永久に変わることが無い。しかし、ほかのことが出来ないかと言えばそうではない。理論的には炎でも雷でも、何でも起こすことは出来る、らしい。
らしいとしか言えないのは魔力がどうも体外へ出る時点での変質を起こしやすいからである。空気中に出した瞬間に酸化するナトリウムのように、反応性が高いと言うべきか、とにかく現象になりたがる。私が切り離したと思っていた力も、実際は雪になっていたというオチがついている。
それならば、体外へ安定した魔力を放出し、さらに変換をそこで行うことが出来れば良い。もちろん私が魔力の扱いをしっかり意識できるようになったおかげで周りを無造作に凍らせる程度は息をするようにできるようになっただけでもありがたいことだが。
つまりその物質が見つかれば、であるが、実際それには目処が立っている。
命石から魔力を抜き出した、あの物質だ。
正確には私が無理やり魔力を抜き出したほうの物質、と言った方がいいだろう。割り砕いたほうは魔力を霧散する物質になってしまっている。あれだけの時間をかけただけのことはあった。とはいえ皮膚に直接当てただけで放出してくれると言うわけではない、と思う。特に人間の治療には向かないだろう。
「……ううん」
「ハイル、さっきから何を考えてるの?手が止まってるよ」
「あ……」
手元にあった繕い物は全く進んでいない。あれこれ器用にやっていたからとこういうことが得意で無い母親に押し付けられたのだ。
「私も苦手なんだから、早くやっちゃいなよ」
「あ、うん」
ずいぶんと馴染んだなあと思うと同時に、ピチェルがティオのことをあんまり気にしていないような様子に、てっきりもう吹っ切ったようだと繕い物に戻る。はて、とティオの話題を出そうとして、「あの、ティオが」と口にした瞬間、背筋がぞっとするような心地がした。
「……なぁに?」
「い、いえ、な、なんでもないです」
すみれ色の瞳がふわっと綺麗に半月の形にされたのだが、計り知れない違和感が感じられた。
「あんたがそれ言う必要ある?」
「いえ、じ、自分はただティオが次の狩りの時にお土産を持って帰ってきてくれると言う話を聞いただけであります」
口調がガタガタになっているのを感じながら私は首を左右に振る。ふうん、と冷たい視線を送られていたが、ふっとそれがそらされる。私は針を握り締め、それからはあっと息を吐いた。
「ハイル」
「ヘイッ!」
「何、その返事。あたし、ちょっと出る用事あるから、その間に終わらせときなよ?」
「あ、うん。行ってらっしゃい。それで、どこに――ぶおっ!?」
顔に布切れを投げつけられて思わず避ける。
「な、何するんですか!」
「あんたには、関係の無いこと!」
べーっと舌を出されて扉がばたんと閉められた。一体なんだったのか、嵐のような出来事にやれやれと肩をすくめて繕い物に取り掛かった。
全てが終わったのは夕飯の直前だった。途中でホクホク顔で帰ってきたピチェルだが、私がまだ繕い物を終えていないのを見て鬼の首を取ったように突っかかってきた。まあ、数日はつっかかられることを覚悟していたことでもあるし、と黙って繕い物を続ける。
「そうそう、ハロリオさんと、リンペベルンのノズルゲさん?っていたじゃん。あの二人、結婚してたでしょ?」
「そうだね」
「でもってノズルゲさん妊娠したみたいなんだよ!」
「へえ!」
めでたいことだと思っていると、何を蚊帳の外にいるのかと小突かれた。
「あのね、子供を授かったって事は、私たちも準備しなきゃいけないことがあるの」
「へ?」
果たしてその夜、私達には密命がその晩、夕飯のあとに下された。すなわち、守りのために必要なものをあちこちから駆けずり回って集めてくるというものだ。
「妊娠したって事は、あと一週間ほどで卵が生まれて来るでしょう。その卵の周りに置いておかないといけないと決まっているものがあるのよね。大人たちは正直、生まれた後で卵の匂いにつられてやってくる古のものを抑えるのと、その前に村から出られなくなるのに備えを作るので忙しいの。だから、捧げ物を手に入れるのをやって欲しいのよ」
「え、ちょ、ちょっと待ってください。卵の匂いにつられて古のものがやってくるとは」
「さあ、でも、卵が生まれた直後から来るのだから仕方が無いわ。あなたが生まれたときも、それはもう大変だったんですから」
聞き逃せない言葉に私はほうほう、とまた新たな欲求を刺激される。すなわち古のものは卵の匂いを嗅ぎつけられる、あるいは嗅ぎつけていなくとも何かを感じ取ってここまで来るのだ。つまり混沌と何がしかを共通していなければ――そこまで考えて襟首をぎゅっと掴まれた。
「話は、まじめに聞いてほしいわぁ」
「す、すみません……」
母はそれから私達に木の板に書かれたリストを手渡してくれた。そのリストには人間の集落へ行って手に入れなければならないものもある。到底一週間では行って帰るに足らないのでは、と口にしようとした時、バンッと予告も無く扉が開いて、私は振り返りながら背に手をやった。しかしそこには何も無い。食事中はさすがに剣を持っていない。
「チッ」
舌打ちをしながら相手を睨むと、その姿がのそりと中に入ってきた。
「よう、ずいぶんとまあ、ご挨拶だな。とはいえ反応が良いぞ、さすが俺が噛んでやったやつだ」
「……ってことは……フィローさん、お久しぶりです」
背の高い大男はぶるりと体を震わせて雪を払うと、ふう、と息を吐いた。狼が身震いするような姿に見えて、少し威圧的でもある。くくられた白髪が尻尾のようにも見えた。
「さてと。お前らもまあ、不安に思っているんだろうが、さすがに一週間じゃあ足らんだろうな。そこで俺が来たってわけだ」
「どういうわけですか」
「うむ。まあ、分かりづらいだろうが、俺がハイルを人間の大きな街に三日で運ぶ。そこで一日で品物を手に入れて、俺が待っているところまで品物を中継したら、街近くで待機しているピチェルのもとまで品物を届ける。まあ何、それが計算上最も早そうだと長老が言っていたのでな」
なるほどともなんとも言いがたく、私は少し考える。
「品物を手に入れるのがフィローさんではないのは、なぜです?あなたが行くのが一番手っ取り早い」
「いやいや?一番手っ取り早いのは、お前さんだろう。何しろ領主と知り合いなんだからよ」
「って、その町、もしかして……」
「おう。お前さんが考えている通りだぜ」
プラスティアーゾ。すなわち私がココモにうっかり乗っかって行く羽目になった、あの街である。
「確かに、ポルヴォル様とは知り合いですが……」
「ならば問題なかろう。領主権限でごり押しで貰って来い」
「いつもはどうしてるんですか?」
「ああ、いつもな。……いつもは、事前に母親がこの日に秘儀を執り行いましたと族長に報告するから、用意しておいて近くの村まで取りに行けば済むんだが、何しろノズルゲは他の集落の出身でな。リンペベルンはここと比べると、な」
「なるほど、そういうことだったんですね。それじゃあ急いで準備しますね。どうせ連れて行かれる間は私は抱えられっぱなしですから。ピチェルは後からゆっくり来てください。目だって古のものに噛まれてしまっては大変ですから、気配を消すことを忘れずにね」
「え?いや、今から出るの?もしかして」
「ええ。いけませんか?」
「俺もそのつもりだったぜ。どうせその辺の背嚢にモノは詰めてあるんだろ?」
そんなわけ無いじゃないですか、と私は溜息を吐く。せいぜい吐かない様に酔い止めであるすうすうする味の樹脂をぽいと口の中に入れると、二、三回強く噛む。強烈なミントのような味が広がった。背嚢につまっているものをチェックすると、要らないものまで詰めてあったためそれは今回削る。申し訳ないが、剣だけは持って行かせてもらおう。あれやこれやと準備していてもどうせ杞憂である。
「お金は?」
「俺が持ってる。領主様に急いで用立てしてもらえるくらいのモノもな」
スニェー族の感覚では一切無用な、ガラス質の透明な鱗だ。特段何の役にも立たないが、その色は偏光性をもち、光を当てると七色に光り輝く。ちなみにこれはノズルゲが地元の肉として狩ってきた生き物についていたらしい。
剣と、それから必要最低限のものを背負い、それから腰をかがめたフィローの背中にひょいと乗っかる。彼は収まりが悪いともぞもぞしていたが、私が思い切って肩の上に肩車の姿勢で乗ると、うんうんと頷いた。
「乗り心地は保障しねぇぞ。それから、近づいて来る獲物は全て無視だ。いいな」
「ええ、了解です」
私の足をぐっと掴み、非常に安定感がある。顔に深くテルシュを巻き、雪の粒をさえぎるようにするとフィローは勢いよく走り始めた。
ぐおんぐおんと揺れる肩車だが、どうやらフィローは非常に走りにくいようだ。背負子でもあれば、と思ったところでフィローは私を下に降りるよう立ち止まって促した。
「お前程度の大きさなら、抱きかかえて走ったほうが速そうだ」
「あ、そうですね」
そして狙い通りの三日目夕方には、私はプラスティアーゾに到着していた。相も変わらずな町並みで、私は懐かしく思いながら足を踏み入れた。面倒ごとは避けたかったためテルシュはやはりぐるぐる巻きだ。
「あ!」
背後から急に声をかけられ、それから慌てて男が逃げ出した。はて、と首を傾げたが、何も思い出すことが出来ない。何かやらかしたことがあっただろうか、としばらく考えたが、特段思い出せることも無かったためそのまま街の中心部へと進んでいく。
「待て!そこでとまれ。一体何奴だ?この先に進もうとするとは」
「あ、そうだ……」
前回はポルヴォルが一緒だったから特段考えずにここまで来たが、そういえば、何度か荷を改められてもいた。とんだ迂闊である。
「どうしましょう?」
振り返って衛兵に尋ねたが、彼は顔を引きつらせて「私が知るものか!」と言い返してきた。それもそうである。
「あのなあ、向こうのほうにはお貴族様が住んでるんだ。そっちに行きたいならまず――」
「そうだな、まず、その頭に巻きつけた布でも取るべきだろう」
朗々とした声がぱっと響き渡って、その場を支配した。私ははっとしてテルシュに手を伸ばし、それから剥ぎ取った。跪こうとすると、「礼などいらぬよ」とにっこりと制された。
「久方ぶりだな、生ける芸術。また会えることを非常に楽しみにしていたよ」
「ええ、私もです。ポルヴォル様――いえ、ロスティリ卿」
「構わぬ。美しいものには名で呼ばれるのが本懐であろう?」
ポルヴォルは精悍さを増し、そして今回は仮面をしていなかった。
「さて?わざわざ私を訪ねてくるということは、何かあったかね?」
「大変不躾ながら、お願いがあってまいりました」
「ほう!他でもない、君の頼みだ。話を聞こうではないかね?」
にやりと笑った顔は前回より老獪さを身につけたようだ。ポルヴォルとの交渉材料は貰ってきているが、少しばかり長丁場になりそうである。




