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両手

私のさしのべることが出来る手は、子供にしては人より多いのだと思う。彼らは自分に一生懸命で、時には不安定になってしまうからこそ、差し伸べられる手がないのだ。

だからこそ、この状況に相対してしまった場合、取るべき手段が即時に選べないというのも転生(厳密には違うだろうが、この場合はそう考えるとする)の弊害でもあるだろう。


「……ティオはピチェルと参加してるのねえ」

母のようにとがった猫なで声を出しながら、私の手をぎりぎりと握りあげる少女。そしてその少女ににらまれながら冷や汗を流して弁解している少年。

「い、いや、だって。今年はエヘルナは……」

「うるさいわね」

完全に尻に敷かれている。理不尽な理屈をのみこみ、ティオは困った顔をした。ここまで理不尽に扱われている様を見ると、ティオがあわれに見えてきてしまう。憐憫の情を込めて彼を見ると、視線をうろうろさせていたのかばっちりと目線があってしまった。


ごめんなさい。


「そ、そっか。そうだよね。まあ、かわいい弟分に頼まれちゃあ、しょうがないよね。ははは……は、はぁ……」

ティオは無理矢理そう言い聞かせているように、ピチェルに話しかけた。だがピチェルはそんなもの意にも介さないといった風に心底嬉しそうに笑った。

その空気の読めないさまに、まずエヘルナが、そして私が恐怖で固まった。ともすれば私の子供の腕をへし折れる彼女の腕は、ぎっちりと私の片腕をとらえたままである。そして徐々に力が入ってきているのだ。


「エヘルナさん、エヘルナさん……エヘルナ!」

「あ、あら、ごめんね」

彼女が手を離し、私はほっと息を吐く。たぶんアザになってはいるだろうが、彼女が我を忘れるくらい嫉妬しているのだろう。……まずもってピチェルとは戦争である。

私は横にいる彼女をちらっと見た。どちらにも肩入れはしたくないが、長引かせるつもりもない。腹を決めたほうがいいだろう。ピチェルは可愛そうではあるが、彼女が本当に恋をしているかと言えば、否である。彼女にとってティオはほとんどはじめて接した年の近い男の子だ。つまり憧れと近い感情といえば伝わるだろうか。


そして何より、ティオはエヘルナを思っていることが確かだ。あの様子でははっきり口に出したこともないのだろうが、彼は間違いなく、エヘルナを好いている。気持ちの通っている二人を無理やりに引き裂くつもりは私にはない。もちろん、ピチェルがどう思うかは私にははっきりわからないが。

「あの、ティオ、ちょっといいですか?」

「へ?何?」

「僕が今回エヘルナさんと祭りに同行するようになったのは、恋愛相談のためです。勘違いしないであげてくださいね」


そう耳打ちすると、ぎょっとして私を見る。先程までの敵意なのかなんなのか複雑そうな表情はちょっと薄れていた。やはり恋は盲目とでも言うべきだろう、反抗期らしき何かを乗り越えた彼もまた感情で目を曇らせることもあるのだな、と思えた。……つまりは私もそうなる可能性があるわけである。

「なあに?男同士で楽しそうに会話しちゃって。なんなのよ」

「ごめんなさい、エヘルナさん。今日は楽しみましょうか」


広場に向かって子供らしく駆けていく。狩猟祭(オステイオ)は三日間開催される。もともとこの冬の間は祭りが無かったらしいが、これでようやく春、夏、秋、冬全ての季節に祭りが行われる。

そもそも違和感を覚えるのがこの場所での日の出の類である。春夏秋冬が存在するし、日の出は日の出である。つまり何が言いたいかといえば、地球が丸かったとき北のほうには極夜が存在していたように、この地が丸ければ当然極夜があっていいはずである。だが、それは全く存在しないし、この地が寒い理由も分からない。当然ながらこんな疑問は地球の記憶をコピー、写し取ったものだとはいえ所持しているからでもある。


狩猟祭では早めに日が暮れるから、と篝火が早くからあちこちに焚かれている。私は火が比較的好きなのだが、若い大人たちはお前が行けよ、と篝火の近くで背を押し合ってはきゃらきゃら笑い声を立てていた。老人はたまにそばによってなにか焼き物を作っているが、ぎゅっと口を閉じていつもの温和な表情はどこへやらである。

屋台は出ているが、そのどれもが話し込むために椅子と机を用意してあるだけの場でもある。机を囲むのは女性ばかりで、準備されているお菜にはあまり手がつけられていないが、若者がたまにごっそりと一皿ずつ持っていく。

「子供が楽しめるのと言えば……あれね」

人差し指を追ってすっと視線を向けた先には、色とりどりの屋台が並んでいた。


「あんな場所、ありましたっけ?」

「ああ、そうね。そういえば去年の祭り、あんたのところはピチェルの夜泣きで出なかったものね。去年から子供も楽しめるようにって、色々作ってくれたのよ。いろいろあるのよ!」

ずんずんと進んでいく彼女は全く想像してはいないかもしれないが、そちらにはたぶん間違いなくピチェルとティオがいる。そう口にしようとしたが、彼女はわたしの手をぐいと取って引きずるように引っ張っていく。いくら体重が軽いからと言ってこの運搬方法はあんまりである。

「くじ引き、楽しいのよ」

そういうととある屋台に駆け込むように突っ込んでいく。


「おじちゃん!くじ引き、二人!」

「はいよ!」

クジを黙々と引き、エヘルナがやったぁ!と声を上げる。

「私の勝ちよ!」

「……あのぅ、はい。ええと」

「なによ。あげないわよ?」


クジを黙々と引きながら思っていたのだが、これは確実に子供にプレゼントを上げたい大人がクジを引かせると言う体で子供にプレゼントを押し付ける店である。ニコニコしながら白髪の童顔の青年がこっちを見ている。……彼のことをはっきりと知っているわけではないが、同じ村ながら近所には住んでいない人だと思う。

「エヘルナさん、他にお勧めな屋台ってあるんですか?」

「ああ、えっとね。こっちよ、こっち!」

手を引かれて走っていった先には、ティオがピチェルと一緒に座り込んでいた。私たちに気がつくと、おおい、と手を振る。近づいていくとティオが嬉しそうに笑ったと思えば、横から脇腹を肘でえぐられる。これは母さん直伝だ、と結構な痛みにうめく。


「なんで邪魔するの」

「わざとじゃないですよ。私たちが向かった先に、あなたたちがいただけで」

「……フン、だ」

がす、ともう一度いい一発をいただいて、よろめいた。エヘルナがその様子を見て私を支える。ちょうどいい、私はエヘルナの頭に耳を近づけて、それからそっと助言を一言。

「エヘルナさん。もう少し、ティオには素直に自分の気持ちを言ってみても良いと思いますよ」

「え?」

「私から言えるのはそのくらいです」


くるりと向き直るようにして、ピチェルの腕を取った。

「ピチェル、あっち、すごく面白いものがあるみたいです。一緒に見に行きましょう」

「え?ちょ、ちょっと待ってよ、ハイル!?」

走り出した先、そこには一人の女性がいた。村では一度も見たことが無い風貌で、対して美しくない姿だ。いや、それだけではない。肌は小麦色、そして髪は黒だった。そこにいる誰もが彼女に目をやることはないし、そして誰も、隣にいるピチェルさえも、彼女には気づいていなかった。だがその衣装は美しかった。透ける様な紫の薄布がヴェールとなって髪を覆っていて、この衣装は彼女にぴったりと合っていた。


「……あなたは、一体?」

「あら?」

彼女は微笑んだ。何も表情が無かったときから打って変わって、その姿は魅了させられるようなものがある。

「この村ではあなたがわたくしに気づくのね」

「……どちら様でしょうか。それに、あなたに気づくとは一体?」

「うふふ、いいわ。それに――面白い子供ね、【***】が気にかけるだけあるかしら。でもそうね、これではあなたの一生かけても、絶対に、あなたの求めるものは手に入らないわ。そして誰も救うことが出来ない」

その言葉を吐いて、にっこりと、彼女は笑った。背筋がぞわりとする。次の瞬間、意識しない間にわたしの胸元に彼女の顔が滑り込んできた。


「わたくしを()っているのでしょう?」

真っ黒な瞳が、私を捉えた。にんまりと微笑んだ口の中がわずかに見えた。紫の薄布の下から『闇』が覗く。なるほど確かに、と私は息を呑んだ。

始まり(キュクル)、さてあなた……わたくしの深淵を食べるおつもり?」

「食べずに味を語って警告を出来ましょうか?」

「それもそうね。それじゃ、口をお開けなさい」

あぐ、と指が歯と歯の隙間にねじ込まれ、黒い瞳が私の間近まで近づいてくる。


あ、そういえば、と思い出す。人間が許されていないのだとすれば、彼らは一体何をしたのか?それをたずねる絶好の機会だったな、と思った。そう考えた瞬間目の前の女性はくっと目元をゆがめた。

「なにもかも、呑み込んだ後でなら、その問いに答えましょう。わたくしはあのことについて直接何かを語れるわけではないから」


ずるりと意識が落ちて、雪の冷たさが私を襲う。意識がはっきりと残ったまま地面に崩れ落ちたのだ。見えている情報が脳を直撃するように笑いをもたらし、下らぬ精神がごりごりとすりおろされていく様に恐怖と憎悪をごたまぜにしながら喜びを舐めしゃぶった。全てがいっぺんに起こった。激しい感情の渦の中、激しい感覚の渦の中、胃の中からせりあがってきた何かを吐き出しそうになるが、ぐっと喉を締め付けてこらえる。

「……!」

横にいたピチェルが叫ぶ声が耐え難く甲高く、耳を塞ぎたい低音に聞こえる。耳障りな味覚が香ばしく、嗅覚が嘆き始めて私は頭が狂いそうだった。


腹の底で何かがうずいている。そこに私は沈んでいくように感じた。これは私が再三感じていた「力」だ。体の何から何までが一気に増幅された感覚の中で、「力」は安定して存在し、そして変わらず何かを欲していた。

「力だ」

ずるり、と私はそれを右腕から取り出した。そのまま出すことも出来るのかと()()()()。どうすればいいのか全てがわかった。もともとわかっていたのだ。それをぐちゃぐちゃとこねくり回すこと自体は、間違いではなかった。だが分かっているものを分かろうとするなど不可思議なことでしかない。


その瞬間、世界に音が戻る。色が戻る。味が戻る。匂いが戻る。

「……ちょっと!いきなり倒れてどうしたの?」

「ああ……いえ、ええ、なるほど。それで、一体どうして人間は許されなかったのでしょう」

「あら、覚えてた?そうね、厳密に言うならば、彼らはわたくしたちを裏切った。それだけよ。あなたがもしそれ以上を知りたいのなら、ニーへに行きなさい。そしてシハーナ宗主国の中央にある石碑を読み、真実を知りなさい。道程の厳しさはあなたにはあまり関係の無いことでしょう」

私はこくりとうなずいた。ピチェルは横から私をゆすぶっている。


「私は二度と現れないから、そのつもりでね」

ぶわりとその場に闇が広がって、次の瞬間日は既に落ちていた。

「……ねえ、ピチェル。もし、だよ。もし、全てを知ることが出来るとしたら、どうする?」

「はあ?何を言ってるのよ。あなた倒れて頭でも打ったの?」

「いや、なんでもない。なんでもないんだ。でも、そうだね。頭は打ったのかもしれないね」

くつくつと笑いながら、突き当たりになっていたその場所を見る。そこには誰かがいた形跡も無かったし、雪の上を歩いた形跡も無かった。けれど、「力」を扱うことは全く問題なく出来ている。私はそのことに知らず笑いを漏らした。


「あ、」

隣にいたピチェルがぽたぽたとした歩きを止める。

ティオとエヘルナがそっと寄り添っていた。

ちらりと隣を見ると、その顔はちょっと悲しそうだった。

「わかってて邪魔したの?」

「……そうだよ」

「そっか」

ピチェルはそれ以上語らなかった。それでも、皆が寝静まった後私が不意に目覚めると、彼女はテルシュの中で固く閉じこもるように泣いていた。私はそっと口を開こうとするが、空気が重たくて、話すために吸い込んだ息を吐き出せなくなった。

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