成長
更新遅れてごめんなさい。
「……ずるいわ」
私に引きずられてか、こちらの集落に来てからかなり流暢につっかかりなく喋るようになってきたピチェルがじっとりと私を下からにらむ。その表情はうらめしや、と言いたくなるほどとかく私を目の敵にしているようなものだ。彼女がかくも私を睨み付けているのは、ほぼ同じ年の私がどうしてピチェルより格段に成長が早いのか、ということである。
ぶちぶちと愚痴る彼女を尻目に、つるされている大きな死体をナイフで掻っ捌いていく。解体場でお手伝いを二人でしながら話していたのだが、不意に立ち上がった瞬間にピチェルが目ざとく私が身長を抜かしたことに気づいたのだ。
「ずるいわ、って言われたって、伸びたものは仕方がないじゃないでしょうか」
「ほら、またその喋り方。直ってない」
どうにも丁寧語を使う癖というか、気分なのだが、ピチェルに対してはあまり強く出られない。実際何のかんのと言っても、あまり彼女を怒らせたくはないし、悲しませたくもない。エヘルナとティオのときもそうだが、周りに対してええかっこしいな私は特にそう思っている。
「あの、人によっていつ伸びるかは違うんじゃないでしょうか。ほら、私の父と母だって、そう身長が高いわけでもないですし」
「それでもずるいわ」
そう言って頬を膨らませているものの、ピチェルは一年くらいしてこの集落になじみつつあった。エヘルナの母はエヘルナが狩りと商談でしばらく不在にしている間にピチェルをお菓子で餌付けしたりして、仲良くなってもいた。スニェーの人以外にはお菓子を貰ったらいけないと注意しようと思ったが、そもそもここに人が来る機会がめったにないのだ。
「聞けば私の方がちょっと年上だったのよ。なのにハイルったら」
ぶちぶちと文句を言いながらも、大きな飾り羽のついた鳥(四速歩行だが)から羽毛をむしる手を動かすことは止めていない。私はふふっと微笑んで、彼女の作業を横に座り込んで手伝うことにした。
「仕方がないですよ。ピチェルはしばらくまともに食べられなかった時期だってあるそうじゃないですか。栄養状態の不足は発育の不良を招きます。この時期は特にね」
「やだ!じゃあ将来もあたし、ちっちゃいままなの!?」
ショックを受けたようにようやく手を止め、私の顔を見て必死に問いかけてくる。確かに大きい小さいで言えば私の両親は小さいほうだ。しかしこの世界である。遺伝の法則が成り立つのかもはなはだ怪しいところだし、もしかすると私もいずれフィロー・デスタゥのようなゴリゴリの筋肉だるまになれるかもしれない。ああいう姿にはある程度憧れを持ってしまうのが男と言うものでもある。
「そうは言い切れませんが……でも、小さくて困りますかね?意外に困らないことも多いと思いますよ。背が大きいと小回りがききませんし、いざと言うとき相手が自分を見失いやすくなりますから」
「そういう便利だとか不便だとかいう次元の話じゃないの。あたしが言いたいのはこれは誇りをかけた――」
私に胸を張りながら人差し指をつきつけて、えばってそう言おうとする彼女の後ろから声がかかった。
「あれ?ハイルとピチェルじゃないか。どうしたの?」
「――ヒェッ」
ざざ、と私の背後へ避難して、声をかけてきた人物をそろりと見上げるとその顔がぱあっと朱に染まった。
「ティオさん」
「ティオでいいって言うのに。ハイルは頭がいいから、たった五十ばかりの差なんて気にすることないよ。なんだか試練から帰ってきて、固くなったっていうかね」
ふう、とほっぺたに手を当てて目を閉じて溜息を吐く。どことなく色っぽいその仕草にピチェルがふわぁ、と間抜けな声を漏らした。
「ティオお兄ちゃん」
「呼びませんよ」
はわはわと私の裾につかまりっぱなしのピチェルは必死に話そうとしているが、どうにも言葉がまとめられていないらしい。さすがに見かねて背後から襟首を掴んでえい、と前に引っ張り出すと、彼女はぎょっとした顔で私を見た。
「何するのよ!」
小声で叫ぶ器用な真似をしながら私を睨むが、そのようなことをするくらいなら私に構わずティオに話しかければよいのだし、まったくその年などにかかわらず実に面倒なものである、恋する乙女というものは。
「君はピチェルだろ。あまり話さないけど……よければ話してくれるとうれしいな」
「え、あ、あのう、は、はい、はいです……」
顔を真っ赤にして恥らっている彼女はこくこくと何かが壊れたようにうなずいている。やれやれと首を振って、私は「それじゃあ、この肉を貯蔵庫のほうへ置いてくるよ」と口にした。
「うん、行ってらっしゃい」
ひらひらと手を振られて、私はその場からそっと抜け出す。ふう、と抜け出してから肉を置いて息を吐くと、「ちょっと!」と声をかけられた。
「あれ?」
エヘルナがそこにいた。腕を組んでいて、非常に機嫌が悪そうだ。
「ティオとピチェルが話してるの、仕組んだのはあなた?」
「ええ、そうですよ。エヘルナさんはティオがピチェルと話しているの、気に食わないですか?」
「気に食わない、って……そ、そんなことはないけど……」
腕を組んだまま視線をちらっとそらして口を尖らせる。足のつま先がとんとんと地面を叩いていて、非常にいらいらしているような雰囲気だ。
「あのね、あの、あたし、そういうんじゃなくて。ピチェルはティオには相手にされてないとは思うんだけど、でも……ティオは優しいから、絆されたらどうしようかと思って……」
絆されるもなにも、と私は少しばかり笑った。
「エヘルナさん。私、誰を応援したいだとか、ありません。ピチェルが誰を選ぼうと、ティオが誰を選ぼうと、皆に後悔だけはして欲しくないですから」
「何よう、ハイルのくせに生意気」
「ええ、ええ。もとから生意気ですよ。それよりこっちのお肉どかすのを手伝ってください。私の背では少し届かないので」
へいへい、と彼女はすっと手を伸ばして肉を動かす。凍りついた肉はそれぞれくっついているが、不思議な力が働いているのか私たちの手にはそれぞれがすっと分かたれる。
「成長するって、いやね。あんたは生意気になっちゃうし、それに、あたしだって……知らなくてもいい気持ちを知ってしまう」
「それは、嫌なことではないですよ。私はエヘルナさんが振り回されている感情は、自分でも醜いと思うかもしれない。でも、その気持ちがなければ、きっとエヘルナさんはエヘルナさんでないでしょうから」
ね、と笑って見せると、彼女は生意気、と呟いて目を伏せた。
成長は良い事ばかりで無いかもしれない。それでも私はその様子を見ていてとても楽しく思うのだ。老人めいている戯言かも知れないが、私もまた成長することが楽しみで仕方がない。
「ハイルは三十になったら、ここを出て行くんでしょう。何をするつもりなの?」
「ひとまずは、ニーへへ入って知識を得ますかね。ある病気の治療法に対して興味があるんですが、そのために必要なことといったら……」
まずは調査だ。実地でもだが、もちろん実験的にも。そもそも動物は『力』が過多の症状があるのかどうか、そして人間に『力』を放出する手立てはあるのかなど、考えるほどやることが多くなっていく。
「同志を見つけることが出来れば、それはもちろん心強いことでもありますから」
「へえ、ちゃんと考えてるのね。私、ぜんぜん将来のこととか考えてなかったわ。でも、そうね。ティオを養えるくらいの狩人になるつもり」
強い人だ、と笑って言えば、あんたのほうがよっぽどいいわ、と返される。だが、私からすればそれはとてもまぶしいようなものだ。
「何も決まっていないと言うのは、うらやましいことですよ。私はやりたいことを見つけたがために、人生がそれで全て決まってしまったんですから」
「……そう、そうね。あんたはそういう奴よね。でも、私からすれば、やりたいことに必死になってしがみついているあんたが羨ましくてたまらないの。ないものねだりね」
「いつか、私の言葉が分かるようになりますよ。エヘルナさんは強いから」
彼女はまだ私の言っていることに納得が行っていないようだが、それでもええ、とうなずいた。活発そうな顔が色を秘めて、思春期特有の物憂げな、それでいてこの時期特有の投げやりで危なっかしい雰囲気が出ている。私はその様子にこっそり目尻を下げた。もちろんこんな顔をしていれば食ってかかられること間違いなしである。
「おぉい、エヘルナ!こんなところにいたの?」
「あ、ティオ。ええ、ハイルの手伝いをしてたのよ」
ティオが片腕にピチェルをひっつけたまま貯蔵庫へと入ってくる。私は隣に立っているエヘルナがちょっとばかり険しい雰囲気になったのを感じて、その手をつつく。
「あら、ハイル。手をつないで欲しいのね?甘えん坊さん」
「いや違うよ……」
がっくりしながら否定しようとすると、いいから話をあわせなさい、とその手にぐっと握りこまれる。
「ハイル、他にして欲しいことはある?何でも言ってちょうだい」
「あ、ええと……」
視線をうろうろさせて、仕事、仕事、と思い出そうとするが、特に何一つ思い浮かばない。やっとのことで絞り出した案は、エヘルナの表情を動揺させた。
「じゃ、じゃあ、今期の祭り、一緒に行かない?」
エヘルナはぎょっとしていたが、それでもティオが不安げにしているのが見えたのか、「行くわ」と口にした。これがこじれる原因だろうに、全く彼女は一体何を考えているのか。
「そ、それじゃあ、僕らは向こうの作業に回るよ。エヘルナ、あとでね」
若干薄い笑いを浮かべて、彼はエヘルナにだけ挨拶をして立ち去っていく。私はふう、と息を吐いた。
「ど、どうしよ……」
「他にして欲しいことなんて、ないですよ。無茶振りな。第一私は自分で出来ることはやってしまうほうなのに」
「で、でもぉ」
「でももへちまもありませんよ。ティオ、明らかに動揺してましたよ。私の見る限り、今年は約束かなんかしてませんでした?」
「え、えっと、へちま?は何か分からないけど、約束はしてないわ。でも毎年ティオと一緒に行ってたんだもの」
頭を抱えてしゃがみこむ彼女に、はぁ、こりゃだめだ、と頭を抑える。
「いいですか、ティオが私に挨拶するのを忘れるくらいです。彼は私に対してあまり良い気持ちではないはずですから」
「でもぉ……」
「今年は、諦めてください。元凶ですが私だってこんなこと言いたくないですよ」
二人で同時に溜息を吐いた。元の、いや記憶の中にあった世界では、溜息を吐くと幸せが逃げていくと言うが、もともと不幸な人間からも逃げていくものでもあるのか、少々気になった。
今年の祭りというのが、狩猟祭。狩猟祭は生の儀式を通り抜けた、いわば準大人から参加できる祭りであり、その内情は実際、人間の街から入ってきた文化にすぎない。だがティオやエヘルナにしてみれば二十年ほどは行われているらしく、定着してきたらしい。
実際に人間の祭りでやられているような、狩猟の腕を競いあうと言うよりは一番強い狩猟グループがとってきた肉を焼いて食べるという会だ。人間たちは光へ獲れた獲物を捧げるが、我が村では酒をのみお菓子を焼き、そしてその場で乱闘を楽しむというものだ。まさに日本のハロウィンのような原典無視である。
私は一度参加したが、途中で乱入してきた父親に背後からぶつかられて朝まで昏倒したものだから、今年はより安全に過ごしたい。
エヘルナの戦闘センスは群を抜いているものの、酒にいささか不安がある。強い強いとはいえど中盤には潰れるのだ。今回も早々に気絶していた方が楽かもしれないな、と肩を落とした。




