子供
相も変わらず安穏とした日々を送っていたが、五歳を迎えた今日からは村の中央にある広場に好きに出ていいと言われたので、私は母親同伴ではあるもののそこに行ってみることにした。広場の真ん中には大きな雪山があり、そこには大きな顔が掘り込まれていた。
べろべろばあ、とやっているような顔で、これは子供を守ってくれるカゥロ――妖精や精霊――の一種なのだと母が教えてくれた。子供が意味もなく天井などに向かって笑っているのは、このせいだという。
私が生まれる前は六十歳が最年少だと言っていたのでどんな人がいるのかと思えば、そこにいたのは十にも満たないような見た目の少年や、少女。少なくとも十五以下に見えた。私はといえば、その少年少女にわっと群がられ、抱き上げられ、頬ずりされ……なんと言うか、子供には今生の両親のように優しく、穏やかに接しようと思ったほどだ。
「小さいわ!」
「すごい、ふにふにでどこもかしこもやわらかいな。すべすべだ」
私の髪の毛を梳いたり、ほっぺたをつついたりと忙しい。だが、誰もが私を見る目の中に憧れのようなものを持っている。
「いつか私も、子供がほしいわ」
「そうだね」
「子供のある親になることが、私の夢なのよ」
私はこてんと首をかしげた。どうしても頭が重いので、振り切れるように首を傾げてしまうのだ。
「お姉ちゃんたちはお母さんになりたいの?」
「そうよ。私たちの一族は特に子供が生まれづらいの。毎晩子供を授かる秘術をやっていても、めったに生まれないんだから!」
「そうそう。僕たちにとって子供を産んでお父さんお母さんになるって言うのは、すごいことなんだよ。それに子供って、すごくかわいいだろう?」
とにかくスニェー族にとって子供と言うのは守るべき存在であり、そして愛するべき存在らしい。私は多少驚きながらもあれやこれと世話を焼いてくれた。
これはたぶんだが、寿命が長いことが関係しているのだろう。子供が授かりにくいのはむやみと数を増やさないため。子供を守ろうとするのはただでさえ少ない子供の数を減らさないため。
スニェーの民は、合理的であるのにどこか非合理的だと思う。
比較的年かさの少年たちは私たちの下から名残惜しそうに去り、それから二人の少年少女が広場に残された。
「そういえばあなたのお名前も聞いてなかったわよね、なんていうの?」
「ハイルだよ。ハイル・クェン」
「お姉ちゃんはねえ、エヘルナっていうの。エヘルナお姉ちゃんって呼んでね!」
「ず、ずるい!それなら僕はティオお兄ちゃんだ!」
やいのやいのと言い合っている彼らは、それでもやはり美しいと思う。緑のたれ目のエヘルナはその長くくるんとした巻き毛をふわふわさせて、しとやかな薔薇のつぼみを彷彿とさせる美しさだ。すっと伸びた鼻筋をまろみをおびた頬が取り囲んでいて、そのくせどこかコケティッシュな雰囲気もある。
ティオはと言えば、闊達な少年らしい短髪であるのに、切れ長の目は色気があり、なおかつ涼やかで視線を流されるように送られると倒れる娘が出るのではないかと思うほどだ。彼の目は澄んだトパーズの青色で、濁りと言うものが一切無い。
先ほどまで私を取り囲んでいた人たちもいずれもため息を漏らすような美人ぞろいで、なんとなく前世の私の観点から浮かれると言うものである。だから私はそんなすけべ心でもって、こう返答した。
「エヘルナおねえちゃん、ティオお兄ちゃん」
「まあ!まあまあ!」
だが、私は甘く見ていた。
世話をしたり、甘やかす対象を持たない子供、しかも年下に対する愛情がひどく深いスニェー族の彼らが、どれだけ私に対してべったりになるか、想像すらしていなかったのだ。
翌日の朝、翌々日の朝、そしてそれから三十日後。
「……エヘルナおねえちゃん、ティオお兄ちゃん。ねえ、今、みんな寝てる時間だよね」
極夜ではあるが、それでも眠ってからわずかばかりしか経過していない。幼いころの睡眠は体に必要なことであると言うのに、戸口をたたいてきた彼らはさっぱりと悪びれるところが無い。一ヶ月ほど前から、私は昼夜問わず延々と彼らに訪問を受け、引っ張りまわされ続けて、へとへとになっていた。
「そうだったかしら?」
「そうかもしれないけどね、ハイル!今日は君に見せたいものがあってね!」
私は若干その言い草にあきれて、そして大体堪忍袋の緒が千切れかけていたので、冷たく、こう言い放った。
「エヘルナ、ティオ、きらい」
ばたんと扉を閉める。嫌い、と言う言葉がどれだけ彼女と彼の心を傷つけるかはわからないが、それでもだ。
限度と言うものがある。
私の判断はやはりスニェーの人々にはせっかちだったようだ。
「は、ハイル、やっぱりエヘルナとティオのことは、嫌い?ええと、どうしましょう……もうちょっと先のことだとばかり思っていたわ。反抗期」
「そ、そうだぞ、エヘルナとティオもかわいい我が一族の子供で、ええと……」
「私だって、そんなことは言いたく無かったよ。でも、しょうがないでしょ。私の話、ぜんぜん聞いてくれないし、朝から晩まで、それどころか寝ている間までつれだそうとするんだもの」
朝起きて両親の元にいないことが、こんなにもひやひやすることだとは思わなかった。安全性が確約されていない外に対して、それなりに私が恐怖心を抱いていたことを再確認するほどには恐ろしい体験だった。なにより私が何も外界に対して戦闘手段を持たないことが、最も恐ろしいと感じたことだった。
「おとなが、こどもを守るんでしょ。こどもがこどもを守りきれるの?」
「……う、そ、それは……」
二人のことは嫌いではない。けれど、それは私に対して好き勝手を働いていいという免罪符ではないのだ。
「そうよね、ハイルの言うとおりではあるのよね。確かに久しぶりの子供だもの、浮かれていると思って放っていた私たちに非があるわ。怖い思いをしたのはハイルなのに」
「そう、だよなあ。俺も、少しばかりハイルに嫌い、なんていわれたような気になってしまって、すまない、ハイル」
わきまえてくれさえすれば、私にとって否やはない。
だが、事件はそこで終わらなかったのだ。
私はしばらく安穏と長老の家に行って文字を習ったり、本の読み方を教えてもらったりしていたが、長老の家を出るやいなや家に閉じ込められていたはずのエヘルナとティオが、私の両脇を抱えて連れ去ったのだ。
「わ!?わわ、何!?ちょっ、エヘルナ!?ティオ!?」
「しっ、大人に見つかったらまた怒られちゃうんだから!ハイルを連れて外まで逃げれば、大人たちは追ってこれないのよ。三人でずっと家族で住んでいればいいの。幸せでしょう?」
「ハイルが僕たちのことを嫌いって言ったのは傷ついたけど、でも、あんな横暴な大人なんかにハイルのことは任せておけない」
待て、と私はがんじがらめにされた体をよじる。だが、その腕の拘束力が強すぎてどうしようもない。
「大人なんかにわかるものですか!私たちはハイルのこと、大事に思っているの!」
反抗期という両親の言葉が思い出された。私は彼らをなんとか止めようとしたが、熱に浮かされたような言葉ばかり吐く彼らには届くことはなくて、無力感に唇を噛み締めた。
「大丈夫よ、大人から逃げ切れれば幸せになれるわ!」
「そうそう。あの言葉だって、ハイルのお父さんたちが言わせたものなんでしょ?知ってるよ」
違うと首を左右に振ったところで彼らは聞き入れてすらくれない。のれんに腕押し、糠に釘というレベルで問答を続けて頭がおかしくなりそうだった。そしていつかこれが自分にくるのだとめまいがしそうになったが、よく考えたら私がそうなる理由はないのだ。
反抗期とは精神の成長の過程みたいなもので、私は精神的に出来上がりつつある。私は一体いつ反抗期を迎えるのか。いや、しかし前世の人生を覚えていないということはどこかにしわ寄せが行くのかもしれない。
考えに没頭して黙った私を好都合と運び続けると、夜が明け始めた。陽射しが暖かく眩しく、そして――肌を灼くような暑さが身体中を覆った。
「ゥグッ……!」
地面の雪を跳ね上げ、それから今着ている布地を体から剥いで雪の中に収まるように脱いだ服の下に潜り込んだ。テルシュの中に完全に体を詰め込んで、そして顔を地面に向けて、すう、はあ、と呼吸をする。
私の様子を真似して同じようにしたエヘルナとティオは、徐々に暑さに音を上げ始めた。
「あ、あつ、ぅ……」
私もそれなりに暑くはあった。けれど、これはまだ息ができるくらいの温度だと思う。熱気でうだるようなコンクリートジャングルを思い出して、時折背中側に地面を掻いて得た雪を挟み込む。
こどもたちは、私を含めてと言うところが自虐的ではあるが、私たちの一族の限界を見誤っていたのだ。
熱に弱い。
その言葉が今まで安全地帯にだけいた子供にどうしてわかるだろうか。
なぜ大人がここを限界点と定めたか、わかるだろうか。
私にはわからなかった。
知るすべが無かったからだ。
「ぅう、うっ」
「え、エヘルナ……!」
苦しみの狭間から生み出されるうめき声と、激しい痛みに耐えるような唸り声。獣のような声だった。耳にひどく癇に障った。軽いやけどのような状態になった背中がいとわしかった。
日が暮れ始め、そしてようやく、私たちはのろのろと立ち上がった。布と背中のあいだに挟みこんだ雪はもはや、解けきって水になっていた。
「無理なんだよ、エヘルナ、ティオ。村から無計画に出ようなんて、それは」
「で、でも!私の叔母のお父さんは旅に出て……それから……」
「大人が追ってこられないってところで考えればよかったんだ。私は家に帰りたい」
私たちが踏んできたと思しき足跡を踏んで、私は足を前に進める。雪はまだ柔らかいのに、三センチほど沈んだところで抵抗を感じて足が沈むのが止まった。
雪に沈まないため、私の足でも歩きやすい。
「それじゃ、だめだ。……僕が、ハイルを背負っていく」
「ティオだって、怪我してるでしょう。私が一番、怪我が少ない。エヘルナが足をやけどしてる。ティオはエヘルナを支えて」
前を見据えて、ひたすら足を動かす。冷たい空気が徐々に戻りつつあって、私は心底ほっとした。同時に、夜の闇の中でさえ光るような雪景色に父と母の幻影を求めていた。
帰りたい、と思った。
帰る場所になっているのだと、強く思えた。
すまない、すまないと間断なくつぶやくティオに、エヘルナが見ていられないとばかりに顔を背けた。彼らは時々立ち止まっては支えなおし、そして徐々に日はまた昇り始めた。布を引っかぶり、そして指先をちょっとだけ出して様子をみる。暖かいだけの太陽が、そこにあった。
「……大丈夫。もう、太陽は危なくない」
しゃべるのも億劫なのか、疲労でちょっとだけ胡乱な表情が私を見た。痛いし、疲れたし、むしろ私がそんな顔をしてやりたい。けれど、打ちひしがれた彼らにそんな顔を向けてしまったら、もう立ち上がることができなくなりそうだった。
「すまない、ハイル。すまない」
「ねえ、反抗期って、みんなそんなふうになるものなの?」
「いや……自分の反抗期のことは他の人にはみんな話したがらないんだ。だから、その、わからない」
「そっか。じゃあ、エヘルナとティオのお父さんと、お母さんのこと、聞かせてよ」
何かためらうように視線がうろうろしつつも、彼ははっきりと喋りだした。自らの父親が獲ってきたもので村の宴会を開いたこともある、凄腕の猟師であり、母親はまた裁縫や機織がうまく、独自の文様を自らの狩猟着に織り込んでくれたこと。その話を聞きながら、足をしっかりと動かしながら三人で固まって進む。
エヘルナは母親のことを若干けなしつつも、周りと比べて少しおっとりしすぎていて、心配なのだと言うような態度だった。けなし方にも愛があふれている。父親は豪快でうるさい、とのたまっていたが、それでも嫌いではないのだろう、次の新年にはテルシュを母親に教わって織るつもりだ、と言っていた。
私は二人の話をただただ聞いた。好きな食事、楽しいと思うこと、話題のどれもにしっかりと相槌をうち、それから少しだけ口を挟んで続きを促す。
そうでなければ念仏のように繰り返される謝罪が頭に焼き付いて離れそうに無かった。
私たちが歩き始めて一日半でようやく、風が雪原を舐めるように滑り、ひゅるひゅると細い音を立ててはまた何処かへ去っていくこの場所に来ていた。村の端が見えたところで、私はがくりとひざをつき、それから地面へと崩れ落ちた。
ただ疲れていた。長い時間食事もなしでこんなにも歩いたことが無かったし、なにより手足の感覚すら失われたような気分だった。喉と頬だけがひりひりと焼けたように痛く、他はふわふわとして境界線があいまいだ。
ほてりを通り越して熱を発しているような体に、この場所の風はひどく心地よく感じてうっとりと目を閉じた。横で何かしら叫んでいる声は、その時私には届くことは無かった。
エヘルナとティオは激しく叱られたらしい。けれど、その中の数人はどこか同情するような目を二人に向けていた。私はピンと来て、それからその目を二人に向けている母の袖をくい、と引っ張った。
「ねえねえ、お母さん」
「あら、なあに?ハイル」
「お母さんは反抗期のとき、何をやらかしたの?」
「……誰に聞いたのかしらぁ?」
すっきりとした美貌をもつ母は、その瞬間だけは男の命を無造作に吸った雪女のように、恐ろしく妖しいものに見えた。背中に冷や汗をかきながら、「みんなどんなふうになってるのか、知りたくて」とごまかす。ふうん、と母は冷たい目で私を見る。しばらく背中のぞくぞくする感触が止まらなかった。
その日、私は改めて悟った。というか、長らくそのような気を使っていなかったから忘れていたことなのだが……男女問わず、世の中には口にしないほうが良いことがたくさんあるのだ。わりと衝撃的なことに気がついてしまったとしても。
異世界なので生活習慣の違いとかいろいろ書きたかったのですが、反抗期の度合いがちょっと頭おかしくてもいいんじゃないかな、と思って書きました。
主人公の前世に基づく危機感と、それを一般的なものだと気に留めない大人たち。