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暴発

金切り声が耳をつんざいた。その瞬間、私はピチェルを体で抱え込み、雪の中に押しつぶす。同時にテルシュを凍らせて体から剥ぎ取り瞬間的に凍らせて斜めに突き立てる。一瞬耳がきぃ……んと遠くなり、次の瞬間に全てを薙ぐような獰猛な強風と、氷の塊がどう、どう、と地面に落ちてくる。まだ地平線にぼんやりと見えただけの姿で、これか。

がつ、とテルシュを砕くように降って来た塊に押しつぶされるように倒れこむ。


「ぐぁ、っ」

顔をぶち抜かれるような衝撃を食らったものの、まだ脳みそがつぶれたわけではない。目の前のピチェルが何か口にしていたが、よく聞こえない。耳がきいん、といやな音を立てている。鼓膜が最初の音のせいで破けたか何かしたのだろうか。いやそもそも鼓膜があるのか……それを考えている場合ではないな、とテルシュを蹴倒す。


背中から長い剣を引き抜きながら飛んできていた塊を見据える。そのまま背筋と腹筋をしなやかにうねらせるような要領で振り切り、剣の腹で塊を叩き落す。

シィッ、と息を吐きながら返す刀で目の前に迫っていた三つの氷塊をごりごりッ、と削り取るように吹き飛ばす。飛んできていないのを確認して、私は背後にいた少女の安否を確かめようと振り返る。

「ピチェル!」

「ひっ!?」

何に驚いているのかといぶかしむが、ぬるりとした熱い液体にぎょっとして手を見ると、血が垂れていた。


「ち、ち、が、でてる……」

「顔をぶん殴られたのと変わりはないですから、落ち着いて。そんなことより、ここから早めに動きましょう。声はなるべく我慢してください」

「あ、うん。ええと……ご、ごめんなさい。あたし」

震えている子供に対してきつく当たったりするつもりは毛頭ないのだが、私は少しばかりおびえているこの少女に対してどうしたらいいのかわからなかった。それでも、今すべきことはここから逃げることだ。


「ピチェル。立ってください。今はとにかく、逃げましょう」

その小さな手を取って、むりやり立たせると引っ張って走り始めた。ピチェルが私を見て何か言いたげにしているのは分かったが、それでも気にしないようにした。彼女が何か言うにしろ言わないにしろ、この状況ではいったん置いておくしかないし、まず逃げるのが先だ。

しかし、徐々にピチェルの息が上がっていく。食べていなかったから体力が落ちているのだろう。プリンスタゥの生息範囲からはもうすぐ抜けられるというのに、と歯噛みをしたくなる。


しかし、あえてここは落ち着かなければならないだろう。彼女についで私まで冷静でなくなったら、これ以上の被害が出ることも否めない。

「ピチェル、休みましょう。ここはゆっくりと」

「へ?でも、いそいでるんじゃ……」

「どうせ急いだところで、あなたが疲れきっていてはこの先の森を抜けることは出来ないと思いますよ。この先の森には古のものが出ることもある。その時に疲れて動けないのでは、困ってしまいますから」

ピチェルは呆然としたようにうなずいた。それから首をこてりと傾げる。

「どうしてそんなにつよいの?」


その言葉に私は慌てて首を横に振り、それから強く否定した。

「強いなんて、とんでもない。私なんてまだまだですよ。だって、大人の中には古のものをあっという間に倒してしまう人たちがいるんです。私の今の剣の目標は、父ですから。生きている限り、何かをしたいという欲はあって当然ですし」

「……もくひょうなんて、あたしにはひつようないよ。やりたいことがないんだもん」

抱えた膝の中に顔を押し付けて、くぐもった声でそう返してきた。彼女の今にも泣き出しそうな声に、私は少し眉を下げる。

「やりたいことがない、ですか?」

「みんなしんじゃった。あたしだけ、どうしていきてるんだろう」


ほとんど叫び声のような泣き声に、だがしかしその瞬間地平に見えた姿に私は彼女の体を揺さぶった。

「プリンスタゥです。泣き止んで」

「え、へぇっ?」

「後にしてください。泣き止めないなら、口に雪でも放り込んでおいて」

私はふう、と息を吐き、それから無音地帯がどんどんと広がっていくのをただただ待った。ふうらり、ふうらりとその姿がこちらに向かってやってくる。ピチェルが先ほど恐怖で上げたかに思われていた叫び声は今度は上がることはなかった。なぜだろうか、と思ったが、叫ぶほどの体力すら残されていないのかもしれないと雪の中に体をうずめた。


そういえば、とふと思った。プリンスタゥは一体どういう原理で爆発するのだろうか。いや、そもそも『力』のようなものがある世界で原理も何もないのだが、私にとってはとても不思議なことだ。たとえば空間ごと音を失っている状況だ。あの時も自分の息遣いや鼓動の音以外は衣擦れ一つ聞こえなかった。しかしピチェルの息遣いはまったく聞き取れず、その中で彼女の叫び声だけは鮮明に聞こえた。


これは単に仮説に過ぎないが、ある一定の音の大きさを越えると、吸収しきれなくなるのではないだろうか。

だからこそピチェルの叫び声はあれだけ鮮明に聞こえたのだろう。たとえば骨導音は体内の音だから、そこまでは干渉できない。すると自分の息遣い、鼓動の音が聞こえたこともしっかりと理解できる。つまり、風の音を越えなければそれなりの音を出しても問題はないわけだ。

そうと決まれば腹ごしらえでもしておこう、と私は荷物をあさって干し果物を取り出した。ピチェルは不可思議そうに眉を寄せていたが、一向に爆発する気配がないと気づいたのか、彼女もそれを口に入れて噛みはじめる。


雪を時たま口に入れて水分補給をする。体が冷たいからこそ出来る芸当だ。怠惰にねっころがっていると、ふうらり、ふうらりと影がさす。むくむくとまたしても興味がわいて、私のすぐ傍に下ろされた足からひとつかみ、雪を引っ張り出す。

ぴたり、と動きがやんで、それから音がぶん、と戻ってくる気配がした。そして手の中からぴょん、と何かが逃げ出して、ついで上にあった雪像が崩れ始めた。

「逃げるよピチェル!」

「ちょ、ちょっと、こえ!?あっ」

「ふふ、あははははははっ」

「なにこれ!?」

私に分かるはずがない、と笑って彼女を振り返る。彼女は足をもつれさせ、そして雪の上にべちゃ、とすっころんだ。


「大丈夫ですか!?」

「あ、うん。だいじょうぶ。……へんなの。へんなやつ。ハイルっておかしい」

「よく言われますけど」

なんとなく釈然としないながらも、ピチェルはへらへらと笑って、それから悲しげな顔をして、ふう、と息を吐いた。何を言いたいのかはっきりとまとまっていないようで、私は首をちょっと傾げて、それから横に座った。


「あの、あのね、ハイル。さっき、ころそうとしてごめんね」

「殺そうと?いつ、ですか?」

「プリンスタゥがきたとき、さけんでごめんなさい」

その言葉に私はようやっと合点がいった。彼女は怖くて叫んでいたのではない。死のうと思って叫んだのだ。実際私も言われるまで気づくことは出来なかった。わたしの存在をどうでもいいと思って叫んだのかもしれない。それに関しては怒れるはずもない。


「かまいませんよ。誰だって、知ってる人がみんないっぺんに死んでしまったら悲しいですから」

そうだ。私はたといそれがたった一瞬会話をした人間であってもそうだった。彼女の悲しみはいかばかりだろうか。推し量ることすらおこがましい。彼女にとっては世界がなくなったのと同じほどの苦しみだろう。死にたいと思うのも分かる気がする。

けれど、彼女が私の村に彼女を連れて行って欲しいと願ったのは、やはりどこかでいきたいと思っていたからだとも思う。


「ですから、こんな危ないところで考えないでも、安全になってから落ち着いて考えてみてもいいのではないでしょうか」

ね、と諭すように言うと、彼女はこっくりと縦にうなずいた。それからすぐにプリンスタゥの出現地域を抜け、森へと入る直前になって見知った狩りのグループと行き合った。いつぞや解体を教わったハロリオがいて、「おや」と声をかけられた。

「ちょっと見なかったけど、今帰るところかい?」

「ええ、まあ、そんなものです」

「そっちのお嬢ちゃんは?見ない顔だし、やつれてるじゃないか。どうしたのか教えてくれると嬉しいな」


ハロリオがにっこりと笑ってかがんで目線を合わせると、大人がいるということにようやく安心が出来たのだろうか、わんわんと声を上げて泣き始めた。周囲の大人は困ったね、と言う風にあたりを警戒し始め、私もまたその輪の中に加わった。ふと、横に立っている影にどこかしら覚えがあって見上げると、相手が気づいてくるりと正面に向き合った。

「よぅ、ちびっこ。いつぞや以来だな」

その口調で私もはっきりと思い出す。


「リスドカルトさん!久しぶりです」

「まぁこまっしゃくれた喋り方だな。ネーナ老を思い出すから止めてくれよ」

「えへへ、まあ他の集落に行くとどうしてもね。リスドカルトさんたちはここで何してたの?」

「ああ、今は狩りの帰りだよ。偶然クォペが獲れたんでね、本来の獲物とは違うけどもう引き上げようって話をしてたんだ」

「へえ!ああ、本当だ」

そりの荷台から除く青色に私はうなずいた。彼もまたその戦果にご満悦のようだったが、その横にいた女性は少し物足りなそうにしていた。わんわんと泣いているピチェルによくやったとでも言いたげな視線を向けているところを見ると、一定の額面を得られれば良いリスドカルトとは異なり獲物を狩ることに喜びを覚える性質のようだ。


「っと、お客さんのようだな。おい、ノズルゲ、こっち来て手伝ってくれ」

「おうよ!」

物足りなさそうだった女性はすらりと背負っていた剣を引き抜き、その刀身があらわになった。その色は私の持っている剣とは異なって、非常に赤々とした色をしている。

「お前の剣、ここいらじゃ相性良いみたいだな」

「ああ。あたしの剣が役に立てるなら本望さ。ちびっ子、あんたもこっち来てみな!」

「え、あ、はい……?」


私はノズルゲの横に行くと、持ち歩いていたナイフを腰から引き抜く。

「へえ、様になってんな。ちょっと見ない間に修羅場でもくぐってきたみてえだな」

「リスドカルトさんたちとくぐったほどではないけどね。古のものと戦うなんて、さすがに何度も経験したくはないから」

「はは、そりゃそうだ。俺だって嫌だぜ。好き好んで相手するのは上のやつらみたいなもんよ、俺らみたいなのとは違ってな。だがお前さんはどうのこうのと嫌がるにはちょっぴり早いぜ、あんなよちよち歩きの時には古のものと対峙してちびらなかったんだからな」

「ちびったりしないよ」

「はは、そりゃあな、大人はちびったりしない。だがお前さんくらいの年の子供が、あれと相対して逃げられるってのはそりゃあすごい才能だ。きっと将来は頭のおかしい強さになるだろうぜ、なんてったってあの怪物二人の息子だ」


怪物と言われているのはなかなかに否定しがたいところだ。私はその言葉に苦笑して、それからヴァウッ、と吠え掛かりながら雪の中から飛び出した生き物の喉下へ垂直に刃を突き立てた。

重たくのしかかってくるあたたかい生き物を横へ放り捨てるようにどけると、目の前で赤い剣尖がぱぁっと獲物を横に綺麗に切り裂いた。

「ほらほらほら!あたしが全部狩っちまうよ!」

私はその姿に非常に頼もしさを覚える反面、ちょっぴりその言動には大雑把さがある。私は目の前から飛び掛ってきた生き物の顔面へ蹴りを入れると、そのままの勢いでひっくり返すように凍った地面へと叩きつけた。脳髄がびちゃりととびはね、あたりを汚す。


「はてさて、いつまで続くことやら」

あたりの大惨事にピチェルが気づくまでには、今しばらくかかりそうだ。

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