爆発
人間の神話と、それから私たちの神話。
私たちの神話では光が寝ている間に闇と交わり、闇は殺されて古のものと愛を求める心を残した。そして混沌が愛を求める心を飲み込み、光は混沌を拒絶してやがて自らの子供たちを自分の下へさらうようになった。
だが、人間の神話では全く異なっているのだ。
光と闇は互いに入れ替わり立ち代わり世界を支配していた。光がいる間が昼。闇がいる間が夜。そしてそのわずかな狭間に生まれたのが、混沌だ。混沌は自らの居場所を求め、光の元に出ようとしたが身を焼かれ、闇の元でまどろもうとしたが呑まれかけた。そこで彼は光の射さない、だが暗くもない光る茸の生えた木の洞に身を隠した。やがて光と闇は交わり、人間を生み出した。彼らは光の元でも闇の元でも生きていけ、その姿に混沌はねたましさを覚えた。しかし光と闇を人間がひとたび裏切ったことにより、混沌の元でしか彼らは孵ることができなくなる。
「……祭壇に卵を載せ、そして孵る、と。その瞬間に卵の殻を投げることで代償とする。それに、人間が『光の子供たち』か……」
もし仮にそれが人間の優生思想に基いている神話だとしても、彼らが神を裏切ったのは明らかだ。混沌に捧げられるのは、罰。私たちが混沌に連れて行かれるのは、愛ゆえだという違いだ。
どちらが正しいかを論じるわけではないが、この『罰』というところに違いがあるのかもしれない。たとえば古の人間たちは威武と呼ばれる御業を使い光と闇のためにはたらいた、という記述があったそうだ。だが、今の人間には岩を砕くようなことはできないし、一日に千里を駆けることもできない。一方私はどうだろうか。
千里とはいわずともかなりの長距離をこの小さな体躯で駆け抜けることが出来るし、岩を砕こうと思えば全力を尽くせばそこそこ難しくもない。
そして儀式の際に意識を失った彼女は、あまりの事態に動揺しまくっていた。私が以前に名を貰ったことを告げると、彼女は「そんな不思議な体験をしたのか」と驚いていた。つまり、日常的に神が根付いたこの集落とは異なり、人間は神秘に触れることがほとんどない、ということだ。
神秘に触れられないと言うことは、やはり人間が『罰』を受けていることの査証でもあろうが、私にとってはそれは乗り越えなければならない壁でもある。
かち割ってすかすかになった命石を拾い上げると、一昼夜かけて作り出したものと細かく比較する。ほとんど変わらないものの、一昼夜かけて作り出したほうは『力』の抜ける方向が綺麗に決まっているというか、志向性を持っている。
「きちんと比較することは、大事だよなあ」
そう呟いて、それから命石をあれこれといじってみる。『力』は流さなければ流れないし、『力』のパイプと言うよりは回路の一つ、といった風体であろうか。
「うーん。うーん……」
すかすかの命石を体にぶっ刺すということも考えはしたが、それはあくまで対処療法とか、その域のものだろう。傷つけずに『力』を体外に取り出せる方法、それさえあればよいのだが。
道理としてはたまった『力』を外に流すだけであればよい……のだが。
「……待てよ?」
私が今持っている剣は『力』を擬似的に通せもするし、なんなら私の『力』の放出機構でもある。つまり、この材質があれば伝道路については解決する。ふと思い出したのはこの剣の柄は私が匂いを移してど混沌に持たせた、という木に似ていなかっただろうか。記憶がはっきりと定かではない。が、アレに「匂い」を移した、ということは、だ。
匂いとはこの力のことではないだろうか?
混沌が認識しているのは『力』だ。人間がそれを宿しているのは……卵の殻。
「はは」
なんだ。
解決策は案外身近なものではないか、と私は笑う。そして荷物を全てまとめ、また歩き始める。これ以上の試行錯誤は時間を食うばかりだし、仮説のないままあまりに急いでもたいした結論はでないだろう。人間の卵の殻が手に入るわけでもないし、今のところはどうしようもない。
「うん。次の村へ、行こう」
私の体はまだまだ子供に過ぎないし、私自身もまだまだ足りていない。必要なのはこの体からしてみればちょっとだけの時間だ。それを大事に大事にするのも悪くない。
この異世界の記憶は、ただ写し取られただけで私自身が何者かに乗り移られたわけではない。つまり私は私、ハイル・クェンなのだ。
次の村に向かい始めると、南から風が吹き始める。また違う場所に入ったと言うことだ。地図上では確認していたし、情報も仕入れてはいたがやはり静寂がひどい。風が吹いていると肌では感じているのに、風の鳴る音が一切しない。私は静かに息を潜め、そして全てが真っ白な雪原をにらむ。その中で、音もなく動いているものがあった。
白く、雪で稚拙に作られた像のようなものが、くねくねと揺れ動いている。ふらりふらりと右に左に、赤ん坊のような動きでそれは足を進めていく。頭と思しきところには三つ目と口の穴が開いている。見ていてほほえましいようにも思えるが、しかしながらその内情と言うのはなかなかえぐいものである。
あの雪像もどきは、名前をプリンスタゥという。すなわち音のない悪という意味である。悪、とシンプルに名づけられたのには確かに理由がある。彼らの前で大きな音を出すと、彼らはその体を爆発させる。つまりが、爆弾魔のような存在なのだ。
そしてまた散り散りになったプリンスタゥはひとつずつが雪や風で育ち、時に共食いをしながら成長していく、と考えられている。
面白い生態だが、この距離では大丈夫だろうと高をくくっていたら爆発してとんでもない被害を受けたという噂も聞いた。彼らが見える位置ならとりあえず音を出さないのが吉だ。
逆に言えば、音さえ出さなければどれほど動いたって問題ない。ただ立ち上がるか立ち上がらないかを考えたら、ひとまずは待ってみて相手が去るのを期待する。そうと決まれば、と冷凍された生肉を口のなかに放り込む。新鮮なものであれば一応食べられる。ここでは凍らないということはないし、衛生的には問題ない。さばくときにうっかり腸の中身をぶちまけた、なんてことがなければというただし書きがつくが。
喋らない無音の空間にいると、そのゆらり、ゆらりとした動きに会わせて揺れたくなってくる。その巨躯はだんだん近づいていき、そしてやがて目の前に迫る。音がなくふうらり、ふうらりと動く姿は質量のない生き物のようだが……ここで何を思ったのか私はその足にきゅっと手を伸ばし、そのからだの一部を握り込んだ。
瞬間、まずいか、という思いが頭をよぎる。だが、彼はぼぇあ?という音を立てて、それから崩れ落ち始めた。雪のかたまりが私の頭にぶつかり、「いたっ」と悲鳴をあげて、それから口を押さえる。
「……うん?」
雪原にはひゅるひゅると音が残っていた。当たり前のことだがプリンスタゥのいるこの空間では違う。
どういう原理かと思って声を出そうとしたが声がでない。代わりにもこもこっと手の中の雪塊がもごもごとうごめきだし、そしてぴょんと四つ足で地面に着地するとすたこらと逃げていった。
「なんだったんだ」
あ、声が出ると私は喉を押さえた。混乱が起きているものの、私の好奇心は良い方向に働いてくれたらしい。いつもこうとはいかないが、たまにはこんな幸運があってもいいものだ、と思った。
村はそれから一両日ほど、私がそろそろ炭水化物恋しくなったあたりで村の姿は見え始めた。だがその見た目は……どう見ても、崩壊した村だ。
「誰かいるとか、そんなレベルではないような?」
一人ごちていると、瓦礫の中から人ががばりと身を起こした。どうやら屈んでいただけで見えなかっただけらしい。
私がおずおずと近寄っていく前に、彼女は駆け寄ってきた。驚いたことに私と同じくらいの背丈で、そしてひどくやつれている。
「あの、一体何があったのですか?」
「むら、ほろんじゃった」
「どうして」
「プリンシュタゥ?のいぶき。むらはたまにうごいてさけるの。でもたまにぷりんちゅちゃうがくるから、よくほろぶよ」
「よく、とはどれくらいの頻度でです?」
「むずかしいことばつかうのね、あなた」
あ、しまったな、と苦笑いする。けれど相手はバカにされたと思ったのか、むっとほほを膨らませた。
「ピチェルはじゅっさいなの!もうせいのしけんにいけるんだから!」
はじめてのおつかい、という単語が頭をよぎった。私以外の十歳のスニェー族というものはこれほどいとけないのかとも。
それは皆心配になるわけだと崩れ落ちそうになった。試練どうのこうのはただ大袈裟な言い方をしているだけなのだ。
「あの、それじゃあ、私が受けるはずだった試練はどうなるんでしょう?」
「あれっ、あなた、しれん、うけてるの?じゃあ、おねがいきいてくれるんだよね!うーん、じゃあ、そうだなあ。あなたのすんでるむらにつれてってくれない?」
「……確かに、論理的には必要な措置かもしれないですが。どれくらいこの場所で待ってたんですか?」
「うーん、とおよりもっとよるがきたくらい?いつもなら、ごかいくらいでくるんだけどね、こんかいのほろびはおまつりでみんないるときだったの。たすけよびにいけるひともいないし、わたし、みちがわからないんだもの」
背筋がぞわりと粟立った。許されるなら、その瓦礫のしたに埋まっているものをなかったことにしてやり過ごしたい。
瓦礫のひとつを押し退けた瞬間、その下には半分につぶれた顔が見えた。凍りついて全てがそのままになっていて、私は思わず口を押さえる。吐かなかったのは獣を捌いてきたからだが、あんなに間抜けに見えた彼らがこんな大惨事を引き起こしたことに恐ろしく動揺していた。
いくつか瓦礫をどける。その下からは裸の男女が出てきて、嫌に生々しいまま時間を止めた姿に頭を押さえてしゃがみこんだ。
私は静かに立ち上がり、そしてその顔を振り払うように頭を振った。なぜ彼らはこんな場所に住んでいたのだろう。私ははあ、と息を吐いた。
「あの、あのね。……行こうか。私はハイル。ハイル・クェン。君は?」
「ピチェルだよ!えっと、ピチェル・クラバ。よろしくね、ハイル!」
えへへ、と笑うその顔にひどく違和感を覚えた。彼女が生き残ったのはなぜなのだろうか。あの大惨事のなか、引っ掻き傷も打撲すらもない。
「君はどうして無事だったんでしょうか?」
「おまつりのあいだはこどもはちかにいなさいって。わたしのむらはへんなの。おまつりはおとなのためのじかんだって。おまつりがおわるとね、こどもをもらえるんだって。へんなのだよねえ」
彼女はころりと笑った。その言葉にぎょっとするが、正直に言えば祭事にかこつけて子供を授かるという集落の存在を予想していなかったわけではない。子供を授かる方法は秘技だとうちの集落でも言われていたし、実際どうしたってそういうきらいはある。
私たちが子供に混沌避けを施すように、子供を授かることもまた儀式なのだろう。この世界での営みを完全に知っているわけではないが、例の裸で絡み合った姿から察するにほとんど一緒だった、と推測できる。つまり、祭りの最中だったからこそプリンスタゥの襲撃に対して無防備だったのだろう。
ピチェルは私が手渡した肉や保存食、ドライフルーツを食べ、氷をかじった。もともと私にとっても数日飲まず食わずで動くのは珍しいことでもない。彼女は最初はまずフルーツをよく口の中でふやかしてから良く噛み、そして飲み込んだ。急に食べ過ぎると吐き戻す恐れがある。氷をこりこりとかじっているのを見ながら、私は氷漬けの肉をさくりと噛み砕く。
氷に対しては何がしかの力が働くのか、噛み砕くにも困らない。噛み砕くと言うよりは、さくさくと自然に割れる。だが生ものは体によくない作用を与えることもしばしばなので、できれば火を通したものがいい。
「ねえ、ハイル。あとどれくらい――」
「シッ、だまって」
ピチェルの小さなあどけない声が、すぐに恐ろしいものに変わる。空間全てから、音が奪われていた。足音も、何一つ小さな音が聞こえてこない。聞こえるのは私の体の中の鼓動の音だ。ゆらり、ゆらりとその姿が吹雪いた地平線の向こうから見え、私は横にいる少女が目をゆっくりと見開くのに気がついた。




