呆然
次の村に着くまでには、ほとんど支障は無かったし、誰一人人とは出会わなかった。そのかわり妙にまずくて生臭い味の動物とはよく遭遇した。命石を持ってもいないがやけに私によって来て、そのたびに荷物を掻っ攫っていこうとするのだ。
イライラしつつもその飛びかかって来た小動物を片手でむんずと掴み、それから胸をぎゅっと押して心臓をぷちゅりと潰す。こういう処理の甘さがまずさの原因でもあるのだが、ひっきりなしに襲ってくるようなこんな場合はとても面倒である。ちなみにこの小動物を食べている間はこいつらは近寄ってこないので食べられたくは無いんだろうが、ならば襲わなければいいだけである。
前の村で村長にサインをさらさらと貰ったが、食料を盗られるよりはそれを盗られるほうが怖い。何しろ儀式を終えたという報告なのだ。ここ数日の努力を無に帰すことになる。とはいえ、だんだん慣れてくるものでぺしぺしと叩き落としながら村の近くまで来ると、向こうからおぉーい、という声が聞こえてきた。
「サグン村であってますかー!!」
「あーってるよー!!」
その瞬間飛びかかって来た小動物をぺちりと叩き落す。
出迎えてくれたのは前髪を綺麗に切りそろえ、その髪を色とりどりの紐で結わった男だった。糸のような目からは好意が感じられるが、どこか油断できない雰囲気も持つ、狐のような人だ。例に漏れず彼の姿は恐ろしいまでに整っていて、胡散臭さが倍増する。
「ああ、ナスタの実が入った携帯食糧もたされたんだね。ナスタの実はあいつらの好物でね、えっと、これこれ!そーれ!!」
ぽいっと携帯食料をわたしの荷物から見つけ出すと、彼はすぐさまそれを小動物の一匹がいるほうへ投げつける。するとその一匹がくわえたと同時にわちゃわちゃとどこからか小動物が集まってきた。
「さて、今のうちだ。村の中にどうぞ」
「あ、お邪魔します……?」
でかい家が、三軒しかない。風はある程度とおすように設計されてはいるが、どうも大きいし、それに壁に隙間が無く、三角の屋根。空いているのは屋根と壁の三角の隙間だ。
「ええと、これは……?」
「ああ、これはね。冬真っ盛りになるとここ、雪が一杯降ってね。生半なおうちだと崩れちゃうんだ」
三軒は通路でつながっていて、広場を真ん中に綺麗にコの字を描いている。
「少し、暑いですね」
「そうだね。君のテルシュは厚手だから、ちょっと心配だけど」
「そうですね。腰に巻いておくことにします」
私は肩口からそれを剥ぎ取って、そして腰に巻きつけ布で締め上げる。スカートのようになっているが、男だか女だかはあまり気にされていないのでかまうものでもない。
「さて。じゃ、まず自己紹介からね」
「え?あ、ハイル・クェンです」
「んっふん。僕はリェリェ・レオー。長老やってます!」
輝くような胡散臭い微笑を向けられて、そしてその言葉を理解するまでにいささか時間を要した。
数分後、私は混乱状態からようやく脱し、彼の顔を見上げながら冷やされた苦めの茶を啜っていた。ネーナですらまだ若いといわざるをえないのだが、彼は私の住んでいた村にいた狩人ほどの年齢だからだ。長老は文字通り最年長の者がなることがほとんど、当てはまらない場合もあるがその場合は代長老と自称する。一応年功序列を考慮してのことだ。
「……あのう。長老、なんですか?」
「うん。まあ、ここいらは珍しいことじゃないんだ。よく人が死ぬ。暖かい地方だからね。他の人種の血が混じっているのも、ほんの少し。弱いんだ、暑いしね」
馬鹿みたいに白い肌だらけを見てきた私にとって、それはやけに実感を伴わない言葉だ。
「君はこの地で無力を体験してもらいたい。暑いってのがどれだけ僕らから体力を奪うかってことを、ね」
期間は一週間と彼は言い切ったが、私としてはこんなに楽な課題が出ると思っていなかった。実際私はそれなりに涼しく保てるように力を調整していたし、デメリットらしいデメリットは存在しないのだ。
半日で気づかれ、私はちょっぴり睨まれるような感じでリェリェの目の前に座る。ちなみにまだ茶を飲んで話している段階だ。
「……あのねえ。普通の子供ならすぐにへばるような課題なんだけど?」
「あはは……」
ごまかしたように笑うと、可愛げがないとでも言いたそうにリェリェは私をねめつけ、もう一杯注いでくる。
「いや、良く考えればこんな熱々のお茶を子供がさらっと飲むことはありえないんだし、もっと早く気づくべきだったんだろうけどね。ま、いいか。仕方が無い、君に与える試練は変更しようかな」
そう言って彼は立ち上がり、棚からしゅるりと一つの巻物を引き抜く。その巻物を広げると、ぺき、ぺりという嫌な音がする。湿気が多いからか少しかびのにおいがした。保存状態があまりよくないそれには、縦に縞の入ったダックスフントのような胴体の長い何かが描かれていた。
「こいつはノブジェ。ここいらではめったに現れないんだが、そうだね、この生き物は子供でもぎりぎり獲れなくは無い。だが『待ち』を必要とする生き物だ。それこそ朝晩を十七回繰り返したって遭えなかった凄腕の狩人もいる」
あと素早いよ、とも付け加えてきた。私は他に情報が無いかを聞いてみたが、めったに遭えないせいで生態すら分かっていないらしい。とりあえず目撃した条件などを集めてみるべく、ノブジェという獣を見た、あるいは捕まえた狩人に話を聞くことにした。
彼らが口をそろえて言うことには、ノブジェを見たのはひどい嵐の後だったそうだ。動きは素早く、ジグザグに逃げるため次どちらに動くか予想しておかないと簡単に見失うということだ。春になりかけのこの時期、天気は荒れやすくなる。私は深い雪の中での動き方をあまり知らないため、ひとまずは雪中でどう歩いていくかを教わることにした。
スニェーの民は雪の中を歩きやすい、だがそれにも限度というものがある。特に嵐の後はひどく風が吹き荒んで遠くから雪を運んできているので雪が深い。足を踏み込んだ瞬間はまり込むように落ち込んでしまうことがあるので、とにかく上に上れる方法を見つけること。重たく湿った雪を腕で掻き分け、泳ぐように進むのもまた手だそうだ。ちなみにここいらの人間で泳ぐという行為を知っている人はいなかった。
「……むぐぐ、結構疲れますね、これでさらに獲物を狩ると」
私もそれなりの体力を自負していたのが、こういう動き方はまた別の筋肉に負担が増えてくる。私は少しばかり面倒になって、雪は湿っているのだし、凍らせてしまえばと思ったのだが、先に私の中にある力がなくなりそうでそのアイデアは断念することにした。にっちもさっちも行かなければ使えば良いだろう。
まずもって早い動きは無理。となれば、始めにすべきは行動範囲の推定。得られた証言はだいぶ古いものから新規のものまで多岐にわたる。目撃証言だけでも問題ない。むしろ獲ったという報告は今ははずして考えよう。
村の東南の方角、森(凍りかけの木ばかりではあるが)の中心あたりで一匹見たという報告があり、同時に外縁部でも一匹。それから小さいのと一緒に一匹を見たという報告が森から少し外れた場所にあった。子育てをしており、同じ場所で育つようなら少なくとも番と、それから一匹がいると考えられる。森の中心部にいるようなら外縁部まで出てくる用もない。東南の森はかなり大きいし、スニェーの大人の足でも横断にまるまる一日はかかる。
次に目撃証言があったのが、北。北は一面雪原になっていて、所々植物が散見される。これもまた驚きだが、植物は夏の短い間にぐんと育って、それから寒さをきっかけに種をばちばちと固い殻が弾けるようにしてばら撒かれる。そのため秋にはその平原は立ち入ることが難しい。種の威力はかなりのもので、それで過去失明したものもいたようだ。今の季節には立ち入っても全く問題ない。
ちなみにその種、味は格別のようだ。いずれ食べてみたいものである。
ここいらで見られたのは十二件、多いように見えるが私としてはこれはあまり選ぶべきじゃない選択肢だと思う。森と異なり範囲が絞れず、さらに正しい距離や索敵範囲もわからない。まず森を探し、そしてその後にどうしようもなかった場合にのみ行くべきだと判断した。
ひとまず持ち物は全て草の汁で煮て雪にうずめて匂いを消し、自身も東南の森にある植物の汁を体中に塗りつけて一晩過ごす。それから体をぬぐい、自分の匂いが薄いことを確かめてから匂いの消えた服をまとう。なんだかんだ言って雪も飲み物として扱える。食べ物だけが気にかかるが、それはリェリェが固く焼き締めた干し果物入りのザクザクとしたクッキーのようなものをくれた。三日分の食料だと言っていたが、張り込むにはいささか足りない。ラードのような脂がみっちりとつまっていて草っぽい香りのはっきりとするサラミもつけてくれたが、まあ、普通に考えて子供なら食べてしまうだろう。甘くていい香りのするクッキーは、外で食べるのは格別だし。
とはいえこれは私を試してもいるのだから、あまり当てにしないほうがいい。東南の森で現地調達できるのは苦い味のあるスゥットという植物の茎、それからその根っこだ。あとは酸っぱさ極まりないが栄養のあるチットという植物の種。
狩の間は肉を食べるのはちょっと控えた方がいい。においで感付かれやすいのもあるが、火をいちいち焚いてという行為は身を潜めての「待ち」の狩りにおいては適さない。
私はひとまずその情報を仕入れて、森の外縁部で食料をある程度集めた後に森中央部へと向かう。まず実践が何事も大事であり、それなくしては先に進めない。ひとまずスゥットの茎と根を地面を引っかくようにして集め、それからチットの種をいくらか拾い集める。未知の味のものを食べるには勇気がいったが、観念してスゥットの茎を口に入れ、ぶつりとかじる。
「……にが、い。が、食べられないことは無いな」
苦いというよりはえぐい、というほうが正しい。お湯で何度かゆでこぼせば灰汁がとれて春のものとして美味しく食べられそうだ。たとえて言うなら生の山菜。いや、これはあくまで前世の知識なのでそうすれば食べられると決まったわけではない、か。
「根っこは……もそもそするけれど、うん、粉っぽい辛味の飛んだわさびに苦味を足したって感じ」
もじょりもじょりと食べてみると、結構味は食べられないことも無い。
次に酸っぱすぎるといわれたチットの種を口に入れる。外側を固い殻で覆われたそれはぱりりと噛み砕くと中からじゅあっとすっぱさがあふれ出した。だが、事前に言われていたより味はそう捨てたものでもない。酸っぱい系の菓子のような味があり、中身は結構固めのゼリーかグミといったところで、これは結構美味しい気がする。
「地表で観察されることが多いから、まずは木の上から観察するか」
風通しがいいが、私にとってはただの突風くらいに思える。警戒すべき相手はひとまずだまくらかせる程度の匂い付けはしているし、とりあえずはノブジェの観察に終始することに決め、私はある枝に狙いを定めて紐をぶんと投げると、それを結んでその枝にロープを伝ってよじ登り始めた。
それからノブジェは数時間もたたぬうちに現れた。
「きゅっ」
そうかわいらしく鳴いて、わちゃわちゃと八本くらいある足を忙しそうに動かして、そいつは去っていった。私はあまりの衝撃に動くことすら出来なかった。
「……絵って、大事なんだ」
四本足にかわいらしいフォルムで描かれていた生き物とはとても思えない。――そいつの背中にはヤマアラシのとげのような太く黒い針が縞になって生えていて、重たく湿った雪が上から落ちてきたのをぶるりと針で一蹴した。顔はいかつく、私より一回り大きい体躯で、明らかに子供が相手していいような生物ではない。鳴き声がきゅっ、なんてかわいらしいのも納得いかない。たぶん重低音でうなっているほうが合っている。
「……ええっと」
奴を攻略しろとでも言いたいのだろうか、あの狐顔。




