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蔑視

村の三分の二が物語を読み終わったころ、狩りから帰ってきた人たちが疲れた顔をさらしながら獲物を(そり)で引っ張ってきた。むわっと獣臭いにおいがする、などということはここではありえない。狩ったはしから凍り付いてしまうからだ。そのころには私は火傷の後に清書をしたせいでさらに傷が悪化してしまった手を治すのに精一杯だった。


「お帰り、シィテルテ」

ヘフィーは彼の元に駆け寄っていく。その体は血まみれだが、彼はニヤリと笑みをたたえている。慣例なのか、狩りから帰ってきた人を迎えるにあたっては村全員で行うらしい。不思議に思って理由を聞いてみると、かつて狩りから帰ってきた人が獲物のせいで途中で厄介な魔物を群れで引き連れてきたことがあったらしく、そのときは甚大な被害が出たそうだ。以来、そういうことが無いよう皆で迎えるらしい。


「今回はハトフェリを仕留めたんだ」

ハトフェリはその体長が大人の体躯ほどある生物で、その顔は非常に獰猛である。よく見られる生き物だが、特にやっかいな特性も持っておらず難しい獲物ではない、というのが狩人の通説だが、ここにはひとつ記されていない特性がある。

彼らはうっかり間違えて瀕死のまま逃がすと仲間を数十匹連れて襲ってくる。いや、初めは十匹ほどなのだが、どんどん瀕死のやつを増やすとそのまま敵がねずみ講のように増えていく。なんだかんだ言って野生の動物はこの特性を良く知っているので、むやみやたらとハトフェリに手出しすることは無い。


つまり『相手を一撃で確実に葬り去る熟練の狩人にとっては』難しくない相手であるのだ。


「そうなの。お肉おいしくないし、毛皮にしちゃいましょ。運よく喉笛の骨も残ってるみたい」

「そうだな」

喉笛の骨を吹く音はよく届き、かといってハトフェリを呼び寄せるわけでも何かに警戒されるわけでもない。これは合図の笛に使われることが多く、他国でも多く重宝されるという。


「あの、ヘフィーさん?私も何かお手伝いしましょうか?」

「だめ!ハイル、あなた今怪我してるでしょう」

「でも、もう治りますよ」

「だーめ」


なかなかに頑固に言い張ってはみたのだが、その訴えは綺麗に退けられた。私は少しばかりむうと膨れてみたが、ちょっと子供らしくて気持ち悪く、やめることにした。

かわりにシィテルテを観察してみることにした。彼はさっぱりした美青年で、雑なところもあるが見たところ完璧を貫いている。そりゃあヲフリュが惹かれないわけである。

彼はヲフリュにいいところを見せたかったのかもしれないが、実際ヲフリュは完璧といわれるだけあって『完璧』なのだ。彼女にそつが無いところを見せたって、目立つわけが無い。それより彼女はオォニを選んだ。


「……何か、あるかも」

「おーい!ハイルくん!」

「あ、あれ?ヲフリュさん。どうしたんですか?」

「ああ、君から回ってきた本、読んだよ!すごかった!なんかこう、胸のうちからうずうずするものがあってね。それで誰かに話して回りたかったんだ。しかし、なんだ。あれをオォニが書いたとは思わなくてね。私も驚いてしまったんだが」

その瞬間、わたしの腕が遠慮なくがしりとつかまれ、持ち上げられる。

「なんだって?」

「……シィテルテ、その腕を離せ。オォニに恨みがあるのは知っているが私はお前を選びたくないし、その子には関係の無いことだろう。違うか?」


チッ、と浅い舌打ちが聞こえた。私ははあ、と息を吐く。殺気というものだろうか、にらみの圧力だけではない、なにか嫌な気配が足元から忍び寄ってくるような感じがした。

「怪我はないかな?」

「ええ。大丈夫です」

「そうか、それはよかった。もし良かったら、オォニに会わせてはくれまいか?一度会って話をしたいと思ってね。今日はどこにいる?」

「ちょうどあっちの方にいるはずで――」


ごつ、という固いもの同士がぶつかり合った音がした。私が示したさきには怒りのままに拳を振り下ろしたままの格好のシィテルテと、それから血を流しながら地面に這いつくばっているオォニがいた。

「な、なにが……」

私はそのとき一切事態を飲み込めていなかったが、次の瞬間横からごうっと風が吹き抜けるように感じて、真横にいたはずのヲフリュを見上げる。――だがそこには誰もいない。あるのはばきばきにひび割れた凍りついた地面だけであり、私は何に驚いたのかもう分からなくなってきてしまった。


「へっ!?」

間抜けな声を上げながら前を見れば、ごちゅりと今度は湿ったもの同士がぶつかり合った鈍い音が響き渡り、そして血を噴き出しながらシィテルテがゆらりとよろめき倒れる姿が見えた。

「……な、なんですこれ」

シィテルテの近くにいたヘフィーはぎょっとして私に救いを求めるように見てきたが、私ごときがどうにかできるような戦いの段階ではない気がする。ふらふらと立ち上がるシィテルテは、それでもオォニに視線を向けていた。


「シィテルテ!!お前、なぜオォニを殴った!」

「ぐぶっ……げほ、うるせ、……クソが!!オォニが役に立つだと!?ンなことはあってたまるかよ!!こいつがしたのは何の役にもたたねえ文章書き散らしただけじゃねえかよ!!」

「そうだとしてだ、お前、なぜ彼を殴ったんだ。私はなぜかと聞いている。質問に答えろシィテルテ!」


私はふと気づいた。彼らがここまで感情的になって言い争っているのに、周りの『大人』はほとんど反応していない。いや、むしろ昔を懐かしんでいるかのようだ。――なるほど、丈夫で治りも早いだけに彼らにとってはこれは普通のことなのだろう。

けれど、シィテルテは普通ではない。オォニに対して異常なほどに嫌悪を抱き、そして侮蔑をもって接している。


「いつもだ。いつもそうだ。いつもテメェがいやがるからだぞ、オォニ!!いつまで寝た振りしてんだよ、このカス野郎!!」

ごふ、という声が聞こえる。オォニの体に綺麗にローキックが決まる。私は彼の元に走り寄ろうとするが、その綺麗な赤褐色の眼で制される。

「……聞こえてんだよ、叫ばなくても」

オォニの負った怪我はそこまで大きいものでなく、私は安堵する。が、いやな予感が消えない。いつも背中に佩いている杖に手をかけ、倒れ伏しているオォニに駆け寄りながらそれを鞘ごと引っこ抜く。


「シィッ!!」

「ォラァ!!」

がつりと体に衝撃が加わる。上から振り下ろされた抜き身の一撃を、仕込み杖を両腕で支えながら耐えきった。裂帛の気合でもって受け止めたその一撃は、子供には重たい。だが、かろうじて受け止められたのは私が目の前の男の異常さに気づいているからだ。

濁っている。目がどろりと濁り、そしてオォニしか見ていない。ヲフリュに言い寄っていたのに、彼女に対する執着を全く感じない。つまり執着の対象はオォニだ。


「なにを、するんです」

「……どけ、クソガキ!!」

私の目の前から剣が再度振り上げられ、重みがふっと消え体勢がぐらっと崩れる。しまったと思う間もなく私の体に横凪に銀閃が迫っていた。瞬間的に体が動き、私は持っていた仕込杖を回してシィテルテの膝裏に引っ掛け、すべるようにその場を離脱する。入れ替わるように、白いポニーテールがその場に割り込んだ。ヲフリュだ、と思う間もなく、その先にいた誰かに激突してげっと息を吐き出してしまう。


「シィテルテぇえええ!!」

くらくらする頭を振ると、目の前の男は裏切られて傷ついたかのように歯を食いしばり、涙を流していた。

「なんで、なんでオォニなんだよ!!ヲフリュ、お前は俺の味方のはずだろ!?小さいときからずっと一緒にいたじゃねえか、なのに何でオォニを庇うんだよ!!あぁ!?」


ひゅるりひゅるりと風がまた強く、そして冷たくなる。私は気づかぬうちにシィテルテの姿に見入っていた。彼は全身で自分が傷ついていることを訴えていて、そして弱く、脆く見えた。

「そいつが村のために今まで何をしたんだよ!俺はずっと働いてきた!!なのになんでお前はそいつの味方をするんだよ、ヲフリュ!!」

「当たり前だろう。惚れたやつが理由も無く殴られるのを突っ立って見ているほど、私は弱い者ではないぞ」

「ぅああああああああああああ!!!!」


何のためらいも無く、彼女はシィテルテの敵に回った。彼にはそう見えたのだろう。つたない動作で剣を振り上げ、そして突き立てる。

ヲフリュは、一切避けも、受けも、しなかった。


「あ、ぇ……?」

「そして友を見捨てるほど強い者でもない」

肩口を綺麗に突き通った刃は、赤く、清廉な色をもって白い地面を、そして彼女の肌を焼き焦がす。

「…………なんで」

「全く。お前は昔から気位が高くて扱いづらい奴だ。大方狩りの班の仲間で私を恋人に出来ればすごいことだとかなんとか言われてその気になったのだろうが、だいたいお前は私に恋なぞしているものか。オォニに昔から対抗心を燃やして、見ろ、子供にまであきれられている」


口をぽかんと開けている間抜けっぽい私を示して彼女は言ったが、これはあきれているのではなくただ単に成り行きも何もかもちゃんと飲み込めていないからだ。

「え、いや、あの、」

「オォニが全てをやめるきっかけを作ったのも今思ってみればお前ではないか。全く、恥ずかしいと思わないのか!」


びしっと力強い声で打たれるようにシィテルテは背を伸ばした。私も傍で聞いているだけなのだが、背筋を伸ばしてしまう。それから約三十分ほど説教が続き、ようやく解放されたシィテルテの顔はなんだかへんにょりと覇気を失っていたが、どこかすがすがしそうだった。


「……なあ、ハイル。考えても見なかったんだが」

「ええ、私もです。まさかオォニさんがすごく出来る側の人間なんて」

やる気を出せばものすごい実力を発揮するタイプの人間で、シィテルテは対して努力タイプの人間だった。つまりオォニさんが常に全力を出せないように邪魔していたのだ。

「……今からでも、遅くねーかな」

「ええ。でも、それより先に原稿を書かないと、殺されるかもしれませんね」

「は?」

ぽかんとした男はちょっとばかり笑える顔になっていた。


「なに、オォニさんの作品が面白かっただけですよ」


数日後、私は初めのとおりに荷物を調整されて旅立つことになった。つまり食料一日分、そしてここがどこだか分からない状態で地図だけもたされる、というものだ。ただでさえ土地勘が無いのだが、少しだけ歩く道中にシィテルテに教わった。

「……このポボツォは常に枝の先端が西を向く。ポボツォの育つじきここいらは全部西へ向かって風が吹くから、こういう風に育つんだ」

灰色の枝が綺麗に一方向へ向かっているのはなかなか面白いものである。針のような葉っぱはやや薄黄色で、ちんまりと同系色の実がついている。


「実は美味いだしが取れるが、食べ過ぎると毒になる。煮ている間は他のものをいれず、煮出し終わったらすぐに取り出すようにな」

「何から何までありがとうございます」


シィテルテの処分は私と共に旅立ち、迷わせてから別の村で生活すること。一から違う文化と言っても過言ではないほかの村で生活するのはなかなか難しいことではあるのだろう。なかなか下らない重い処分だといっていた。それでも、五十年もすればもとの村に帰ることが出来るだろうと笑って話す。私から見れば、とてもじゃないが生まれ故郷さえ忘れそうだ。

「今頃、オォニの奴ヲフリュの催促に変な顔してるだろうな」

簡単に想像できるその姿に、少しだけ笑いを漏らす。オォニの文筆業は認められた――あくまで平和時に限り、だが。今後は狩りも義務付けられ、出て行く間際には「もっと走れ!」とヲフリュに追いかけられていた。


「ええ、そうですね」


ひゅるひゅると風が地面をすべるように流れていく。次第に人の踏み込まぬような新雪を踏み始めた私たちは、お互いに一度だけ顔を見合わせた。

「それでは」

「ああ。じゃあな」


ひとつまかり間違えば、誰かが死んでいた。

もしあの場で私が勘をたのんで動かなければ、オォニが。

もし私の体が土壇場で動かなければ、私が。

もしシィテルテがを剣尖をはっきりと心臓に向けていたら、ヲフリュが。

もしヲフリュが友情を捨てていたら、シィテルテが。


「……なんとも情けない」

私ごときの力が何かを変えたとしたら、ぎりぎり、ほんのぎりぎりのところで誰も死なないようにちょっとだけ干渉した、という程度だろう。泉に石を投げ込んだように、波紋は立てるがいずれああなったかもしれない結末に、少し近づけ、そして波紋は元に戻る。神の言っていたとおりだ。私は何も起こさないが、何もなさなかったわけではない。


大きく世界を変えたいわけではないが、それでも、何をなすべきなのか、何をしたいのかは旅を始める前にしっかりと固めておかねばならない。鞄の中の紙の束は、少しだけ重たく感じた。

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