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正餐

ずいぶんと久々の投稿です。

正しい食事会というのは、どれもこれもめまいがするほど手元が忙しい。ただこの家ではそういうことは無いらしい。

「あらぁ、まあ!とても綺麗なかたね、誰も触れぬ新雪が人になったみたい。太陽の金と、月の銀。着ている服にちょっとだけ不満があるけれど……兄様、もしかして色が似合うからと同じ色ばかり着せようとしていないでしょうね!」

「うっ、なぜわかったんだい、アズウェルト……」

「兄様はものぐさですもの、すぐに分かりましたわ。その姿だけ一度詩人たちに見せてくださらない?」


ポルヴォルにぐいぐいと迫っていく彼女は、艶やかで黄味の強い金髪を豪奢に飾り立てている。どうやったら立つのか分からないほどの髪型に引き気味になっていたが、つんと尖らせた桃色の唇と、健康的な薔薇色の頬が普段色彩の無い世界に暮らしているだけにより鮮やかに見えてどぎまぎする。


「あら、アズ。お行儀が悪くってよ?」

「うっ、ご、ごめんなさいお母様。でも、惜しいことだわ。凡百の言葉では飽き足らず、新しく言葉を作らなきゃいけないくらいなんですもの」

ころころと微笑んでいる彼女は、目元にレースの包帯をぐるぐると巻いていて、非常に装飾的に見えた。だが触覚が先行するらしい、襟元のがさがさした飾りなどは取り払われていて、シンプルで優雅な姿を追求したように見える。赤い真珠の耳飾りがゆらりと揺れると、その上に紫交じりの白銀に似た髪がはらはらと落ちかかった。化粧は薄く、だがその品位を損なうことは決してない。

母親と言うのには若く見えた。アズウェルトが大人びて見えるのも原因かもしれないが、それでも人生を謳歌しているが故の若さがそこにはあった。


「ポルヴォル。案内してちょうだいな」

「ええ、我らがお母様」

ポルヴォルはその歩みを完璧に母親に合わせて私のほうへと歩み寄ってきた。彼女のなよやかだが確かに年を感じさせるその手が私の髪に触れ、そして頬へと滑ってきた。


「とても、滑らかね。見られないことは残念で仕方が無いと思うけれど、それでも子供の髪はいいものだわ」

なでていて楽しいわ、と嬉しそうに言った。レースの奥にわずかに暗い色が見えたが、それはきっと虚ろであるのだろう。


「今日はミンジェントは来られないの。お仕事が重なってしまってね、それでもこれほどまでにヴォルとアズが誉めそやす子ならばミンジェントも悔しがると思うわ」

「お兄様もそうだが、お父様もだ。市街に勝手に出ようとしたのがばれて、執務室に缶詰にさせられているんだろう?美しいものを心行くまで賞美するならやはり仕事はまじめにやらねば!そちらのほうがよほど見逃してくれると言うのにな!」

「そうですわ。わたくしとて、美しいものを愛でる趣味が分かりますけれどね、やはり、お仕事をないがしろにするのは許すことができませんわ。たまぁに、そうたまにどうしても逃せない機会がめぐってきた時に見逃してもらうために」

口元だけ完璧ににっこりと笑いながら、てしてしと指先だけはテーブルクロスを叩いているのが実に恐ろしい。


ポルヴォルがやれやれと肩をすくめた。

「お前の『たまに』、は季節一度めぐるのに何度来るんだい?」

「……さあ?」

しらを切るアズウェルトだが、そのとぼけ具合にポルヴォルのこめかみにひくりと血管が浮いた。


「あ、あのう」

幽鬼を出して話しかけた瞬間、六つの目が私を捉えて、それからそうよね、とアズウェルトが息を吐いた。

「皆で美味しいご飯を食べましょう。お父様がうらやましがるほどの絵と詩と歌を添えて、ね」


はじめに出てきたのは、汁物。陶器の匙を使うようだ。一片の曇りの無いかいでいるだけでよだれの出そうな琥珀のスープの中にころりと真ん中に白い玉がひとつ転がっていた。まずは一口そのスープを飲む。野菜の甘みがひろがり大変美味しいが、どこか物足りなく感じる。だがその白い玉のてっぺんをつつくと、一気に花開くように中から肉汁がぶわりとあふれ出した。


この玉の中には、玉が浸かっていた野菜のスープとは別の、肉のうまみをとじこめたスープが入っていて、両方が交じり合ったそれを飲むと、えもいわれぬ香味と滋味がひろがった。先ほどのスープは基本的な味付けで、玉の中に入っていたのは味に奥行きを持たせるものであった。ちなみに玉の皮はつるりとしていて喉をするんと通り抜けていって、非常に楽しく食べられた。


次に出てきたのは前菜扱いのもの。私の小さな一口で食べられるように配慮してあるのだろう、ポルヴォルのよりも小さく見える。三つ並べられたそれは赤、黄色、緑、の順に並んでいるペーストのぬられたクラッカーと、それから爪楊枝のささった小さな赤い粒々の入ったゼリー。

「赤から順にお召し上がりくださいませ」

さくりと赤のものを口の中で転がすと、スープの安穏を覆すように辛味が口の中に食い込んでくる。生のにんにくを使ったような味だ、これでも加減はされているのだろうが。

たまらず黄色を口に放り込むと、もったりとしたホワイトソースのような味であり、口の中にあった辛味を完全に消し去った。だが、口の中が重たいままだ。

そこで緑を口にする。多少青臭いほどの香りが、今は黄色が重たく残っているせいでむしろアクセントとさえ思える。さっぱりとした味で、どこか大葉を連想させる。そしてそれを飲み込むと、気がついた。


幻のように全ての味が口の中から消えている。

いや、確かに最後の緑の余韻はまだ口の中にかろうじて残っているのだが、本当に私は赤と黄色を食べたのだろうか。くらくらしながらゼリーに手を伸ばす。


ポルヴォルがしているようにつまようじを手にとって、口の中に放り込む。最初はゼリーがあってわからなかったが、ゼリーを舌でぐいと押しのけた瞬間にぱちりとはじけた。

「んむにゅ!?」

「ははは、面白い趣向だろう?」

何か覚えがある食べ物だと思ったら、炭酸飲料に似ている。ゼリーは多少酸味の利いた味付けだが、ぱちぱちはじけるそれにデザートを食べている感覚に陥る。刺激が強くて、ますます先ほどの三つの色のクラッカーが幻のように消え去った。


「び、びっくりしました。でも、なかなか癖になりますね」

「ああ。これも美食とはいえないと兄上が文句を言っていたがな、それでもやはり楽しさとは食にあってしかるべき要素だと楽しんでもいた。素直に評価できないとはなかなか難儀な兄よ」


にやにや笑っているポルヴォルはそれからふと顔を上げた。

「時に、君は不思議に思わなかったかね?私が正当な継嗣だというのを」

「……ええと、その、長兄が家を継ぐというのが一般的なんでしょうか?我々の集落では家を継ぐということ自体あまり起きないことなので」

「あ、そうか。そこからか。ま、かまわんよ!」


確かにここいらでは妻が産んだ子供、長兄が家を継ぐ。だが、この家では違うのだという。


「皆が皆、芸術に浸りたがる一族だ。その、恥をさらすようだがな、兄がもし領主になれば領地を傾けてまで食を追求するだろう。いや、もしかしたら潰してしまうかもしれないな。つまり兄妹のなかでは私が最も問題が少ないのだ。自慢ではないが公務はさぼったことはない。たとえばアズウェルト、サンブリーエのグニュリーが演奏に来るとしたら、どうするかね」

「言い値を払うわ」


間髪いれずまっすぐに言い切った少女に、私はぐっと噴き出しそうになることをこらえた。ほらな、と妹を私に指し示すと、アズウェルトはむっと唇を行儀悪く突き出した。

「兄様はちょっと変だわ。公務なんて、とても芸術的な音楽が流れているときには些細なことよ。全身全霊でもって音楽に浸るべきだもの」

「と、いう具合だ。私は公私はきちんと分けているが、それでも街のうわさでは絵画狂いとなっている」


ちなみに養子ということも考えたそうだが、血が混じらぬ時点で芸術狂いへの理解が無く、領地を衰退させたこともあったらしい。そのときは養子を急場しのぎとして、そのあとはまた一族へと経営が戻った。


「かなり無茶な金の使い方をしているが、私たちは芸術を批評する者だ。私がある絵画を褒めれば、それはたちまちに高値で競り落とされることだろう。ばかげた話だが賄賂を持ってくる者すらいる。当然請けかねるが」

「そ、それはまた……」


私はめまいがするような気がした。ちょっとだけ、前世の記憶から出てきたチューリップバブルとやらを思い出してさらにくらくらした。

人はどんなものに高値をつけるかわからない。一見無価値に見えるものであっても、だ。


つまり、彼、いやこの一族は、芸術の門番であるのだ。その美しさに価値をつける役割を国内で果たしている。価値を与える職業、それがロスティリの一族に与えられたものなのだろう。

「さて、メインだが、魚と肉、君はどちらを好むかね?ああ、魚とは肉とは違って海や川にすむ生き物でね、大変美味しいと僕は思う」

海に住んでいる、つまりは魚だ。それらしき語句を見かけてはいたから気になっていたが、やはり魚だったのだ。私は嬉しくなって、こっくりとうなずいた。

「ええと、普段魚は食べることができませんから、魚をお願いします」

「了解した」


私にとってはこの世に生を受けてから初めての魚だ。私たちの住む集落には川がない。よって魚も何も取ることはできないため魚はさばいた形さえ知らない、未知の食べ物だ。いや、もしかするとその味も香りも、私の前世で知るようなものではないのかもしれない。


程なくして一つの皿が私の目の前に運ばれてきた。その皿の上には芸術的といって過言ではない造形のフリッターが載せられていた。

揚げ物とは非常に高価なものであり、そしてこの世界ではなじみの無い食べ物だと思う。だが、私はその味を知っている。


「これはピネモンテの種を絞った油で揚げた魚だ。今の時期は脂が乗っているから少々くどいが、熱々のうちに食べれば私の真意が分かるはずだ。良ければこれも使ってくれ」

上下に開いたバーを握り締めるようにしてかんきつ類がセットされている。私の喉がひくんと上下して、それからすぐさま先が割れている匙をポルヴォルが手に取るのを見るやいなや、匙をひったくるように手に取りさくり、とその黄金色の衣に突き刺した。


ひとかけらを口に入れると、芳醇な魚の油のうまみが広がり、そして同時にふわふわぷりぷりとした身が口の中で踊るように跳ねる。揚げる方法ならではの美味しさと、そして追いかけてきたのは油の香りだ。

何処か花のような、だがスモーキーな匂いに、私は首を傾げた。


「おいしいです」

「それはよかった」

てんぷらのようなものを想像していたのだが、全く異なる料理と言っても過言ではない。てんぷらは素材の味を丹念に引き出したものだが、これは油に含まれる味と、それから魚のうまみを上手く融合させたものに近い。


「よろしければこちらを」

「あ、ありがとうございます」

皿の上にきゅっと絞られたそれを口に運ぶと、かなり味の印象が変わった。まず油の味自体が全く変質したのだ。花の香りがぐわっと強くなり、そしてスモーキーさは鳴りを潜めた。そしてすっぱさが油のべとつきを完全に消して、すぐさま魚の身が追いかけるように現れる。こちらのほうが元の味を生かしていると言えるだろう。


そういえば匙でも容易に対処できる料理であった。二口で終わる程度の量にあらかじめセットされており、無駄な装飾、食べにくさを招く要因はほとんど排除してあったようだ。かなり強いポルヴォルの気遣いには痛み入るばかりである。

そのあとも全く名前さえ知らない料理ばかりだった。たぶん前世ですらこれほどの料理は食べたことが無い。貴重な経験をさせてもらったというほか無いだろう。


ちなみに、一番奇妙に思えたのが香りだけを楽しむ料理だった。なんと表現すべきだろうか、気分的にはラーメン屋、パン屋のまえを通りがかってああこの店はなんとうまそうな香りを漂わせるのだろうか、と思わせるもの。

そんな体験ににていた。味を勝手に想像させるその料理の見た目はただの石ころだった。素焼き石で多孔質なため、香りを吸わせて適切な温度に暖める。そうすることでえもいわれぬ香りを醸すのだという。


「大変貴重な体験でした」

私はそう謝辞をのべると、ポルヴォルは満足げにうなずいて見せた。

「最も美しい貴殿の姿を描くのが我々芸術家の義務だ。君にはそう沈んだばかりの表情でなく、笑った顔をも見せてほしいと思っただけのこと」

ポルヴォルのその言葉に、私は今更ながら力が入りすぎていたことに気づく。どこかでとって食われるだとか、嫌な想像をしていたことは否めない。ここまで歓待してもらっているのだ。私は緊張を解いて、それからにこりと微笑んだ。

遅れに遅れて申し訳ありませんでした。

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