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花園

死ぬほど忙しく投稿できませんでした。すみません。

部屋の外に踏み出すと、冬にもかかわらず花の香気がほのかに漂ってきた。金木犀のような甘い香りにミントのようなさわやかさを足したような匂いで、私は思わず深呼吸をする。驚いたことにそれは花というにはいささか地味な植物から香っていた。葉牡丹のような鮮やかかつ華やかさのある植物に埋もれるように、小さなとげが球状に寄り集まったそれが、花だという。


「いい香りでしょう?」

「ええ、とても。冬でこれなら、もっと温かくなったときはいかばかりか分かりませんね」

「この庭園は我らが当主の奥方様の好みに合わせて作らせているのです。奥方様は数年前の病気で目が見えなくなりましたが、以前より大変好まれていた香におきましてはさらに感覚が鋭くなられて、都のほうでも名の知れた調香師として人気なのですよ」


さらに庭の奥に進むと、温室がひっそりと立っていた。冬の間避難させておいたり、春に植え替えを行う植物を保管している場所だと言う。

「本来こちらは客人の方には案内しないのですが、ご興味があるようでしたら是非にと思いまして」

「へえ、いいんですか?」

「ええ。ポルヴォル様には怒られてしまいそうですがね、やはり、はるばる遠方から来なすったでしょう?できるだけたくさんのことを見て、そして知ってもらえればと思いますゆえ」

「なるほど」


私はその言葉にこくんと月並みな返事を返しながらうなずいた。確かに客人の入るような場所ではないかもしれないが、大変に興味を引く場所だ。この世界ではめったに見なかったガラスの扉をそうっと開くと、外とは比べ物にならないむわりとした熱気に、私は口を覆った。数度息を吸ったり吐いたりしながら体の力を調整すると、中へと踏み込んだ。


「うわ」

思わず声を漏らすほどに、中は花の香りで満ちていた。強烈な香水を原液ごと浴びせられたように、くらくらとしためまいを覚える。


「す、すごいですね」

「ええ。夏や春では外の庭園もそれなりに香りが強いため比較的そうは思いませんが、冬だとどうしてもいい香りと言うよりは、困惑が先に立ちます。あ、こちらをどうぞ」

「ありがとうございます……?これは?」


手渡された布は長方形に折り重ねられて、その両端には紐が縫いとめられている。つまり、頭の後ろで紐を結ぶようなマスクだった。使い方を説明されて頭の後ろで紐を結ぶと、多少の蒸し暑さはあれど香りは和らいだ。


「もし詳しい解説が欲しいのでしたら人員を呼びつけますが、どうなさいますか?」

私の方を伺う彼にお願いしますと頼めば、ちりん、と護衛の男が鈴を数度鳴らす。温室の奥から人の声がした。

「う、うわぁ、ちょ、ちょっとお待ちください!土ぼこりにまみれておりますのでご勘弁を!」

どったん、どったんと重たい音が数度響いて、それから姿を現したのは、この世界ではまれに見る巨漢が姿を現した。


この世界では太ると言うことはステータスだ。上流階級ではわざわざ痩せるという()()をすることもあるが、基本的には太っていると言うのは金持ちの象徴とでも言うべきものだ。しかし、彼を見るに、そういう太り方ではない。

肌は日焼けしていてがさがさだし、髪は艶が無くひどく砂にまみれている。指先の爪は泥が詰まっているのか黒くなっている。手の皮は分厚く、力仕事を主とするような男の手らしく固そうなものだった。


「あのう……つかぬ事をお聞きしますけれど、たくさん食べるというわけではないのですよね?」

「はい?あ、ええ、まあ、だいたい普通の使用人と変わらないですね。オジールカ、しっかりなさい。ポルヴォル様のお客人の目の前ですよ」

「は、ははぁ!!」

「あ、あまり畏まられると困るのですけど。それよりも、お食事の量は普通なのですよね、だとすると何がいけないのか……」


大きな体というのはえてしてカロリーを要するものだ。体の熱の維持にはそれなりの食事量がいる。けれど、護衛の男は『他の使用人と変わらない』と言ったのだ。

「ちょっと失礼いたしますね」

手に触れると、ぐにゃりと体の周りの冷気が歪む。どうやら反発するものらしい。私は少しだけ目を細めた。


これは彼自身の『力』だ。


この力があるからこそ、辺境のあんなに寒い場所で私たちがやっていけている。彼の力がどうしてかは分からないが、体の中にグルグルと渦巻いている。私と違って彼の力は外に出て行っていない。


「すみません、興味が湧いてしまって。私たちの集落にはないものですから」

「いえ、肥大病の患者は初めて見ますでしょう?彼はこれでもまだいい方なんですよ。あまり人の域を超えてしまうと、破裂してしまうのです」

「破裂……」


殺す、とか、命のやり取りにある程度慣れを生じた私だが、内臓などを仔細に知る今、かえってその光景がまじまじと浮かんできてしまった。気分が悪い。

「だいたい一つの村に一人くらいはいるんですがね、村などの小さな集落では忌み子なんだと言って殺してしまうことが多いようです」

「そんな、」


ショックを受けた私に、男は仕方がないことです、と目を伏せた。いかつい雰囲気がなくなったので、その表情や面差しがくっきりと見えた。

「うちでは彼を雇っていますが、動けなくなれば退職の際は見舞金を多少つけて、死ぬまできちんと面倒をみるつもりです。かつてニーへにて本草学を修めた彼の知識はかなりのものですからね」

「……そう、ですか」


私は少しばかり異世界特有の病に触れたことに後悔した。清潔にするとか、こんな薬が効くとか、そういうことではない。まず治療の方法さえわからないのだ。私の体から力は放出されている、だが、その仕組みはわからない。

「本草学を修めたのは……」

「そうですね。今ハイル様がお考えになったことで間違い無いと思われます。ですが、ニーへにも治療法はないようでした」


ニーへにも治療法はない、すなわち、私のような力を名づけたものはいないのだ。私の集落でもこの力を名づけたものはいなかった。名前をつけるまでも無い当たり前の現象であるからだ。スニェーの一族にとってはこれは単なる体質だ。力自身を意識した者はほとんどいないと言っていいだろう。


彼の手を取ってみて数度、私は瞬きした。やはり、私には彼の病気は治せない。こればっかりは自分で外に出さなければならないし、押し出すなんてことをすれば破裂してしまいそうだ。けれど、力を外に出す方法はわからないときた。


ニーへにならもしかするとこれを解決しうる手がかりがあるのかもしれない。けれど、答えはそこにない。

「ごめんなさい。私は治し方が分からないです」

「治し方が、わからない?では、これはいったいどういう仕組みで起きているのですか?」

失言だったな、と唇を少しだけ引きむすんで、それから喋ることができることをまとめていく。


「あの、ですね。なんと言ったものかは分からないのですけれど、私の種族特性として備わっているものがあるみたいで、その特性の元となる性質があなたに組み込まれてしまっているんです。ええと、私たちは穴の開いたじょうろのようなもので体の外にそれを出すことができるんですが、あなたはバケツとか、もっと正確に言うなら水毬かもしれない」

水毬というのは、この世界にいる丸いぷよぷよした木の実の中を吸い出して、水を入れて蹴りあうものだ。ぷよぷよとはずんで少し重たい。ここに来る間放置されているものをちらりと見たが、小さな子供の頭ほどあっただろうか。


「水を入れすぎると、破裂します。そして私はもともと出し方が備わっているゆえにあなたの治し方が分からないのです。すみません」

「そんな……」

オジールカのぐらりと傾いだ体を護衛の男が支えた。私はちょっとだけ、かわいそうなことだと思う。希望を持たせるだけ持たせておいて、これかと言いたげな目つきなのだ。だが、私はそれでも問いただしてきたのはそちらだぞ、とじっとりと睨み返す。


「私が言えるのはこれだけです。そうなっている仕組みを私はどうこうできません。治し方というより、それは生まれつきのものでしかないんです」

「いや、もういいです、十分ですよぉ……」

オジールカはその巨躯を小さく丸めてうつむいた。どうにかできると言いたかったが、私にはそう言い切れる自信と責任を持つことができなかった。


花はやはりすばらしく見目麗しいものではあったけれど、私にとってそのあとの香りも、色も、何一つとして愉しませてくれることはなくて、むしろ心が苦しくなっていくだけだった。察した護衛の男が外に連れ出してくれなければ、私はあの色とりどりの花のかぐわしい匂いで息が詰まって死んでしまっただろう。




「食事、ですか?」

「ええ。あまり食欲がないとは存じておりますが、どうぞご賞味いただければと思います。いかがなさいますか?」

「……そう、ですね。あまりくどいものでなければ、大丈夫だと思います」

「奥方様のお気に入りが粗相をしてしまい、申し訳ありません」

「いえ、これは私が勝手に気に病んでいることなので」

今日は花の香水は使わずにすごすそうですよ、とだけ言葉をいただいた。他の人も花の香りが届かぬように、飾ってある花も造花や宝飾品のようなつくりものの芸術品にしてくれたらしい。部屋にこもっている間にそうなっていた。


そう気を使っていただかなくても、と暗に言えば、客人と言うのは最大級の待遇で迎えよと言うものであり、これしきは気を使ったうちに入らないという。むしろ無茶な食べ物や飾ってある宝飾品や剣などを要求してきたりはしないのだから、お行儀のよろしいほうですよ、と言われた。


「あのう、食事の作法やなんかは」

「ポルヴォル様が横について見せてくださいます。料理人もあまり難しい食べ方のものは出さないように言いつけておりますから、気にせずにお召し上がりください。それに、あまり食べられないようでしたらお部屋に改めて軽いものをお持ちいたします。使用人たる我々も美しいものに対しては敬意を払い接するように薫陶がいきとどいておりますゆえ、どうぞおかまいなく」

「……え、ええ」

輝くような微笑をずいっと侍女の女性に近づけられながら、私は冷や汗をかいた。狂信とでも言おうか……。


「ええと、私、そんなにでしょうか?」

確かに集落で無い普通の街をほっかむりなしで出歩いたらさらわれるのは確実そうだが。

「あなた方のような姿は、間違いなくあるひとつの完成された美でもあります。ですが、他の美というものも存在します。たとえばしなやかで凹凸の綺麗な筋肉美。黒曜石の大地を吸い上げたような肌を持っている美。人とは間違いなく異なる姿でありながら、その威容や強さで人々を食らい尽くす魔の美。ありとあらゆるものに美は潜んでいるのです。時にこのお屋敷にはごてごてと宝石を飾り全身を贅肉で覆っている卑しい性根の男が現れますが、そういう方は宝石をご案内させていただいているのだと考えるようにしています」


最後になかなか強烈な一言をいただいて、私はようやくポルヴォルの待つ夕食の席につくことができた。


ただ、これらの()()がすべて行き届いているのだとしたら、もしかすると皆が皆宝石を案内している気分になっているのかもしれない。

ちょっと、いや、かなり複雑な面持ちを浮かべながら、ここへお座りくださいなと引かれた椅子にちょこんと腰掛ける。足がぶらぶらと無作法に浮いてしまうのが気にかかったが、他の人は誰一人気にしていないようだった。


カトラリーの類は匙のみがいくつもずらりと並べられている。フォークのようなものは侍女が携えているワゴンに乗せられているが、非常に無骨なものだ。鉄製の、用途にのみ沿ったそれは少しばかり大きい。

「うむ。今日もまた良い酒だ、美食家の兄上ならなんと言っただろうね。ま、そちらの才能は私にはないから関係ないがな!」

ポルヴォルはそういいながら、食前酒代わりだろうか、ひとつのグラスをひょいと手に取った。くいっと飲み干すと、口を親指でぬぐって右横に置かれていた銀盆の上にある、濡らした手拭きでちょっと拭く。


私の右斜め前のグラスにはまた違う色の液体が注がれている。そのグラスには窓のそれとは違って青みがかかり、その中には意図的に埋め込まれたであろう気泡が漂って海の中のように見えた。

中の液体は透き通ってはいるが、すこしばかり赤く見える。


「安心して飲むといい。それは私のものとは違って、酒精は入っていないものだ。この街特産のラエボーンという果実を搾って作ったものだ。甘さは少々控えめで酸味がある。薄めてもあるが、非常に食欲増進にはぴったりだ」

「ええと、私には良く分からないのですけど、先に始めてしまってもいいものなんでしょうか」

ボルヴォルはきょとんとしてから、そう言えばそうかと納得顔をした。


「貴方は現在、客人としての身分で扱われている。招いた私が同席し、君をもてなすことを義務付けられているのだよ。すなわち、今だけは君が最も優先される者ということさ。ただ、食前酒を口にしたあたりで皆入室してくる。本当に格が高い客人の場合は主菜を温かいうちに食べた後となる。多少ややこしいものだろうが、我慢してくれたまえ」


その言葉を聞いて、私はためらい無く飲み物を口に運んだ。さわやかで、スポーツドリンクとか言うものに、わずかに酸味を足したような味だった。たしかに食欲を刺激するといううたい文句どおり、ぐう、と今まで空腹を訴えても来なかった腹が鳴った。

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