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造形

件のぐるりと街ひとつ覆いこんだ白い壁は、近くで見るとそこまで綺麗と言うわけでもなかった。埃と砂で汚れが多少ある。だが、その中は割合に気を使っている町並みが続いた。居住者自体が見栄えを気にするからだろう。丁寧に刈り込まれた低い植木や、草花がちまちまと、だが奥行きや色合いを計算して計画的に咲いている庭は宮殿のような美しさはないものの、手入れしていることが明らかに分かるような『造形』に近い。


ロスティリの屋敷にたどり着くまでには、壁の中に入る前に一度、ロスティリの屋敷の庭園前で一度、そして最後に屋敷の直前で一度、荷を三度改められた。じろじろと布の細部に至るまで眺められたが、ポルヴォルがそのたび口を出すことで荷を体から離しすぎることは避けられた。何せ次期当主と自分で口に出すくらいには、彼は侍従やメイドたちに信用を置かれているようだからだ。


ポルヴォルの服装は、上着はしっとりと落ち着いた紫色で表面はサテン地に似ている。襟がつんときざったらしく立っていて、金の縫い取りがちらちらと顔を覗かせてはきりりと光に映える。襟首の詰まった白の内着を来て、金の飾りボタンには緑の宝石がはまっている。下穿きは白地に色とりどりの刺繍がサイドに施され、膝から下が足首までのラインが綺麗にきゅっと出る黒革の乗馬ブーツを履いている。

いやに貴族らしいと言えば貴族らしいが、色が派手な割にはとっちらかった印象も無くきれいにまとまりを見せていた。


そして何よりその金の髪が豪奢に編みこまれて、無造作とも言えるほどに肩からはらりと垂れ下がっているのがたまらなく美しい。やむにやまれぬ事情があってしている仮面も、小道具のひとつだったのであろう、銀の複雑な彫りこみが入っている。近くで見ればよりその美が際立つと言うものだ。

「それで、こたびはこの少年の絵を描かせる。磨き上げろ」

「仰せのままに」


多分ポルヴォルと出会ったのは、あの良しも悪しも縁を繋ぐという祝福のせいだろう。

ここまできたら若干呪いに近いような心持ちもするが、ポルヴォルとの出会いは悪いわけではない。


「あの、そういえば、マロゥという方についてご存知ですか?」

私がそう質問を投げかけると、皆が一斉に目を伏せた。黒地に金のラインを清楚に入れている服の女性が私の肩を抑えた。地味だが、綺麗な装いで怜悧な印象の美人だった。


「どこかでお会いになりましたか?」

「……ええ。屋根の上で自分は悪くない、と延々と繰り返していました。主人が豹変したと」

「そのような事実は一切ございません。あの方は……我らの主人は、けしてそんな方ではないのです。それだけはお忘れのなきようお願いいたします」


真摯に、苦しげな瞳が射抜いてくる。私はもう分かっているのです、と言うことはなぜだかできなくて、こっくりと縦にひとつうなずいて、その場は終わった。

ぬるま湯を用意してもらうと、体全体を丁寧に拭き清めていく。お湯を潤沢に使えるため、爪の間まで綺麗にこすり洗い終えられた。香油を使っての全身按摩(マッサージ)はいかがですか、と言われたが、それはべたべたするし、無くてもあまり問題は無いので遠慮させていただいた。


服は今までのを着ていたかったが、あいにく汚れに汚れているので洗濯してくれると言うのをありがたく受けておいた。代わりに渡されたのが、ポルヴォルが子供のころ一時期仕立てたという古着だ。とはいえ手入れは存分にされていて、銀糸で刺繍ががっちりとされている青のベストと、体にぴったり合った黒のパンツに膝のところで一度折り返しがある白いロングブーツ。白の飾り気のないシャツに、青の宝石がはまった銀のカフスボタン。これ以上着せられると暑さでどうにかなりそうだったので、ここまでにしてもらった。


「うむ。うむ!すばらしいな」

着替えた私の周りを、ぐるぐると歩き回りながらためつすがめつじっくりと、それこそ穴が開くのではないかと言うほどにポルヴォルが見る。そして、ぱんぱん、と手を二回叩く。

「お呼びでございましょうか……っ」

正面に現れた壮年の男女が、同時に私の姿を見て息を呑んだ。


「七日もらえた。思うさま描け、かたどれ。しかし彼の邪魔はするなよ」

「は、はい!ポルヴォル様」

きらきらと輝く目で、私のことをじいっと見てくる。ちょっとだけ居心地が悪い。確かに恐ろしいほど綺麗な一族だから、『私』の目から見ても同じような反応になるとは思うのだが、それでもやはり自分がその立場に立たされると少しばかり恥ずかしい。


「ふむ」

肌をするりとなぞられて、そしてじいっと見られる。体全体をまさぐられ、服をめくられたりもしたが、そこにはやましさも何も無く、ただただ洞のように全てを受け入れ、そして呑み込むと言う気概だけがあった。

「……あのう」

「声も鈴のようですばらしいけどねっ。一番はこの、眼だね!銀をひたすら磨いても生まれないような深遠たる銀、それに黄金に勝るとも劣らない美しさの金!ああ、詩人でも筆を折るくらいだよ。君みたいに形が同じなのもいいけれど、造形する上ではやっぱり、人らしい形でないほうが美しく、荘厳に見えるからね。あ、ちょっと脱がすよ」


ずるんと皮をむくように引っぺがされていく。下着も替えたが、この世界では男女共通で長方形の布に紐がくっついたいわゆる紐パンツであり、その紐に女性が手をかけた瞬間私はその手を押しとどめた。

「下着は、だめです」

「ええ、そんなあ。先っぽだけ、先っぽだけだから!別にとって食ったりしないから!」

「だめです」


私がひんやりとした視線を送ると、不承不承ながら引き下がってくれた。男のほうはと言えば女が私をつるつるとたまねぎのように剥いている間じゅう、素描を延々と書きなぐっている。床にはすでに数枚の素描が散らばっていて、私はちょっとだけむぐ、と息を飲んだ。


上手い。しかも、すさまじい上手さだ。とてもこんな短時間で描き付けたとは思えないほど、特徴を上手く捉えている。ざざっと書きなぐられた紙がまた一枚床へと落ちていった。

「うんうん、すべすべ。これだったら石膏のほうがいいかも。ただの石像だと、石に従って彫るからね。うん。よし。それで行こう」

ぱん、と女性は手を打った。それからふと思い出したように、私に問うた。


「そういえば、君の名前は?」

「ハイルです」

「へえ、私はグリュー・パッセっていうの。そっちの絵描きがフィズ・オギュスト。二人とも貴族だったんだけど、すっかり絵描きと彫刻家になっちゃって、家から追放されたところをポルヴォル様に拾ってもらったってわけよ。道端で絵を描いている子たちね、あの子たちは永久に這い上がれない。ニーへに行けばちょっと違ったかもしれないけれど、やっぱり芸術ってのはね、時間と金と伝手がある人たちが最も上達する。唄はちがうかもしれないけど、絵と彫刻ってのはもう間違いなくね」


とんでもない詐欺よね、と彼女が続けた言葉に私はちょっとばかり納得する。それでも、やはり諦めきれない人間は多いのだろう。ニーへが割合に近くにあって、そして道々教えられたのだが、屋敷で用いた植物紙は文書に使われることは少なく、たとえばフィズが今書き散らしているような素描は、裏が空いているため全て街に廃紙、古紙の類として卸してしまうらしい。ゆえに絵を描く人口は割合に多いらしい。


ところが大成するのはその一部、しかも富裕層だ。絵の具の使い方、テクニックの一つ一つは、カンバス地を自由に張ることができ、さらに高価な絵の具を自由に使える富裕層が最も学ぶことができる。色合いの勉強も、何もかも。

「本当に勉強したいのなら、ニーへまでの渡航費を稼ぐべきよ。芸術がこの地に根付いたのは、ニーへのおこぼれ的な意味合いもあるの。それと、そうね、これは誰でも知ってる内緒の歴史なんだけどね、ここの一番最初の領主様はね、罪人で島流しされてここへ来たの」


その言葉に私はびっくりした。

「罪人?」

「そう。でね、その人はすっごぉく芸術好きでね」


ニーへに行こうにも島流しされた身では監視もきつい、それにこの土地の特産はあまり派手ではなく、人も金も集まりにくい。考えに考えた末に出したのが、「この地に芸術家を呼べばいいんじゃないか」という発想だったらしい。そしてそれは新たな産業までも生み出し、いっぱしの都市になったということだった。


はっきり言えば、芸術にすさまじい執念すら感じるほどだ。さすがは一族そろって芸術狂いといわれるだけのことはある。

「ただ、みんなこのことは良く知ってるんだけど、領主一族はさすがに先祖のことを悪く言われるのが嫌いみたいでね、やっぱりあの方たちの前で喋る内容じゃないよね」


それはそのとおりであった。グリューは丁寧に私の体へと素材を押し当ててそれから丁寧に顔をなぞる。鼻先から唇、おとがいから額にかけてを特に熱心に。フィズはと言えばあれから一切喋ることも、手を止めることもしていない。ただ一心不乱に私を見ながらがりがりと木炭が動き、そしてまた次の紙へとぺらぺらとめくられていく。恐ろしい速度であった。


「フィズのしてること、気になる?」

「え、ええ、まあ。あれだけ描いて、疲れたりしないのかな、とは」

「まーね。あたしは一発で構図とか、いろんな要素はばっちり決めちゃうけど、フィズは数描いて、その中から一番いいものを選ぶんだ。でも良く描き直して発狂しそうになってる」


よければ描いているところも見ていく?と言われたけれど、私はちらりと窓からのぞく庭に興味が出てきたところであり、ひとまずそちらに向かうと告げて服を着た。

扉を開けて外に出ると、「ハイル様」と声をかけられた。先ほどの筋肉ではちきれそうな人が、身をかがめていた。

「どこかお出かけに?」

「あ、はい。ええと、庭を見ることって……」

「ええ、かまいませんよ。私はハイル様の滞在中は護衛兼御用聞きとしてお傍におりますゆえ、何か不都合なことはあったらおっしゃってください。もし日差しがまぶしければ日傘を持つものを用意させますが」

「あ、いえ、お気遣い無く」

何だその係は、と思うものの、やはりそういう役職があるようで、彼は懐から出しかけていた小さなベルを布に包んでしまいこんだ。もしやそれで呼ぶ気でいたのだろうか。


後ろのドアがぎい、と音を立てて開いた。

「あ、あの、出かけるのでしょうか?いずこへ?」

「庭に出て、良く見せてもらおうと思いまして。冬は冬ですけど、それなりに花もあるようですし、楽しめると思いまして」

「花……いいですねすばらしいと思います」

多少思案したあと、一息にそう続けると彼は私を眼に留めたままひたりと背後についた。このまま歩いていくつもりらしい。じいっと視線が注がれたままであるので、私はそっと護衛についている男の腕をつついた。


「あの、転んだり、落ちたりしないようにちゃんと見張ってやってください。私は一応狩りを仕込まれてる身でもあるので多少は平気ですけど、彼は、その……替えがききませんから」

「はい、承知いたしました」

客人よりも多少融通を利かせて守って欲しい。私はたとえ怪我をしても、階段から転がり落ちたくらいでは軽いあざができるだけで済むが、一般人はそんなことはないし、むしろ死の危険がありそうだ。特にフィズはこもって絵を描き散らすだけあって細いしもろそうである。


「あの、お気遣い無く……」

彼はそう言って、そしてしばらくして背後でずる、という明らかに滑った音が聞こえた。振り返ると護衛の人がフィズが仰向けに倒れこもうとしていたところを間一髪で救ったらしく、横抱きにされていた。

「……あ、これ、この体勢楽です。すごくいいのでこのまま少年の後をついていってください」

「一応私はハイル様の護衛を任ぜられているのですが……」

護衛の人はひどく困惑しながらはちきれんばかりの体を縮こまらせていた。


フィズはそのまま持っていてもらったほうが色々と都合がいいため、護衛の人にはそうしてもらって心置きなく庭へと繰り出すことにした。

ちなみにフィズが歩いた後には転々と素描が散らばっていて、メイドがすぐさま拾い上げてはまとめて持ち去っていた。回収係とでも言おうか、そんな係が当たり前になっているようで私は少々言葉を失った。

とにもかくにも、芸術家や芸術を好む人はおかしな人が多いのかもしれない。

これにて一時停止します。

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