衝突
武芸者の青年の名前は、マロゥ・ロバッゼというようで、私のように『苗字』と言うものがあるわけではなく、彼の名づけの基準は個人名・村名という順番でつけられているらしい。
「近々、というか明後日か。そこで大規模な祭りをやる。冬の憂さを晴らす祭りだ。寒いと誰も外に出てきやしないから、温かくなりかけている今、ちょうどそういう祭りをやる。俺はそこの武芸者が技とか、力とかを競うのに出るんだ。これが出場札」
「へえ、そんなのがあったんですね」
春祭りとかいう呼称で最初は呼ばれていたそうだが、一番通りが良いのが冬に眠っていた魂をたたき起こすという意味を込めての魂叩きという名称だという。これは街の誰かが言い出したことで領主はあまり気に入っていないらしいのだが、もはや定着してしまって今更その呼称を禁止するわけにもいかず、しぶしぶ認めたという。
「ハイルはそれを知っててここに来たわけではなかったんだろ?」
「まあ、そうですね。だって寝るところだって蛆とかのみとかしらみとか……私の住んでいるところは、虫も繁殖できないくらい寒いんです。それに私自身も冷たいので虫がつかない生活を送っていたんです。なので、はい、駄目ですね。すごく」
ぶるりと体を震わせながらうぅっと顔をしかめて見せれば、彼はテルシュの下の渋面を想像したようで、からからと気持ちよく笑った。
「俺はまあずうっとそいつらとは長い付き合いだし、今度知り合いを紹介してやろうか?気のいいやつなんだ、血をいくらか吸われること以外は」
「結構です、いらないです!」
「はは、まあ、今この祭りの前にここいらでしか宿は空いてないし、中央街だってぜんぶ埋まってるはずだ。そりゃあ、寒さが大丈夫なら外の屋根の上を取るよな。俺もさっきまでは……いいとこの街の宿の中にいたんだ……いたんだよ」
「え?」
マロゥはじとり、と曇った視線を手元にやって、それから剣をかちんかちんと鞘からはずし、また納めてはまたはずす。せわしない動きの中に、なにやら強烈な負の感情が見て取れた。
「さっき、俺は領主の息子をぶん殴ったんだ。手加減を一切抜いて、全力で」
「…………は?」
言葉が聞き取れなかったわけではなくて、ただただ単に、私の頭が理解を拒んだ。というか、理解したくなかった。領主の息子を殴るという言葉の破壊力がそれほどまでにすさまじかった。
以前私たちスニェーの民は確かに領主からの要請を断った。しかしそれはあくまで『統治』という行為が私たちの領域にまで及んでいないからだ。自給自足を完璧に行っている密林奥深くの部族に対して、税金をかけるような所業である。そんなもの取られてたまるか、大体自分たちの何に対して金を取ろうというのかと怒りたくもなる。
しかし統治が及んでいる場合の領主とは、それこそ天の声とか、神様に等しいレベルである。領主が「明日から黒は白になる。白は黒と呼ぶことにする」とでも言えば、従わなかった際に死刑を胸先三寸で決められるくらいには絶対的だ。
治安維持も、戦争時の安全確保も、戦争後の遺族年金、さらに公共事業の費用や街道の敷設、井戸や河川などといった水周り等の整備、この世界であれば魔物被害の減滅というのも含まれるかもしれない。とにかく身の回りの安全全てに対して領主が関わっているのだ、逆らおうなどという考え方が出てくること自体がおかしい。
「一体何でそんなことをしたんでしょうか」
純粋に、聞いてみたくなった。目の前の男がなぜそのような暴挙に出たのか、彼をそれに駆り立てたのは一体なんだったのか。マロゥはぎゅっと手を体の前で組み合わせて、そして肩をすぼめた。
「……あいつ、いや、あの屑は、俺の目の前で女を縛り上げて、その全身を折れ砕けるほどに殴りつけたんだ」
色香漂うその女性の名は、イルニュエーという。出身は南のほうで、ニーへにてさまざまな地方の踊りや唄を身につけており、かなりの踊りの腕前を誇っていた。ところがその一方で、言い寄られることも少なくない。彼女自身は『芸のみを売る』いわゆる芸妓だからだ。色を売ることは一切無い。
だがそのスタンスを理解した上でなお、あくまで言い寄ったのが領主の息子だと言う。
「彼女は当然断った。俺は目付け役としてだが讒言させてもらったが、領主の息子は全く聞き入れることはなく、俺の身柄を拘束した。そしてじっくりと這い蹲りながら見ていろよ、と言って、配下に命じてイルニュエーを縛り上げさせたんだ」
そうして彼女は手足を折られ、そしてその顔立ちすら跡形も無く醜くされた、という。
「今までかの方と呼び慕っていけるほどの人だと思っていた。一体なぜだ。俺は全く理解できなかった。……何ゆえあのようなことをしたんだ、と。当然怒り狂ったし、はらわたも煮えくり返った。だから殴ったんだ」
話を聞いていれば、短慮に過ぎるな、と思った。自らがその惹きつけられる所に惹かれて飛んできたくせに、火に入って文句を言う。領主の息子など綺麗一辺倒ではやっていられるわけがない。私はネーナ様のかの人殺しも否定することはできないくらいには、自分が汚いやつだという自覚がある。
「イルニュエーは楽しそうに舞っていた。俺みたいな男に酒も注いでくれ、誉めそやしてくれた。それにポルヴォル様にも、今の領主を軽く越える器であることだとひどく絶賛してたんだよ」
あちゃあ、と私は額を押さえた。この男が一体何をイルニュエーに吹き込まれたかはともかくとして、それはあからさまな『領主への反逆教唆』と取られてもおかしくない。もしかしたらただのおべんちゃら、という可能性も無きにしも非ずだが、それだけマロゥの教育に力を入れようとしたのかもしれない。
だがこれは一方で領主の息子に対する好意的な見方によるものだ。
マロゥに対して本性を見せても問題ないと思ったからそうしたという線が消えたわけではない。イルニュエーのように美しく若い女性をいたぶりたい、そういう欲をもともと持っていて、そしてマロゥを信用したからこそ協力するようにと本性を見せた。
だが両方とも確証が無い。もしこの段階で断言をできるやつがいたならばそれはもう超能力者か魔法使いくらいだろう。私はあいにくそのどちらでもない。
「マロゥさん。前からそんな兆候はあったんですか?えっと、そのイルニュエー様にしたような……」
「一切無かった。朝から晩まで傍に侍っていたがな」
それならば当然その女よりも主人のポルヴォルを信じてしかるべきだろうに、なぜそのイルニュエーに肩入れするのか。不可思議と言うほかない。
「けどな、武術大会で優勝すれば許す機会を与える、などと妄言を吐いて……元はといえばお前の所為だろうっ、そいつをだぞ、いかにも俺が悪いように――」
マロゥは自分がおかしいとか、そういうことは露とも思っていない。きっと彼にとっては彼の信じる道だけが正解で、そのおかしいと思う部分をポルヴォルは正してやったほうがいいと考えたのだろう。
彼自身がそれに気づいて武術大会に出てくれば、それだけで彼を許すつもりなのだろう。かなり甘い領主候補だ、けれど私の感性としては嫌いではない。
「すみません、マロゥさん。私、ちょっと眠たくて……」
「あ、いや、すまん。見ず知らずの方にこんなことを」
はっきりと口に出すことは避けておいた。きっとこの人は、自分で気がつかなくてはならないし、自分では永久に気づけないだろう。けれど、おせっかいは私の役目ではない。私の感性としてもポルヴォルのことを受け入れられるとは思わない。けれど、私が口を出して彼自身が気がつかないのであれば、彼のやり口は私にはとても実行できないことだ。彼をもし手元に戻せば、また同じことがいずれ起きる。
ポルヴォルという男のことを純粋に、見てみたいなと思った。
「おやすみなさい」
不服そうな曇った目は、翌朝私が目覚めてもあまり変わらなかった。
武術の大会はどうでもよくて、私は待ちに降りて数度の聞き込みを経てようやく地図に類するものと、それから方位磁針を手に入れた。これは木で蝶番つきの箱をつくってあって、その中を丁寧に分割された目盛りと、それから北を向くかどうかをしっかり調べた後に購入した。ほかに並べられている方位磁針とも見比べたので間違いはなさそうだ。
それから地図だが、これはニーへのほうで広く使われているという植物紙に印刷されている概要のようなもので、商人がよく利用する道を書いてもらった。
そう、書いてもらっただけである。実際このあたりの街道を把握している人は商人であって、そして大体彼らは必要が無いくらいにこの辺の地理を把握しきっている。顔は隠したままだったのだが、街道の見方なども親切に教えてくれた。と、いうのも、どうやら昨日幽霊ぶってやらかした私のうわさがかなり知れ渡っているようで、たいへんとても親切だった。
お金は置いていったのでうらまれていないと思いたい。
その後街を出て行って、途中で街中に開けた広場が見えた。すり鉢状になったその真ん中ほどの高めの列に、腕を組んで見下ろしている人が見えた。見事な金髪を丁寧にまとめていて、面立ちはあまりよく見えなかったが、それでもひとり対戦相手の足りない会場を見下ろしているのが良く見えた。試合が終わっていないにもかかわらず、彼は立ち上がって護衛を連れたままどこかへと去っていく。
あの人がポルヴォルだったとしても、私にはすでに関係が無いことだった。もし、近くに来て喋ることがあれば、きっと色々話せる事もあるだろうか。そんなことを思った。
まあ、まだ私も子供であることだし、たぶん十何年か後になるだろうか。
そうぼんやりしていたのがまずかったのかもしれない。
「ぶわっ」
大きめの足に跳ね飛ばされるように、私はしりもちをついた。いくらなんでもぼんやりしすぎだった。
「ご、ごめんなさい」
「あ、いや、こちらこそすまない。怪我は無いっ……」
テルシュが解けて、地面にするりと落ちた。私はそれを拾い上げて、そして何度か払うとよどみなく立ち上がった。
「お気遣い感謝いたします。それでは!」
朗らかにそう言い抜けて逃げようとした。しかし、ぱちん、という指を鳴らす音とともに私の目の前に男たちの肉壁が立ちふさがった。
「……あまり手間をかけさせないでくれたまえ。逃げれば、君のことを拘束せねばならなくなる。なに、そう長く時間は取らせないと約束しよう。君の絵を一枚お抱えの画家に描かせたいと思った、それだけのこと。スニェーの民はその美しさと恐ろしさで評判である。なに、長くは拘束しない」
「七日だけです。七日以上私を足止めするのであれば、私はいかな手段を用いてでもあなた方の下から抜け出しますので。絵を描かれる以外の仕事はしません。あくまで私が絵を描くことに協力するのみです」
男は顔半分白い仮面をかぶっていた。おそらくあの仮面の下は腫れている。吊り気味の猫のような目で、両親ほどではないが美形であるといえた。正しく人として綺麗な男だ。
「了解した。七日が経てばかならずこの街から君を出し、そして家に帰すと約束しよう」
「逗留中の食費等は自分でまかないたいと言いたいところですが、あいにく手持ちは少ないので絵に描かれることで相殺とさせてください。請求が来た場合、詐欺ととらせていただいても?」
「よかろう。さて、名を名乗れ」
貴族に対しての平民の礼は、右足を引いてひざまずき、そして左足は立てたまま、その上に手を重ねて置いてそしてそこに額を付ける。丁寧に、ふらつかないように。
「ハイル・クェンと申します」
「成る程。私はポルヴォル・ロスティリオッゾ・プラスティアーゾ。ロスティリの家に連なる正当なる継嗣であり、見る芸術である絵画や彫像に心を奪われた哀れな美のしもべだ」
両手をばっと仰々しく広げ、そしてにたりと笑う。芝居がかったしぐさが妙に堂に入っている。
「ようこそプラスティアーゾへ。私は君を心から歓迎しよう」
なにやらこのごちゃまぜの街が、やけに気持ちよく見えてきたのは私の心持のせいなのだろうか。それならばそれでよい、と私は力強くうなずいて見せた。




