逗留
あれから数日経ってしまっていたが、はっきり言ってここがどこだか分からない。と言うのも風向きが違う場所まで出てきてしまったらしく、ちゃんと走れていたならたどりつけていたはずの集落が無い。ほとんど枯死しているような森も抜けてしまって、今やただ白い雪原である。
「うわぁ……」
多少のめまいすら覚えるほど、日はじりじりと照りつけている。この暑さから鑑みると、方向的には南にまで来てしまったらしい。しかも、それなりの距離が村から離れてしまっているだろう。暑さに弱いティオだったらおそらくは今頃焼けて死に掛ける。
私は数度見たこともない獣に遭遇し、そのうちの数匹を難なく仕留めた。ココモに比べればだいぶん弱い生き物たちであったし、そのどれもが美味しい。しかしながら命石がかなり小さい。もしかしたら『力』の源となるようなものが私の住んでいる地域に比べて少ないのかもしれない。
私たちの体質も寿命も、その源に強くさらされているからかもしれないと思うと少しばかり調べて見たいという気持ちがわくが、この暑い(熱いと言ってもいい)ほどの地域にとどまったままいろいろ実験するのは危ない気がするため、自粛するほか無い。
とにかく、現在地が分かるような地図が欲しい。もしくは方位磁針代わりになる水と針。葉っぱのひとつでもあれば完璧だ。
北に戻れれば、それなりに場所がつかむことができるはず。
「集落、集落やーい」
テクテクと歩いていると、ふと向こう側に山脈のようなものが見えた。……しめた、と私は駆け出した。とにかくどうあれ山のふもとと言うのは人が集まりやすい。食料が手に入りやすいし、水も生まれやすい。ここで私の計算違いが起こったのは、その山がだいぶ高く、かつ遠方に合ったと言うことだろう。
到着したとき、私はその村とも、集落ともいえぬ威容に圧倒されていた。ずらりと中心街を取り巻く、白い石が積まれた頑強そうな壁。中心には城らしき塔が見えた。その周りを取り囲むように、外周にそってだんだんと貧困になっていくような、色の違い。中心は白く、そして華やかで鮮やかな。外周は茶色く、薄汚れて、汚い色。しかし、どの建物もかなり色とりどりに塗られていて美しい。
「……嘘でしょ」
そこはデザアル国主要副都市がひとつ、プラスティアーゾ。希代の芸術狂いの一家が治める街であり、眠らない街、と言われる場所。
しかし、その華やかさとは裏腹に賭博、麻薬、人買い、風俗、人間のありとあらゆる欲望を詰め込んだ街であり、ひとたび足を踏み入れればその都市に魂を食われて出てこられないといわれるほどだ。それでもなお誘蛾灯のように人が集まり続ける。プラスティアーゾの民は極端な金持ちか、極端な貧乏人か、いずれかだ。
「まずったね。これは」
過去、私たちスニェーの一族は連れ去られたことが幾度もあったらしい。あの下衆だった男が語った通りに、見た目だけは綺麗だからだ。ところが暑さに極端に弱く、さらに人によっては火傷をしてしまう。
さらに、これはスニェー族が他種族とのハーフがいないのにも納得する理由だが……性的興奮時、あるいはそれに擬似的に近い場合にさせられた時、相手を凍傷状態になりそうなレベルに凍りつかせてしまうという。
そして何よりその戦闘力は抜群であり、素手でさえ強烈であること。さらに仲間を極端に大事にする結束力の強さに、コストパフォーマンスが見合わなかったらしい。お偉い人間や人間を商品として取り扱う商人の間ではスニェー族に手出しは無用ということになっていた。
ところがつい先日我々に矛先を向けてきた。やはり正統な教育を受けてはいなかったのだろう。
「それとも長い時間を経て、忘れられたかだよね」
はあ、と息を吐く。テルシュをぐるぐると体からはずし、そしてサリーのようにして頭のところにぐるりと巻きつける。かさかさに乾ききった地面をぬぐって、埃を手足と顔にぬぐいつける。もし忘れられたほうであれば、街に入る際に見咎められることは無くても見られることはある。私の希望としては、ココモの鱗を売り、食料と水と大まかでよいから地図と方位磁針代わりのなにかを手に入れて、さっさと北の方角を見極めて家に帰ること。
街に入るために門や検閲などはない。遠くに見える白く美しい壁に囲われた街であればいざ知らず、貧民街近くにいる者などどうなってもかまわない。
私が足を踏み入れると、すぐにざあっと私への身なりの検分がされ、そしてすぐさま戻される。この程度の色合いであればいくらでもいるし、先ほど薄汚れさせたのと、この寒空の中(私にはだいぶ暑いのだが)服がやけに薄いために貧乏人と思われたらしい。毛皮や布をたっぷりと防寒に使えるのは金持ちの証拠だ。
それにしても腹が減った。
昨年の不作の影響は来ていないのだろうか、と考えかけてやめた。ここは私の村を治める貴族、シャウドルーテ一族が治める土地ではない。これほどの活気がそれなりに残っているのだから、問題ない程度の不作だったのだろう。それをあそこまで大げさに騒ぎ立てたと言うことは、新たなシャウドルーテのやり方が相当にひどかったと言うことだ。
なんにせよ、ここは安全な場所だ。食い物はある。人間本当に切羽詰れば何をするかわからない。
それなりに裏通りに入って店構えを見ていくと、金の匂いがする場所がある。そうっと人々が吸い寄せられ、そしてしおれた顔で出て行ったり、喜色満面でまだやれる、まだやれるという表情になる男女。その両極端な姿に、私はちらりと開いた扉の隙間から中を見やった。
ビンゴだ、と私はうなずいた。ここは金貸し、あるいは質屋だ。その店頭に並べられているものありとあらゆるものが統一感がまるで無く、そしてぎらぎら光り輝いている。表に看板が無いのは不案内だが、もしかすると質屋のシステムはここの法律では禁じられているのかもしれない。それならそれでいい。目元をのこしてしっかりと顔ごとテルシュで覆い尽くす。これで髪も顔立ちもわからないはずだ。
ぎい、と軋みのひどい扉を押し開けると、中にいた初老の男性と、その背後に立っている筋骨隆々な男性がぎろりとこちらをにらみつけた。しかし、ここ数日にわたる疲労と慣れで縮み上がることすらどうでも良くなる。演じるのは異国の、そうだな。体が冷たいことを利用してみようか。
「これ、金、引き換える」
ココモの鱗三枚を見て、しわだらけの手がそれをカウンターから引き上げる。そしてふん、と鼻先で笑った。
「五半銀枚にもなりゃあしねえな。四十銅枚だ」
私はすらりと指先を伸ばし、そしてカウンターをとんとん、と叩いた。それから馬鹿にするしぐさとして定番の、鼻先に親指を当てて他の指をひらひらさせる行為をする。元いた世界ではたぶん中指を立てるくらいのしぐさで、相手の顔がむぐ、と不機嫌になった。
「金、大事。評判、大事。それわからない、馬鹿。この程度」
「……デルザ!やれ!」
「あいよ」
大男が私の喉元目掛けて貫手を放ってきた。だが、その動きは鈍重に見えた。私一人分くらいなら軽々と支えてくれそうじゃないか。ありがたく、その腕を伝ってカウンターの上に飛び乗った。でかいその顔を踏みつけて、そして倒れこんだところに冷たい冷たい手でするりとその首をなでる。ふう、と息を吹きかけると、私がどこもかしこも冷たいことに気がついて、大男がぎくりとその身をこわばらせた。
「いくら?」
金と銀の色に、男がウッ、と声を漏らした。そりゃあ誰だって、あからさまな『死人』とは目もあわせたくないだろう。ご愁傷様であるが、とにかく金が、しかも相応の金が手に入るならそれでいい。
「お、親父。こ、こいつ、死んでる……!た、祟りだ。金は払おうや、金を払って、すっかりさっぱり闇の中に送り込んじまったほうがいい!い、息を、とても冷たい息を吹きかけられたんだ!」
「あ、ああ?ちょっと、デルザ、お前ぼけたんじゃねえのか?いくらなんでも……」
「いくら?」
そのやせこけた頬に分かるように手を当てて、それから人ではありえないほどの冷気を送ってみる。初老の男はいいように腰を抜かして、私にひれ伏した。
「ひっ!?す、すまねぇ!ちゃんと、ちゃんと払うから……ほ、ほらよ!」
銀枚と半金枚の詰まった袋を私にどさりと押し付けた。多少中が見えたが、あまりひどいことをしてもきっと彼らは困ってしまうはずだし、とその中から銀枚と半銀枚を三つずつとって、それからするりとその頬をもう一度なでた。
くすくすと笑ってまた軋む扉を押し開けて、しばらく路地を歩く。はあ、と息を吐いた。大体せこいマネをしてしまったが、あちらが悪いのだし仕方が無いだろう。この土地には流れてこない鱗だし、それに、装飾品だってあの大きさなら作れるだろう。数が無いから一点ものにもなる。
それに、ココモはあれだけ引っ張りまわされてしまうほど、強いのだ。止めを刺したと思ったら逃げて何処かへ消えてしまったとか、その生命力には多くの逸話がある。スニェー族ですら、ココモは割に合わないとして狩らないことさえあるし、頭もいいため固まったスニェー族は避けることが多い。
結局は珍しい、この一言に尽きるのだ。一体丸ごと持ってきていたら扱いもまた違ったのかもしれないが、それでもだ。
四十銅枚はいただけない。
とにかく、今は飯を口に入れて人心地つきたいところだ。先ほどとは打って変わって表通りに出ると、私くらいの背丈の子供が道でがりがりと絵を書きなぐっているのが見えた。その横では別の少女がちょっと音程の外れた歌を歌っていた。ここは芸術の町であって、芸術からはほど遠い、夢破れた落伍者と、それを食い物にする大人の汚い町でもあった。
町中をひしめく音の洪水に、ああ、都会にいるな、とぼんやり考えながら、私は背嚢を体の前に回した。仕込み杖は白く枯死した枝のようなものであり、あまり細工の要素は無い。それにしっかりと背に括り付けてあるためあまり問題は無いだろう。それより体の前に回して抱きしめている背嚢を取ろうとするはずだ。
思惑通り数度手を伸ばされたのは抱えている背嚢で、背中の杖は誰一人見向きもしなかった。
それから宿屋を回る。空いているところは確かにあるが、これなら森か平原のほうが良く眠れそうだと言うくらいにしらみや蛆や……思い出すだけで虫酸が走るし、なんなら反吐が出そうだ。
とにかく今日は一夜をそれなりに過ごしたいのだが……そうなると、やはり屋根の上か。
「ふん、よっと」
そこそこの高さの塀から屋根の上によじ登り、そして、ト、ト、と数歩歩いて、先客の存在に気づく。ぐおお、すがあ、と高いびきをあげている青年は、いかにも武芸者と言う身なりだった。分厚い外套ではあるが、顔が真っ赤にしもやけしている。
「あのお、寒くは無いですか」
「うごっ……あ、ああ?なんだ、誰だ?」
「あなたと一緒で、屋根で一晩明かそうとしてた者です」
「奇特なやつだな」
彼は浅黒い肌と、厚くて丈夫そうな手のひらを数度こすり合わせて、うぅ、と呻いた。それから凝り固まって冷たい体をぐりぐりと動かすと、むうっと眉根を寄せた。
「見たところ、子供のようだし、屋内に入りたまえ」
「はは、それには及ばないです。元から寒さには強いので、ほら」
手を握らせると、妙な顔をされた。
「冷たい。よもや、化生のたぐいか?」
「いや、そういう種族なんです。ずっと北のほうに住んでいて、でもちょっといろいろあって北ってどっちか分からなくなってしまいまして」
「へんなやつだな」
けらけらと笑う顔は、いかめしく見せかけていただけのようで笑うとくしゃりとしわができて、やわらかい印象を与えた。武芸者は武芸者なりに相応の態度をとらねばならないのだろうが、やはり似合わないほど元がやさしめの顔立ちだ。
「ああ、あんまりじろじろ見ないでくれ」
「お顔に自信はありませんか」
「いや、剣を使うのだが、あまり信じてもらえない」
いたってまじめにそういわれると、なんと返してよいか分からずに、私は水筒に入れた水を飲んだ。熱かった。
しばらく所用のため、しばらく執筆を停止いたします。予約掲載をしているためその分のストックが切れ次第更新が停止しますのでご了承いただきますようお願いいたします。
掲載を楽しみにしていただいている方には申し訳ございませんが、筆者も色々懸かっておりますので何とぞご容赦いただければ幸いです。




