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迷子

私が生まれた季節は冬であり、誕生日と言う概念が無い。一年がめぐったという暦の概念すらちょっと怪しい。他の農業地域ではまた別だろうが、私たちの生活からすれば獲物の行動原理がある程度アルゴリズム化している以上は、それを踏まえて生活すればよいためあまり年がめぐっただけで祝ったりしない。

けれど子供に対しては全く別物の対応をする。


季節が一回めぐったから、そろそろ混沌避けの儀式をさせたほうがいいだろう。

季節が十回めぐったから、そろそろ狩りに連れ出してもいいだろう。

そして季節が十一回めぐったから、そろそろ――生の洗礼を受けさせて良いだろう、と。


その日、私は剣を丁寧に目の細かい砥石で研いでいた。鈍色がちょっとくすんだ銀色、位になったところで手を止める。ぐらぐらに沸いた湯をばさりとかけて、それからすぐに布で刀身をふき取った。

欠けもさびも一切無い。


それからナイフを二本と塗り薬を仕込んだ入れ物を背嚢にしょって、クラスヴをすべて身につける。杖ははっきり言えば現地調達が望ましい。背中にしょっている剣は、私の身長には合っていないのだ。将来的にずっと使うものではあるから重さや重心になれるためにはずっと背負っていたり身につけたりするのは役に立つが、かといって今それが使いこなせるわけではない。

帯をきゅっと巻いて、食料を確認する。水に関しては雪を食べるので必要ない。食べたところで腹は冷えないし、問題は無い。とはいえちゃんと木の上に降り積もっている、誰も踏んでいないものに限るが。


「それにしても、狩りの正装でちゃんと広場に来い、って……どういうことだろう?」

こてんと首を傾げて、それからまあいいか、と広場へと足を向ける。瞬間、私は背後からの見えない一撃によって意識を失った。

聞き覚えのある「ごめん、ごめんよぉハイル。でも、父さん信じているからね!」という声に、あ、これ何かあるわ、と思いながら。



目を覚ました瞬間、私はすぐさま警戒態勢に入った。帯に差し込んでいたナイフを取り出して、そして気配が一切無いことを確認すると、荷物が全てあるかを視認する。

「携帯食料、数が減っている。四日分から一日分かぁ。あ、なんだこれ?」

背嚢の中に、見覚えの無い木の札が入っていた。そこには四つの村の長の名前と、集落を巡れという指示が書いてある。

サバイバルの基本としての食料。それから適度な睡眠。緊張状態での警戒網の張り方。村のある方角の知り方。


「……よし。まずは、今日寝泊りするところと、安全の確保かな」

この時期、風は大体こちら側、北西の方向から吹いてくる。となると、私が帰るべき村は北側。向かう先は西側と言うことになる。方向を大体覚えておいて、それから手近にあった木を下から見上げてみる。腐りもないし、枝も太い。登りやすそうだし、なかなかいい木だ。

「よい、しょっと」

白樺のように木のこぶと言うものがまるで無いので、致し方なく二つ折りにしたロープをひょいっと投げて枝に一周させる。カウ・ヒッチ、ひばり結び。携帯やカバンのストラップなどでよく見る結び方である。

そして幹に足をかけ、ゆっくりと体重をかけてみる。枝は頑丈でしなりが強いらしく、私は難なく上まで登ることができた。


「ふう」

とにかく、まずは夜を問題なく明かすことを考える。このあたりの獣の挙動から言えば全くこの場所には手、いや牙が届かないはずだし、今のところは落ちないように寝るのに慣れること。これが一番だろう。

携帯食料は今日は消費せずに、まずは計画を立てることに専念する。


第一。

とにかく生き残ること。食糧確保、安全確保が第一。

第二。

自分の場所をなるたけ把握しておくこと。迷うとかしゃれにならない。

第三。

塩が圧倒的に足らない。最悪、レバーの生食を覚悟するべきだろう。冷凍させておけばいいというが、どれだけ冷凍させておくべきなのか分からない。寄生虫が怖い。怖すぎる。運動した上での塩分の摂取は急務だと思う。


これだけの条件をそろえて村に向かえという。これはなかなか鬼畜の所業であるが、しかし、無理と言うわけではない。

あの大人たちが、正確には過保護な大人たちが、私に何の監視もつけていないわけが無い。たぶん私の実力から危険と目される獣は排除済みのはずだ。


だが警戒は怠れない。夜はその警戒網でさえかいくぐってくる獣がいるためだ。風景の中に溶け込み、そして襲い掛かってくるらしい。名前は……思い出せない。こんなことだったらいろいろ書き留めた木札をちゃんと持ってくるべきだった。


先行きが怪しいが、今のうちにしっかりと睡眠をとっておくべきだろう。私は迷わずすぐに眠りについた。

数時間ほどたって、ざわざわとした感覚で眼が覚める。気持ちが悪いほど心臓が脈打っていた。

「……落ちてない、落としてもない」

大丈夫。何も起きていない。

周りはまだ暗く、星明りも薄い雲に覆われていて頼りないにもほどがある。私はそこからまんじりともせず夜が明けるのを息を潜めて待った。薄黒くとろりとした何かが視界の端を横切り、その餌とならなかった幸運を喜んだ。


座っていた木の枝から皮を少しだけはがし、数度噛み締める。すうっとした感じが口いっぱいに広がった。ミントの味に近い。これは眠気覚ましでよく使われるもので、周りの子供たちには不評だったが私はかなり好きな味だ。

枝を降り、ひとまず朝食にしようと周りをそうっと見回す。足跡や枝が折れた痕跡から動物を探すのは割合に不得意だが、周りに強い気配は無い。すっと息を吸って、地面をダンッ!!とストンピングする。


直後、私に向かって数匹のねずみのような生き物、アッドプーレが飛び掛ってくる。最初の一匹を掴み取るように左腕を伸ばし、それから直後に続いていた一匹をつかんだアッドプーレでぶち抜くと、懐にもぐりこんできた一匹を膝蹴りで後ろまで跳ね飛ばし、そして斜め右前から跳んできた最後の一匹を膝蹴りをかました足を前に伸ばして、足裏に顔面が来るように調節してそこから地面へ叩きつける。


「よし」

これで一日分の食事は確保できた。


四匹とも気を失う程度にとどめておいたのでぴくぴく痙攣しているが、遠慮なく首を折った後にその首を切り裂いて、雪の上に押し付ける。血の匂いをばら撒かなくて済む上に雪がよく吸ってくれる。さらに肉の焼けや傷みも防ぐ。毛皮を手早く脱がすように剥いで、それから腹をばっと割いて内臓を取り出す。首尾よくそれが終わると、内臓を毛皮に包んで雪の中に埋め、すぐさま雪で手をこすって全てを洗い落とす。


方角を今一度確認し、半分走るようにしてその場を後にした。


腰に提げている肉は、血が滴っていたものの走り出すと同時にほとんど凍りつき始める。このぶんだと村は早めに回れそうだ。

……と、思っていた。


「……えーと」

ここは一体、どこだろう。


いや、本当に。





事態が急変したのは、私が何とか四苦八苦しながらも火をおこし、そして肉を焼いて食べ始めたあたりだった。肉は固く美味しくは無かったものの腹はまともに満たされたし、数日分は焼いてある。

数日は距離を稼ぐことに専念しようと、串に刺した姿焼きを回収し始めたそのときだった。


「へッへッへッへッ」

「……」

ぬるりと私の足元に、一匹の生き物が這い寄ってきた。あまりにも滑らかな動きに私の認識が全くそれを敵と認識しないでいたのだが――即座に悲鳴を上げそうな口をがちんと閉じて、そして手に持っていた一本の串をぽいっと投げる。ゲッペはそれにつられてぎゅんと向きを変え、そしてその肉にかぶりついた。私は荷物をがっとつかみ、そして串を全てがちんがちんに凍らせて匂いを薄くし、全力で走り出す。


が、すぐさま下穿きのすそを咥えられて、そして首の力だけでぐおんと振り回される。地面の位置があいまいになり、そしてふわりと宙に浮かんだ感じがする。

「ぅうッ」

固い雪上に投げ出されて、しかしながらぎりぎりで受身を取ると相手が私のことをトパーズのような綺麗な黄色の眼でじいっと見てくる。放り投げた串は咥えたままだが。

すでに他の串は凍らせてしまったのだが、彼にとってそれはあまり関係の無いことらしい。


めりめりと串ごと噛み砕き、そして粉々にして飲み込んでいた。


じっくりとその姿を見ると、どうやらココモと呼ばれる生き物のようだ。私一人を軽々と乗せて運べそうなほどの大きさで、その体にはつやめくうろこが光っているが、よくよく見ればそれは氷の塊からできている。そしてくねくねと蛇のように動く体に、猫科のように爪を出し入れできる柔らかな毛が生えた脚、そして長い鼻先にぎょろりと光る八つの目。

牙は鋭く重たく、先ほどのように私の腕くらいなら簡単に引き裂いていく。


「……しまったな」

そうこぼすも、彼(彼女かもしれない)が別段悪いわけではない。私が不用意に過ぎた。せめて警戒用の鳴子代わりの何かは用意すべきだったし、それでなくても常に剣は握っておくべきだった。

腕に手甲が欲しいと思った。せめて牙が一回でも防げれば、と。


ぐぁんっ、と空気が震えて、私の眼前に生臭い、熱い息を吐き散らすあぎとが迫り来る。凍りついた肉の刺さった串でもってがりりと口腔内を削り取ると、その舌にかちんこちんに凍っている肉がへたり、とくっついて、そして彼は悲鳴をあげた。


「あ、そっか」

冷たい氷を口に入れて引っ付いてしまう、あの現象だ。私が起こすことの無いためつい忘れ果てていたが、とにかくチャンスだ。もだえているココモのつるつるした背中に飛び乗って、そして背中にくくりつけていた長い剣を引き抜いて、そしてうろこの隙間目掛けて突きこんだ。


ぎぎぃ、という豚の悲鳴のような声が聞こえた。とたん、私の体がぐぐっと後ろへと押し流されかける。いや、足場にしているココモの体がものすごい速さで移動している。致命傷でなかったのだ。

その体に刺さっている長い剣の柄をつかんだまま、私はどこか分からぬままにその場を後にせざるを得なかった。唯一の救いとすれば、それは背嚢をしょったままだった、と言うことだろうか。


背後からハイル、という叫び声が聞こえてきたが、ココモは生半な速さではないし、今は文字通り必死なのだ、その速度は尋常なものではなかった。一昼夜ココモは駆けずり回り、そしてとうとう地面へと崩れ落ちた。私は握っている剣を離そうとして、手がひどくこわばっていることに気がついた。

ゆっくりと震える手を引き剥がし、それから何度か息をして、その冷たくなりかけの体から降りる。

「は、ぁ、っ、」

喉が渇いていた。近くの木の枝に下がっていた斜めに飛び出た氷柱を折って口に噛み砕きながら入れると、胃がひっくり返りそうになる。何度かえずきながらも水分を取り終えると、ココモの体へと近寄っていった。


その首裏から喉にかけてを貫いているが、上手く気管に刺さっていて筋肉は避けている。そりゃあ、長々と死なないわけだ、と私はもう一度ココモの上に飛び乗って、そして剣を引き抜いた。深く刺さっていたが軽々抜き取れ、それから刃についていた血を雪で丁寧にぬぐう。

「お疲れ様」

長い間体重もかけていたのだが、どうやら欠けも歪みもしていない。鞘にも問題なくするりと入っていった。妙だな、と思う。私が出立前にきちんと研いでいたのは、それが折れも歪みも欠けもするからだ。あれだけの荒行を起こしておいて、それでもなお何も起こっていないのは考えにくい。


刀身を今一度鞘から引っこ抜いてみれば、その刃に映るきらめきがどこと無く違う。これまでは灰色の曇天のようで、光を全て吸っていたのに今は何か奥の底で波打っているような、凪のようなきらめきがあった。

「……皆これを使うのには、理由が?」

けれどその問いに対しては今は答えてくれる人はいない。とにかく、ココモは一部肉を切り取って、早めにこの場所を離脱したほうがいい。彼、あるいは彼女は血の匂いを撒き散らしながら疾駆していたから、動かなくなったとなれば好機と見てくるものも多いだろう。


この場所にとどまって木の上に登る、と言うのも考えたことには考えたのだが、やはり包囲された後でどうしようもなくなると困るし、空も飛ぶ相手がいるのだ。逃げるに越したことは無い。

「……よし」

そうとなればと後ろ脚を一本骨をはずすように切り取って、そして毛皮ごとつかむ。うろこはそれなりに綺麗だし、もしかしたら金になるやも知れない。数枚引きちぎるように外して、それから一息に凍らせる。


疲れているけれど、走らざるをえない。ここはすでに危険地帯だ。

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