騒乱
『古のもの』を狩ってから数日して、私の住む集落に見たことが無い人たちがやってきた。そう、白くない、防寒着まみれのもこもこの人たちである。椎の実のようなつややかな茶色の肌はよく日に焼けているのがわかって、そしてなにより顔が真っ赤だ。
おそらくではあるが、この場所自体が日焼けをしやすい地域なのだろう。加えてこの寒さだ、さすがに当然の結果と言っていい。彼らはもじゃもじゃと生えた口ひげをじょりじょりとこすりあげ、そしてねめつけるように家のつくりを見て、鼻で笑った。
「掘っ立て小屋だってもうちっとマシに建てらぁ。ヘタクソめ」
それはちょっと考え違いであるのだが、話したところで聞いてくれるようなまともな人間かどうか、だ。一方的にやってきて難癖をつけに来たのなら、なんと暇な人だろうか。
「村の長はいるか!いるのならば話がしたい」
ネーナ様がするりと人垣から抜け出して、彼らの前に現れる。いつもは柔和であるその笑みだが、今日は一切の隙が無い。人を従える支配者の笑みだ。相手に付け入る暇すら与えないように、身を守るための笑い方。
しかし、彼らはなぜここまで来るのに数日もかかったのだろうか。私は少しばかり首を傾げて、はたと思い至った。
スニェーの民は雪に足を取られない。これもおそらく『力』が関係しているのだろうが、雪の上なら何があっても負けることはない。けれど彼らは雪に体温と体力を容赦なく奪われ、そして低い気温の中死ぬような思いをしてここまで来たわけである。しかしその先にあるのが温かい家ではなくわざと隙間風を多くした寒い家であるというのはあまり考えていなかったのだろう。
「わたくしが村長のネーナ・クシュルットゥと申しますわ。はるばるこの地までどうぞいらっしゃいましたわね」
「……若いな。本当に村長か?」
不審げな顔を浮かべて、彼らは眉を寄せる。彼らが私たちのことをちゃんと知らないと、否が応でも意識させられる言葉だ。ネーナ様も少しだけ眉を動かして、それからまたしっかりと微笑んだ。
「ええ。それで、此度は一体何があってこの地まで来られたのです?」
その言葉を待っていた、と言う風に男たちが顔を見合わせ、にやりと笑う。そしてとんでもないことを口にし始めた。
「この地を治めるシャウドルーテ様が、恐れ多くもお前たちに宣旨を下された。以後、獲れた獲物の売却金額の五割を税として納めるものとする。従わぬ場合は反乱とみなし即時派兵し、これを鎮圧するものとする」
堂々と言ってのけたが、要するに、金をよこせ、言うことを聞かなければ兵をよこすぞ、と言うことである。なかなかに無理がある計画だ。
「さようですか。宣旨書はございます?」
「ああ、ここに――」
受け取ったネーナ様は、それを一瞥して一気にばりりと引き裂いた。貴重な羊皮紙なのだろうが、ネーナ様は気にかけることなくそうして、そして地面に残骸をほうり捨てた。
「なっ……」
「誇大妄想もここまで来ると面白いと思いますわ。先代のシャウドルーテ様も同じことをおっしゃっていましたけど、それでも私たちが統治を必要としない旨を伝えれば納得していただきましたもの。即時派兵とは言いませんでしたし。けれど、今代は『なぜそうしないか』理解できなかったのですね」
そもそもが、『統治』を必要としていない。この前のように怪我をすれば手厚く面倒を見てくれるし、もし怪我をしていたところでやることはたくさんある。男女で戦闘力はほとんど変わらないし、最悪でも肉だけで食いつなぐことは十分できる。
そしてこの地は、夏以外他者の侵入を許さない。夏である今でさえ普通の人にとっては極寒なのだから、冬など推して量るべし、というものである。
つまり、攻めて来るにはこの地は得るものが無く、そして私たちの戦闘力も一緒にしてみれば大変ばかげた提案であると言わざるをえない。
「貴様ら、シャウドルーテ様に逆らうと言うのか、不敬な!派兵は免れぬぞ、良いのか!」
「あら、かまいませんわ。お好きにどうぞ」
「……今なら、娘一人差し出すだけで許してやるぞ。お前の娘くらいいるのだろう、私は寛大であるからな。さぞや美しい娘であろうよ」
ネーナ様の仮面が、ずるりと剥がれ落ちた。私はこの後の展開をいとい、耳をふさいでくるりと背を向けた。
彼らの悲鳴が聞こえた。
彼らは獣にでも食われたことになるのだろう。スニェー族に手を出そうとし、そして自分の欲望をぶつけようとした。どうせあと一、二週間で人の踏み込めぬ地になるのだし、何をやってもかまうまい。
統治とは必要に基いてされるものである。
それから私たちは東のほうにいるスニェーの民に連絡を取り、毛皮を引き取ってもらって、かわりに穀物の融通を依頼した。別の国境に面している側だからシャウドなにがしとは関係が無く取引をしている。彼らは快く承諾してくれ、そして調理法と同時に届いたのは小さめの半透明の球だった。名前はコルティーロというらしい。
「なんだろう、これ」
「……うーん……」
調理法には、蒸す、煮る、焼くと書かれていた。焼くというのはべべリアでもあまり見たことが無いし、ニチェッカはぼそぼそになって食べにくくなる。調理法としては蒸してから焼くのがいいと書かれていた。とりあえずやってみようと言うことになって、皆でネーナ様の家に集まって試行錯誤を始めた。
まず煮る。これは驚きだった。一粒入れただけなのに体積が鍋を埋め尽くすくらいに膨れ上がったのだ。そして真っ白に変わった。取り出してそれにナイフで切り込みを入れると、餅のような弾力あるものが出来上がった。
「……」
みょーん、とのばして、そして誰かが口に入れる。私も一口貰って、それからもちゃもちゃと口を動かす。普段よりもずっとあごが疲れた。味はほのかな甘みとそれからふんわり香る花の匂い。これも薔薇のような重たい香りではなく、さらりとしたいいにおいだ。
「おいしいわね。肉とあうかどうかは別にしても」
「あっちはシハーナ宗主国のほうでしょう?だから味もこんな感じなのではない?」
「でも、この味なら無理にあわせるより別にしておいて、スープに入れたほうがおいしいんじゃないかしら」
次に蒸してみる。これまた体積はかなり膨れ上がったがメレンゲのような、ふわっと消えるものになった。異常に口解けがよく、不可思議な味わいだ。これはだいぶ不評であった、というのもほとんどの人が健啖家であり、質よりも量を気にするたちだからだ。最後にその蒸したものを焼いてみると、花の香りがすっかり抜けてお好み焼きを髣髴とさせるものが出来上がった。
これは皆に大好評で、蒸した後焼くのが主流になりそうだ。
「私はあのふわふわももちもちも好きなんだけどなあ」
ちなみにもちもち派が数名いて、父も好きだったので家ではたまに食べられることになった。ふわふわ派閥は誰もいないらしい。なぜだ。
「これでしばらくは全く問題ないわね」
ネーナ様は今までの食生活でなくとも柔軟に対応するようにとそう締めくくり、皆でのコルティーロ試食会は幕を閉じた。
ちなみに生で食べようとした猛者がいたようだが、米を生で食べるような味と、噛んでも噛んでも噛み切れない触感と、それから火を通さないと割りと強めに鼻に抜ける花の香りにノックアウトされたらしく、「二度と蒸して焼いたの以外は食べない」と公言した――エヘルナである。
「だから、エヘルナはさ。もうちょっとどうしてそうなってるのかとかを考えて行動しなよ……」
「あら、ティオ。でも、これで分かったでしょう。私のような馬鹿な行動をする人はほかにいなくなったってね!」
「もう……エヘルナって、妙なところで口が回るんだから。まあいいや、とりあえず、今日は解体場に行くんでしょ?僕は数日狩の下位の集団に混ぜてもらうことになってるから、またね」
「え、あ、うん……」
ぽつりと一人寂しく残されるエヘルナに声をかけると、彼女はちょっと陰のある雰囲気で振り向いた。それから私に向かって、「どうしよう」ともらした。
「さびしい!どうしよう、生まれてこの方ずうっとティオと一緒にいたのよ、なのにどうして急に……うぅ」
幼馴染が離れてようやくなにやら自覚したらしい。どうやら、この地域では良くある恋の落ち方・気づき方らしく、横を通る大人たちがみな生ぬるい視線をエヘルナに送っている。私はぎゅむぎゅむと抱きすくめられながら、その背中をべしっとはたいた。
「私より六十は年上なんでしょう。自分で考えなよ」
「えええ!?ひどい、ハイル!エヘルナおねーちゃんって呼んでくれたときの純真さはどこにやったの!?」
そんなものはそう呼んだ後一ヶ月に渡る狼藉三昧でどこか遠くに放り投げてきているので期待しないで欲しい。その白い肢体を投げ出して、地面に転がりやだやだぁ、とごねているのを見ると、だんだんと面白くなってきて腹を抱えて笑い出す。
「ちょっとハイルー!!なんなのよぉ、もうっ」
ぷくぷくとほっぺたを膨らませているので、指でつついて空気を抜いてやると木の枝を持って追いかけてきた。ちなみにその数分後、私は捕まって延々と抱きすくめられ続ける羽目になる。
だいたい自業自得だ。
数日後、久しぶりにフィローがこの集落にやってきた。そのぎらぎらとした雰囲気は今はちょっと和らいでいて、私は彼の下に顔を出した。今度は大きな獣の皮をしょっていて、いつもの酒場にいそうな仕事人、という雰囲気よりはだいぶ凄腕の狩人らしい。
「お久しぶりですフィローさん」
「おぅ、おちび。相変わらずちっちぇーまんまだな」
「はあ、しょうがないですね、それは。だってまだ子供ですし」
「その言い訳を使う子供をはじめて見たぞ俺ァ。ま、いいか。そろそろ初狩りに出たんだろ?何を狩ったんだ?」
「……『古のもの』、でした」
ずるりとフィローの肩から毛皮の束がずり落ちてきて、慌ててよけるもその重量にあえなく潰される。ぽかんと口を開けているフィローに助けを求めると、呆然とした表情のまま引っ張り出してくれた。
「な、なんで、そうなった」
「偶然と成り行きの結果で、狩ってやろうとか考えたわけじゃないですよ。ハロリオさんが一撃食らって動けなくなったので、援軍が来ているはずの方向に誘導しようとして、……罠を仕掛けてすっころばせたんです」
「ああ、罠な、罠……って、あいつら頭は悪くねぇだろう。体もでけえし、そんな引っかかりやすいもの持ってきてもちょっとした効果しかないんじゃないか?」
「脇をすりぬけてのろまって言ったので、相当頭に来たんじゃないでしょうか」
そいつはひでぇ、と二回重ねて言われたので、さすがの私もちょっとだけむっとする。確かに大部分の手柄は父にあるが、ハロリオに関して言えば褒められていいのではないだろうか。ぶすくれていると、「そんなつもりじゃなかったんだよ。すまんな」と頭をなでられた。
「さすがにはじめての獲物が古のものとか、冗談も対外にしろってな。俺だってゲッペだったのによ、まさかこんなちびっこに抜かれるとはねぇ。それに古のものをぜんぶ焼いたんだろ、あいつ、見た目に反して肉はうまいんだぜ」
その言葉を理解して、それから頭の中で反芻する。
「えっあのお肉食べられるの!?」
まさかあの邪悪の塊のようなやつが、フィローの手にかかれば食用と。甘く見ていた。私は明らかに食材から除外していたが、それをものともせずに食べてしまう猛者を。思い返せばエヘルナもこの系譜である。
「おうともよ。ちいっとばかし味付けにコツがいるが、慣れればうんまい肉になるんだぜ、へへへ」
少年のような無邪気な笑みを浮かべながら、思い出してうっとりしているのかちょっと頬が上気している。コツをつぎつぎと話す彼の背後から、父がその肩をぽすんとたたいた。
「うちのハイルにへんなこと吹き込まないでくれる?アレは食べるためのものじゃないから。君は大体何でも口に入れるし、全くへんなことばっかり達者になって」
「あはは、すまん!ただ、ほら、ハイルがもし旅の途中で食料が切れて、古のものが出てきたら……あれだろ?火が起こせなかったら生で肉を食うしかないだろう?」
「ハイルは計画的だからそれは無いと思うし、もしそんな事になっても古のものは食べないし生で肉は食べないから」
父の最もな指摘に、フィローはがっくりとうなだれた。父は「そこで、本題は?」と畳み掛けたのだった。彼もまた気を取り直したようで、毛皮の束を拾い上げて雪を払い落とすと、「長老の家に行くぞ」と言った。




