夢幻
からり、とまたひとつ、またひとつと木が火の中にくべられていく。投げ込むようなスタイルが多かったのはご愛嬌、と言うやつだろう。私もまた一本木を受け取って、火の中にくべた。
明るい橙色がゆるゆると赤黒い体を舐め取っては、灰に還す。塵のようになったそれはさらりと白くなり、闇に浸りきっていたとは思えぬほど綺麗になっていった。そしてだんだんと火は強まっていき、私のように力を制御できる大人たちでさえも近づけぬほどになり、一昼夜かけて火は全てを舐めつくしてやがて広場には溶けた地面と、それから灰が残った。
槌を持ってきて、残った骨をも丁寧にたたき砕く。しばらくしてその作業がおわると、すでに日がとっぷりと暮れていた。皆は家に戻り、私は狩衣装のままごろりとその粉になった骨に体をうずめた。ごつごつとした地面だが、眠れないことはない。
骨を砕く作業で疲れ切っていたから、体を動かさなくなると頭が自然に意識をすら失っていく。
眠りにつく直前に見えた星空は、暗く、だが確かに明るい星がきらきらとちりばめられていて綺麗だったのを覚えている。
ゆらゆらと、炎がひらめいたような気がした。光がふわり、と舞い踊り、そして私の体にじわりとしみこむ。喉が、いつかの間抜けなことをした時のように、かっと熱くなって焼けるように痛んだ。
闇の奥に、何か人が立っているのが見える。スニェー族の人だろうというのが白髪と抜けるような白い肌で分かったが、しかしその姿は今まで私が見たこともない人の姿だった。
その体躯はすらりとしているが決してバランスの悪いものではなくて、均整が取れている。手足は長いのだろうが、長くゆったりとした白と金色を基調とした綺麗な衣装に包まれているせいで全くその全容は明らかにならない。
薔薇色よりは淡い頬は、薄く引き締まった唇を際立たせていて、前髪が目元に落とす陰が陰鬱ながらもはかなげな印象を与えていた。右の眼は銀の鏡のような底知れぬ、だが何者も拒絶して映し出さぬような色で、左目は金のありとあらゆる幸福を含んだような色をしている。やわらかく弧を描きながら肩に落ちている髪は絹糸もかくやと思うほどの艶を持っていて、美しい服の白がかすんで見えるほどだった。思春期の危うげで、少女らしい感じと青年の大人らしさとはっきりとした男の色気がちょうど交じり合って、におい立つような色香を放っている。
「あなたは、誰?」
『さあ、誰だろうな』
弾んだ声が聞こえて、私はぞくりと身震いした。聞き覚えがないはずなのに、この声が誰のものかを私は知っている。
これは、私だ。
正確には成長した私自身だ。
「その、姿は――」
『ふふ』
はぐらかされたように感じて、少しだけ神経を逆撫でされるが怒るべきところではない。その手がするりと伸ばされて、そして私の頭をなでた。温度がない。触られた、と言う感触はあるにもかかわらず。
『この齢で、あの忌々しき闇を払うか。けれど、その本質は知を求む者。お前は一体何者になりたいのだ?世界をひとつ越え、お前は一体何を望む』
茫洋とした問いだった。けれど、私はそれに対して答えるべき答えを、言葉にできない答えを持っていた。これはきっと、未来の私の感情かもしれない。だって、今までにこんなことを考えたことはなかった。ただ世界を見てみたい、旅をしたいという目的のない目的を語っていたのだから。
問われているのは、何を成すか。
いつか、こんな気持ちを抱けるようになるほど、夢中になることがあるのだと、私は嘆息した。
『そうか。混沌の子供、まずはこれまでのお前の功罪を量ろう』
しゅるり、と身につけられていた帯が風によって抜き取られ、そして殺して焼いた『古のもの』が現れた。巨大な金の天秤にふわりと浮かべられ、そしてがたん、と巨躯が載った皿が下に落ちる。
金銀の双眸が、私を射貫いた。
『――お前の過去は善に傾いている。過去の罪は雪がれた。何一つ愧じるところは無い。胸を張って生きよ。そしてその矮躯に有り余る功によってお前にこれを与えよう』
一冊の本が、中空にふわりと浮かび上がった。そして、その本を未来の私が手に取り、それを私の額に押し付ける。強烈なイメージが、私の中に流れ込んでくる。強い光を当てられたときのように、焼き付けられるような痛みが目の奥に走った。
「ぐぁあっ!?」
『次に今のお前の価値を量ろう』
すい、と自らの体が浮いて、私は妙な叫び声を上げた。はかりの上に載せられて、そしてもう一方には何かが載った。私の方がわずかに下に傾いたかと思ったが、ほとんど同一だった。これは私の側から見たものだから、はっきりとは判らない。もう一方には何を載せたのだろう。分かりたかったが、分からなかった。そしてそれを話してくれることもなかった。
『お前の価値は未だ無い。しかし、罪ではなく功でもない。全ての始まりである零である。ゆえにお前には『始まり』の隠し名を与えよう』
そのなよやかだがしっかりとした指先が、宙にすらすらと光の軌跡でもって文字を書いた。先ほど受け取った書の文字の中にあった。
その書き終えた光る文字をつん、と指先で押すと、ふよふよと漂ってきて私の体につるん、と吸い込まれる。
『最後に未来を量ろう。****をもって功とし、****をもって罪と成す。――等価である。しかし、成したものが無いわけではない。失ったものが無いわけではない。等しくつりあっているものである。お前の生は他者のものよりも高く、そして深い。そして周りをも巻き込んで、大きな渦となる。その渦の行き着く先が何であるかはおまえ自身で決めること』
すらりと指先が伸ばされた。どこからともなく取り出された滑らかな糸束を引っ張り出して、私の中指に結わえる。軽く微笑みを受け取って、その糸は私の体に染み込んだ。
『お前の生の未来に祝福を与えるならば、それは必然、縁であろう。それは善しも悪しも必ずある。しかしお前の生を必ず退屈などさせはしない。何せ、お前はすでに私を退屈させないと決まっているのだから』
……その一言で、私は目の前の『私』が、誰なのか分かった。
『さあ、目覚めるが良い。ハイル・キュクル・クェン』
どうやら全てが終わったらしい。私の意識が一度真っ暗闇にずぶずぶと沈みこみ、そしていつも目覚めるように別のところから意識が浮上する。
そういえば、『光』は闇の中に心地よさげに立っていた。夢の中だから当たり前かもしれないけれど、あの場所は『光』が最も輝く場所だと思う。だからこそ、私が聞いていた神話に違和感を覚えた。
「あ、そうか」
「ハイル?おお、目覚めたぞ!ハイルが目覚めた!」
「本当?あら、おはようハイル。……どうしたの、そんなに呆然とした顔をして」
「あ、いや、なんでもない、なんでもないよ。えーっと、いろいろと戸惑うことがあったんだけど、お父さんたちもおかしな夢を見たの?」
二人は顔を見合わせて、それからなるほどなあ、とうなずいた。
「ハイルはおかしなものを見たのよね?私は真っ白な場所に立たされて、『反省していろ』って、こんな座り方をさせられて、膝の上に重たい、ぺらぺらとしたものをいっぱい重ねたような茶色と白のものを置かれてね。それで、『読め』って言われたのだけど、そのときお母さん、まだ子供だったから、文字が分からなかったのよ!」
――いや、それは……これはどう考えても嘘だと分かる。私もそうだが、この国の言葉であれば十歳までにはある程度喋れるし、ある程度読み書きできるのだ。つまりは、あれだ。
「お母さんは知識をないがしろにしてるって怒られた、ってことだね!」
父が朗らかにそう言ってのけて、ひじでダム、と脇腹をうがたれていた。わざわざ私が言わずに置いたのに、なぜそういう墓穴を掘るようなことばかりするのだろうか。見事に崩れ落ちて脇腹を押さえている父は、やはり少しだけ間抜けに見えた。
「お父さんは?」
「ああ、父さんは……元気になるように、って隠し名を貰ったよ。ちょっと哀れみをたたえて頑丈な体も貰ったかな」
「……うん。父さんがその加護を貰えた理由が分かった気がする」
たぶん隠し名のほうは昔体が弱かったと言うことから。そして頑丈な体は失言の多い父が母の肘鉄を耐え抜けるように、と妙な気遣いをされたらしい。私もそんな憂き目に合う所だったのだろうか。
「それで、ハイルは?」
「ああ、うん、えっと、本を一冊。隠し名をひとつと、人との縁だって。良いのもあれば悪いのもあるんだってさ」
「へえ、本ね。大変ね、ハイル」
母はそこで興味をなくしたらしい。父はその後の隠し名について興味があったらしいが、基本的に隠し名は人に喋ってはいけないらしい。それを喋ると魂をつかまれたようになるから、だそうだ。
私が目覚めたため、大人たちは全力で宴を始めたらしい。保存してあった塩辛い干し肉を酒のあてに、ぐいぐいとやりだした。ニチェッカから作られているその酒は甘い飲み口らしく、女性がぱかぱかと杯を空にしていっている。子供代表のエヘルナとティオは水で割ったものをくいくいと引っ掛けて、干し肉をちびちびとかじっている。
肉のうまみというか、そういうものが凝縮されているから、確かに美味しくはあるのだが、やはり酒でないと辛いものがある。私は早めにニチェッカの煮物や焼き肉のべべリアを添えたものに目をつけて、ひょいひょいと木の皿の上に乗せていった。
もぐもぐと口に運ぶと、塩の分量がうちよりも少なくて私の好みに合うニチェッカの煮物があった。ホクホク具合はうちのものにはるかに及ばないが、それでも味付けはこちらのほうが美味しい。べべリアを添えた焼肉は、確かに美味しい。美味しいが、やはりわさびとか、マスタードとか、唐辛子とか……いろいろな辛味を知っている私からすれば、多少物足りなさはある。
生の胡椒的な辛味なのだ。
「ハイルちゃーんっ」
「ぐえ」
喉元に白い手がしゅるりと絡み付いて、私は後ろに引っ張られる。皿を安全に確保して、後ろを振り返るとエヘルナが顔を真っ赤に染めてんふんふと私の頭に顔をうずめていた。どうやらエヘルナは酒に弱かったらしい。
「これのむぅ?おーいぃーしーぃのぉっ」
「え、エヘルナ……あのねえ、ハイルはまだ三十にもなっていないんだから、酒を勧めるのはやめなよ。ごめんねハイル、食べてていいから!」
ちょっと前までは宴のさわりだけしか眠気に対抗できずに気がつかなかったが、大人たちは結構酔っ払う人と、酔っ払わない人の差が激しいらしい。ティオはエヘルナよりも確実に速いペースで開けているのに、全く顔に赤みすら出ていない。エヘルナはもうトマトを潰して塗った位には赤い。
遠くでがしゃーん、という音がした。大人たちが「やれ、やれ!」などとあおる姿が見えた。その中心に立っているのは両親だった。
「もぉ、きょうはぁ、いいたいことぉ、いあしてもらうろ!」
ろれつが回っていない。これは父だ。……そこはかとなく、まずい雰囲気しかしない。言いたいことを母に言うって何だ。何を言うんだ。父よ。
「あらぁ、何かしら」
村一番のおてんば娘、と口走ったものが即座に母の蹴りをすねに食らってもだえ苦しんでいる。すさまじいキレのある蹴りであったし、なんならしなりが入って鞭のようになって痛みとダメージが余計増すようなものだったのだが、気のせいではないだろう。たぶん、剣なしなら母のほうが強い。そして今は父がでろんでろんに酔っ払っている。
「……ミルチェット!肘鉄が、痛いッ!!もうちょっとやさしくしてぇ」
「シュエット。あなた、鍛え方が足りないのよ」
優しく気遣いのこもった手つきでその腕をつらまえて、そして滑らかに締め上げにかかった。どうやら母も多少酔っ払っているらしい、私が起きていることに頓着していないようだ。わあわあと騒ぐ中、私は水を汲んできて、そして一杯飲み干すと、ティオのそばによって行く。
エヘルナはすっかりつぶれてしまっていて、今はもう気持ちよく寝息を立てていた。ティオは私を認めるとこっちにおいで、と手招きする。エヘルナはその手をティオに握られていて、彼は「よく寝ているよね」とぽつりと言った。
「エヘルナは、弟を混沌にもっていかれちゃったから、余計に子供に対して思い入れがあるんだ。だから、よけいに子供を持ちたいと思っているみたい。かまわれたりして面倒くさいし忙しいと思うけど、あんまり嫌わないであげてくれる?」
「元から嫌いじゃないから、大丈夫」
「そう?ありがとう」
そこからしばらく会話が途切れ、かなりの時間眠っていたらしい私はあまり眠くなることもなく周りの喧騒に耳を傾ける。
「……ねえ、ハイル。僕ね、狩りとか、そういうことよりも音楽が好きなんだ。でも、ここいらじゃああんまり歌とか、無いだろう?あ、この村ではね、楽器っていう、音を奏でるものは無いから自分で歌うんだけど、舞とかも剣舞だったりするから」
「楽器、歌、か。あ、もし良かったら、旅先で覚えて持ち帰ってこようか?もしかしたら私が行く先ならあるかも知れないし」
「え!?本当、いいのかい?」
「ああ。時間はたっぷりあるし、あせらなくったっていいと思う。それに、ティオはまだ外に出られないんでしょう?」
「……ああ、うん。それに、あんまり素養が無いみたいで、できたらずっとこの場所にいたほうがいいんじゃないか、って……」
もともと持っている「力」が薄いらしい。私はちょっと考えて、それなら祭り限定で歌と踊りを披露すればいいと提案する。ここの人たちは普段がかなり質素である分、祭りの時にはものすごく騒ぐ。喧嘩も派手だ。結構危険なことであるし、それなら踊りや歌で発散させたほうがいい。
「それは良い考えかもね。うん、ちょっと悩んでいたけど、すっきりしたよ。ありがとう、ハイル」
「まあ、最後に自分が納得できれば、それが一番の形だと思うかな。それに狩りは前にポデルさんが才能があるって褒めていたから、仕事として続ければちゃんと生業になると思う。好きなことが仕事になると大変じゃないかな。毎日ずっと、それも失敗が許されないってことは、案外大変なことだと思う」
「……ハイルって時々、こどもじゃないみたい」
唖然としてそう言われ、本当に子供で無いのでちょっと決まり悪くなって笑ってごまかす。ティオはそれなりに納得したらしく、長老に聞いてみる、と言った。私はそれじゃあ、と席を離れて、家の中に戻った。
きっと私は他の人よりも選択肢が多いんだろう。そしてやりたいことも多い。ティオには上手く諦めていないように見せかけた道を示したが、私のそれは多少卑怯なやり方だったのかもしれない。
もしかしたら、彼も村の外に出られるようなそんな方法があったのかもしれないと罪悪感を抱きながら眠りについた。
夢見は悪かった。




