還らざる翼
明雄は死んだ。
見るも無残な肉塊と成り果てて。
米軍艦の乗組員は自分たちを殺そうとしたその肉塊に対し憎悪を込めて蹴り飛ばす。
「この野郎!驚かせやがって!」
しかしその時1人の人間が声を上げた。
「やめ給え!」
その声の主は戦艦の艦長だった。
彼はこう言った。
「この日本のパイロットにも、国へ帰れば愛する家族や恋人がいるだろう。彼だって諸君と同じく国家の為に命を投げ出して戦ったのだ。敵兵でも死んだら敵ではない。国家に命を捧げた英雄であり、海軍式に水葬にすべきである」
この言葉に反発するものもいたが、艦長の粘り強い説得に折れて多くはこの意見に賛同した。
そして翌日、明雄の遺体は乗組員が星条旗を基に作成した旭日旗に包まれ、礼砲5発、乗組員全員の敬礼の中、米軍最大の敬意をもって手厚く水葬された。
米軍によって正式に水葬された日本兵は、後にも先にもこれ1度きりの出来事であり、大戦後、美談として語り継がれ、多くの日本人を感動させることとなる。
日本の特攻隊員の犠牲をもってしても、態勢を変えることは出来なかった。
大本営は戦局を覆すことは無理と承知で、特攻を続けた。
無条件降伏を回避するために、国体を維持するために。
しかし、それも叶わぬ事態が発生した。
硫黄島を陥落させた米軍は、そこを拠点に帝国本土の空爆を本格化させる。
そして明雄が没したおよそ4ヶ月後・・・広島と長崎の2つの都市に原子爆弾が投下されたのだ。
制空権を失った日本は阻止する手立てもなく、やむなく無条件降伏に至ったのである。
日本が降伏してから3年後の春・・。
靖国神社に一組の若い夫婦が訪れる。それは一条と美沙だった。
美沙の腕の中には小さな赤ん坊が抱かれて眠っていた。
仁雄と名付けられたその赤ん坊の額には、生まれつき大きな痣があった。
【生キテ還レ】
その思いが叶ったのかどうかはわからない。
しかし、その痣を見た一条と美沙は、その赤ん坊を明雄の生まれ変わりだと信じた。
神社へのお参りがすんだあと、一陣の風が吹き、辺り一面に桜吹雪を舞い散らせる。
「綺麗・・」
思わず美沙がそうつぶやく。
春の風は明雄の実家にも届き、一片の桜の花びらが明け放たれた明雄の部屋にも舞い込んだ。
明雄の部屋の文机には美沙が願い事を書いた絵馬が、未だそのままに飾られていた。
【家族が元気で一緒に暮らせますように】
そう書かれた美沙の願いは長い時を超えて、ようやく叶えられたのかもしれない。
ご覧いただきありがとうございました。
この話は有名な戦艦ミズーリ号と石野節雄二等飛行兵曹の実話に、いろいろな手記からエピソードを拾い上げて構成したフィクションです。
私自身、この話に感動しましたので、小説の題材にさせていただきました。