惜別の別れ
翌日の早朝、明雄に戦闘機の移送命令が下される。
具体的には「佐世保基地より鹿児島基地へ戦闘機を移送せよ」という内容の命令だ。
移送と言えば聞こえはいいのだが、要するに自分と運命を共にする機体と一緒に特攻隊へ転属しろということである。
そのため移送命令を受ける際、鹿児島基地へ配属する旨の辞令も一緒に手渡された。
「この辞令を鹿児島基地の司令官に渡せ」
そう言われて辞令を手にした明雄は、いよいよをもって、別れの時が近づいたことを実感した。
転属する志願者は、明雄の他に10余名いたが、明雄以外の志願者はすでに着任済みとなっていた。
一条の怪我によるゴタゴタで、身代わりになった明雄1人、手続きが遅れた結果である。
空襲により抉られた地面に応急処置を施しただけの滑走路に、1機の飛行機が出発準備を整え配備されていた。
滑走路といっても、舗装はされておらず、一見踏み固められた、だだっ広い空地にしか見えない場所だ。
見送りには僚友たちが来ていた。その中には志願はしたが、選別から漏れた者たちもいる。
選別から漏れたといっても、志願したものは全員、己が意思にて志願を決意をした者たちであった。
唯一、明雄だけが特異な理由による志願なのである。
特攻を回避させるためとはいえ、上官に相当る一条に大怪我を負わせたという事実は、通常なら白眼視の対象でしかなかったが、事件が公にならなかったことに加え、自ら特攻に志願したというその一点をもって、仲間たちの軽蔑から免れていた。
明雄に対する懲罰的な特攻強要が、結果的に仲間たちの蔑視から救うといった皮肉な結果になっていたのだ。
その僚友たちより少し離れた場所で、一条と美沙が見送りに来ていた。
僚友たちとの別れの挨拶を終えた明雄は、一条と美沙に挨拶しに向った。
「いよいよだな・・」
「はい」
一条の言葉に明雄がうなずく。
「遅くなっちゃったけど、これ受け取って」
「ありがとう」
美沙が明雄に紙袋を手渡すと、明雄は喜んで受け取った。
「佐野!・・その餞別が俺たちの気持ちだ・・」
一条の言葉に『言いたいことがあるなら直接言えばいいのに』と明雄は訝りながら袋の中を確認しようとした。だが、時間が押していたのか、分隊長に出発を急かされたので別れを惜しみつつ一条と美沙の元を離れた。
明雄が美沙からの贈り物を携えて機に乗り込むと、2人の整備員がハンドルを持ってエンジンの下に待機した。
エンジン始動までの手順を滞りなく済ませた明雄は、機体の真下で待機する整備員に合図を送った。
「回せ」の合図で整備員が復唱し、エナーシャーを回し始める。
エナーシャーは重く、回すには力が必要で、ウィーという音と共に初めはゆっくりと動き出す。
その動きの惰性力に整備員の回す力がさらに加わり、やがて徐々に軽く、早くなって回転していく。
ウィー、ウィンヴィンヴィンヴィンヴィンヴィー
エナーシャーが勢いよく回り始めると整備員が「コンタクト」の合図し、、明雄がエンジンスイッチを入れる。
ドゥルン!ドゥルルルルルルルルルルと一発で点火し轟くエンジン音。
明雄はコックピットから流すように全員を一瞥し敬礼をすると、最後に一条と美沙に視線を合わせ、長めに敬礼をする。
一条も敬礼を左手で返した。
2人への挨拶が済むと明雄が操縦席に座り風防を閉めた。
操縦桿を握り、フットペダルを踏みこむと、ブフォォォォォォォォォンというプロペラによる風切り音で周囲の声が俄かに聞き取りにくくなる。
プロペラによる風は、周囲の砂埃や小石を舞い上げ、近くにいるものの身体にバチバチ当たるほど激しい。
美沙は、その激しい風に顔を顰め、なびく豊かで長い黒髪を、手で押さえながら明雄の出発を眺めていた。
そんな美沙の姿や仕草さえ、明雄には魅力的に思えた。しかし、それもやがて見納めになる。
美沙から視線を外すと、明雄はその顔をまっすぐ前に向け、フットペダルをさらに踏み込んでいく。
やがてゆっくりと動き出し、明雄の乗った機は、徐々に加速をしていく。
ドドドドドドドドドド・・・ドゥルルルルルルルル・・そんな音を発しながら進む機体は、浮いたと思った矢先に、フィーーーーンと軽い音と共に瞬く間に上昇し、そして、左右の翼を2回ほど振りながら遠く離れていった。
「美沙、あれは明雄のお別れの挨拶だ・・・わかるか?」
「うん・・・わたしたちの気持ちが伝わるといいね」
「わかるさ、きっと」
明雄の機を見送りながら、美沙はポツリと言った。
「お兄さん・・」
「ん?」
「わたし、明雄君とキスしたの」
その言葉を聞いて美沙の肩を抱こうとした一条の手が一瞬止まる。
「なあ、美沙・・」
「なあに?」
「正直に答えて欲しいんだが・・・」
「ん?」
「もし、俺じゃなく、佐野と先に再会してたら、あいつと付き合っていたか?」
問われて美沙は少し考えこんだ。
「んーわかんないなぁ・・・・でも」
「でも?」
「わたしにとってはお兄さんも明雄君も同じくらい大切な人だよ」
「そうか・・・」
一条はそう言って美沙の肩を抱き寄せた。
美沙としては一条に対して嘘や隠し事をしたくないという思いがあり、一条自身にも明雄に対して思うところがあり、それを咎めることができなかった。
ふたりは明雄の機が見えなくなるまで、そのまま見送り続けた。