班長の労い
軍警察より釈放されて以来、明雄は出立の準備に忙殺されていた。
そんな中、前の晩に一条が行ってくれた壮行会に色々と便宜を図ってくれたお礼も兼ねて、明雄は分隊長の元へと挨拶に向かう。
「佐野1等飛行兵であります」
分隊長の部屋のドアをノックして名を告げる。
「よし入れ」
「入ります」
分隊長の許可を得て入室する。
「よく来たな」
明雄の顔を見るなり、分隊長は快く迎え入れてくれた。
「それにしても・・・貴様もまたずいぶんと思い切った行動に出たもんだな」
分隊長は開口一番にそう言った。
「まったく、こんな事件を起こした奴は前代未聞だぞ」
怒っているわけではなく、呆れたような口ぶりである。
上層部はこの件を公にしたくないと、取調官は言っていたが、分隊長から上の士官にはことの真相が伝わっているようだった。
「昨夜、一条1等飛行兵曹から壮行会を行っていただき、その際に分隊長から色々と便宜を図っていただいたと伺いました。自分のような不肖者にお心遣いいただきありがとうございました」
明雄はペコリと頭を下げる。
分隊長は軽く片手を挙げて明雄を制して言う。
「一条の頼みだし、俺としても貴様にしてやれることといったら、あれくらいだからな。まあ、貴様も色々と大変だろうが頑張れ」
「ありがとうございます」
「ところで、例の一条の彼女はどうなった?」
分隊長からそう言われて明雄は昨夜のことを思い出していたが、まさか美沙とキスしましたとは言えずに分隊長に訊き返す。
「どうなったとはどういった意味でしょうか?」
「一条とはうまくやっているか?」
そう言われて、そんなことは一条自身に訊けばいいのにと明雄は思った。
「一条1等飛行兵曹ご本人に直接尋ねるのがよろしいのではないでしょうか?」
「もちろん、ヤツ自身にも訊いているが、貴様の眼から観てどうかと思ってな」
明雄から見ても一条と美沙は仲睦まじいカップルに見えた、というか、そうであってくれないと明雄が特攻に行く意味がないのだ。
「自分からみても、とても仲睦まじくみえますが・・」
「そうか・・」
「やはり一条1等飛行兵曹のことはご心配なのですね」
明雄のその言葉を聞いて分隊長は小さくため息をついた。
「・・・佐野・・」
「はい」
「一条に限らず、貴様だって例外ではない。自分の分隊から手塩にかけて育てた部下が死地に往くのは気分の良いものではないぞ」
しみじみと話す分隊長の言葉を明雄は黙って聞いて感慨にふける。
やがてトントン、と分隊長室のドアを誰かがノックする音が聞こえ、明雄は我に返った。
「分隊長、入室してもよろしいでしょうか?」
「少し待て」
分隊長は、ノックの主に入室許可を出す前に明雄に言った。
「分隊では事件のことは俺しか知らん。他の連中にはお前が特攻志願したことしか知らされていないから余計なことは口外せんようにな」
「わかりました」
分隊長から釘を刺されて明雄は承諾し部屋を出た。
班に戻ると皆が色々と声をかけてきた。
「佐野、入院してたんだって?体調はもういいのか?」
どうやら海軍警察で拘束されている間は入院していたことにされているようで、事件のことについては誰も知らないようだった。
特攻に行くということで班のみんなが気を使ってくれている中、
『事の真相を知ったら、みんなはどう思うんだろうか?』
そんな愚にもつかないことを明雄は考えたりもしたが、詮索したところで意味のないことだと思いすぐにやめた。
翌日に特攻隊に配属される明雄にとって、その日が最後の食事当番だった。
明日に備えて余計なことは他のヤツに任せろと皆には言われたのだが、自ら進んで志願したわけではない明雄にとって面映ゆい気遣いだったため、それを払拭するためにも当番に努めることにしたのだ。
「班長、夕食の準備が整いました」
「そうか、ご苦労」
「おい、佐野・・・」
机に向かい書類を作成している班長に、食事の準備が整ったことを告げたあと、呼び止められる。
「はい」
「今日の俺の夕食は貴様にやる、ありがたく食え!」
「は?」
明雄は一瞬耳を疑い、思わず呆けた顔をしてしまった。
意味の飲み込めない明雄の顔を見て班長は言葉をつないだ。
「なにを素っ頓狂な顔をしている?」
「はっ、班長の夕食をいただけるように聞えたものですから・・・・」
班長は明雄が訝るのも当然だと思い、「聞き間違いではないぞ」とつけ加えた。
「夕食は召し上がらないのですか?」
あとで難癖をつけられてはたまらないと、明雄が念を押す。
「今日は要らん」
「貴様は俺のしごきによく耐えて頑張ったからな。たまの労いと思って食え」
鬼のように情け容赦がない、と思っていた班長が労うなどと思いもよらないことだったので、明雄は正直に驚いた。
「貴様が要らんのなら、他のヤツにやる」
「いえ、ありがたく頂戴します」
班長の好意をあまり無下にしては、かえって機嫌を損ねると思い、素直に頂戴することにした。
なんだかんだで、班長も気を使ってくれているんだなぁと、明雄はしみじみそう感じた。