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還らざる翼  作者: pal
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思い出のキス

一条を見送り、部屋に戻った美沙は奥の部屋から薄手の掛け布団を持ち出し、そっと明雄に掛けた。

そのまま寝てしまうことで風邪をひかないようにとの配慮からだった。


布団を掛け終わった美沙は、明雄の寝顔を見ながら子供のころを思い出していた。


思い返せば、イジメられていた美沙を一番最初に助けてくれたのは明雄だった。

両親が亡くなった日も、慰めてくれたのは明雄とその家族だった。

そんなことを思い出し、美沙の目には自然と涙が溢れ出した。


そして再度、額の痣を指でなぞるように撫でる。

「今度は、痣じゃすまないよね・・・。ごめんね」

美沙は独り言のように、つぶやいた。


「うーん・・・」

酔い潰れていた明雄が大きく伸びをしながら目を覚ます。寝ぼけ(まなこ)を薄っすら開けたすぐ真上の視界に美沙がいた。


「・・美沙ちゃん?」

「明雄君・・・起きた?」

「・・・もしかして、膝枕してる?」

「うん」

美沙は足を伸ばして座っており、明雄の頭は美沙の太腿に置かれた状態で膝枕をされていた。


「ごめん・・・」

美沙の膝枕に気がついた明雄は急いで上体を起こそうとするが、美沙が明雄の両肩を押さえつけ、それを制した。

「いいから、そのままで・・・」


明雄は美沙の膝に頭を置いたまま訊いた。

「一条先輩は?」

「お兄さんは先に帰るって・・」

「せっかく壮行会をしてもらったのに、寝込んじゃったみたいでごめんね。先輩怒ってなかったかな?」

「大丈夫、怒ってなかったよ。それより、訊きたいことがあるんだけど」

「なに?」

「空襲の時に、お父さんたちの遺品と、お兄さん宛ての手紙を取ってきてくれたでしょ?」

「うん」

「もう一通、明雄君宛ての手紙も一緒に置いてあったんだけど、わかった?」

「そうなの?全然わからなかった」

「そっか」

「ちなみに、なんの手紙だったの?」

「知りたい?」

「まあ、できれば・・」

「子供の頃お世話になったお礼を書いたんだけど、出せないまましまっておいたんだ」

「なんで出せなかったの?」

「書いた頃には、もう1年以上過ぎていたからね、出し辛かった」

「何年経っても、美沙ちゃんからの手紙なら嬉しかったけどな」

明雄は素直にそう述べる。


「そっか」

美沙はポツリと言った。


「というか、長居しちゃってごめん。僕もそろそろ帰るよ・・・」

「もう少しゆっくりしててもいいよ・・」

「いや、そろそろ戻らないと」

そう言って明雄は起き上がる。


正直を言えば、もう少し、美沙の膝で甘えたい気持ちもあったが、それが未練につながることを心配した。

そして、美沙の部屋の玄関へと向かい、靴を履いた。


「明雄君・・」

玄関を出る間際に美沙が声をかける。


「ん?」

「額の痣・・・」

言って美沙は明雄の額の痣をその細い指先で触れ、言葉を繋げた。


「結局、治らなかったね・・・これも私を助けるためについたんだよね・・」

美沙は感慨深そうに言う。


「もう少し近くで見せてくれる?」

痣を優しくなぞりながら発する美沙の言葉に従い明雄が腰をかがめる。


ふいに明雄の頬が美沙の柔らかな両の掌に包まれたと思った瞬間、美沙の唇が明雄の唇を塞いだ。

明雄は一瞬驚き、慌てて顔を引こうとしたが、美沙の手が明雄の頬を捕まえて離さなかった。


明雄の脳裏には一条への引け目、罪悪感と背徳感があった。

しかし、それよりも美沙への想いのほうが遥かに勝り、結果、美沙のなすが儘に委ね、そのまま目を閉じ受け入れた。


美沙の唇は、思った以上に柔らかく、そして優しく明雄の唇を(ついば)むように重ねられる。

頭の中にあらゆる精神的快楽が押し寄せ、それが体中に対流する感覚の中で、その恍惚とした心地よさに明雄は溺れた。


さらに美沙の唇の隙間から漏れ伝わるものを明雄は感じたが、それは明雄にとって心の底から酔わせる甘美の蜜のように感じられるのだった。

長いような短いような時間の中、どのくらいの間唇を重ねあっていたのか正確にはわからなかったが、一瞬、美沙が吸いつくように強く唇を押し付けたあと、そのままゆっくりと顔を離す。


美沙の唇が離れたことにより、明雄は我に返ると、そのまま逃げだすように玄関を出た。


明雄の心のどこかで美沙とそういう関係に陥ってしまうことに抵抗感があった。

美沙が嫌いだったわけではない、むしろ望んでいたことなのだが、一条に対する後ろめたさがあったのかもしれない。


「こういうのは嫌だった?」

明雄の態度に不安を覚えた美沙が後を追いかけて訊く。


「そんなことはないよ、ただ、初めてだったし、少し驚いただけ」

「そっか、ならよかった」

明雄の応えに美沙は安心したようだった。


「出発は明後日だっけ?」

「うん」

「お・・」

「お・・?」

「ううん、なんでもない。それより見送りに行ってもいい?」

美沙は一瞬「お兄さんと一緒に」と言おうとしたが、一条に対する後ろめたさがその言葉を飲み込ませた。

そのことに明雄は気がつかなかったが、

「もちろん・・」

そう言葉を残して、明雄は美沙の部屋をあとにした。


美沙としては口づけという行為によって、明雄の特攻への意思が揺らぐことを期待したのだが、実際にはその美沙の思惑とは真逆の意味を明雄に与えた。


すなわち『これで思い残すことはない・・・僕は、今日の思い出を抱えて征くことができるだろう』

そう明雄は思ったのだった。


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