嫉妬
特攻隊志願の募集があった週の休日。
倶楽部では、誰々が志願した、しなかったなど、その話題で持ちきりだった。
当然、美沙にも、その話題は耳に入る。
「こんにちは、なにかお手伝いしますか?」
明雄がいつも通り、お婆さんの手伝いに行くと、美沙が顔を出した。
「こんにちは、明雄君、今日はお兄さんは来てないの?」
「今日は来ないって、言ってたよ」
「どこか具合でも悪いのかなぁ・・・?」
「わかんないけど、具合が悪そうには思えなかったな」
「そっか、ところで特攻隊って明雄君は志願したの?」
「いや、僕はしなかったよ」
明雄がそう言うと美沙はホッとしたような顔を見せる。
「お兄さんは?」
「先輩は、志願したって・・・・」
「そうなんだ・・・」
美沙は表情を少し曇らせたが、明雄は気がつかなかった。
手伝いがひと段落したところで明雄は2階に上がって休んでいた。
そこに一条の同期の先輩が話しかけてくる。
「美沙ちゃんが泣いてたようだが、どうしたんだ?」
「え?そうなんですか?」
「気がつかなかったのか?」
「僕の前ではいつも通りに見えましたが・・」
「ふーん・・・」
その先輩はしばし考えてから言った。
「佐野!お前、もしかして美沙ちゃんに一条が特攻志願したことを話したのか?」
明雄はその語気の粗さにただならぬ雰囲気を感じた。
「話しましたけど・・・それがどうかしましたか?」
「馬鹿!・・・みんなその話だけは美沙ちゃんの耳に入らないように気を使っていたのに・・」
そう言う先輩の言葉の意味が明雄には飲み込めなかった。
「どういうことです?」
「美沙ちゃんと一条は恋人同士なんだぞ!」
その先輩はハッキリとそう言った。
そして、ようやく明雄は美沙が泣いたことの意味が理解できたのだった。
「お前、知らなかったのか・・?」
明雄と一条の仲なら、当然知っていると思った先輩は驚いたように言った。
しかし、明雄にとってはまさしく青天の霹靂だった。
美沙の様子が気になった明雄は、美沙のいる台所へと足を運んだ。
「美沙ちゃん」
明雄に気がつくと、美沙は人差し指で涙を拭ってつくり笑いを見せた。
「明雄君、どうしたの?」
「あ、なんかごめんね。一条先輩と美沙ちゃんがつきあってるとか、知らなくて・・・」
明雄はバツが悪そうに謝った。
「ううん、明雄君は悪くないよ。・・・それよりずっと黙っててごめんね・・・」
美沙のその言葉に明雄は少なからずショックを受けた。
何故なら、心のどこかで、一条との関係を美沙が否定してくれることを明雄は期待していたから。
『やはり事実なんだ・・・』認めたくないことを認めざるを得ない状況に明雄はいたたまれなくなった。
「なんだ、・・・・もっと・・・早く教えてくれればよかったのに・・」
明雄は自分の感情を抑えながら、そう言うだけで精いっぱいだった。
そのあとは自分でもなにを話したのかもわからない。
気がついた時にはすでに美沙の家を出ていた。
兵舎に帰投した明雄は、その夜、悶々としてなかなか寝つくことができなかった。
『美沙ちゃんと一条は恋人同士なんだぞ!』『ずっと黙っててごめんね・・・』
一条の同期の先輩と、美沙の言葉がなんども明雄の脳裏に浮かんでは消え、眠れないまま、思い悩んだ。
一条はいい先輩だし、美沙も自分には過ぎたような女性だ。
しかも傍からみれば美男美女でお似合いでもある。
明雄は2人が大好きだし、幸せになってほしいとも思う。
心から祝福してあげたい、それは紛れもない本音だ。
しかし、そうは思いつつも、美沙に対する恋慕の想いに、明雄は苛まれた。
諦めと執着。2つの相反する気持ちの矛盾に悩み、葛藤する。
『美沙と結ばれたい』・・・・・。
意識しないようにしているが、もう一方の本音であるその想いは、心の奥底で燻り、明雄自身を焼いた。
結局、様々な思いを交錯させたまま、明雄は眠れぬ朝を迎えた。
眠れぬ朝を迎えた明雄の体調はあまり良くはなかった。
だが、罰直のまえにそんな理由は効かない。
体調管理は自己責任であるし、なによりも、連帯責任を取らされる仲間たちに申し訳ない。
そのため、明雄は必死で目の前の授業に食いついていた。
昼休みに入り、誰かが校門を指さして言った。
「誰か来てるぞ」
「女だな、誰だ?」
皆、興味を引かれ、窓辺から門の方向を見た。
「美沙ちゃんじゃないか?あれ」
一条と美沙の関係を知った、昨日の今日のことだけに、明雄は『美沙』と聞いてドキリとした。
が、そういう明雄も興味を惹かれて、目を凝らして門の外に立つ美沙を見つめた。
衛兵が美沙と二言三言言葉を交わすと、衛兵の一人が士官の官舎へと向かう。
美沙は別の衛兵によって先導され、面会室の方へ消えていった。
だが、ものの10分もしないうちに、また美沙が面会室の方から戻ってきて、そのまま帰っていった。
「今日、面会日じゃないよな?」
「だな・・・」
「誰に会いに来たんだろう・・・」
美沙が去ったあと、仲間の何人かがそう話していた。
しかし、面会に規則はあるが、時には例外もある。
特に美沙は、軍と契約して倶楽部を運営している家の孫娘でもあるし、練習生たちの受けもいいので、衛兵が気を利かして上官に特別許可を乞うてもおかしくはなかった。
結局、皆の関心は、美沙が誰に会いに来たのかに集中した。
ただそれは、なんの意外性も無く、皆の予想の域を越えなかった。
美沙が面会を求めにやってきた相手は一条だったからだ。
その後、明雄は一条が美沙から預かった手紙を教官に渡したという伝聞を聞いた。
一条に特攻を志願するように執拗に迫っていた、例の教官にである。
正確には渡したというより、教官から美沙に宛てた恋文を返したというのが正しかった。
本来なら、美沙が直接返すのが筋かもしれないが、そうできない出来事が以前あった。
それは美沙に一目惚れした件の教官が、美沙に対し執拗にアプローチをかけ、美沙は一条との恋仲を理由に教官からの贈り物や恋文は受け取れないと、直接断りを伝えに行った時のことだ。
嫉妬に狂った教官が美沙に対し乱暴を働こうとしたのだ。
幸い、その場面を一条が目撃し、制止したのだが、その際、上官である教官を殴り飛ばしてしまった。
そのため、上官に手を上げたとの理由で一条は処分されそうになったが、美沙が一条の正当性を証言すると言い出したことと、非は明らかにその教官にあったということで、結局沙汰止みとなった。
それ以来、その教官は一条に密かに恨みを抱いており、一条に執拗に特攻志願を迫っていたのもその時の確執によるものだろうというのが大方の見解だった。
そして当時の事情を知るものは皆一様に驚いた。
「あの教官は、まだ美沙ちゃんを諦めていなかったのか・・」と




