一条と美沙の諍い
一条から罰直を受けた翌日は休日だった。
「すみません、先輩」
明雄は校門で一条を先に待たせていたことを謝った。
「おう、それじゃ行くか」
明雄が待ち合わせ場所にあらわれたのをみて、一条はすぐにバス停に向かった。
それに明雄がついていくが、歩き方がどことなくぎこちない。
「もしかして、この昨日のバッターがまだ痛むのか?」
「ええ、まあ・・・」
「そっか、すまんな・・」
一条は涼し気に訊いたが、明雄がやや不機嫌そうに答えたので、素直に謝った。
「もう少し手加減してくれるのかと思ってましたよ」
明雄がそう言うと一条が諭すように言う。
「俺も当番をサボらずにやってきたお前には悪いと思っているんだ。だがな、俺とお前の仲はみんなが知っている。あそこで手加減したなんてことがバレてみろ、一条の奴が佐野に特別扱いしたと思うだろう」
言われてみればその通りだなと、明雄は思った。
「そう思われれば周囲からやっかみを受けかねんぞ」
「やっかみですか?」
「そうだ・・・。お前、このあいだ教官が俺に嫌味を言ってきたのを憶えているだろう?」
そう言われて明雄は一瞬考えた。
「んー・・ああ、先輩が特別扱いされているとか、進んで志願すべきだとか言ってた件ですか?」
「そうだ。あれだって半分は教官のやっかみだと俺は思っている」
それを聞いて明雄は素直に疑問をぶつけた。
「特別扱いされているっていうのは実際のところはどうなんですか?」
「連隊長や分隊長に懇意にしてもらってはいるが、特別扱いされた憶えはない。だが、あくまでも俺の主観だ。教官からみれば特別扱いされていたのかもしれんな」
「そうかぁ、自分も気をつけないといけないなぁ」
「お前の場合は大丈夫だろう」
「なぜですか?」
「なぜって・・・」
一条はそう言って明雄の顔をみるなり吹き出して笑った。
「わははははは・・・」
「なんなんですか、いったい・・」
明雄は不貞腐れた。
「すまん、すまん。演技なのかどうかは知らんが、このあいだの俺の罰勅に対してお前があまりにも大げさに痛がっていたのでな」
一条は笑いを堪えながら言ったが、それを聞いて明雄は恥ずかしく思い、顔を少し赤くした。
なぜなら、一条の罰勅にたいしての反応は、演技ではなく本気だったからだ。それも、一条が手加減してくれるという自分の甘さからきた油断ゆえになおさら恥ずかしかったのだ。
そうこうしている間に2人は美沙の家に着く。
「こんにちは」
そういって中に入ると、美沙が嬉しそうに出迎えてくれた。
明雄は一条と一緒にそのままお婆さんのいる台所へ向かって、手伝いをはじめる。
「佐野、それを持って来てくれ」
一条に言われ、近くのお盆を手に取る。
「これですか?」
「そう、それだ。サンキュー」
お盆を受け取ると一条は軽く礼を述べ、明雄のケツを軽く手で叩いた。
「痛ってー!!」
明雄は大声を上げて仰け反った。
「す、すまん、そんなに痛かったか?」
「昨日のバッター、メチャ痛かったんですよ」
「そうか、悪かったな・・」
その話の中に美沙が入ってくる。
「明雄君どうしたの?」
「ああ、昨日俺が佐野にバットを食らわしたんだ・・」
一条が答える。
「なんか悪いことでもしたの?」
「佐野はとばっちりを受けただけなんだけどな・・」
そう言って一条は昨日のバス当番の話から美沙に説明をした。
が、その話を聞いて美沙は憤慨する。
「ちょっと、ひどくない?」
「そうか?」
「だってそうでしょ?明雄君はちゃんと仕事をしてるのに」
「連帯責任なんだから、佐野だけやらないわけにはいかんだろう」
「お兄さんと明雄君の仲なんだから、本気で叩くことは無いじゃない」
美沙の声がだんだん荒くなり、雰囲気が怪しくなっていく。
「他の訓練生の手前、佐野だけ特別扱いするわけにはいかないだろ」
美沙には美沙の言い分があったが、それは飽くまでも感情面や人情面といった類のもので、ものの道理としては一条の言い分のほうが遥かに理に適っていた。
そのことは美沙も充分わかっていた。
しかし、だからこそ言い返せないし、自分の気持ちをわかってくれない一条に対しなおさら腹が立ったのだ。
「もういい、お兄さんとは金輪際口もきいてあげないから」
美沙は自分の感情の赴くままに任せてそう言った。
「明雄、なんとか言ってやってくれ」
美沙が意外と頑固なのは一条もわかっていたので、明雄に助けを求めた。
明雄にしても、あまりにも雲行きが怪しくなってきたため、美沙をなだめに入る。
「一条先輩も役目だからしたことだし、僕はなんとも思ってないから、許してあげてよ」
「ほんとに?お兄さんに気を使ってない?」
「使ってない、使ってない」
明雄がそう言うので、美沙も一条を許すことにした。
「じゃあ、今日だけ口をきかないことで許してあげるね」
美沙がその場からいなくなってから、一条は珍しく明雄に愚痴をこぼした。
「美沙があんなに怒るなんてなぁ・・」
「たぶん、自分と先輩の立場が逆だったとしても、美沙ちゃんは同じように怒ったと思いますよ」
明雄はそう言った。
ただ、美沙はホントに意地っ張りで、その日は一日中、一条と口をきかなかった。
これには明雄も一条も閉口したが、美沙と一条の間で連絡係をやらされた明雄は、またしても、とばっちりで罰直を受けた気分だった。