美沙の憤り
学校が終わった明雄は自宅で勉強していた。
放課後の待ち合わせに現れた一条は、美沙の父の事故の件で美沙に会うのは気が引けると言って帰ってしまっていた。
雨の中、美沙の叔母が明雄の家を訪れたのは、夕方近くになってからのことだった。
そこで明雄は、美沙の母が亡くなったこと、美沙が病院を飛び出して行方不明になったことを知る。
「まだ戻ってきてないのですが、心当たりがあれば教えてくれませんか」
聞けば学校にも戻って来ていないという。
美沙の叔母には念のため警察へ行ってもらい、明雄の家は一家総出で美沙を探す。
明雄はとりあえず学校までの通学路を探すことにした。
篠突く雨の中、学校への道のりを傘をさしてたどる。
神社の前を通りかかったとき、ふと、美沙はそこにいるのではないかと思った。
理由は無いが、なぜか明雄はそう感じた。
明雄は、少し息を整えてから水煙でぼやける境内へと足を踏み入れる。
手に持った傘に雨がバラバラと強く打ち付け、その勢いが振動や重さとなって腕に伝わってきた。
参道の中ほどで、明雄は地面に転がっている絵馬をみつける。
それは美沙が母のために奉納した絵馬だった。
雨に打たれ、文字がやや滲んだ絵馬は、飾り紐を引き千切られ、泥に汚れている。
傍の地面が小さく抉れていた。
それは、誰かに力任せに勢いよく地面に叩きつけられたことを物語っていた。
美沙がやり場のない憤りを絵馬にぶつけたのだろう。
そう思った明雄は、打ち捨てられた絵馬を黙って拾い上げる。
そして参道に沿って本堂へと歩き出した。
あれだけ一生懸命、母のために願掛けをした美沙の気持ちを考えると、明雄は切ない思いに駆られた。
人が潜めるような場所は本堂だろうと思った明雄は、本堂の格子戸の中をそっと覗いた。
だが、ご本尊がポツンと置いてあるだけで、人影はなかった。
「美沙ちゃん、どこ?」
境内に居るのは間違いないだろうと思った明雄は美沙の名前を呼んだ。
しかし何の反応もない。
本堂の屋根から滴り落ちる雨水の音だけが響いていた。
「美沙ちゃん!どこ!」
明雄は矢も盾もたまらずに、今度は大声で叫んだ。
カサッと本堂の裏で微かに物音が聞こえる。
明雄が裏に回りかけたその時、本堂の陰から美沙が現れた。
「美沙ちゃん」
明雄は急いで美沙に駆け寄る。
しかし、雨に打たれ、うつむいたまま視線を落とした美沙からは、いつもの元気は微塵も感じ取ることはできなかった。
「みんな心配してるよ。帰ろう・・・」
明雄は微動だにしない美沙の手を取る。
「帰らない・・・・。帰りたくない。」
だが、美沙はその手を振り払った。
「なんかおかしいなって思ってた・・・明雄君だって、お兄さんだって、なんか普段と違うし、同級生の友達もみんなよそよそしくて、もしかしたらみんなに嫌われて、またイジメられるんじゃないかって、心配もしてた・・・けど・・」
美沙の表情は悲しみに満ちていた。
「こんなことなら、みんなに嫌われたほうがまだマシだったよ!イジメられてるほうがまだ救われたよ!お父さんが・・・いなくなる・・なんて考えたこともなかった・・・・・。お母さんだって、いつかはきっと、元気になる・・・そう、願っていたのに・・・。お父さんは必ず戻るって!お母さんは元気になるって!神様にだってお願いしたっ!お願いしたのにっ!」
美沙は、自身の憤りを吐露したことで、感情の高ぶりを抑えることができなくなった。
「なのに、お父さんが死んだ。お母さんも死んじゃった。・・・死んじゃったんだよ。いったい、わたしがなにをしたって言うのよ!なんでこんな目に合わなきゃいけないの!なんで・・・!」
美沙の大きな瞳からポロポロと大粒の涙がとめどなく零れ落ちる。
明雄は傘を投げ捨て、美沙の頭を優しく抱きしめた。
美沙は明雄の肩の上に顔を埋め、大きな声を上げながら泣き崩れる。
明雄はもらい泣きしながらも、どうすることも出来ない自分を悔しく思った。
同時に、この時初めて自分が美沙を好きになっていたことに気がついた。
美沙の泣き声と二人の姿は、激しく降る雨の中でかき消され、誰にも知られることはなかった。