孤児美沙
病院に到着すると、美沙はタクシーを飛び出し、母の病室へと走り出す。
「お母さん!」
母の病室駆け込むと、医者や看護婦が大勢いた。
「お母さんを助けて!お願い!」
そばにいた医師や看護婦に美沙は哀願する。
「・・・いろいろ手を尽くしたのですが、お母様は今し方お亡くなりになりました・・・」
医者が美沙にそう告げる。
美沙は絶望感にとらわれながら、母に触れる。
母の躰はまだ暖かかった。
「お母さんが死んだなんて嘘だよ!だって、まだこんなに暖かいんだよ?」
医者や看護婦に食って掛かる美沙を、あとから来た叔母が後ろからハグするように押さえる。
「叔母さん・・・?」
「みんなお母さんを助けるために頑張ってくれたのよ。あなたがそんなことじゃ、お母さんも安心できないでしょ」
「叔母さんまで、そんなこと言うの? 今ならまだ助けられるかもしれないでしょ?」
美沙はそこでハッと父を思い出した。
「お父さんは・・?お父さんを呼ばないと・・・」
父ならきっとわかってくれる。母を助けるようになんとかしてくれる。美沙はそう思い、父を呼ぶように言った。
しかし、みな押し黙り、うつむいたまま動くものはいない。
「なんで、お父さんを呼んでくれないのよ!」
激昂する美沙。その表情は必死さで今にも泣きだしそうになっていた。
「お母さんの手だって、まだこんなに暖かいのに」
そう言って触れる母の手元の小さな白い巾着に気が付いた。
母が大事なものを肌身離さずにつけておくための巾着だった。
母の手元からそっと巾着を取り出し、中身を出す。
その中から、美沙のお守りと家族の写真が出てきた。
「お母さん、わたしのお守りを宝物にしてたんだ・・」
美沙は母にあげたお守りを見てそう言った。
そして家族の写真。若い父と母、そして母に抱かれた赤ん坊の美沙。まだ母が病気になるずっと以前の写真だ。
「・・・・なにこれ?・・・・」
巾着の中にもう一つ、何か紙切れのようなものが入っていた。中から美沙が取り出すと、それは新聞の切り抜きだった。
そこには【帝国海軍、演習中に事故!】の文字と、死亡者リストに美沙の父の名前と写真が載っており、美沙の視線は、その新聞に釘付けになった。
さらに病室のテーブルに置かれている骨壺と位牌に気がつく。
「・・・嘘・・・・どういうこと?」
周囲を見渡し尋ねる美沙。
「嘘・・だよね?」
だが、皆視線を逸らす。それがますます真実味を与え、美沙は隠し切れないほどの大きなショックを感じた。
「どうして嘘って言ってくれないのよ!」
美沙はそう大きな声で張り叫んだ。
そして、『きっと間にかの間違いだ』そう考え、美沙がフラフラと病室を出ようとする。
「美沙、どこに行くの?」
叔母が訊く。
「海軍へ・・・お父さんのところに行かなきゃ・・・」
「待ちなさい、美沙!」
叔母が引き止めようとするが、それに必死で美沙が抗う。
「あなたのお父さんは、もう海軍にはいないのよ!」
「なんでよ!お父さんのお葬式だって知らないのに、なんでこんなことが信じられるのよ!ラジオが壊れたって話も嘘でしょ?なんで最後にお父さんに会わせてくれなかったのよ!」
厚い黒雲に覆われた空から、ポツリ、ポツリと雨が降り出し始める。
「あなたにお父さんのことを伝えない、お葬式に出さない、と判断したのは、あなたのお母さんなのよ・・・」
「お母さんが?」
「みんな、隠し通すことは無理だからって言ったのよ。お母さんは悩んでいたけれど、どうしてもあなたに事実を伝えられなかった」
叔母の言葉のあとに、看護婦の一人が進み出て言った。
「お母様は、美沙さんのために病気を治そうと努力されてました。お父様に先立たれ、自分までいなくなれば、美沙さんが独りぼっちになってしまうと心配されて」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
その言葉を聞き、美沙は、持て余す感情の矛先がわからず、病院を飛び出してしまった。
「美沙!」
叔母も追いかけたが、美沙に追いつくことは出来ず、見失ってしまった。
叔母は、病院には、美沙が戻って来た時に、また海軍には美沙が訪ねてくることがあった場合、連絡をもらえるよう依頼をして、一旦帰宅する。
降りだした雨は徐々に強くなりはじめていた。




