悲報
美沙の母のもとに悲報が届いたのは、事故から丸2日経過したあとだった。
遺族への報せが遅れた理由は、海底に沈んだ艦を引き上げるのに時間がかかったこと、また、この事件を公にするか否かで軍内部の意見がまとまらなかったことが大きかった。
当然その間、緘口令が敷かれるが、このような大事件を隠し続けるわけにもいかず、秘密裏に遺族への報告が行われた。
美沙の母の病室へ"お見舞い"と称して海軍関係者が現れたのは午前10時半ごろだった。
それまで、夫の上司や部下がお見舞いに来ることもあったので、不思議とは思わなかった。
だが、そういう時は必ずその場に夫が自分と同席していたのだ。
そこで美沙の母は、夫がいないことに不信感を抱く。
「あの・・夫は、病院には来ていないのでしょうか?」
「木下大佐は、本日こちらにはお見えになっておりません」
大佐と言われたことに、違和感を感じた美沙の母は、その関係者を名乗る人物に問う。
「あの、失礼ですが・・私の夫の階級は少佐と存じ上げますけど、どなたか別の方とお間違いではありませんか?」
「失礼いたしました。木下少佐は、おととい午前11時、訓練中の事故で殉職。2階級特進なされ、大佐となられました」
その軍関係者は美沙の母に敬礼すると、事実を淡々と述べた。
美沙の母は、なにを言われたのか、にわかには理解できなかった。
長い沈黙が流れ、時計の音がこだまする。
チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、・・・
「あの・・・いま・・・なんて仰られたのかしら?」
聞き返す声が上ずり、美沙の母自身、指先が微かに震えているのが自分でもわかった。
軍関係者は再び、事務的に事実を述べ始める。
「木下少佐は、おとといの午前11時ごろ、訓練中の事故で殉職・・・・」
「やめてっ!」
美沙の母は、そこで目をきつく閉じて耳を塞いでしまった。
『あの人が殉職?・・・殉職って?・・・・死?・・・亡くなった?・・・・なんで?・・事故?』
美沙の母は頭の中で目まぐるしく思考する。
「嘘?・・・よね・・・?」
普段、理性的である女性の姿はそこにはなかった。
「・・・事実であります・・・・残念ながら・・・」
その軍関係者はそう述べると、口惜しそうな表情で口を結び、視線と落とした。
その言葉と表情に、事実を確信した美沙の母は思わず手で口を覆う。
悲鳴に似た声が漏れることはなんとか抑えた。
だが、ボロボロと零れ落ちる涙はとどめようがなかった。
しばらくの間、美沙の母はさめざめと泣いた・・・。
やがて・・・。
「ケホッ、ケホッ、ケホッ、」
件の報告がストレスとなったのか、美沙の母の咳が止まらなくなり喀血が起こる。
「先生・・!」
近にいた看護婦の一人が慌てて医者を呼びに走った。
応急処置の間に、美沙の母は尋ねる。
「コホッ・・ゼィ・・・娘に、コフッ・・このことは?・・ケホッ、ケホッ」
「まずは、故人のご両親、および配偶者に連絡せよ、との命令ですので、ご息女にはまだ申し上げておりません」
「・・・娘・・には、コフッ・・ケホッ・・言わないで・・・ゴホッゴホッ」
「承知しました」
それを聞いて安堵した美沙の母は、医者から処方された鎮静剤によって眠りについた・・・・。
眠りから目覚めた時、軍の関係者を名乗る人物はすでにいなかった。
『これから、どうすればいいのだろうか・・』
悲観にくれながら、いろいろ思案に暮れる。
取り急ぎ考えなくてはいけないことは、美沙に言うべきか、言わないべきか。
言うなら、どのように伝えるべきか。
殉職ということであれば、葬儀の主催は海軍が行うだろう。
となると、こちらの都合で物事は動かない。
夫の葬儀のことまで考えれば時間に余裕はなかった。
美沙の母はまず夫の実家へ連絡をする。
夫の父である義父はすでに鬼籍に入り、義母が一人で暮らしていた。
義母は「なにかあったら、うちへ来なさい」が口癖の人だった。
義母へは軍部よりすでに連絡が入っており、愛息の悲報に落ち込んでいたが、それよりも美沙の母である幸子と美沙のこれからを心配しているようであった。
「義妹夫婦には私から連絡しておくから」
そう言う義母にたいして、義妹夫婦から美沙に夫の死が伝わるのではないかと不安を伝えた。
「いずれ、わかってしまうよ」
義母はそう言ったが、どうしてもという美沙の母に根負けし、最終的に義妹夫婦に協力をお願いした。
結局・・・・美沙に事実を伝えられず、父親の葬儀に美沙を出席させる決断はできないままだった。