一条
朝食後に支度をして教室に入る・・・・。
『痛てぇなぁ・・・・・』
初めてのバッターの味に身悶えた明雄だが、教室で椅子に座るのも難儀だった。
叩かれた尻が椅子に触れるだけで悲鳴を上げる。それでも我慢してやっと席に着く。
授業開始まで30分あるが、その時間は予習時間となる。
明雄が予習に取り掛かる準備をしていると、1人の人間が教室を訪ねて来た。
その恰好のよい青年は一条といった。
彼は明雄の中学の先輩であり、幼馴染でもある。
「一条さん!」
見覚えのあるその顔に明雄はつい安堵の表情を浮かべた。
「よう」
そう言って片手を挙げながら挨拶する一条は、「様子を見に来た」と言って笑う。
「お陰様で合格できましたよ」
「早速、しごかれた様だな」
そう言って一条は明雄の尻をピシャリと引っ叩く。そのせいで、せっかく引っ込んでいた激痛がぶり返す。
「痛ッー!」
明雄は思わず腰を前にだす格好で仰け反る。
「なにするんですか!先輩!」
尻を抑えながら、明雄が声を荒げる。
痛さのせいで目には薄っすら涙が浮かんでいた。
「すまん、すまん」一条は笑いながら謝った。
「俺も始めはかなりやられたので、ちょっと悪戯してみたくなった」
「勘弁してくださいよ、洒落にならない痛さなんですから」
そう言って若干、不貞腐れる明雄に対して
「帝国海軍の飛行兵を目指す人間がそんな情けないことでどうする」と、茶化すように笑いながら言った。
ひとしきり笑ったあと、少し間を置いてから、やや真剣な表情をみせると
「ああ、それでな・・・・」
と前置きした上で、一条は先輩として明雄達の指導を任されていることを告げ、さらに、
「鉄拳やバッターなどの制裁も加えることが許されているので、殴られんように注意しろ」と明雄に釘を刺した。
「脅かさないで下さいよ・・・」
「脅かしてるつもりはない、入隊した人間がいざという時に役に立つようにするのがここの役割なのだから、当然のことだ」
「ただ、中には指導にかこつけて、後輩いびりをする奴もいることは否めん・・・」
「まあ、お前にだけは幼馴染の好で、先達として知り得た助言はしてやるから、なにかあったら俺に聞きに来い」
尊敬する一条の助力の明言は、入隊間もない明雄に非常に心強い安心感をもたらした。
明雄は一も二もなく「はい、なにかあったらすぐ先輩に相談させてもらいます」と即答した。
それを見た一条は満足気にうなずいた。
「それから・・・・・・」と、一条がさらに話を続けようとした矢先にどこからか怒鳴り声が聞こえた。
「コラッ!貴様らいつまでくっちゃべっとるか!」
明雄が声の方に目を向けると、そこには鬼のような形相をした教官がいた。
同じく一条が振り向くと、教官はやや驚いた素振りを見せた。
「一条か・・・貴様もさっさと戻れ・・」
声のトーンがやや落ち、それでも自らの威厳を保とうと、その教官は一条に命令する。
明雄にはその理由はわからないが、明らかに自分に対する態度とは違っていることだけは感じ取れた。
「すみません、先輩。そろそろ戻ります」
「おう、じゃあまたあとでな」
いずれにせよ、教官の機嫌を損なうことを恐れた明雄は、一条に断りを入れ、教官に敬礼して教室に戻っていった。