お見舞い
「じゃあ、これから一緒に行こうか」
「今日からご一緒してくれるんですか?」
「うん、また帰りにさっきの連中と会ったら嫌でしょ?」
一条がそう言うと美沙はコクンとう頷いた。
そこで、3人は一緒に、美沙の母親の入院先に向かう。
美沙はいつもバスで移動していたが、この日から徒歩になった。
30分ほどの道程でお互いに色々と話をした。
初めに話題に上がったのは一条についてで、切り出したのは明雄だった。
「一条さん、強いですね、ビックリしましたよ」
「大したことじゃないよ」
「いやいや、凄かったですよ、ね?木下さん」
「うんうん、あっと言う間に倒しちゃったもんね」
明雄の素直な感想に美沙も同意した。
「なにか習ってるんですか?」
「小学校の5年まで柔道をやっていたんだ」
「へぇ~」
「今はもうやってないんですか?柔道・・」
「中学の受験があったから、やめたんだ・・」
ここで美沙が話に加わってきた。
「やめちゃったんだ?もったいない」
「せっかく強いのに」
「ね~」
「ね~」のところだけ、明雄と美沙がお互いチラ見しながら同時に発声した。
その、おちゃめな様子が一条には可笑しかった。
「ところで、木下さんのお母さんは、どこの病院に入院してるの?」
「国立療養院です・・」
「そこって結核の病院じゃなかったっけ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
母の病気が理由でイジメられたことが、心に影を落とし、美沙は嫌われるのではないかと思い、一条との会話の中で突然口を噤んでしまう。
「どうしたの・・・?」
一条にしてみれば、美沙がイジメられていた理由を知る由もないため、悪気があった発言ではない。もとより、それを理由に美沙への態度を変えるなどということは思いもよらなかった。
ただ、明雄は、美沙がイジメられた原因を知っていたので、美沙が黙した理由をなんとなく理解できた。そこで、明雄は無理やり話を逸らした。
「ああ、そうだ!木下さん「こっちに来た初日に、一緒にいた木下さんのお父さんが軍服着てたけど、あれって海軍の軍装?」
「え?あ、うん、そう」
急に意図しない話題を振られた美沙は少し戸惑ったが、話題が逸れたことに少し安堵した。
「階級は?」
「お父さんは海軍の大尉・・じゃない、少佐になったんだ」
「少佐なんだ、凄いなぁ・・・」
明雄が感嘆する横から一条が加わる。
「お父さん、海軍の佐官?すごいね」
「うん、でも、凄いことなのかな?」
「凄いと思うよ」
一条が目を輝かせて昂揚する。
明雄も同意して「うんうん」頷いていた。
自分の父があまりにも褒められるので、美沙はこそばゆいような、誇らしいような、そんな気持ちに駆られ、少し嬉しかった。
「僕は将来、戦闘機乗りになりたいんだよね」
どこか遠くを見据えるような瞳で、一条が言う。
そこに、一条があんなにも昂揚した理由があったのだと、明雄は感じた。
やがて美沙の母の入院先に到着する。
到着先が一条の指摘した通り、結核患者の病院兼、療養所だったので、到着直後に明雄と美沙は一条の反応を気にしていた。
だが、特に変わったことはなく、受付で来院者名簿に記帳して中に入る一条を見て、その心配がただの杞憂に過ぎなかったことがわかると、2人は胸を撫でおろした。
「僕はここで佐野君と一緒に待ってるよ。いきなり僕ら2人が一緒だとお母さんも驚いちゃうでしょ?」
明雄には思いつかなかったが、確かにいきなり顔を出しては美沙の母も驚くだろう。こういった気遣いができる人なんだなと、感心した。
「じゃあ、ちょっとお母さんに訊いてくるね」
そう言い残して、美沙はいつも通り母の病室に向かう。その間、明雄と一条は待合室の長椅子に座って美沙を待つことにした。
美沙の姿が階段の影に隠れるのを見計らって、一条が明雄のそばに体を寄せて小声で囁くように話しかける。
「佐野君、さっき、木下さんが、黙っちゃった理由ってわかる?」
「さっきって、ここが結核の病院だと訊ねたときの話ですか?」
「そうそう、急に黙り込んだと思ったら、君が話題を逸らしたので、気になったんだけど」
『ああ、バレバレだったか』
明雄はそう思い、正直に事の顛末を話した。
「じつは、木下さんは結核が感染ると言われてイジメられていたんですよ」
「それで言い難かったんじゃないかと・・・」
「そうだったのか・・・・・なんか悪いことを聞いてしまったかな」
「ここに着いたときに、木下さんは一条さんの反応を気にしてたようですが、嫌がる素振りを一条さんがしなかったので、大丈夫だと思いますよ」
「嫌がる?僕が・・・?なんか心外だな・・・」
「それだけ木下さんが傷ついたってことなんじゃなぃ」
「しっ」
言い終わらないうちに一条が明雄に喋るなというジェスチャーをした。
「やあ、どうだった?」
一条が明るい口調で話すその先、つまり明雄の背後に美沙が戻って来た。
「お母さんが会って挨拶したいって・・・」
「そう、それじゃご挨拶に伺いますか・・・・・佐野君、行こうか」
「はい」
美沙に導かれるまま明雄と一条は病室に向かった。
病棟の一角にある個室の扉をコンコンと美沙がノックして開ける。
「お母さん、連れてきたよ」
美沙が母にそう告げると、一条が明雄に先に入室するよう促したので、明雄が先に、続いて一条が入室した。
「こんにちは、はじめまして。美沙の母です」
美沙の母が自己紹介すると、美沙が明雄と一条を紹介する。
「えと、こちらが佐野君、こちらが一条さん、2人とも私が困ってるところを助けてくれたの」
イジメにあったとは美沙は言わなかった。美沙自身が言いたくなかったこともあるが、病床にある母に心配させるようなことはとても言えなかったのである。
「そう、美沙がお世話になっているそうで、仲良くしてあげてくださいね」
そう言って、美沙の母が明雄と一条に軽く会釈をした。口元はやや軽く口角が上がり優しく微笑んでいるように見えた。
美沙に紹介された明雄と一条は、それぞれ挨拶をすると、少しの間だけ会話をした。
明雄は美沙のクラスメイトということもあり、美沙が普段どう過ごしているかを美沙の母に尋ねられたが、緊張していたため、なにを話したか憶えていなかった。
ただ他愛もない世間話をした。ということしか記憶になく、その日は病院をあとにするのだった。




