第一話 私は生まれ変わったのだ
気が付いたら私は赤ん坊だった。
どんなに考えても私の最後の記憶は、病院で家族に囲まれて往生して目を閉じたところまでで、決して産道を通って生まれてくるところではなかったはずなのだ。だというのに、私は赤ん坊になって「おぎゃあ、おぎゃあ」と生まれたところだった。
私の記憶を辿っても、知識を探っても、赤ん坊はこんなに明らかに思考を巡らせるものではないはずで、しかしながらそれをしている私は確かに存在していて、自らを赤ん坊であると認識することも出来ている。これはどう考えても異質であり、これが前世の記憶を持って輪廻転生を果たした結果だと帰結させるのは早かった。
暗い中で苦しいと藻掻く時間は長く、それは死に向かう苦しみだと私は初め認識した。それが終わったときには目が潰れんばかりの光と大きな不明瞭な物音、あまりの明るさにようやっと死が訪れ、流れるように天国へ行き着いたのだとばかり思ったが、ガヤガヤとした雰囲気となんらかの処置を施される様子に、もしかしてまだ私は病院にいて、蘇生されたのではないかと戸惑っている内に光に目が慣れた周りの様子にそれが天国などではなく、どこかの部屋だと気が付いたのは知らぬ女性の腕の中でだった。
「はじめまして、私の可愛い子」という台詞に、一体この女性は何を言っているのかと思ったが、喋ろうとする私の口から「おぎゃあ、おぎゃあ」という泣き声しか出ないことで自分が赤ん坊になっているのではという疑念を抱き愕然とした。
それが確信へと変わったのは直ぐだった。この出来事は今でも自分にとって一番の衝撃で、そして生涯をかけて行っていく事象へのきっかけになったのだが、私を抱くまだ若く美しく聡明で思慮深そうな女性が何の迷いもなく、乳房を露出させ私の口に突っ込んできたのだ。その衝撃たるや説明のしようもなく、目を白黒させ固まる私に女性は平然と、「ほら、お乳を吸ってちょうだい」と言い、ぎゅうぎゅうと咥内に容赦なく母乳を流し込んできた。それに抵抗感を示しながらも飲み込まざるを得ない状況に、これは私が赤ん坊になったのだと理解した。
初乳を与え終わったの見るや周りの大人達が「女王陛下、おめでとうございます」「可愛らしい姫様ですね」と口々に恭しい祝辞を述べ、母親らしい私を抱き上げている女性が女王であることを知った。そして同時に自分が女に生まれ落ちたことも同時に自認した。
転生する前、つまり前世の私は男であった。生まれたのは戦中であり、若い時分は随分苦労した。それでもなんとか生き、死ぬときはひ孫の世代まで病室に集まりその最後を看取ってもらった。それが幸せと呼ばず何というのだろうか。
八十余年も男として生きた自分が今更女に生まれ変わって、どこをどう間違ったのか前世の記憶そのままでいることがどれだけ苦しいことか想像だにしていなかった。衝撃と動揺は我が身を襲い、それはしばらく私を苛んだ。「さあ、ご飯の時間ですよ」という言葉を聞くまでは。
先ほど初乳を迎えたばかりだというのに、実際には思考に落ちていた事を考えればそれなりに時間が経過していたのだろうが、非現実的で理解しがたい現状について考察をしている私にとってその時間はあまりにも短かった、すぐに次の授乳時間が来て、また無理矢理に乳房を口に放り込まれ、飲みたくないなどという我が儘も通るわけがなく、ぎゅうぎゅうと液体を流されれば嫌でも嚥下する。その苦痛は男が女に転生することなど可愛らしいことのように思った。
その羞恥と説明出来ない屈辱に苦悩している間にまた次の授乳が来て、その時にはもう無心になることを心懸け、疲れた頭で(――そうか、記憶があると人間は耐えがたいために前世の記憶なく輪廻転生をするのだ――)と妙に納得した。