大きな煮卵
宇宙の片すみに、大きな煮卵があった。つやつやとして、味のよく染みた煮卵だった。
煮卵の周りを、小さな昆布やちくわぶ、大根、餃子巻きなどが回っていた。みんな仲が良く、だしは何が良いか、からしはつけたほうが良いか、そんな話でいつも盛り上がっていた。
煮卵は、みんなでゲームをするのが好きだった。通りかかったラーメンになるとを放り込んだり、隣の銀河にちくわを発射したり、煮汁で流星群を作ったり、毎日のように遊んだ。
ところが、具材たちはいつまでも綺麗に回っていられるわけではなかった。水分量が変わるにつれて、公転周期が乱れてきたのだ。煮卵のほうも、完全な球体ではなく卵型なので、安定した重力を保てなかった。
「ねえねえ餃子巻きさん、カレーライスの星で面白いアニメが流行ってるよ」
「ちゃんこ鍋の星で画期的なダイエット法が見つかったらしいよ」
具材たちは少しずつほどけ、煮卵から離れていった。いつも煮卵のそばにくっついていたタコの子供も、親に連れられてカルパッチョ団地へ行ってしまった。
「寂しいなあ」
煮卵はつぶやいた。でも、誰も聞いていない。何しろここは宇宙の片すみなのだ。一人でいるのは気楽だけれど、話し相手が欲しかった。煮卵は転がったり逆立ちをしたりして、ひたすら時間をつぶした。
そこへミウがやってきた。シニヨンに結った髪と白い肌は、生まれたての星のように目立っていた。煮卵はぴんと背筋を立てた。
「こんにちは。この煮卵に何か御用かな?」
「あの、すごく美味しそうだなと思って。食べてもいいですか?」
煮卵は驚いた。今までいろいろなものが不時着してきたが、そんなことを言われたのは初めてだ。
ミウは煮卵の上に腰を落ち着け、殺風景な宇宙を眺めた。
「何もないんですね」
「前は賑やかだったんだよ。ふわふわのほかほかで、いいにおいがしてね」
思い出すと寂しくなってきた。ミウは煮卵に顔を寄せ、目を閉じた。
「あなたも、ふわふわのほかほかでいいにおいですよ」
「そうかい?」
「はい。美味しそうです」
どうしても食べたいらしい。長い間宇宙を漂ってきて、ゼリーのような携帯食しか口にしていないのだろう。
「食べてもいいよ。ただし全部はだめだ」
「本当ですか? いただきます!」
言うが早いか、ミウは煮卵の頭にかぶりついた。白身をつるっとかじり取り、穴に顔をうずめる。暖かい煮汁があふれ、懐かしい具材たちのにおいが蘇ってくる。
華奢な外見に似合わず、ミウは猛スピードで煮卵を食べていった。綺麗に上から削るように、白身を黄身を均等に食べていく。
「おい、そんなに食べたら」
「え? 何ですか」
「いや、その……喉に詰まらせるぞ」
なくなってしまう、と言いたいところをぐっとこらえる。器の小さい煮卵だとは思われたくなかった。
「大丈夫。私、喉は丈夫なんです」
ミウはさらに食べ始めた。黄身はかなり固く茹で上がっているが、むせることもなくどんどん口に含んでいく。
「ふう。さすがにお腹いっぱい」
ミウの腹は卵のようにぷっくり膨れている。かたや煮卵は半球形になり、断面は真っ平らだ。白身と黄身が見事な二重丸を作り、ミウはその中心に座った。
「ごちそうさま。しばらくここにいていいですか?」
「もちろんだよ。きみのことを教えてくれ」
ミウは青い屋根の家に住んでいたこと、屋根に登って星を見るのが好きだったこと、兄は星を追いかけて帰ってこないこと、気づいたら自分も宇宙を漂っていたことを話してくれた。人の話を聞くのは久しぶりで、煮卵は嬉しかった。
煮卵も、かつての仲間や通り過ぎていった食材たちの話をミウに聞かせた。ラーメンになるとを放り込んだところまで話したら、ミウは首を振った。
「ラーメンにはお餅を入れたほうが美味しいのに」
「餅を入れるのはうどんだろう」
「そんなこと、決まってません」
そんな調子で、二人はゆったりと話しながら日々を過ごした。ミウは煮卵の上で眠ったり、表面を少し食べたり、時たまやってくる流れ星をつかまえて飾ってくれたりする。
ある時、赤い流れ星がやってきた。燃えるような勢いで近づいてきて、煮卵に衝突するかと思いきや、直前で止まった。それは星ではなく、赤いジャージを着た男だった。
「ミウ、こんなところにいたのか。探したぞ」
男の髪と目は黒々と光り、声は何ともいえない緊張感を帯びている。煮卵は居心地が悪くなった。
「行こう。オクラ特急がもうすぐ出る」
「私、行きません」
ミウはさらりと言った。
「まだお腹が重いし、ここが好きだからゆっくりしていたいの」
煮卵は驚いた。こんな宇宙の片隅に、ミウが好きこのんでとどまっているとは思わなかったのだ。しかし、赤ジャージの男はそれほど驚いていなかった。
「そうか。後でまた迎えに来る」
「無理しなくていいですよ」
「いや、迎えに来る。じゃあな」
男は名残惜しそうに何度も振り返り、赤い光の尾を引いて去っていった。あんなに速く飛べる人間がいるとは、と煮卵は感心した。
「本当に良かったのか。あいつ、仲間なんだろう」
「知らない人です」
ミウはこれまたさらりと言った。たまたま見かけた星座を知らないと言うような調子だった。
「じゃあどうして君を迎えに来たんだ」
「わからない」
ミウはあくびをし、煮卵の上に寝転がった。すぐに寝息が聞こえてくる。
煮卵は考えた。あの男が戻ってきたら、ミウは行ってしまうのだろうか。それともここにとどまってくれるのだろうか。この宇宙の片隅に。
半分になった煮卵には、ミウの重さがしっくり馴染んだ。ずっと昔からこうしているような気さえしていた。
それでも煮卵は、どこかでわかっていた。
あの男が来る前に、ミウは煮卵を食べ尽くしてしまうだろう。