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アイアンハート  作者: 一花八果
序章:『弄ばれる運命』
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第六話:『三枚の金貨』

 ――ミッドランド、帝国首都アンガ――


 帝都アンガ、大陸の心臓部に位置する大都市だ。

 街を見下ろす高い丘の中心に皇帝の居城が築かれ、史上唯一全大陸を統一した古代帝国のウィザードが遺した、絶えることのない魔法の炎が頂上に光る。そして幾重にも連なる巨大な城壁が宮殿と市街地を囲み、鉄壁の威容を誇っている。

 その帝都の一角にある花街、帝都民の欲望を充足させる為に存在する不夜城では、日が暮れてからが本番とばかり、店先に吊るされた灯りが煌々と狭い通りを照らす。

 しかしその光も、娼婦を入れる暗い檻の中までは届かない。



「ぁぅ……ぁ…………」

 冷たい石の床に横たわる少女。臀部に挟まれるようにして伸びる短い尻尾は、彼女が牛系の獣人であることを示していた。薄桃色の長い髪はめちゃくちゃに乱れ、少女にしては豊満なその体を隠す布はどこにも無い。

 扉が開き、妙齢の女性が部屋に入ってくる。彼女は濃密な臭気に顔をしかめた。足元に注意しながら近付き、白濁にまみれた少女を見下ろす。

「起きな」

 ぴくりとも反応しない少女。女が屈んで見れば、少女は白目をむいて果てていた。チッと舌打ちし、水を汲んだ桶を持ってくる女。


バシャッ


 冷たい水を浴びせられた少女が床の上で丸くなって震える。その上に降り掛かる容赦のない声。

「起きなって言ってんだろ!」

 びくっと首を竦め、手をついてゆっくりと上半身を起こす。片手と太ももが申しわけ程度に彼女の恥部を覆った。

「ヤーナ、次の客だよ。仕度しな」

 それだけ言ってさっさと立ち去る女。残された少女は、顎から水を滴らせながら項垂れる。その頬には涙の跡があった。

 少女は夢を見るような虚ろな表情で呟いた。

「ジル…………」




――ゴルドヴァ王国首都、ゴルド――


 イーストランドの夏も本番になる頃、王都ゴルドでは毎年恒例の夏の大市が開催されていた。

 大市では王国の品物はもちろん、ミッドランドの隊商が馬の背に乗せて運んできたもの、サウスランドの商船隊が海を越えて持ち寄ったもの、それこそ大陸中からありとあらゆる物産が集められ、取引される。

 そんな折、ジルが暮らす侯爵家でも、屋敷の敷地内で市が開かれていた。そう大規模なものではないが、侯爵家に招かれる商人ともなればそこらの商人とは質が違う。扱われる品々はどれも庶民には一生かけても手の届かない物ばかりで、売り手は貴族の扱いに長けた口達者が揃っている。彼らが相手にするのは、同じく侯爵に招かれた王国の貴族たちだ。

 貴族がわざわざ店に出向いて買い物するのは稀で、大抵は注文したものを持って来させたりするものだが、今日は露店風の店があちこちに構えられている。いつもとは違う大市の気分を味わおうという、侯爵の計らいだった。

 市場にはつきものの騒々しい掛け声はなく、上品な衣服に身を包んだ貴族が商人と談笑しながら物を買っている。人と人との間隔も広く、貴族らしい落ち着いた雰囲気だ。

 リリーは同じ年頃の貴族の少女たちと露店に群れて、売り手の巧みな話術に乗せられて、次々と装飾品などを買っていく。ジルはその後ろでじっと突っ立っていた。

「こういう姿は、貴族も平民も大差がない。そうは思わないか?」

 不意に後ろから声をかけられた。

「殿下……」

 振り返ると、王国の王位継承者、リンツ第一王子その人が立っていた。リンツは膝を着くジルを立たせて、自分もその横に並ぶ。ジルは自分から離れることもできず、三十過ぎの王子と十二歳の奴隷が並び立つという奇妙な構図ができあがる。少年であるジルよりも低い王子の異様に短い体が、さらに奇妙さを助長する。ジルは本当にこのチビが王子なのかと疑問を持ったが、前のパーティーでも目にしたように、彼は正真正銘リンツ王子らしい。

 リリーとその取り巻きは王子に背を向けたまま、買い物に夢中だ。しばらく無言でその様子を眺めるジルとリンツ。

 やがてリンツが口を開く。パーティーで聞いた明るく堂々とした声とは打って変わって、慎重で理性的な男の声だ。

「お前の主人が何歳か知っているか?」

 どんな気まぐれか知らないが、彼はジルと二人で話したいらしい。ジルは少し声を落とし、前を向いたまま答える。

「十六だと聞いています」

「はぁ……そうだな。そなたの年は? 知らなければ大体で良い」

「十二です」

 横目で伺うと、リンツは眉を寄せ、その言葉を噛みしめるように何度か頷いていた。

「わたしは二人の年を合わせたのよりも多い、三十六だ。……しかしまだ大人になっていないのはこちらの方らしい」

「どういう……ことでしょう?」

「そなたにはわざわざ言うまでもないことだろうが、侯爵家の者は皆、貴族には相応しからぬ性癖を持っている」

「…………」

「だがそれが侯爵家の醜聞にならないのは、ここゴルドヴァ王国では珍しくもなんともないからだということは知っているか? 知らないだろうな、その顔では」

 ジルはいつの間にかリンツと顔を見合わせていた。彼もジルの目を見つめる。リンツの瞳は自分には理解できない深い闇を抱えているように見えた。

「わたしには獣人の友がいる。奴は今、隣国で王をやっているが、昔ゴルドヴァに人質として滞在していた時があった。生真面目な男で、奴は常々言っていた、『立場の弱い者を虐げてはならない』と。幸運なことにわたしは奴の影響を受け、今ゴルドヴァの貴族がそうであるような間違った倫理観には染まらずにいられた。わたしが彼らのことを異常だと思えるのは、そのおかげだ。

 ……しかしわたしや、わたしの唯一の友は、王族・貴族の中にあって浮いた存在だ。嘆かわしいことに、他国の貴族も似たようなものだと聞く。

 高貴な生まれという名を貴族に与えた者は、皮肉の才能があると思う。わたしが王になったら、道化師として手元に置いてやろう」

 最後は冗談めかして言ったリンツ。

 リンツは顔を前に向け、リリーたちの方を見て言った。

「わたしはまだ女を知らない。下衆の趣味を持った貴族の女とは結婚したくなかったから、今でも独り身だ。かといって奴隷も娼婦も好かん。まだ大人になれていないと言ったのはそういう意味だ。そなたや、今そこで少女の仮面を被っている者たちは、わたしとは違うのだろう。いや、そなたを悪く言うつもりはないのだ。望まぬことだっただろうからな」

 ジルもリリーたちの方を向く。

 率直に言って、ジルは彼を変な王子だと思っていた。

 最初パーティーで見た時は、体は小さいが話は大げさな気取った王子という印象を抱いた。しかしその第一印象は彼の話を聞いて裏切られる。三十も過ぎて女を知らないという潔癖さは可笑しかったが、多種族である獣人の友を持ち、奴隷である自分にも礼儀を失わないのは美点だ。ただの予感だったが、リンツは良い王になるだろうと思った。

 ジルは一つ尋ねてみることにした。

「なぜ奴隷である僕にそんな話を?」

「なぁに――」

 リンツは元来た方に歩き出しながら、ジルにささやいた。

「――わたしと同じ立場だった者なら、気が合うだろうと思ってな。どうやら正解だったらしい」

「え……!」

 ジルは驚いてリンツを見つめた。しかし彼は振り返ることなく去っていき、その日はもう彼の姿を見かけることはなかった。

「どういうことだ…………ん?」

 ふと何かの重みに気付いて手の平を開けると、そこには三枚の金貨があった。


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