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アイアンハート  作者: 一花八果
序章:『弄ばれる運命』
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第二話:『善人』

『ノースランド』

…大陸北部地方。厳しい寒さと深い森、険しい山々が特徴。ビールが特産な以外は目立った産業もない。五地方の中で最も面積が広い。ガイエン王国が統一していた。

 ジルとハロルドは街を出た後、王都から東にある最寄の港を目指して馬を走らせた。時折街道を外れて人目を避けて野宿しながら進むこと三日、とうとう追っ手に追い付かれた。

「ハイッ、ヤアッ! 若様遅れずに!」

「ハッハッ……く……ぅ」

 拍車を回して馬を急かせるが、連日の疲れがたまっているのか思うように走ってくれない。くたくたなのはジルも同じだ。もう何枚尻の皮がむけたか分からない。全身の筋肉も痛む。馬には慣れていると思っていたが、長期間の乗馬がこんなにも辛いとは思わなかった。

 肩越しに後方を見やると、さっきからずっと同じ距離を空けてついてくる二騎の追っ手が目に入った。こちらが疲れて止まるのを待とうというのだろう、ジルは悠長なと思ったが、こちらに先に限界がくることは明白だった。

 いつの間にか森に入っていた。曲がりくねった道を四騎が駆けていく。

 やがて二人の乗る馬が目に見えて減速し始めた。気のせいではなく追っ手との距離が縮まってくる。

「走れ! 走れよ!」

必死になって馬の腹を蹴るジル。しかし彼の焦りも虚しく、馬は泡を食ってどうっと横向きに倒れ込んだ。

「うわっ! ――くそ!」

 草の生えた地面を転がり、血のような唾に土が混ざる。激しく息をし続けたせいで腫れた喉。咳が止まらず、ジルは体を折ってうずくまった。

「ゴホッ、ゴホッ! ぅぐ、オエ!」

「若様! お待ちを」

 ハロルドが馬首を巡らしてジルの元に駆け付ける。鞍から飛び降り、ジルの背をさする。そうこうしている内に二騎の追っ手が近付いて来た。ジルとハロルドの手前で馬を止め、彼らも地面に降りた。

 追っ手二人は簡素な革鎧を身に着け、腰に剣を差している。ただのごろつきにしか見えなかったが、実際そうかもしれなかった。追っ手の数を増やす為、適当に金で雇ったのだろう。特に騎士を用いる必要はなかった。単に一人の少年の首を持って帰れば良いのだから、ごろつきでも事足りる。

 一方が口を開いた。

「ガキを渡せ。さもないと――」


シャッ!


 男二人が剣を抜き放ち、ギラギラとした輝きを見せつける。

「これを使うまでだ」

 ハロルドがジルを庇って前に出る。そして男たちと同じものを太陽にかざした。

「やってみろ」

 言うが早いかハロルドは左の男に斬りかかる。ジルが鋼同士のぶつかる悲鳴を聞いたと思った時には、すでにハロルドは男の横を通り過ぎていた。

「あぐぁっ!」

 男がガクッと膝を着く。ハロルドが通り過ぎざまに膝の裏を斬ったのだ。鎧に保護されていない箇所を傷つけられた男は呆気なく動きを封じられた。

「ハアッ!」

「ヌッ!」


ブンッ!


 間一髪でもう一方の男の刃を避けたハロルド。立て続けに剣が振られ、目まぐるしく二人の立ち位置が入れ替わる。

 ジルは何もできずにそれを眺めていた。突然足首を掴まれる。はっとして視線を下ろすと、さっきまで倒れていた膝を斬られた男がいた。

「逃げられんぞ、ガキぃ」

 血走った眼球、脂汗の浮いた額、食いしばったギザギザの歯、ジルには男の顔が悪魔のそれに見えた。

 足首を強く握られ乱暴に引き寄せられる。背中を地面が擦った。

「いやっ!」

 こんな風に手荒く扱われたことはなかった。嫌悪感が喉元までせり上がる。ジルの足が男の顔を蹴った。しかし弱々しい蹴りはいささかの効果もなく、ただ男を煽り立てるだけだ。

「ぐっ! このガキが、死ねぇ!」

 短剣を振り上げる男。凶器が振り下ろされる直前ジルは恐ろしさに目をつむった。




永遠の長さを持った一瞬の後、彼は一向に死が訪れないことに疑問を持った。それに何だか顔にしぶきが当たったような……

 薄目を開ける。

「っ……!」

 目と鼻の先に剣の切っ先が迫っていた。しかしそれがそれ以上進むことはない。剣は男の胸から生えていた。血糊が鋭利な切っ先を伝ってジルの顔に落ち、涙のように筋を作った。男の口からひゅうひゅうと息が漏れる。

「ぃ……ぁ……」

 男の胸を貫いていた剣が引き抜かれ、男がジルの傍らに転がる。

「若様、ご無事ですね?」

 長剣をだらりと垂らし、疲れた表情でジルを見下ろすハロルド。ジルはハロルドの腕が赤く濡れていることに気付いた。それを見つめていると、ハロルドが小さく笑って傷口を隠した。

「大したことはありません。すぐ治るでしょう。立てますか?」

 ハロルドの手を借りて立ち上がるジル。

そして二人はまた旅を再開した。




 その日の夕暮れ、二人は途中にある町の酒場に宿を借りた。宿といってもノースランドの寒村にベッドを備えた宿があるはずもない。埃っぽい屋根裏に毛布を敷いただけの寝床に金を払った。

これまでは野宿をしていたのだが、どうしても物資を補給する必要があり、またハロルドの傷を手当する為にも町に立ち寄ったのだ。

そして次の日の朝に二人はすぐ町を出た。

ノースランドの朝は春でも凍てつくように寒い。ジルは厚着して外套を羽織っていたが、朝の外気は彼の体温をどんどん奪っていった。かじかんだ指を服の中に入れ、手綱から手を離す。それでも調教された馬は前を進むハロルドの馬の後を自然とついていく。

起きて顔を合わせたハロルドはあまり寝ていないように見えた。きっと昨日斬られた腕の傷が痛むせいだろう。それが自分を守る為に受けた傷だと思うと、ジルはいたたまれない気持ちになった。

けれども、そのせいで二人の進む速度が落ちたのは正直言って助かった。王都を出てからずっと急ぎっ放しで休憩もほとんど取らなかったこれまでの旅は、ジルを限界まで追いつめていたのだ。もう少しで自分だけ進めなくなるところだった。ジルはそうならなかったことに安堵した。

余裕ができたからだろう、ジルはハロルドに声をかけた。

「ねぇ、どこへ行くんだっけ?」

 ハロルドはびくっと肩を震わすと、さっとこちらに振り向いた。

「ぁ……ひ、東です。前にも申したはずですが」

 少しイラついたような声音を、ジルは単にびっくりしたせいだと考えた。馬を並べてなおも話し掛ける。

「ティレの港だよね。どんなところなの?」

 ハロルドは前を向いたまま答える。

「港は……港です。そこから出る船に乗ってイーストランドに落ち延びるつもりでした」

「海が見える?」

「ええ、もちろん」

 ジルは海を見たことがなかった。というより、王都周辺から遠くへ旅をしたこともない。近くの森で大人たちが行う狩りについていくのが精々だ。ずっと海を見たいと思っていたジルにとって、その答えは王都を出てから初めて気持ちを上向かせるものだった。

 顔を上げて地平線を望むジル。まだ夜が明けきっていない紺色の空は、地平線から天頂にいくにつれて明るさを増し、濃紺から薄い青に変じていく……

 ふと後ろを向くと、今し方出発した町の頭上に昇る朝日が見えた。

 視線を前に戻す。前方の空のどこにも朝日は見えなかった。

「ぇ……?」

 ジルは慌ててハロルドの方を向こうとしたが、その瞬間、後頭部に強い衝撃を受けて気を失った。




「……どうして?」

 自分を前にして抜き身の剣を手にする騎士を見て、ジルが最初に言ったのはその言葉だった。

 街道を外れた森の中、ジルは両手を後ろ手に縛られて地面にうつ伏せになっている。その背中にはハロルドの足が乗っていた。

 無理に首を回し、痛みもかまわずにハロルドを見上げるジル。そして再度問いかける。

「なんでそんなことをするんだ。昨日は助けてくれたじゃないか……」

 仕えるべき子供の背を足の裏に敷いた騎士は、疲労と諦めを浮かべた表情で言った。

「私も騎士の端くれです。守ると誓ったものがあります」

「おかしいよ、矛盾しているよ……じゃあなんでこんなことを」

「私は騎士である前に一人の人間です。若様の首を手土産にすれば、この命が救われ、しかも褒賞までいただけるかもしれないとあっては、固き誓いも紙切れ同然です」

 ジルは持ち上げていた首をことんと落とした。頬に冷たい土の感触が伝わる。

 ハロルドは剣の切っ先をジルの首に向け、静かに語り出した。

「初めて真剣で斬られました、そして初めて……この手で誰かを殺めました」

 薄暗い森の中に冷たい風が吹く。ジルは気を失ってから随分時間が経過していることを悟った。そして寝ている間にやってくれれば良かったのにと、そんなことを思った。

「お前は……ハロルドは勇敢だったよ。一人で二人の男を倒したじゃないか」

「いいえ、若様。そんなことはありません。男たちを倒した時は、自分がとても強くなったように感じました。腕の傷もちっとも痛みませんでした。けれど、日が暮れ、暗い部屋で朝を待つ時になって、耐えられないほどの罪悪感に襲われました。腕は焼きゴテを押し付けられたように痛み、一睡もできませんでした。……こうしようと決めたのはその時です。若様、申し訳ありません。私は自分で思っていたのより、ずっと弱く臆病な騎士です。いえ、今から私は騎士であることを止めましょう、ただの怯えた人間になります」

 ジルは今すぐ泣いて謝りたかった。彼にそんなことをさせた自分を呪ってやりたかった。しかしジルもまた怯えた人間、それも十二歳の少年に他ならなかった。口から出てきたのは謝罪ではなかった。

「……殺さないで」

 ハロルドの声からは感情が消えていた。

「そうなれば困るのは若様の方です。私抜きで、たった一人旅を続けられるというのですか? 追っ手もかかっているのに、どう逃げ延びるのですか? 私があなたに情けをかければ、あなたは運が良くて誰かに殺され、悪ければ野垂れ死ぬでしょう。それでも良いのですか?」

 森の静寂にジルのすすり泣く音が響く。ジルとハロルドの会話は終わった。

 ハロルドが剣を握る手に力を込める。そしてそれを振り上げようと……


アオォ――――ン!


 唐突に鳴り響く獣の遠吠え。周囲の草むらがわずかに揺れたかと思うと、数匹のオオカミが躍り出た。

 背中にあったハロルドの足が消える。起き上がり、ジルはそれを見た。

「ああああぁぁぁぁっ! 止め――ヒギャァァァァァァッ!」

 押し倒したハロルドの体に群がってしきりに首を動かす黒いオオカミたち。ジルからは狼の後ろ姿と、ビクンビクンと痙攣するハロルドの足、ピチャピチャと響く水音だけが分かった。

 オオカミが人を食べている……さっきまで自分を殺そうとしていた男が食べられている……ジルは呆然とその様子を見ていた。

「グルル……」

 一匹が顔を上げ、ジルの方を向いた。

 顔中をハロルドの内容物で汚したケモノ。ジルは身を竦ませる。オオカミはジルのことをじっと見つめた。

「ガルルル……ウォンッ!」

 突然オオカミが吠えた。その声に反応して他のオオカミもジルの方に向かって吠え始める。


出ていけ! 出ていけ! 出ていけ!


 狼たちの吠え声に込められた意味を察するジル。


ここはお前の縄張りではない! 立ち去れ!


 ジルは転がるように逃げ出した。




 どこまでも駆けた。息の続く限りに駆けた。息が続かなくなると、今度は歩いて逃げた。

森を抜け、太陽が完全に沈んでも歩き続けた。

何から逃げているのだろう、どこへ逃げているのだろう……そんなことは考えもしなかった。

ただひたすら逃げる。今のジルにはそれが精一杯だった。

 暗闇で足元も見えず、道も方角も失って歩いていると、遠くに何かの光がぼうっと浮き上がっているのが見えた。近付いていくと、それは野営の火だということが分かった。十人ほどの旅人が大声で酒を酌み交わしているようだ。彼らの歌が聞こえてくる。



エイヤサ! エイヤサ! ヨイヨイヨイヤサ!


クズが集まる安酒場 熱く湿ったベッドの中

彼女はそこで夜を待つ 夜を待つ


エイヤサ! エイヤサ! ヨイヨイヨイヤサ!


別にあんたが望むなら 小綺麗上品何でも良いが

彼女はそこで夜を待つ 夜を待つ


エイヤサ! エイヤサ! ヨイヨイヨイヤサ!


一度ベッドに入ったら 抜け出せぬこと請け負いだ

夜の女王ナタリアは 今夜もそこで潮を吹く


エイヤサ! エイヤサ! ヨイヨイヨイヤサ!



「ガハハハハ! ん……お~い、なんだあいつは」

 たき火に照らされて赤く染まった姿を見せる少年に旅人たちが気付く。歌うのを止め、何人かは腰を浮かして剣を握る。全員が男だった。顔を見合わせた彼らは、ジルが何者か目線で相談しあった。しかしこんな時間に一人で出歩いている子供となると、一向に見当が付かない。

 一人の男が警戒を滲ませた声でジルに尋ねた。

「あんた、誰だ」

 項垂れていたジルが憔悴しきった顔を上げる。質問が聞こえなかったらしく、子供にしては硬い声でこう言った。

「僕も連れていってください。お金はここに」

 差し出した両手に何枚かの金貨が乗っている。ジルはその価値が高いのか低いのか知らなかった。生まれて初めてお金を使ったからだ。

 それを見た男たちは、この世で最も奇妙なものを見たとでも言いたげな顔で黙り込んだ。後ろの方でひそひそと声を交わす者もいる。

「幽霊か?」

「雪の精霊かもしれん。俺たちに罰を与えに来たんだ」

 ジルに一番近いところに立っていた男が、ささやきあっていた男たちをなじった。

「バカか! 全く迷信深い奴らめ。どうせ近くに住んでる子供が迷い込んだんだろう」

 そしてその男はジルに歩み寄ると、厳ついヒゲ面に似合わない猫撫で声で言った。

「わかった、わかった。おじさんたちに連れていって欲しいんだね?」

「うん」

 ジルが両手を突き出すと、男はその中にあった金貨を受け取った。しばらくその金貨を眺めていたが、やがて満足げに頷き、笑顔でジルを手招きした。

「さあ、こっちだよ。おじさんたちは歩いて旅をしてるんだが、坊やもそれじゃ可哀そうだ。馬車に乗ると良い。出発は日が昇った後だから、それまで中で寝ていようね」

 彼の言うとおり、大きな馬車が停まっていた。あまり見慣れない型の馬車で、窓はついていない。けれど頑丈そうで、きっと中は暖かかった。

 言われるままに馬車の入り口に立つと、男が鍵を取り出して、扉にかかった大きな錠前を外した。そしてほんの小さく扉を開け、隙間を作る。

 男がジルの背中を軽く突いた。


「え!?」


すぐさま扉が閉じられ、辺りを暗闇が覆った。錠前が閉じる音がする。

 ジルを閉じ込めた男はしばらく扉を見つめていたが、くるっと後ろを振り返り、仲間たちと顔を見合わせ……


「ギャハハハハハハッ! グヘヘヘヘッ! ウヒヒヒヒヒッ!」


 弾かれたように笑い出した。

 他の男たちは狐に包まれたような表情をしていたが、状況が飲み込めるに従って、同じように爆笑の渦に巻き込まれる。

 男が馬車の扉をバシバシと叩いて言った。

「おいおい冗談にしちゃできすぎだぞ!? ヒヒヒ、金を払って奴隷になるなんて聞いたこともない。なあ皆!」



「…………」

 ジルは厚い壁越しに野卑な笑い声を聞きながら、暗い牢獄に閉じ込められ、絶望してうずくまる囚人たちを見ていた。

 たった今、自分もその一人になったのだ。

『イーストランド』

 …大陸東部地方。四季が明瞭で、大陸一肥沃な大地を持つ。人口が集中する。二つの大国が覇権を争っている。片方は人間種優位の文化、もう片方は獣人種優位の文化で、両大国とも他種族に人権を認めていない。

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