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「……ひっどい内容」
校庭のベンチに腰掛けながら、ついさっき演劇部から貰ってきた台本を読んだ感想を、思わずぽろっと口に出す。
この脚本は内容こそテンポが良かったという評価だったけれど、話自体が短過ぎて結局一度も採用されることなく文字通りのお蔵入りとなっていたそうだ。
で、最近散らかってきたので整理するついでに、不要なものを思い切って破棄することにしたのだとか。
「ゴミ同然の扱い受けてたから貰ってきたけど……確かにこんなんじゃあ穴埋めの5分ドラマにしかならねぇや」
「何してんの?」
聞き覚えのある声に危うく脚本を落としそうになり、慌てて持ち直した。心臓がバックバクである。
「おお驚かさないでよはにゅ、じゃなかった犬飼くん!!」
「俺は金メダリストじゃないよ? ……隣、いい?」
顔を熱くしながら、必死に二度三度頷く。席を少し寄せると、空いた空間に入り込んできた。
風邪でも引いたかと思うくらい体が熱い。緊張して息苦しい上に鼓動がうるさい。もう私このままショック死するんじゃないだろうか。
「……で、何してたの? 椎名さん」
「さ、さん付けしなくていいよ! 私たち、い、一応、付き合ってんだし」
「んー……じゃあ、l澄麗」
どストラぁぁぁぁぁああああああイクッッ!!(爆死)
嬉しさと恥ずかしさと憎らしさで目を合わせることすらできなくなり、顔を覆う。
どうやら私の彼氏は本気で私を殺そうとしているらしい。恨めしや。死んだら毎晩祟ってやる。
「なんでいきなり呼び捨てなのよ……しかも下の名前で……」
「え? なんか問題あった?」
こいつ天然か。頭いいくせに天然か。
「……あのさ犬飼くん。今更だけど、どうしてあの時私の告白OKしたん?」
顔を隠したまま、ちょっと気になったことを訊ねてみる。
よくよく考えてみれば、あの時の私の告白は最悪のシチュエーションだった。クラスメートのほとんど全員が見ている中だったのだ。イエスと答えようがノーと答えようが、騒ぎになるのに変わりはない。
けど彼は、少し驚きはしていたものの、割とすぐに返事を出してくれたのだ。
よろしくお願いします、と。
「あの時、正直嬉しかったんだ。生まれて初めて告白されたから」
しみじみと噛み締めるように語る彼の台詞に、少しばかり違和感があった。
「……初めて?」
「俺さぁ……実は、全然モテないんだよね」
あ。これ、違和感どころの騒ぎじゃねぇわ。
「いやいやいやいや、それおかしいから。だって最近女子の嫉妬半端じゃないし」
そうなのだ。もともとアイドルばりに人気の高かった犬飼くんに、私という彼女ができたという話が持ち上がってから、女子たちの私に対する執拗な嫌がらせが始まったのだ。とはいっても恐らく一時的なものだから、黙っていれば治まるだろうけれど。
しかし犬飼くんは前言撤回することなく、海よりも深そうな溜息を吐いた。肩から。
「そんなに好きだってならちゃんと告ればいいのに……いつも思わせぶりで終わってさぁ……こういうのって、全く相手にされないよりもずっと凹むんだぜ……」
マジか。頭も顔も性格も悪くないのに、今までそんな女にしか出くわさなかったのか。
「声かけてくれたとしてもさ……『ファンです』とか『応援してます』とか『今度黄色いクマさん持ってきますね』とか……俺は金メダリストじゃないと何度言ったら」
「うん、わかった、もういい」
この男、意外と苦労していた。メンタル的な意味で。
「だから、澄麗から告られた時はすごい嬉しかった。生きてて良かったとすら思ったよ」
「いや、それはさすがに大袈裟では」
「大袈裟なもんか。女ってさ、はっきり言わなきゃわからない生き物だっていうらしいけれど、女は女で察しなさいとか、男に無茶ぶりしてくんだよ。言わなきゃわからないのは男も女も変わんないってのにさ」
正論である。まぁ、鈍すぎるのもどうかとは思うけれど。
「まぁ昔から女はわがままな生き物だって言うしねぇ。私も彼女として、その辺のことは気をつけようと思う」
「でも我慢は良くないぞ。言いたいことがあったらはっきり言えよな」
「わかってるって」
私の初めての恋人は、とても私のことを好いてくれている。これが優しさなのか、単に気を使っているだけなのかはわからないけれど、それはこれから少しずつわかっていけばいい。大したことじゃない。
「ところで、さっき女子の嫌がらせがどうとか言ってなかったか?」
私の彼氏は、私ですらスルーした箇所をわざわざ拾い上げてきやがった。鈍い男だが、記憶力だけは無駄にあるから厄介だ。
「……言ったっけ? そんなこと」
「言ったよ! 最近女子の嫌がらせが半端じゃないって!」
わぁお、割と覚えてる。サラッと流したはずなのにすげえ。
「何されたんだよ? いじめ? 暴力? 何にせよそういうのって全部犯罪だからな? 早いとこ警察に相談してーー」
「おお大袈裟だよ! そんなん、両親からの仕打ちなんかと比べたら全然大したことないし」
「親!? え、澄麗ってDV被害者だったの!?」
「いや全然気にしなくていいから! 最近じゃあ随分大人しくなったし、なんかトラウマでも抱えたみたいになってて」
……あれ、そういやうちの親、どうしてあんなに大人しくなったんだっけ?
「トラウマって、何かあったのか?」
「ああ……それは、その」
何か忘れてる。大事なことだったような気はするけれど、それが何なのかがわからない。喉に小骨が引っかかってる感じだ。
そういや私……なんでこんな薄っぺらい脚本なんか持ってたんだっけ?
「ああーっ!?」
脚本に目がいった時、思わず跳ねるように立ち上がった。犬飼くんはそんな私を見上げてただ呆然としている。
「そうだった……私、『時計屋』に会ったんだ!!」
赤いサスペンダーのスカートの幼女ユキちゃん。彼女とおままごとをして遊んで、“楽しいこと”の大切さを教えてもらった。
時折邪魔しようとしてくる親に対し、ユキちゃんは人の子とは思えないオーラで拒絶した。見た目と中身のギャップに恐怖した両親は、彼女にトラウマを抱くようになった、というわけだ。
「『時計屋』って、噂の?」
「うん。でも、噂にあった女子高生じゃなくて、幼い女の子の『時計屋』。もしかすると『時計屋』って複数人いるのかも」
「『時計屋』が複数人……」
犬飼くんは顎に手を当て、何やら考え込んでいるようだった。
心当たりがある?
「どうしたの、犬飼くん」
「ああ、いや。実はこのあいだクラスメートの従妹が『時計屋』に会ったらしい話を聞いててさ。その子が会った『時計屋』も、女子高生じゃなかったみたいで」
「幼女!?」
「いや。中学生くらいの男の子だったってさ」
中学生男子、だと。それも充分新説ではないか。
「となると、『時計屋』はこの世に最低でも三人いることになるわね……」
「……あの、澄麗?」
「……面白い。非常に興味深い話だ」
くるんとスカートを翻し、犬飼くんとしっかり向き合う。細く吊り上がった目をぱちぱちさせる犬飼くんが可愛くてどストライクだった。
一瞬ドキッとしたけれど、咳払いして正気を保つ。
「よっしゃ決めた! 私、部活つくる!」
「ぶ、部活?」
自分がさっきまで座ってた席に片足を乗せ、両手は腰に。
「名付けて『時計屋研究同好会』!! その名の通り、『時計屋』についてとことん研究していく部活動なーり!!」
「……澄麗って、そういうの好きだったっけ」
大好物です。
「犬飼くんもどお? 一緒にやらない?」
「……まぁ、うちって結構変な部活多いし、帰宅部もつまんないなって思ってた頃だったから、別にいいかな」
「あれ、犬飼くん帰宅部だったん?」
「逆に聞くけど、帰宅部じゃない人間を誘ってどうするつもりだったの?」
ごもっとも。
「まーいいや。思い立ったが吉日ってことで、これから生徒会に申し出に行こうっと!」
「あっ、待って! 俺も行く!!」
後日、「秀才カップルが頭良過ぎて変な部活を設立させた」という噂が学校中に流れたとか、流れなかったとか。