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「ねぇユキちゃん。ユキちゃんはどこから来たの?」
「? ……わかんない」
首を傾げ答える。可愛い。
「じゃあさじゃあさ、今までで一番おいしかったおやつって何?」
「んーとね。イトにーちゃんのガレット・トロペジェンヌ!」
「……はい? なんて?」
「ガレット・トロペジェンヌ! おねーちゃん、しらない?」
知らない。何それ。初めて聞いた。てかイト兄ちゃんって誰だ。
「んー、お姉ちゃんあまりマニアックなのはよくわからないなぁ~。ユキちゃんはその、イト兄ちゃんのことは好きなの?」
「うん!」
そっかぁ~と頭を撫でてやると、より一層嬉しそうにきゃっきゃと笑う。
両親はポカンとしたまま、私とユキちゃんを遠くで眺めている。でもそれでいい。それこそが私の目的なのだから。
学校で、なんとなく噂で聞いていた。
それは自分のことを「時計屋」と呼び、必要のない「もの」の「価値」を「破壊」してくれる存在なのだそうだ。けれどもそれに出会った後は、だんだんその存在を忘れていき、最後には彼らと会った時の出来事すら忘れてしまうのだとか。
それをかつて体験したという演劇部の部長が、その時のことを覚えているうちに脚本にしたものだからそれが噂となって代々学校じゅうに流れることとなった、ということらしい。
しかしその噂によれば、「時計屋」は女子高生だったはずである。もしや「時計屋」は複数いるということなのか。そうなのか。
しかしそれが幼女とは私もつくづく運がいい。しかもこんな私好みの妖怪オーラを醸し出す摩訶不思議な「時計屋」ならば、喜んで招待したい。
「価値」はモノクロの中で輝いて見えるらしい。今この空間で輝いているのは私の成績表だ。正確には、私の成績そのもの。まぁ、わかっちゃあいたんだけどね。
「ちょっと澄麗」
「おばさんごめんなさい。いい子にしてるから」
母さんが何か言おうとすると、ユキちゃんはこうして黙らせる。これは謝罪ではない、脅迫だ。
妖怪マニア心をくすぐる彼女の行動を見て、本気で結婚したいと思った。
「ねぇユキちゃん、おままごとしよっか?」
「うん!」
するとユキちゃんは手近にあった新聞紙をランチョンマットに見立てて床に敷き、その上にちょこんと座ってにっこり笑った。
「ユキ、おかーさんになる!」
「じゃーあ、お姉ちゃんがお父さん役ね」
「うん! おかえりなさい、あなた!」
可愛い嫁だ。ガチで結婚したい。
「あなた、ごはんにしますか? おふろにしますか?」
「じゃあ、ごはんで」
「わかりました!」
ジャーを開け、しゃもじでごはんをすくい、茶碗によそう。動作のひとつひとつが凝っていて手際がいい。こんな嫁が欲しかった。
「はい! あなた!」
「はい、ありがとう。いただきます」
ごはんを食べる真似をしていた私は、ふと思う。
幼い頃は勉強勉強で、おままごとなんかやってる暇がなかった。子供の遊びがこんなに楽しいものとは知らず、高校生になってしまったのか。
こんなに面白いことを教えなかった親が、さっきまで私にあんなに怒鳴り散らしていたのか。
こんな薄っぺらい家に生きて、私はーー私たちは、本当に幸せなのだろうか。
「おねーちゃん、たのしい?」
素に戻ったユキちゃんに訊ねられ、私は笑って頷く。
「楽」という字は、巫女が神のために踊る姿を表したものだという。誰かのために踊り、それを見たその誰かが楽しんでくれる。人間というのは、そうやって生き甲斐を感じているものなのではないだろうか。
やはり、この家は地獄だ。生き甲斐なんてない。あるのは、重さだけは無駄にある、空虚なプレッシャーだけ。
「あのね、おねーちゃん。にんげんはね、楽しいことがないと、生きていけないんだよ?」
そう言ってすぐ、彼女は両親を見やる。
「ねえ、おじさん、おばさん。おねーちゃんに、楽しいこと、教えたことある? ないよね? だったらおじさんもおばさんも、おねーちゃんを殺そうとしたのとおんなじだよ? わかる? おじさんとおばさんは、自分の子供を殺そうとしたんだ。殺人未遂の人でなし。あなたたちが人の親である資格なんてない」
だんだん滑舌がよくなっていく。これは文字通りの化け物だ。
彼女の言葉が入ったのかわからないけれども、父さんも母さんも、その幼女を相手にぶるぶると震えていた。
ユキちゃんはポケットからビー玉を取り出すと、それをぽんと軽く叩いた。するとビー玉は手品でもやったかのように、ユキちゃんの頭くらいの大きさのガラス製金平糖へと姿を変えた。
「でっかくなっちゃったー!」
どこぞのインチキ風手品師だ。
「おじさんとおばさんにとって、おねーちゃんは何? もう一度、よく考えてみて」
母さんの手の力が緩み、ひらりと床に成績表が落ちる。それを見計らい、ユキちゃんはその成績表目掛けて金平糖を躊躇いなく落とした。
そんなことがあったというものの、私はどうしても犬飼美智留が気になって、奴がいるとかいう隣のクラスを覗き込んだ。
どの女だ……と睨んでいると、一人の男子がこっちに近づいて来た。お前はお呼びじゃねぇ。
「どうしたの?」
「ああ、いえぇ……その、犬飼美智留さんってどこかなぁって」
「ああ、俺だけど?」
時間が制止した。なお、世界はモノクロではない。
「……へ?」
「いや、だから。俺が犬飼美智留なんだって」
ポカンとなる。犬飼美智留って、男だったの!?
「よく女に間違えられるけど、別に不便感じてないし。まぁいいかなぁって」
「……犬飼が……おと、男……」
ずっと女だと思ってた。じゃあ、それなら。男子たちのあの反応は、性格云々の問題ではなくて、ただの嫉妬……?
「あ、あの~?」
それにしても……。
化け物ではないかと勘ぐってしまうくらいに整った容姿。程よく吊り上った目。その顔を例えるなら、黄色いクマが大好きな某スケート選手。
はっきり言って、どストライク!!
「お付き合いを前提に結婚してください!!」
「えっ逆……じゃなくて、ええええええええええっっ!?」
後日、私たちが秀才カップルとして校内の有名人になってしまったのは言うまでもない。