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まただ、と思った。
また、一位になれなかった。
「げぇっ、また犬飼一位かよ」
「みっちーすごーい」
「どうやったらこんな成績になるんだ」
廊下に張り出された順位表。
それは、私に地獄行きを知らせる閻魔大王の如く非情な死刑宣告だった。
中学の頃はよかった。いつもトップをキープして、頂点から周りを見下すことができた。
なのに高校に来てからはそうもいかず、いつも二番手である。どんなに必死に勉強しても、一位には届かない。
「どういうことなのよ……l犬飼l美智留……!」
犬飼美智留とはクラスが異なるため、一切面識はない。一体どんな性悪女なのか皆目検討もつかない。男子があんな嫌な顔をしているのだから、きっと嫌な女なのだろうと、勝手に想像を膨らませる。
「それにしてもさぁ、いつも二位キープのl椎名l澄麗って奴もすごくね?」
「確かに! でもそいつ女だろ?」
私の名前を挙げておいて、女だからと馬鹿にするの? じゃあ一位の犬飼美智留はどうなるってんだ。お前たちはその女に見下されているんだぞ。
「みっちー頭いいし、私憧れちゃうなぁ」
馬鹿な女子がレズビアン全開なお花畑を披露している。なんなんだこいつらは。
胸糞悪い想いをしながら、私はさっさと教室に戻った。
「澄麗。テストの結果はどうだった?」
帰ってすぐ、母さんがいつも通りの台詞を吐く。そこで私は決まって結果表を無言で差し出すのだ。
その瞬間から、私の地獄が始まる。
「何よこれ!? ちょっと澄麗あなたこれは一体どういうこと!? 次こそは一位になりなさいって私言ったわよね!?」
「……ごめんなさい」
こうなると母さんは手が付けられない。黙っていれば嵐は止む。だから私はひたすら謝ることに徹するのだ。
母さんは実力史上主義の、いわゆるお受験ママだ。私立小学から始まり、上位の成績をキープし続けた私だったけれど、母さんはそれでは満足せず、やれ一位になれだの一位以外に価値はないだのとやたらとうるさい。
どうして母さんがこんなに一位にこだわるのか理解できないけれども、それを問えばそれだけで食器が飛んでくる。基本的に人の話を聞かない人だから。
「ただいまー。……ん、どうした?」
会社員の父さんが帰って来た。母さんはそれに気がつくと、私の成績表を持って父さんのもとへ駆け寄って行く。
「ちょっとあなた見て! 澄麗ったらまたこんな成績を……」
「なんだって!? おい澄麗、お前本当に勉強しているのか!?」
最悪だ。なんでよりによって父さんまで参戦するんだ。
「あれほど勉強しろと父さん言ったのに! どうしてお前は親の言うことを聞かないんだっ!!」
別に勉強していないわけじゃない。結果が追いつかなかっただけだというのに。
父さんは大した役職でもないくせにプライドだけは異常に高く、私に高天原よりも高いハードルを設けてそれを超えろと平気な顔で言ってくる。それを超えられなければこうして頭ごなしに怒るんだ。
幼い頃からずっとわかっていた。これはしつけじゃない。両親の、ただの独りよがり。
自分が大していい人生を歩んでこなかったから、子供にはいい人生を送って欲しいと思っていると自称した、ただの自己満足。
……この親、さっさと死んでくれないだろうか。
「なんだその目は!? それが親に対する態度かっ!! 」
「誰がここまで育ててあげたと思ってるのよっ!! この親不孝者っ!!」
黙っていれば彼らは暴力を振るったりしない。彼らが暴力を振るうのは、私が“妙な口出し”をするからだ。
……なんて思ってはいるけれど、この環境どうにかならないかなぁというのが本音だったりする。そりゃあ口も出したくなるさ、こんな親じゃ。
ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ喚く声を聞いているうちに、だんだんだんだん意識が遠退いていく。私の精神壊れてきたのかなぁと思っていたのだが、それにしたって妙だ。
だって、世界が突然モノクロになる病気なんて聞いたことがない。はっと目を開け両親を見ると、両親もまたその異変に気づいた様子だった。
「な、なんだ、これは……」
「何……何なのよっ……!?」
軽くパニックになっている両親とは正反対に、私はただ冷静に耳を済ませていた。これが異常であることを知らせてくれるものが、聞こえてきそうな気がしたから。
そしてそれは案の定、幼い女の子の声で。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
父さんも母さんも、あまりの不気味さに体を震わせていたけれど、私は違った。
これは、私が求めていたもの。ワクワク胸を踊らせながら、歌の聴こえてきた方角へと歩み寄る。
「え……澄麗……?」
母さんは戸惑っていたが、私はまっすぐ中庭へ通ずるベランダの窓をガラガラと開け、その少女の姿をしかと目の当たりにする。
小学校低学年くらいだろうか。一年生というには少し大きいから、二年生?
「今の歌、君?」
弾む声で訊ねると、彼女はこくりと頷いた。
白黒の世界で浮き出ているようにカラフルに色付いている彼女は、ツインテールで吊り目だが、将来有望ともいえる綺麗な顔立ちだった。トイレの花子さんみたいな赤いサスペンダーのスカートがなんともいえない。
彼女はまさにパーフェクトにどストライクしていた。
「おねーちゃんが、ユキをよんだの?」
彼女はユキちゃんというらしい。ユキちゃん。なんていい響きだろうか。素晴らしい。うちに住み着いて欲しいくらいだ。
「呼んだかといわれたら、うん、そうだね。ユキちゃん、ちょっと上がって」
「うん!」
可愛らしい笑みを浮かべ、ユキちゃんはナチュラルに窓から家の中へと上がり込んだ。
「ちょっと澄麗! 何あんた勝手なことして」
「おじゃまします、おばさん」
そこに笑顔はなかった。
ユキちゃんは無表情で、母さんを見上げたまま、ぴんと立って挨拶した。それに母さんはビクッと体を跳ね上がらせたけれども、私はそれを見て非常にゾクゾクするものを感じた。
やばい……なにもかもが素晴らしすぎる。なんかあげたい。