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4 サンド(仮)君、虎中に飛びこんで色仕掛けをやってみる

「失礼、相席構いませんか?」


 張りのあるやや低めの声が耳に届いた。どうぞ、とGは素気なく答えた。

 夕食のために入った店は、どうやら繁盛しているようで、店構えの規模の割には、人の出入りが多かった。よほど味で保っていると思われる。

 素朴な木のテーブルは四人掛けで、そうたくさん置かれてはいない。それも家族連れが陣取っているのが殆どである。

 一人で食事に来る彼のような者が珍しいらしく、相席も当然、という雰囲気が一目で見てとれた。

 Gの前に座った男は、彼と同じ黒い髪を長く伸ばし、同じくらいか、多少歳上に見える。彼とは別の意味で目を引くタイプだった。

 東洋の血が濃いらしく、切れ長の同じ色の瞳が独特の雰囲気を醸し出していた。

 ぼんやりとその容姿を観察していたら、男の方が切り出してきた。


「東洋系は珍しいですか?」

「あ、いえ。特にそういう訳では」


 そういう訳ではない。確かに旧東洋系は珍しいが、彼にはもっと希少性のある血が混じっていたから。

 彼にとって、帝立大学で音楽を学ぶことは、当初はささやかな一族への反抗であり、彼の属している世界からの逃走であったと記憶している。

 現在においてまでも、そこから削除されていない以上、特権階級の「一族」に属する彼は、その様に幼い頃から教育されてきた。

 教養だけではなく、その態度・物腰、目下の者に対する考え方・接し方… 息をすることすらそれに相応しくあることを強要された。

 疑いは持たなかった、と思う。音楽に接するまでは。

 音楽は当初、ただの教養の一つだったはずだった。それは、人前で演奏して恥ずかしくない程度の技術が身につけば充分の筈のものだった。

 だがそこで番狂わせが起こったらしい。彼にとってはそれだけのものでは留まらなかったのだ。

 ただ幸運なことに、それは一族には知られなかったようである。彼もまた、知られることを恐れた記憶がある。

 そして、その階級の子女がその年齢になれば、よほどの愚鈍でない限りそうするように、彼もまた、帝都本星にある最高学府へ進学した。

 当初は一族の意向の通り、政治・経済を専攻したはずなのだが、やがてそこから彼は音楽へ転向した。

 抜き打ちだった。一族は驚愕したようである。

 だが一度転向した学科を二度変更することは、学府からの退学を意味する。それは「一族」にとって不名誉なことだったから、彼の行動は見て見ぬふりをされたようである。そして彼はその時点で、一族の意識の中から抹殺されたはずである。

 だがそれからのことは、見て見ぬふりではなく、本当に「一族」の預かり知らぬところのものである。

 音楽専攻は、実は「MM」のうずまく場所だった。

 学生だけではない。教授・助教授・助手に渡って、至るところに反帝国組織「MM」の下部構成員の誰かが紛れ込んでいた。

 彼らは無理な勧誘を好まなかった。それは組織的な美学に反するのだ。そのただならぬ雰囲気を察知する、同じにおいを本能でかぎつける同族だけに誘いをかけていたのだ。

 そして彼は職業テロリストになった。


「ここへは休暇で?」


 男は簡単に訊ね――― そして彼もまた簡単に答えた。


「いえ、仕事です」 

「それは大変ですね」


 全くだ、と彼は思う。一体どの行動を「仕事」と名付ければいいのか判らないが、いずれにせよ仕事であることには変わりはない。

 目の前の男は優雅な手つきで注文したワインを飲み干す。

 実に自然なその動きが、何となしGの神経をとがらせた。判ってはいる。この惑星は、この都市はそういう人間達ばかりの所なのだ。

 自分の所属していた――― 自分に多大に影響を与えている階級への憎悪が、彼をその反帝国組織へ走らせていた。

 その感情は、彼にとって自分自身を必要以上走らせる武器にもなれば、弱点にもなり得た。

 彼は今現在の自分にとって、それが弱点になることを感じていた。気をつけろ、と彼は自分自身に警告する。そして深く突き刺したミートボールを口の中で激しくかみ砕いた。


「なかなかいい食べっぷりをなさる」

「若いですからね」

「それはいい事だ」


 軽く男の口元が緩んだ。おや、と彼はその表情の変化に気付いた。こういう表情には見覚えがあった。

 彼の中に一つの考えが浮かんだ。

 気持ちを切り替えれば、表情を変えることすらたやすい。


「でも大変ですよ。今日なんか、アルバイト先をクビになってしまいましてね。このままじゃあ帰ることさえままならない。宿なしですよ」

「そうなのかい」


 彼の口元が微妙に上がる。ほんの僅かな変化だったが、それは明らかに媚態を含んでいた。


「もし良ければ、一夜の宿を提供するが?」


 それは予期された台詞だった。そして彼はそれに対し、相応の台詞を返す。


「僕は高価いよ」



 そういった行為は、彼の育ってきた世界には、表向き、無いものとされていた。あるとしても悪徳とされていた。

 無論表向きである以上、裏には多々存在する。

 宗教でそれを禁じる文化の民族ではないにせよ、社会を構成する法則の中で、それは非常に非生産的で不実な行為だ、と呼ばれることが多い。

 だがその非生産的な面が好まれるのだ。その階級はその階級であるからこそ、暇を持て余している。退屈を紛らわす行為なら、それが多少モラルから外れていようと大したことはない。

 怖いのは生産的な行為でもって後腐れを残すことだ…とその階級に長い間居座り続けた者なら思うだろうが、あいにく、帝立大学へ入った頃のとても若い彼にはそんな「常識」は存在しなかったようである。

 だから、集団の下部構成員の一人から、最初にそれを強要され、受け入れた時、それまでの自分のモラルを破壊した事実に彼は酔った。苦痛とともに快感が、確かにあった。

 組織の道具として使われる快感と同じものが、そこにはあった。

 だがそれは一時のものだった。人間は、慣れるのだ。大抵のことに。

 気持ちの伴わない行為は、誰が相手であっても同じだった。それが彼をやがて冷めさせた。

 キムの指摘は正しかった。彼のその時の表情は、本気を感じさせていなかったのだ。

 注意しなければならない、と彼は思った。


 男に連れられて、その場へたどりつくまでの間、彼はひらりと浮かんだその正体について推測していた。

 予想通り案内された、都市で最も大きなホテルの広い部屋に着く頃には、彼は暗示を自分に掛け終わっていた。

 ある瞬間まで、彼はあの情報を検索する時の要領で、自分という存在を空白にし、そこに別の人格を植え付けることにした。ただ感じ、あの失墜する感覚と、昔は感じた罪悪感、それに気が付くと自分の中に澱んでいる絶望感を加えれば、上等。

 相手が自分の予想した者だったら、それは有効な筈だった。

 そうでなければ、それはそれで良い。

 やがて、広い寝台の上に黒い髪が乱れた。

 男は、確認するかのように指で、舌で、彼の身体に触れていった。

 その動作は非常に優雅で細かで、そしてなおかつ無駄はなかった。彼の弱い部分を知ると、そこを重点的に、執拗に攻める。

 見る者が見れば、その仕草は作業に思えたろう。個体の情報を一つ一つ走査し、確かめ、活用する。

 組み敷かれている彼の白い肌が次第に紅潮してくる。男はそれを認めると、次の行動に移った。

 防音が整った部屋には、時には獣のように低い、時には女のように高い声が響きわたった。

 男はそれを耳にしても、表情一つ変えない。切れ長の目は何かを確認するかのように開かれているだけだった。

 そしてその瞬間、それまでで一番大きな声が上がった。

彼は力尽きたように目を閉じ、それまで相手に絡ませていた腕を解き、そのまま上半身を寝台の上に投げ出した。

 その姿は全くの無防備だった。男が受けた命令を遂行するには最も適した状態だった。

 だがその時だった。

 彼の目が大きく開いた。

 男は何事が起きたか、すぐには理解できないようだった。

 そのまま素早く背後を取られ、自分の長い髪を首に巻かれるのを感じる。

 そういう暗示だった。

 その瞬間、暗示が解けたのだ。

 予想外の出来事に、生体機械は弱い。

 さすがに瞬発的な動きを唐突に行うのはこの状況では厳しいものがあったが、連絡員の指摘を聞いていなかったら、彼にこの機会はなかっただろう。

 ぐい、と首を締め上げながら、Gは男の首筋に手をやり、探るように指を這わすと、ある箇所を捜した。

 その間にも男は現在の状況を把握し、戒められてはいない手を駆使して自分を締め上げるものを切断しようとした。

 だが、普段は自分の暗殺する相手に対して使われる、そのハンギング・ロープは、滅多なことでは切れない。

 その間に彼は、その部分を見つけだした。服のブローチの針を、深くそこに突き刺した。


 !


 男の身体から力が抜け、ずるずると見た目以上に重い体がその場に崩れ落ちた。

 彼はふう、と安堵の息をついた。

 人間に同じ手を使ったら、まずそれは殺人技となるが、生体機械の神経系を正確についた場合、それは身体の自由のみを奪う効果があった。

 Gは手早く服を身につけながら、生体機械秘書の別の箇所に針を刺し、命令系統に混乱を加えさせた。この操作で主人以外の問いにも答えられる筈だった。


「聞きたいことがある。お前は特高の手の者か?」

「そうだ」


 抑揚の無い声が漏れた。混乱をきたした回路は、質問に素直に答えた。彼は複雑な質問を避けた。聞きたい本当の内容は、一つだけだったのだ。


「ルビイを誘拐したな。お前か?」

「私ではない」

「特高の手の者がやったんだな」

「そうだ」

「何故だ」

「お前を都市へ呼び込むためだ」

「俺を」

「局長は追い詰められている」


 なるほど、と彼は納得した。

 MPがここに居て、自分を追わないという時点で、それは考えられることだった。

 もともと帝国軍の一部である軍警と、内務省の管轄下にある特別高等警察局は相入れない存在だ。系統も違えば管轄も違う。ただ一つ、反帝国組織に対して以外は。

 近年、MPと特高は「MM」関係の検挙を半ば競争のように行っていた。それは帝国の版図全域において見られる傾向である。

 やがてそれは、MPと特高の対立だけでなく、それぞれの内部においても比較と対立を生み出していった。

 そんな折に、例えば「MPでも手に負えなかったテロリストの捕縛」を依頼された特高は。

 その部署は、何が何でも彼を捕らえなくてはならないだろう。何よりまず、それをできなかった場合のその部署の責任者は。

 ありがちなことだ、と彼はつぶやく。

 だが「ありがちなこと」に巻き込まれるのはごめんだった。彼には彼の仕事がある。それを遂行しなくてはならないのだ。

 おそらくこの生体機械が停止することで、この辺りに非常線が張られるのだろう。その前に彼は行かなくてはならなかった。

 これを完膚無きまでに破壊するのはたやすいことだった。だがそれでは時間が限られる。それは避けたい。

 彼は男の形をした生体機械をそのままにすることにした。停止してはいない。何やらぶつぶつと訳の判らないことを口ずさんでいる。いずれは完全に回路は混乱をきたすだろう。


 だがそれは俺の知ったことじゃないさ。


 彼は内心つぶやく。

 悠々とホテルを出た後、彼は次第に歩く速度を上げていった。さすがに本調子とは言えなかった。だが動けない訳ではない。


「キムの言ったこともそう無駄じゃなかったな」  


 ふとそんな言葉が口から漏れた。

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