2-2 サンド(仮)君、中佐と会い連絡員と戯れたのち、ルビイの不明に気付く
確かに顔を合わせる機会はある筈だ。
都市の仮装舞踏会から解放されたと思ったら、今度は田園音楽会だった。
伯爵の館の広大な一角に、円形の広場があった。そこには小さいが、演奏会を開くには充分な舞台があった。
都市から呼ばれたという弦楽器隊が、夜の涼やかな風に乗せて美しい旋律を奏でていた。
「あなたも一曲弾いたら?」
少女は彼をピアノの前に押し出した。
彼は黙って座ると、遠い過去に作られた南国の恋歌を見事なタッチで奏でた。即興でバイオリンがそれに絡まる。軽い曲だった。だが明るく、切ない曲だった。
手自体は鈍っていた。帝立大学の音楽科に居た頃に比べたら格段に。
だが表現力は逆だった。彼が関わってきた多々の現実が、技巧ではなく、表現の面で、彼に大きな変化を与えていたらしい。
「なかなかのものだね」
席を立った彼に、伯爵は目を細めて拍手を送った。
「いえ、それ程でも…」
「謙遜しないでいい。素晴らしい深みがある。なまじの人生経験ではそういうタッチは出せないよ。そう、何か血の色をした…」
「買いかぶりすぎですよ。僕はそんな物騒な人間ではない」
彼は苦笑する。
「いやいや、音楽だの絵画だのというものは、人の内側をそれとなく見せるものだよ。本人がどう隠したがっても」
昨夜の連絡員の言葉がひらりと心をかすめる。
「ところで、君にあの方を引き合わせるという約束をしていただろう?」
顔を上げると、彼の目の前には蒼の女王が居た。
頭の羽根飾りから、そのビスクドールとしか考えられないような白い肌とコントラストをなすシャドウと口紅、それに重々しいドレス。全てを深い蒼で統一した女王は、仮装舞踏会のあの瞬間を彼の中に再来させた。
「ご紹介します、蒼の女王。こちらはうちの夏だけの家庭教師のサンド・リヨン君。先程のピアノは彼の手になるものです」
「…」
蒼の女王は何も言わずゆったりと扇を揺らすと、軽く首を傾けた。その強烈で傲慢な程の美しい顔には、表情の一つも見受けられない。
「大層君の演奏をお気に召したようだ」
「それは… ありがとうございます」
あれだけで判るのだろうか、と彼は疑問に思う。
だが正しいのだろう。蒼の女王は否定もせずにただゆったりと扇を動かし続けるだけだった。本当に生きているのだろうか、と最初に見た時の疑問が再び彼の脳裏に広がった。
「おやおや伯爵、今宵の名ピアニストはワタクシにはご紹介いただけないんで?」
「いらしていたんですか、中佐」
吐き出すように伯爵はつぶやいた。
カーキに赤のラインの入った軍服を身につけた、目の覚めるような赤の髪の男がいつの間にか近付いていた。
その制服が軍警のものであることを彼が知らない訳がない。別に目の前に居る男を相手にした訳ではないが、MPは彼がつい最近、散々相手をしてやった敵方である。
「そういう言い方はないんじゃあないかなあ? 伯爵。俺はあんたに会いたくて会いたくて仕方なかったと言うのに」
「ピアニストに用があるんじゃないですか? リヨン君、君に用があるそうだ。付き合ってやってくれないか?」
突き放す口調で伯爵は矛先をGに向けた。
「全く愛想のないことで」
やれやれ、と言いたげに中佐は腕を広げた。
そしてごゆっくり、と言い残して伯爵は蒼の女王とともに、明らかに不機嫌を残して、その場から立ち去って行った。
「まあそれはそれとして、いい演奏だったぜ。学生か?」
「はい」
「いい身分だな」
「…」
中佐はにやり、と笑った。だがその金色の目は決して笑ってはいない。ぞわり、と背中を悪い感触が走った。
「俺は学生って奴が大嫌いでな。大したこともできないくせに、安易にテロリストの仲間に入りやがる。ウチにも他愛もない仕事を無駄に増やしてくれるものだ」
はあ、と彼は生返事をした。ただの学生ならそう答えるしかないだろう。
するとその返事が感情を刺激したのだろうか、いきなりぐい、と中佐は彼の顎を掴んだ。そしてぎらぎらする目で彼を見据えた。
彼は一瞬ひるんだが、ここで視線を逸らしたら逆効果であることだけは知っていた。しなやかで、獰猛な猫科の動物には。
目は逸らすべきではない。いくら隠した顔を持っていたとしてもだ。
獰猛な獣の表情のまま、中佐は穏やかな感想を口にする。
「だがピアノの演奏は良かったぞ。それは、本当だ」
「ありがとうございます」
「その位にしようよ、中佐」
聞き覚えのある声が彼の耳に飛び込んできた。連絡員のキムが、そこで酒の瓶を手にしながらにっこりと笑っていた。
「そいつは俺の楽しい楽しいお友達なんですからね。あんたのその腰にあるもんなんて受けたらひとたまりもない。勘弁して下さいよ」
「ふん」
中佐は手を離した。腰?ちら、とGは視線を下にやる。そこには、乗馬用だろうか、丈夫そうな鞭がしっかりとつけられていた。確かにこれで打たれてはたまらないな、とGは思う。
「まあいいさ。だけどこの都市では注意することだな、G君」
中佐はさらりと言った。Gは表情を変えずに自分の本名を耳に入れていた。
「僕の名前はサンド・リヨンですが、中佐」
「どっちだっていいさ」
ポケットからシガレットを出すと、中佐は細いその一本を口にくわえた。おい、と顎をしゃくると、キムははいよ、と自分のライターを投げた。何処で入手したのか、それはMP仕様の古典的なジッポだった。
「おいキム、後で行くからな」
「楽しみにしてますよ」
連絡員はにこやかに笑って中佐に手を振る。煙を揺らしながらポケットに手を突っ込み去っていく中佐の姿を眺めながら、Gは普通の口調で訊ねた。
「あれと知り合いなのか、キム?」
「まあね。悪い奴じゃあないんだが、時々無性に悪趣味になる」
どういうつき合いなのか、それはたやすく想像がついた。
「知っていたな」
「あん?」
「俺の名を」
「大した問題じゃあないでしょ」
「確かにな」
無論彼も判ってはいた。正体を知られている。そのこと自体には大した問題はない。問題なのは、その状態を何故作り出しておくか、だ。
「そう言えばお前、アルバイト先ってここだったんだね」
「芸は身を助くんだよ… とっとと行ったらどうだ? これからあの中佐とお約束があるんだろ?」
「まあそんな堅いこと言わないで」
キムはそう言ってへらへら、と笑うと、彼の肩に手を置いた。
「この間の続きってのはどう?」
「お前一体何しに来たんだ?」
「そりゃあ愛しい恋人のためでしょ? どんな者だって何かとつき合ううちに愛着の一つもできてくるものでさ」
「ぬけぬけと」
誰が恋人だ、と言いそうになってGはやめた。キムの口から固有名詞は出されていない。彼がその単純そうな表情の下で、何を考えているのか、Gにはさっぱり読めなかった。
この連絡員にも、何らかの思惑が働いているのは間違いない。この男は、聞く者によってどちらともとれる台詞を散りばめても、本当のことは口には出してはいないのだ。
いや、本当のことも言っているのかもしれない。だがそれは、散りばめられた嘘に隠れてその姿を容易には見せない。
「時間はあるのか?」
キムはにやりと笑った。
踏み込んでみなくては判らないことがあるのだ。
*
まぶたの裏で、光が揺らいだ。
「『泡』では全てが全て眠りについたのか?」
加えられる刺激の中、頭の半分で生きている理性を回転させて、Gは連絡員に問いかける。確かにこの男は曲者だった。この状況でも口調一つ変わりはしない。
「人間は。もしくは類似する生物は」
「では生体機械はどうだ?」
「あれもタイプによるからね」
質問に的確に答えながらも、連絡員は同志のテロリストに攻め込む手を止めない。いや手だけではない。
「だとしたら…」
ふっと彼の喉がのけぞった。半ば閉じていた目が開く。視線が絡む。
「何か判ったの?」
「まだ推測の段だ…」
頭の半分で快感を受け取りながらも、彼のもう半分は短い期間に受け取った情報を解析することを止めなかった。何かが彼の中で引っかかっていた。
ふと、唐突に動きが止まった。
「そういう態度は好きじゃあないなあ…」
連絡員はやや身体を起こしてつぶやいた。
「興ざめするじゃねえの?」
「…何」
「素人だって判るでしょ。お前本気じゃあないもん」
「…本気だよ」
「嘘だね。そういうのは、判るもんなのよ」
眉を軽く寄せる。見すかされたような気がした。彼はそういう行為は嫌いではない。が、好きという訳でもない。
相手の立場がどちらであろうと、自分がどちら側であろうがGには大した問題ではなかった。
苦にならない、という点ではそれは武器になったが、逆にこういう所でネックになるとは思わなかった。
キムはそれ以上何も言わなかった。その代わり、無言の抗議は延々と続けられた。
捨てるべき場面では、理性は捨てろ、と。
失墜の感覚。あの、天と地が逆になった時に感じるのと似た。
「…墜ちてみろよ」
つぶやいた、そんな気がした。
*
「疲れ果ててるねえ、お前」
くくく、と中佐は笑った。
数時間後、別の部屋に、類似した別の舞台がしつらえられていた。真っ白なその舞台の真ん中で、先刻の主演役者の一人は腕を大きく伸ばして転がっていた。
「当然でしょ… ったく、あんなに気の無い奴も珍しいんじゃないかよ」
「精も根も付き果てたかい? 馬鹿じゃねえの?」
「うるせえ」
それを聞くが早いか、目が覚めるような赤の髪の将校は、それまでテロリストを責めたてていた男にのしかかっていた。
「疲れ果ててる奴なんぞ楽しくないだろ? 止めとけば?」
「それとこれとは別」
「好き者」
「そりゃあ俺はお前のこと愛してるものね」
「はあそれはどうも」
「それに」
中佐の金色の目から笑みが消え、凶悪な光が宿る。
「話したいことは色々あるしな」
*
なかなか冗談じゃないな。
ふう、とGは相方がいなくなった部屋の中で、どう仕様もなく気怠い疲れの残る身体を伸ばし、冷静を取り戻した頭で考えていた。
全く曲者め。手加減というものを知らないのか。
そう考えたところで、彼はふと苦笑する。そんな甘ったるい発想がまだ自分にもできたのか。
部屋の隅の冷蔵庫から、彼は水のパックを取り出すと一息に呑んだ。
内側から、身体を冷ましたかった。飲み干すと、汗が一瞬にして吹き出し、そして止まった。開け放った窓から走り込んでくる微かな風は、それをさっと引かせていった。
快適な風だった。この都市では、快適な風しかない。
ない筈だった。
彼は、その中に混じる臭いにふと眉を寄せた。
彼は窓の側に近づき――― 眠気が一瞬にして覚める自分を感じていた。
森が、燃えていた。
手早く服をつけ、彼は森の方へと駆け出した。
スプリンクラーが何処からか出現し、その能力を余すところなく発揮しているにも関わらず、火はただただ燃え盛るばかりだった。
「伯爵!」
「ああ、リヨン君、君か」
寝間着にガウンを羽織っただけの伯爵が、半ば呆然とした表情で消火の努力と火の威力を同時に見つめていた。
「一体これは」
「判らん… それより君、ルビイを見なかったか?」
「ルビイ嬢を?」
ああ、と伯爵は彼の答を聞くや否や、両手で顔を覆った。
「彼女がどうかしたのですか?」
「いないのだよ。館の何処にも」
「いない」
彼は眉を顰めた。
「使用人の誰に訊ねても知らないという。さすがにあの子も、客人の寝室に忍び込む程不作法な筈もない。てっきり私は、君の所かと思っていたんだが…」
自分の元に忍び込んでいても、それは充分不作法であるような気がするのだが、と彼は思う。
「だったら、僕の部屋に確かめに来て下さっても良かったものを… いや、この状態では動きようがありませんか」
「それだけではない。実はリヨン君、常々あの子は狙われていたのだよ」
「狙われて」
「実は、あの子は蒼の女王からこの私が預かった子なんだ」
「あの方の敵対勢力が近くに居たと言うことですか?」
「そうだ。くれぐれと、と言われたものを… あの方に対し面目が立たない…」
ふっと伯爵の足がふらつく。彼は慌てて手を差し出した。
伯爵の身体は意外に華奢だった。Gよりも充分小柄だった。
森を焼き尽くそうとする炎の色がその顔に奇妙に説得力をもたせる。
伯爵はやや見上げるような形で、彼の両腕を掴んだ。何を考えてるのか知らないが、哀願するようなこの恰好はなかなか彼をぞくぞくとさせた。
「頼む、彼女を捜してくれ」
「言われなくともそうしますよ」
それはもとより、そのつもりだった。