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2-1 サンド・リヨン(仮)君、伯爵宅で家庭教師のバイトをすることに

 緑があふれていた。

 電気路線自動車トロリーを降り、淡いベージュの石畳をしばらく歩くと、朝方、ホテルの端末で検索した目的の館が見えてきた。

 緑に包まれたその館はひどく大きなものだった。

 帝都本星にある学府の、学生用掲示ページにGが進入して選びとったアルバイト先は、避暑惑星アルティメットの首府都市グラース郊外に住む貴族の子女の家庭教師だった。

 教養全般に加え、音楽の素養がある者、という条件は音楽専攻だった彼に、実に向いていたと言えよう。

 門の周囲はひどく静かだった。人の気配というものがまるで感じられなかった。

 インタホンで来訪の目的を告げると、横の待機小屋で待つように指示された。彼は大人しくその指示に従った。

 小屋と名がついてはいたが、それは小さな邸宅と言ってもおかしくなかった。低賃金層の庶民では一生かかってやっと手に入れることのできる規模のものと言っても差し支えない程である。

 黒い卓の上には初夏の、主に木を彩る小粒の、淡い色と淡い香りの花々が飾られていた。時々窓から入り込む穏やかな風にさわさわと揺れ、支那趣味の卓の光沢のある表面に盛りの過ぎた粒をぽろぽろと落としていた。

 こういう沈黙は彼はそう嫌いではなかった。だが一方、待たされるのはそう好きではない。観察を続けるにも限度はある。

 そう思った時だった。ぴょん、と兎が跳ねた。 


「大佐! ここで会えるとは思わなかったわ!」


 明るい声が彼の耳朶を打った。

 昨夜の少女だった。大きな耳を付けていない少女はそれでもルビーの瞳を持っていた。


「君か」

「ルビイよ」


 少女はその目と同じ名を口にする。飛び跳ねる勢いで、彼女は言葉を彼に投げつけた。


「今日はまだ朝よ。じゃあ今は大佐さんじゃ変よね? あたしあなたを何て呼べばいい? この家に来たの?」


 どれから答えたものか、と彼はやや苦笑する。だがそれは決して悪い感じではなかった。


「サンド・リヨンって言うんだ」


 彼は普段から使い慣れている偽名を口にする。


「学校で紹介されてね、ここでアルバイトすることになっているんだ」

「サンド? 昔の作家さんのような名前ね。ジョルジュ・サンドって居たでしょう? 遠い遠い昔。ああでもあれは女性だったかしら。知ってる? ショパンの恋人だったひと。ピアノできるんでしょ? だったら知ってるわね? ここで仕事? だったらそんな所に居ずに、行きましょうよ」


 ローサイドのウエストの、膝の少し下まであるワンピースにも関わらず、少女は機関銃のように言葉を投げかけると、身軽に窓を乗り越えた。


「昨夜の大佐の軍服の恰好も素敵だけど、今日のも悪くないわね」

「ありがとう。君もその方が可愛いよ」


 くす、と少女は笑った。仮装舞踏会の昨夜では年齢が判るような恰好ではなかったが、太陽光の下ではまだ十三にもなっていないように見受けられた。まだ女性になりかかってもいない、「少女」だ。


「君はここの子なの?」


 うん、と少女はうなづいた。


「正確に言えばそうではないのよ。でもアルバイトの先生を必要としていたのはあたしよ。ようこそこの館へ」


 スカートの端をつまむと少女は可愛らしいお辞儀をした。そして彼の手を引っ張った。


「あんなところで待たされてるんじゃ、いつまで経っても伯爵に会えないわよ。あのひと、そういうひとだもの。やってきた人に興味なんてないのよ」

「伯爵?」

「昨夜あなた会ったでしょ?」


 あの紳士か、と彼は記憶をひっくり返す。夢見がちな瞳をしていた、という記憶がよみがえる。


「彼もここに居るのか」

「はずれ。ここは彼の館なの。ずっとずっと彼が一人きりで暮らしてきた所よ」

「一人きり、というと家族は」

「変わり者ですもん」


 昨夜同様、間違えると嫌味にしか取れない台詞を、少女はさらりと言ってのける。


「あたしもよくは知らないけれど」

「君はじゃあ親戚か知り合いのお嬢さんなのかな?」

「ううん、囲われているの」


 少女はさらりと言った。



 首府グラース。

 その中心部に、その地にしては大きなビルが周囲の風景をぶち壊しにして建っている。持ち主は、特別高等警察局。治安維持を最大の目的とするその役所は、周囲の風景を充分乱している存在だった。

 そしてその局長はその日、思いがけない人物の訪問に少なからず動揺していた。 


「―――するとこの都市にテロリストが入り込んでいると? コルネル中佐」

「推測じゃない、事実だ」


 やや斜にかぶられたカーキ色の帽子の下から、ひどく愉快そうに細められた瞳が覗いた。

 帽子と同じ色の服は、訪問者が軍人であることを顕示し、その肩章と襟章に付けられた黒い星は、その中でも彼がひどく特殊な部類に入ることを誇示していた。


「ですが、中佐も御存知の通り、現在この都市は『夏』です。異分子の入り込む隙は」

「俺だって異分子だけどね?難なく入り込めたけれど?」

「あなたは軍人でしょうが」

「まあそうだけどね」


 にやり、と訪問者は口元を歪めて笑う。そして帽子を取ると、ぱたぱたと面倒臭そうに、ややはだけた胸元を扇ぎ始めた。朱に近い、目の覚めるような赤の髪が、やっと自由になったとばかりに広がった。


「まあいいさ。とにかく俺は伝えたよ。軍警は今回、この都市に入り込んだテロリストの追撃を、あんた達特高にお願いする。だから片付けるのはあんた達の役割だ。奴自身にキョーミはあるけどね」

「そのテロリストと、お知り合いですか」


 やや嫌味を込めてアルティメットの特高局長は訊ねる。彼は実に不愉快な気分になっていた。

 明らかに自分より二十は年下に見える若造に、それでも相手がMPというだけで同等もしくは頭を下げなくてはならない。その歳になってようやく辺境の警察局長になることができた男にとっては、目前の男の態度は許せないものがあった。

 だが人並みの悪意しか持たない男の嫌味は、所詮大した毒は含んではいない。口に出してから局長は後悔した。目の前の男は彼の精一杯の嫌みに対して、蚊に刺された程度にも感じてはいないような顔をしている。


「そりゃあ勿論。ああいった輩を追い詰めていくこと程楽しいことはありませんな。そうまるで、長年恋い焦がれた思い人を手に入れるかのようではないですか?」


 さらりとそう言ってのけると、コルネル中佐は席を立った。局長は歯がみした。

 足音が遠くなった頃、局長は端末をデスクから引き出した。彼は通信回路をONにする。すると、秘書の生体機械が端正な顔に無表情を浮かべているのが映った。


『お呼びで?』


 張りのある声が、主人に向かって問いかける。


「仕事だ。例の男の軌跡を追え」

『了解』 


   *


「やあすみません。家事長に任せておいたらつい忘れてしまったそうで。サンド・リヨン君?」


 伯爵はあらかじめ郵送されていた、彼の偽の履歴書に記された名前を呼んだ。


「お構いなく。でもルビイ嬢が出てきてくれて助かりました。ですが伯爵、昨夜判っておりましたら、僕にもご挨拶の一つもできましたものを」

「いやいや」


 穏やかな笑みを浮かべながら伯爵は手を振る。指を揃えて振る様が、Gの神経にやや障った。何やらそれは、馴染み深いものを思い出させる。

 伯爵は思ったより若いようだった。眼鏡の底の瞳は穏やかな光をたたえ、髭もまたよく手入れがされていて、それでいて嫌味ではない。年季を重ねたように見せようとはしているが、三十越えているかどうか、というぐらいに彼には思われた。


「それで、彼女には全教科と、音楽を?」

「名目上は。ですが、さほど大仰なこととは思わないで下さい。どちらかと言えば、私は彼女と話が出来るような相手を求めていたのですから」

「話相手、ですか」

「ええ」


 やや話が違うんじゃないか、と彼はふと思った。


「僕はてっきり、彼女はあの女性の身内かと思っていました」

「女性? ―――ああ、蒼の女王のことですか」

「やはりそう呼ばれているのですか?」


 彼は、昨夜見たあの最高級の蒼いビスクドールの様な姿を脳裏に浮かべた。忘れようと思っても、あの姿はそうそう忘れられるものではない。


「あの方をそれ以外のどんな名で呼べましょうか?」


 伯爵は笑みを浮かべながら言う。確かにそうだった。Gも無言でうなづいた。


「あの方は、去年よりの避暑客です。この都市で毎夜のようにくりひろげられる仮装舞踏会、そこでは必ず蒼の衣装をつけて現れる。そして似合っておられる、どんな色よりも」

「そうですね」


 彼もまたうなづく。伯爵の言うことは間違ってはいないだろうと思う。だがこの賛美の言葉は嘘だ、と同時にGは感じていた。

 崇拝者の持つあの雰囲気が、この伯爵には存在しない。他人の表現する賛美の言葉を、ひどく冷静に、陶酔したような表情で述べることができるのだ、と彼は判断した。


「今度君にもあの方を引き合わせ致しましょう。きっとよい出会いとなりますよ」

「ありがとうございます」


 話が終わったのを見計らったように、少女が部屋に飛び込んできた。外へ行きましょう、という少女の誘いに彼は断る理由を持たなかった。



「君は嘘をついたね?」

「嘘? 何のことかしら?」


 少女は彼の少し前を歩きながら、後ろ手にくるりと振り向いた。お庭を案内してあげる、と少女に連れ出されたのは、ほとんど森と言って差し支えなかった。高い木々の間からきらきらと光が漏れる。


「囲われているなんて」

「嘘じゃあないわ。今はともかく、大きくなったらそうするって、女王様もおっしゃったもの」

「蒼の女王様?」

「そうよ」

「彼女と君はどういう関係なの?」

「知りたい?」


 彼はうなづいた。あの蒼の女王と呼ばれている人物に、彼は危険なものを感じとっていたのだ。

 何処がどう、と言葉で説明できるものではない。それは入眠時に一瞬ぎらりと見える、夢の中の映像にも似ていた。

 ひどく鮮明で、細部まで自分は把握しているはずなのに、目覚めた正気の頭の中には、それは決して映らない。

 だが夢とて自分の精神活動の一つである。彼は自分のそんな一瞬の感覚を大切にしていた。  


「あたしは女王様のお人形なのよ。拾われた時から」

「拾われた」

「ええそう」


 ひらり、と少女の真っ赤な目の光が揺れた。


「でもきっとそんな日は来ないのよ」


 少女はそう言って、意味有りげに笑った。

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