灰猫族 0-1
―――――世暦、五億万年 現代。
人口一千万人が暮らす、エバン地方。その中で人と化け猫が混ざり合った人種が暮らす、リンクスという国。その国の首都・ミケニヤという街で人々は今日も平凡な毎日を過ごしていた。
その様子を微笑ましく見る、灰色の少女が旅の荷物を背負いながら歩いていた。彼女の名は、シェルビーナ・レフ―――通称、シェルだ。シェルビーナは旅を始めたばかり。そして、裕福な家庭で育ったため、人より世間知らずの箱入り娘であった。ついさっきも食事をとろうとして、大声で「これください」などと叫んでしまった。
「お客様、恐れいりますがここはお静かにお願いします。ああそれと、従業員を呼ぶ際はこちらのベルをお鳴らしくださいませ」
それと同時に他のお客からの笑い声やひそひそと話し声が辺りを包んだ。「一体どこの田舎者か」とか、「あんな立派な姿をしているものだからきっと世間知らずのお嬢様じゃないかしら」なんて噂されて注目を集めてしまった。恥ずかしい、自分がこんなにも世間知らずだったなんて思いもしなかった。
(こんな思いするくらいなら、もっとマナーの勉強しておくべきだったな)
シェルビーナは赤面しながら拳を握った。シェルビーナは先ほどのレストランに居た客人に噂されたとおり、故郷は田舎であり、実は村長の娘なのであった。その村は、この国の神獣とされ崇められている、巨大な化け猫・キャットシーの血を強く引く人種―――――リンクス人の戦闘民族である『灰猫族』たちが住む、ハイネスという村だ。しかし、その村はもうどこにも存在しない。
ハイネスの村が何故、滅んでしまったのか。そしてまた、村を滅ぼしたのは誰なのか。しかしその犯人が村から姿を消し、行方不明になっていた。シェルビーナはその犯人を追うために、旅を始めたのだ。
「はあ…、今日もまた収穫ゼロだったな」
噴水に腰掛け、シェルビーナは空を仰いだ。空はオレンジに包まれ、大きな太陽がさっきよりも東に傾いていた。人探しをしていて、時間を忘れていたシェルビーナはそういえばもうそろそろ日が沈んで暗くなるころだと気づくと同時に今日の食事や宿代が無くなってしまったことに気がついた。このままでは野宿する事になってしまう。野宿するどころか、今日の晩をしのげる食事の「し」すらない。いっそこのまま本当に猫らしく、そこらへんの路地裏に入り込んで、残飯でも必死に探してみるのも旅の楽しみとしてはいいかもしれない――――なんて現実逃避をしているシェルビーナに、一人の女性が声をかけた。
「旅人のお嬢さん、どうしたのかしら?そんなに暗い顔をしちゃって」
「…え、私が?」
「ええ、まるでこの世が終わってしまいそうな顔をしていらしたわ。何かお困り?」
「はは、実は大変お恥ずかしい話なんですが、持っていたお金が底をついてしまってしまったんです。今日は野宿かなー、なんて…」
「まあ、それは大変!こんな可愛らしいお嬢さんを、こんな寒空の中で一夜を過ごすだなんてありえないわ。――――あなた、ウチにいらっしゃいな」
「えっ、いいのですか?」
シェルビーナはいきなりガバッと立ち上がって、リンクス人の女性の顔を見た。リンクス人の毛並みは人それぞれではあるが、灰猫族の者だけ毛並みは灰色だと特定されているため、わかりやすい。
女性の毛並みは紫色。とても綺麗で、きっとお手入れもたっぷり時間がかかって、シャンプーもとても高価なものを使用しているに違いない。
「いいのよいいのよ、一人くらい!ウチはちょっと稼ぎがいいだけで、大したおもてなしは出来ないけれど」
「いえいえ、そんな。泊めていただけるだけでも有難いです」
「それならよかったわ!わたくし、ビアララというの。あなたは?」
「シェルビーナ・レフと申します、シェルと呼んでください」
「―――――ええ、よろしくね、シェル」
そしてシェルビーナは、ビアララの住むお屋敷へとやってきた。とても豪華な屋敷で、一瞬どこかの貴族の家なのではないかと錯覚してしまった。玄関ホールの真ん中で輝く豪華なシャンデリアに、一体いくら掛かっているのかわからない調度品や絵画、彫刻などがあちこちに飾られている。これが「ちょっと稼ぎがいい」だなんて済まされるほどではないくらい、豪華だ。
「すごい…。ビアララさんはお一人で住んでいるんですか?」
「ああ、まだ話していなかったわね。ここには私と夫と娘と飼っている『ペット』が住んでいるわ。夫と娘はともかく、飼っているペットはとても人見知りなのよ。だから、あんまり刺激しないでくれると助かるわ。あの子はちょっとしたことで牙をむくから」
「わかりました、気をつけますね」
「ふふ、あなたって本当に可愛らしいお嬢さんだこと。ああ、あそこがリビングよ。あそこに夫と娘がいるはずよ」
ビアララがリビングの扉を開く。「さあ、入って」とビアララに押されて入ると、リビングもまた豪華なもので飾られている。そこらじゅう、金ばかりで目がまぶしくなってきた。
「やあ、ビアララ。その可愛らしいお客さんはどなたかな?」
「あなた、聞いてくださいます?このお嬢さん、旅のお方なのだけれど、今夜の泊まる宿や食事のお金が底をついてしまったらしくって。わたくしが連れてきたのよ」
「おやおや、それは災難だったねお嬢さん。ビアララの夫のスルフというものだ、よろしくお嬢さん」
「シェルビーナ・レフと申します。こんな旅人の私にこんな豪華なお宅を泊めてくださるなんて光栄です」
「はっはっは!まあ、そこらへんの貴族のお屋敷には敵わないがね。ほれ、お前も挨拶しなさい、セイラ」
スルフが後ろに隠れている一人の少女の頭をポン、と優しく撫でた。その女の子は見知らぬ客人であるシェルビーナに少し警戒しているようだった。
「はじめましてセイラちゃん。私はシェルビーナ。よかったらシェルってよんで仲良くしてくれると嬉しいな」
「…っ…」
「こーら、セイラ。ごめんなさいねえ、まだセイラは人前に出るのが恥ずかしいみたいだから」
「いえ、お気になさらず」
「さ、客人であるシェルビーナさんに部屋を用意させよう。おーい!客人を部屋に案内してやってくれい!」
スルフが近くにいた執事さんらしき人物に、部屋まで案内させるよう命じた。その執事は「御意」と了承し、シェルビーナを部屋まで案内した。
*
――――同日。テッド王宮の大広間にて昼食を摂り終えた一人の若い王子が頭を抱えてうなっていた。
一週間前、同盟を結んでいるリンクス王国から助けてほしいという国王からの伝達が届いたのだ。その内容をみた国王は病を患っているため、息子である双子の王子たちに代わりに解決してほしいと頼んだのである。
「謎だな、その誘拐事件とやらは」
「はっ。いかがなさいますか、レアン王子」
隣国まで諜報活動に勤しんでいた最年長の部下でありながら彼らの世話係でもある侍女長のシグレが問う。
「リンクスの国王陛下殿は、父上の大切なご友人だ。失礼があってはならん。シグレ、そのままで構わん。その事件について俺に話をしてくれ」
「はっ。ここ最近――――具体的に言えば一、二ヶ月ほど前からの期間で、リンクスの首都・ミケニヤで国民の失踪事件が相次いでいます。調べによると、狙われるのはリンクス人の女性ばかりだと判明いたしました。さらにリンクスの騎士団に情報を戴いたところ、被害者は耳と尻尾、それと毛皮をはがされた状態でホトケとなって発見されたそうで」
「うへぇ」
レアン王子の護衛で横に立っている国の紋章が刻まれた鎧を身に着けた青い髪の若者が口元を抑える。それを見た掃除中の新米のメイドであるヤナが眉を吊り上げる。
「ちょっと!レアン様の御前よ、ヤーグ!」
「いやだって本当に」
「構わん、俺だって気持ちが悪い。正直、先ほど口にしたものが意から出てきそうなほどだ。もし死ぬなら、せめて皆に涙を流されながら死にたいものだな」
レアン王子はリンクス王国の国王陛下からの手紙をもう一度見直した。どうやら、事件発生の原因は未だに不明で、犯人もわかっていない。ただ、共通しているのは狙われるのが『リンクス人の女性であるということ』だ。
「まず、何故リンクス人の女性ばかり狙われることに関してだが身体の一部を収集しているのは、ほぼ間違いないだろう」
「レアン様ぁ、犯人は男性なのではありませんか?私は女性なので、男の気持ちなどよくわかりませんが、…ほら!なんていうか、そういうので」
「つまり、犯人はリンクス人女性の体が好きな特殊な性癖を持った変体であるといいたいのかしら?」
「あっ、そう、それです侍女長!」
「―――ヤナ。侍女長として言わせてもらえば、『なぜ新人であるあなたが国政について口を出すのは王子の失礼に当たる』といいたいところだけど、個人として意見を述べるなら同じ意見だわ。私も女性だしね」
「ほんとですか!?」
「――――満足したならさっさと掃除なさい」
「ひぃ!今すぐしますうぅぅぅ~~!」
「…なるほど、国王陛下も頭を抱えてしまうわけだな。シグレ、その他の情報はないのか?」
「申し訳ありません。これ以上は」
「いいや構わん、落ち込む必要はない。しかし、犯人の居場所や特徴、動機もわからない限り、これでは犯人どころか『真実』にさえ辿り着けない。なんとかしなければ…」
「随分と苦戦しているようですね」
「シアン!」
そこへ、レアンの双子の弟であるシアン・テッドが姿を現した。シアンはレアンとは違い、神秘的な雰囲気を持った男の子で、眼鏡をかけている。常に本を持っていて、昼間はずっと部屋に引きこもって、王位継承者としての役目を果たすために勉強をしている。本人曰く、兄のようなバカにはなりたくないらしい。
「お前も何か情報は持っていないのか?」
「情報…?一体何のことです」
「リンクスで起こっている失踪事件についての情報だ」
「ああ、国際新聞でも話題になっていますよね。残念ながら持っていませんよ。早めに解決をしなきゃ、きっとリンクス国王陛下は記者会見にだされ、そのご友人の息子である僕らも巻き込まれる可能性が高いです。その確立を計算すると――――」
「あああああ!!もうわかった、わかった!解決すればいいのだろう、このガリ勉眼鏡め!」
「ちょっと!弟に向かってその言い方はなんです?」
「お前のその可能性を計算してしまうクセをどうにかできないのか?個性としては悪くないがな。話を戻すが、このままでは何も進展しないぞ」
レアンの言葉に、誰もが頷いた。しばらく皆で「うーん」と腕を組んで考え込んでいると、ヤーグが何かを思いついたのか手をあげた。
「あ、あの提案といえば提案ですが」
「何ですか、ヤーグ」
「何か方法でも思いついたのか!?」
「いや、まあ、方法といえば方法なんだけどさ。――――いっそ、リンクスに行くっていうのはどう?」
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「ふわぁ~、あったまった、あったまった!いやぁ、やっぱお金持ちさんの家のお風呂はいいものね~」
部屋を案内されたあと、執事さんに「ちょうどお風呂が開いているのでよろしければどうぞ」というお言葉に甘えて、シェルビーナはゆっくりとお風呂に入らせてもらった。やっぱり全て金で出来ているなんて贅沢だなと少し思う。色に飽きないのだろうか、他の色の物も取り入れればいいのにと考えながら歩いていると、シェルビーナはふと足を止めた。
「………あれ、私の部屋ってどこだったっけ」
どこから迷ったのだろう?確かさっきの角を曲がったところにシャワールームがあって、それからまっすぐ行ってしまったのか。このお屋敷にはビアララが案内してくれたが、どうもこの屋敷の間取りは複雑すぎて、シェルビーナにとってこの屋敷は迷路のように思えた。確かに裕福な家もいいけれど、狭いほうがいいとシェルビーナは思う。
(だって、狭いほうがずっと近くにいられるじゃない)
記憶の底に眠る幼きころの思い出。隣には、「あの人」がいて。寒いとおびえて泣く自分に「大丈夫だよ」と囁いて、暖めてくれたのを今でもハッキリと覚えている。だけど、すぐその光景はかき消され、赤く燃え上がる炎と村人たちの悲鳴が耳から離れず、反響する。
「――――どうして、兄さん…」
すると、いきなり服の裾をぐいっと誰かにつかまれた。一瞬、侵入者かと思ったが振り返るとそこにはビアララさんの娘である、セイラの姿があった。セイラは何を考えているかわからない、宝石のような目でシェルビーナをじーっと見つめ続け、何も言わない。
「セイラちゃん?どうしたの、トイレでも行きたくなったの?」
セイラは無言で「そうじゃない」とシェルビーナの服の裾をつかんで、俯いたまま首を横に振る。すると、セイラは持っていたスケッチブックで字を書き始めた。
そこには、こう書かれていた。
―――――『お姉ちゃん、逃げて』