灰猫族 1-1
シェルビーナの故郷であるリンクスからテッド王国までは少し長い船旅となる。その為、船酔いがひどい乗客は酔い止めの薬を飲むことが推奨される。何故かテッド行きのリンクスの船は酷く揺れ、酔ってしまう乗客が耐えないのだという。その揺れの酷さから、『テッドとリンクスのグラつき船』という別名まである。その船の揺れの餌食となったシェルビーナは、真っ白な顔で空と同じ色をした水平線を見つめていた。
「ううう……。船がこんなに揺れが酷いなんてっ…」
「も、申し訳ございません。灰猫族様…。ウチの船はこれが売りでして」
「それでオーケーしてくれるお客はエバン地方全てとは限られてないと思うのよね」
「は、ははあ。そうですね、今度からは、揺れの少ない船に乗ることをお勧めいたします」
シェルビーナに酔い止め薬を渡してくれたスタッフは苦笑いでその場を去っていった。苦笑いで済むのだろうか、あれは。仮にも一部の地域では灰猫族を賞賛しているはずだ。その灰猫族の唯一の生き残りである自分の言い分も少し聞いて欲しいとも思う。
(唯一の生き残り―――…か)
仮に兄であるキゲルが生きていたとして、灰猫族は2匹のみ。2匹残ってしまったとしても灰猫族がリンクスの生きた伝説であることは間違いないのだが、それをだんだん信じていかなくなってしまうのではないだろうかと不安になる。灰猫族はあの日に全て消えてしまった。消えてしまったのなら、また増やすことは可能なのだろうか…。
子孫を残す――――もし仮に子孫を残すとして女の灰猫族は自分だけだ。そして、男は兄のキゲルのみ。
「……えっ、もし仮にそうなったとして身内で…?身内で子供を作るなんて自然の理に反するんじゃ…?」
「……一体何の話をしているんですか」
「ひっ!?」
声をかけてきたのは、レアンの弟であるシアンだった。揺れの激しいテッド行きの船なのにも関わらず、彼は涼しい顔してその場に立っている。
「シアン…様は、平気なのですか?この船―――うっぷ…」
「あなた、僕らを何だと思っているんですか?これだから箱入り娘ならぬ、村入り娘は。僕らの父である国王は病で伏せっているため、代理で執務仕事をしたり他の国へ赴いたりしているんですよ。勿論、あなたの故郷であるリンクスなんて数え切れないほどですよ。でもまあ最初はあなたみたいに酔って帰りの船は吐いて吐いて吐きまくりました」
「……慣れたんですね」
「まあいいでしょう。ところで何を考えていたんです?こんなに揺れる船の中で、自然の理に反するとかなんとか」
「あっ、いや!ええっと…。灰猫族の今後のことを考えていたんです、もし兄が見つかってすべてが許されたとしても、灰猫族はもう兄と私だけです。もしそれで灰猫族の復活を計画するならば、兄と子を作るしかないんじゃないかなって」
「それで、『自然の理』に反する――と。さすが灰猫族ですね、長く生きているくせに考えることは僕ら人間と同じ馬鹿らしいんですね」
「……期待を裏切って悪かったですね、灰猫族はあなたと同じ世界に生まれた生き物には変わりないので」
「いえ、期待はしていません。ですが、少し意外でした。あなたのような人は僕らよりも長い時間を生きているものだから、この森羅万象に対する考えは僕らと違うんじゃないかと思っていました」
レアンと違ってこの双子の弟、シアン・テッドは第二王位継承者候補にしてはレアンと性格が正反対だ。外に出ることを喜び、憧れるレアンとは違って、シアンはそれよりも知識に目を向けているように思える。
「シアン様は、『何か』を学んだり知ることが好きなんですか?」
「ええ、王位継承者候補としては珍しいでしょうね。僕は兄さんが嫌いじゃないけれど、いずれこの王位をねらって争いが起こるのではないかと思っているんです。炎から生まれた国と言われていますが、実際は戦火の中で初代テッド王が国を作ると決心したから、なんですよ。敗北者の口からね。その息子が僕達の先代であり父上でもある、グラム・テッド王です。もうすぐ、お会いできますよ」
テッド王国の玉座の間は、全て真紅のもので装飾されている。テッド王国は炎から生まれた国といわれるおかげか、宗教も存在するようで炎の神・アトミックを信仰しているそうだ。その話によれば我々の命はアトミックによって与えられた炎であり、アトミックが許さない限り命を捨ててはならない―――つまり、自分に誇りを持って生きろということだ。実に好戦的なテッド王国らしいと、シェルビーナは思う。
そのアトミックと心を通わせる事ができる(実際は王権神授説なのだろうが)と言われている、レアンの父親であり現在のテッド国王の寝室へとシェルビーナたちは足を踏み入れる。現在のテッド国王は病に臥せっているため、玉座に座ることは難しいとの事で仮の玉座として彼の寝室が使われているらしい。それで寝室は豪華な調度品に囲まれている。
「ううむ…、君がシェルビーナ・レフ…。灰猫族かね」
「いかにも。お初お目にかかります、テッド国王。あなたの息子であるレアン・テッド様には大変感謝しております。彼があの忌まわしい事件に彼が気づかなければ、きっと私の命はなかったことでしょう」
「礼を言うのはこちらもだ、ヤーグの手助けをしてくれたそうじゃないか。その魔術、とやらで」
「古代魔術の一つ、神獣召還魔法でございます。……セイラ王女の生みの親を殺したのも、私が契約した神獣です」
「……複雑な気持ちであろうな、王女は。母は悪魔に魅入られ、父は禁断の関係を持った。本来であれば、彼女が王族として認めるのは許されぬ」
「シュナル王はセイラ王女の生還を大変喜ばれておりました。彼の意思を尊重してあげたいと私は思っています。私が話したいのはビアララが契約した悪魔についてでございます」
悪魔の存在は、ここエバン地方では信じているものは少ない。一部ではいるかどうかすら知らない国も多い。しかし、セイラ王女の一件でそれは覆ることにことになるだろう。
「ビアララは悪魔化し、死んだ。それは間違いはないとヤーグからは聞いているが、彼女が悪魔と関わった原因はわかっているのかね?」
「彼女は、自らの強い欲望の匂いを嗅ぎ付けて現れた悪魔と契約をしていました。彼女は魂と引き換えにあのような力を手にしていました。もし、今よりも暴走していれば私どころかミケニヤの町すら危うかったでしょう」
「なるほど…。悪魔は『尋常ではないほどの強い欲望』に反応すると。
――――ふう…」
テッド王が一つ溜息をつく。そろそろ体力が限界なのだろうか。側近の大臣が「申し訳ありませんが、そろそろ…」と言いはじめたので、シェルビーナは一礼して立ち去ることにした。
テッド王の余命は短い。ずっと長い間、人間の死を見届けたシェルビーナはあとどれくらいの命なのか判断できるようになってしまっていた。もし、運が悪ければ彼は…。
「お前の神獣が殺した、なんて随分自虐的なことを言うんだな」
「! …レアン王子」
後ろから話しかけられたため、シェルビーナは気づくことが出来なかった。扉の横で、彼女が出てくるのを待っていたように思えた。