迷わずの森に踏み込む前に
――迷いの森ではなく、迷わずの森。
それが未だ足を踏み入れぬ森ではあるが、一目見ただけで広大だと解るその森の通称だという。
土地勘のない俺たちなど入って十分もしないうちに迷ってしまいそうな印象を受けていたものだが、思わぬ通称に俺は思わず疑問符を浮かべてしまった。
だが、その印象もある意味では正しいようである。
村長であるクロウリーさんから詳しい話を聞いて分かった事を挙げると、以下のようになる。
―― 一つ、迷わずの森に一歩でも踏み入ると、強制的に森内部のいずれかの場所に移動させられ、踏み入った者全てに試練が課せられるとのこと。
唯の一人の例外もなく、人以外の生き物でさえも同じらしい。
―― 二つ、森の中では強制的に一人で行動させられるとのこと。
例え手をつないでいたとしても、背負っていたとしても、横抱きにしていても、入った時点で強制的に別行動を強いられるらしい。
―― 三つ、森の中には外敵と呼べる生き物が一切いないとのこと。
これは一つ目、二つ目の派生的な特徴だろう、全ての生き物が森に入った瞬間強制的に個々で試練を受けさせられるという性質上、森の内部で試練を受けている者同士が接触するという事が起きないという事なのだろう。
―― 四つ、森の中に居られる時間が限られており、時間が経てば初めに踏み入った地点に戻されるとのこと。
時間はきっかり二時間、つまりはその時間内に試練を完了させなければならないという事らしい。
―― 五つ、勇者とそれ以外の人では課せられる試練の内容が異なるとのこと。
これは試練を乗り越えた先に与えられる報酬の違いによるものらしい。
大まかだが、以上の五つが迷わずの森の特徴だった。
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クロウリー村長宅を後にした俺たちは、そろって件の森に向かって轡を並べていた。
木々が鬱蒼と茂る魔導の森、見ただけの印象を言うならば踏み入るだけでも苦労しそうな森であった。
人の手が一切かかっていない森を歩くのは非常に大変である。
加えて森の性質上、下手をしたら獣道さえあるかも怪しいとさえいえた。
「……こうしてただ眺めているだけでは埒があかないね、とりあえず私は思い切って入ってみても良いと思うのだが、どうだろうか?」
「俺もハルトの意見に賛成なんだけどよぅ――なぁ、一つ聞きてーんだけど、此処って俺が入っても意味あんのかな?」
「――そういえば君は火炎だったな」
「そうなんだよ、生憎と風系統の属性はそもそも持ってねぇんだわ、これが」
テッドが肩を竦めながらそんな軽口を言う。
……確かに、テッドの言い分ももっともだ。
この”迷わずの森”に踏み込むことにより、勇者であるいっちゃんは風の精霊王の加護を賜るための試練が課せられる。
加護が与えられるのは勇者と言う特別な存在のみである。
だが、だからと言って勇者以外の存在が試練を受けても意味がないかと問われると、実は全くそうではなかった。
勇者以外の存在が、試練を乗り越えた場合には加護ではなく、精霊王の祝福が与えられるとされている。
加護と祝福――どちらも魔導属性を強化してくれるとされるものだが、その効果の違いは明確だ。
初めから持っていない属性を後天的に付けることが出来るのが加護。
先天的に持っている属性の素養が強化されるモノが祝福である。
つまり、この迷わずの森の試練を勇者以外の者がクリアした場合は、風に関わる属性を持っている場合に限り、魔導発動の際に祝福によるバックアップが入り、発動した魔導が強化されるのだという。
身近な例を挙げるならグランセルの四大貴族がそれだろう。
四大貴族の初代たちは、それぞれ地水火風の精霊王たちから祝福を授かったために、下位属性にも拘わらず扱う魔導が須らく強力になるらしい。
話がそれるが、そんな破格性能な祝福が貰えるが故に、ここマグス村は風属性の魔導を宿す者にとっての、所謂聖地の様な場所とされていた。
だが、結局のところそれはあくまで風属性を宿す者に限った話。
俺は緑の属性があるため条件は該当しているし、ステルラハルトさんは風の上位属性とされている空属性を持っているが為、祝福を得ても全く無意味という事は無いだろう。
しかし――
「――確かに緑の素養を持ってなければ、個人的に受ける意味はないのかもしれない」
「だろ? ――つっても入ってみてぇとは思ってんだぞ? 面白そうだからな!」
面白そうと言い切ってくるあたりがテッドらしいと言うべきか。
確かにこの森はティルフィン大陸の名所の一つと言って差支えないだろう。
そんな場所に対してこの冒険馬鹿が興味を持たない筈がなかった。
だが、そんなテッドでも流石に今回ばかりは気を使っているらしい。
「つー訳で、もしあれだったら俺は森に入らないで聞き込みでもして回ってくるぞ? これだけの規模の村なら冒険者組合だってあるだろ、其れなりに聞き込みは出来んじゃね?」
「うーん……――、いや、今回は一緒に入ってもらってもいいかな?」
「あん? いやまぁそりゃかまわねぇけど、いいのか?」
「私も賛成だな――この場合テッド君の意見も参考になるだろう」
降ってわいたように迷わずの森の探索許可が降りた為か、首を傾げるテッド。
そんな俺たちに対し、ステルラハルトさんも賛同の意を示してきた。
「確かにこの森に入る目的が祝福を得る為だったらテッド君が森に入る必要はないだろう――だが今回はそうではない」
「はい、今回の優先目的は勇者様が加護を貰うことですからね。生きた情報はいくらあっても無駄になることは無いでしょうし」
「いやだから、それなら入る前に試練の内容を集めてもいいんじゃねぇのか?」
「『うん、私としても説明がもう少しあった方がありがたいんだけど……』」
意見を出し合っていた俺たちに対して、いっちゃんが遠慮がちに声をかけてきた。
まぁ彼女にしてみてもこの場所は最初の試練である。
となれば不安になって然るべきだろう。
だが、そんな彼女の言葉に対し、俺は首を横に振った。
「いや、まずは一回前情報が無い状態で試練を体験した方が良いと思う。確かに村の人に聞いて回れば情報は手に入るだろうけど、逆に思い込むのが怖いからね」
「『……思い込み?』」
「固定概念って奴でしょう、彼が言いたいのは――確かに試練の内容が事前に分かっていればその対策は取れます。しかし、そもそも事前の情報提供者自身が、試練の真意を理解していなかったとしたらどうでしょう?」
「『すみません、言ってる意味がちょっと……』」
「そうだな、例えば――勇者様がキッチンに案内されたとする、そこには『牛肉』、『豚肉』、『人参』、『ジャガイモ』とかの材料が用意されてたとしよう」
「『う、うん……想像してみる』」
いっちゃんは両手の人差指をこめかみにあてながら目をつぶった。
そこまでしなくても別に良いのだが……まあ支障がある訳でもないので俺はそのまま説明を続けることにした。
「じゃあその状態で、君がキッチンに案内される前に他の誰かから試練の内容は『カレー』を作る事だって事前に聞いていたら、勇者様はどんな行動をする」
「『そんな状況なら迷わずカレーを作っちゃうかな』」
「僕も多分そうするだろうね、でもこの場合『カレー』を作るってのは事前に聞いたってだけの情報だよね。本当は作る料理は『シチュー』かもしれないし『肉じゃか』かもしれない、もしかしたら作る物に指定さえなくてただ美味しい料理を作れ、だったりするかもしれない」
「『……あ、うん、確かに』」
「美味しい料理を作れっていう試練なら、『カレー』を作ったって問題ない。この場合事前に聞いていた情報はある意味では正しいと言えるね。でももし試練がこの場所のどこかにある鍵を探し出せとかだったらどうだろう、キッチンが場所に選ばれたのがたまたまだったりしてね」
「『うわぁ、それはなんて言うか見当違いというか――確かに思い込みって怖いかも』」
「逆に言えば君に事前情報が全くなくて、何をしていいか分からないって状態だったら、キッチンに案内された時点でまず目的を探るでしょう? 戸棚や食材なんかを調べるでしょう? 調べる過程でもしかしたら引き出しの奥に”鍵を探せ”って書いてあった紙を見つけるかもしれない、見つからなかったとしても試練の真意を探ろうとする」
違う? と、いっちゃんに視線を投げかければ、彼女は、確かに! とでも言う様に手を打った。
「試練なんていう仰々しく言われているからには、絶対に出題者が求める真意ってやつがあると、僕は思う」
「そして幸いにも、固定概念があまりない今の状況こそ彼のいう真意を探るには良い状況だろうな、幸いこの試練には制限回数は無いと聞くし、試練には外敵も現れないとのことだ。それならば初回は何の情報も入れずにとりあえず試してみるのもいいだろう」
ステルラハルトさんが俺の言葉に賛同するかのように言葉をかぶせてきた。
そして彼はいっちゃんに続きテッドにも目配せる。
「そして、そういった生きた情報ならいくらあっても困りはしないだろう、少なくともその条件を満たした人物がこの場所には四名いる。ならばそれを活かさない手はないさ、最も重要なのは勇者様が加護をもらい受ける事、私たちが祝福を受ける事ではない、だからこそテッド君が直接試練を受ける事にも意味があるという事さ」
「加護と祝福の試練で内容が違ってもか?」
「ああ、この場合試練の出題者は共に風の精霊王だ――精霊王でも意志を持つなら人物その人物像だって見えてくるかもしれない。それが見えてくれば試練の真意を掴む足掛かりになる事もあるかもしれない」
「かもしれないかよ! まぁいいや、良く分かんねぇが、お前らがそういうんだったらきっとそうなんだろ、勇者様がそれで構わねぇってんなら、俺も問題ねぇさ」
テッドは両手を上げるしぐさを見せた。
だがそんな仕草をしている割に、特にこれと言って悔しい等の感情は見て取れない。
如何やら我が相棒も、彼なりに折り合いを付けた用だった。
「唯一つ聞いておきてーんだけど、アルクスの言ってた『カレィ』やら『肉じゃがー』ってのは一体なんだ? その辺は良く分かんねぇんだけど」
「それは……正直私も分からん、聞くだけでは何かしらの料理であるようだが、それにしては不思議な響きの名前だったな、異国の料理か?」
そんな事を言いながら揃って首を傾げ、こちらを見てくる二人。
……――そういえばさっきの説明にナチュラルに『日本語』の単語を混ぜてしまっていた事を今更に思い出す俺。
ここ最近ではこれほど自然に『日本語』の固有名詞を出すことはなかったのだけれど、これもいっちゃんと再会が原因しているのだろうか?
二人に何と説明したものかと考えつつも、これと言って上手い言い訳が思いつくこともなく、俺といっちゃんは揃って苦笑いを浮かべその場をごまかすのだった。




