過去の清算(後)
扉の開く音、そしてそれに追随するように鳴る綺麗な鈴の音。
一歩その戸を潜ってみれば、雑多な、されど整理の行き届いた内装の向こう側で、ピンと両耳を立てた店の主人が、今まさに俺たちを視界に収めるところが見えた。
いつ見ても艶のある綺麗な黒色――きっと常日頃から店の内装と同じく手入れを欠かしていないのだろう。
そんなところからも、この店の主が如何に几帳面なのかが容易に見て取れるようだった。
否――そんなところで判断せずとも彼女が几帳面な事など、言わずとも俺たちはよく知っていた。
――なんだかんだ言って、彼女との付き合いもそれなりに長いのだから。
「いらっしゃいませ――って、なんにゃ? これまた随分と珍しい組み合わせにゃー」
「――珍しいのは否定しねぇよ、コイツとは今しがた会ったばっかだ。聞きゃあ買い出しの途中ってもんだから序に引っ張ってきた。お前んとこの売上に貢献しに来てやったんだから大いに喜べよ!」
「な、なんですかその恩着せがましい物言い……僕は別にウォルファスさんに会わなかったとしても、此処には来るつもりでしたよ?」
開口一番、その体格に比例するように大きな態度を示すウォルファスさん。
そんな彼の様子を目にし、まるでやれやれとでも言いたげに妖精猫族のゲレーテさんは小さく左右に頭を振った。
「ウォルファスが不遜にゃのは何時もの事だからきにしにゃいにゃ、そんにゃことより、アル坊は久方ぶりにゃ!! うんとゆっくりじっくり見ていくといいにゃ!」
「あはは、じゃあお言葉に甘えてみさせて頂きますね」
「うにゃ、何かあったら気軽に声をかけると良いにゃ」
「おう、そうか、悪いなっ」
「おみゃーには言ってにゃいにゃっ!」
そんな軽口を言いながらカウンターへと近づいてゆくウォルファスさんと、プラスアルファの毛玉ちゃんたち。
ゲレーテさんも加わって毛玉密度が一層濃くなったその場は、ワンワンニャーニャーと実に騒がしい事この上なかった。
俺はそんな光景を横目で見ながら、ゲレーテさんへの言葉通り、店内を物色するために商品棚へと歩みを進めた。
―――――――
「木串が三百本と、あと頼まれてた各種香料――あとは、にゃにがあったかにゃ?」
「――バルムングの岩塩だな、そいつが一番重要だぞ?」
「にゃー、仕入れが少し遅れてた忘れるところだったにゃ、まだ開梱してにゃいから、ちょっとだけ待ってるにゃ!」
商品棚越しにウォルファスさんとゲレーテさんのやり取りが小さめに聞こえる。
バルムングはたしかグランセルのある此処ティルフィン大陸から、東南方向にある大陸の名前だ。
ウォルファスさんやゲレーテさんのような獣人が人口の大部分を占めているという。
確か以前にウォルファスさんに関しては、其方の大陸の出身だと聞いたことがある様な、ない様な……
バルムング大陸の岩塩は良質である。
それはわざわざ大海を越えて、別大陸までこうして輸出されてるところからも明らかだ。
だが、海を越えるという事はすなわち人為が介入しているという事で、当然ながらお値段の方もそれ相応となるだろう。
俺たちの住まうこのティルフィン大陸にも岩塩の採掘で有名な場所はあるし、塩作りで有名な港町だってある。
だというのにわざわざ別大陸から流れてきた岩塩を求めるのは、既に嗜好品の域にあると言っても過言ではないのかもしれない。
……いや、実際の処、あの岩塩は嗜好品で、ウォルファスさんが個人的に楽しむためのものだと思う。
彼の提供している串焼きの肉は、それ自体も結構良品質なのだ。
其れにプラスしてあのような良質の岩塩まで使用していたとすれば、一本百カルツ程度の串焼きで利益が出るようには思えない。
流石に算術の苦手なウォルファスさんと言えど、その程度の事は承知していることだろう。
……しょ、承知しているよな?
「……――え、えーと、元素鉱石はどの辺だったかな?」
頭の中に浮かんできた不穏な思考を無理やり振り払う為に、俺は敢えて次なる行動を口にした。
各属性の元素鉱石は、以前手伝いで棚に陳列させた記憶があった。
その記憶を頼りに少しだけ奥まった商品棚へと近づいてみれば、記憶そのままの場所に目的のモノは陳列していた。
「――あった、あった。とりあえず、各色二個ずつくらいは買ってみればいいかな?」
俺は棚に備えてある梱包用の仕切りの付いた木箱の中に元素鉱石を入れて、他の物品と一緒に腕の中へと抱えた。
一定の力が加わると現象が発現する各種元素鉱石は、その性質上直接道具袋の中に放り込むわけにはいかない。
取りあえず、木箱の中で振った程度の衝撃では現象は発現しない為、最低このくらいの梱包は必要なのだ。
「これで良しっと、えーっと、後は――ん?」
脳内チェックリストにチェックを入れながら振り返ると、視界に白い毛玉が見て取れた。
生憎今この店内において白色に該当するのは一人しかいない――当然のことながら、その毛玉はリルちゃんだった。
片割れの黒毛玉は先ほどから忙しなく、お店の中をちょこまかしているのは目にしていたけれど、それに反するように彼女はじっととあるショーケースの中を覗いていた。
その姿に興味が湧き、俺はリルちゃんに近づいてみた。
「――随分熱心だね、リルちゃんは一体何を――って、ああ、なるほど」
彼女が熱心に覗きこむショーケースには鍵が付いている。
鍵付きのショーケース――その中身は他の商品棚に陳列されている商品と比べると、値札に付くゼロの個数が単純に多かった。
少なくとも子供の財力では購入不可能な代物。
それを目にしながら、それから目を離すことなく、耳だけピクリとこちらに向けた。
「……ねぇアルおにーちゃん、おにーちゃんはお怪我をパッて治せるよね。おにーちゃんの魔法ならお父さんの足も治せるの?」
リルちゃんはショーケースの中にある霊薬を見ながら、そんな事を問うてきた。
ウォルファスさんの足、そこに残るのは歩行にさえ支障をきたす大けがの痕。
俺はリルちゃんの問いかけになんと答えたものかと、少しだけ考えた。
「――そうだね、正直ウォルファスさんの傷を治すのは難しい、かな?」
……結局、彼女には悪いと思ったが、俺は事実を伝える事にした。
リルちゃんの言う俺の魔法とは、即ち『ワイルドカラーマジック』の『”勿忘菫”』の事だろう。
前世においての十二カ月の色の一つ『”勿忘菫”』、その能力は対象物の状態を復元することである。
この力を使えば、例え治癒魔導で治療不可能なウォルファスさんの足の治療だって、理論上は可能だ。
――そう、理論上はである。
『”勿忘菫”』の能力は治癒ではなく復元。
つまり、傷を癒しているのではなく傷を負う前の状態に戻している訳だ。
治癒魔導は傷の規模によって消費魔力が増減するのに対し、復元魔導は負った傷の時間経過によって消費魔力増減する。
――リルちゃんに傷を治すのは難しいと答えたのはこのためだ。
ウォルファスさんの足の傷は昨日今日負ったモノではない、俺の知る限り十年以上前の傷である。
十年以上の時間経過を巻き戻そうとすれば、一体どれだけの魔力を必要とするのか見当もつかなかった。
「ただねリルちゃん、ウォルファスさんは僕の魔導で足を治せたとしても、きっと治そうとは思わないと思うよ」
「? どーして?」
「――だってね、あの人の足はきっと、君が今見ているその薬を使えば、多分治るものだからだよ」
俺も過去に一度お世話になったことがあるから良く分かる。
リルちゃんの視線の先にある神秘の霊薬、エリクサー。
この薬はちぎれた手足さえ容易に繋げ、炭化し、死滅した組織片、視神経さえ再生させる究極の一品だ。
この薬を使えば、古傷程度簡単に治癒してくれるだろう。
だけど、その事実がありながら、ウォルファスさんは未だに足を引きずっている。
エリクサーは確かに高価で、子供では逆立ちしたところで購入できないものである。
しかしながら、過去名の知れた冒険者であったウォルファスさんが、購入できないかと言えば、恐らくそれは考えにくい。
この店の霊薬だって、今の俺が一切合財の私財を投げだせば何とか手が届く代物だった。
その事実から考え付く事象は一つ。
「恐らく何かあるんだよ、あの人が足を治さない理由が、きっと何か――」
「ったく、どっかいっちまったと思ったらこんな所に居やがったか、それとアル坊、お前は要らん事ペラペラ話すなよ」
「――おとーさん!?」
不意にぬっと大きな影が差し、背後から俺を咎める声が聞こえた。
その存在感に俺とリルちゃんは思わずと言った感じにビクリと体を震わせる。
「俺の用事はもう済んだ――俺たちは先に帰るぞ、リル、お前も早く外に出ろ」
振り返ってみればウォルファスさんは、その逞しい腕に大きな紙袋と黒い毛玉を抱えていた。
如何やらリルちゃん待ちらしい。
そんな声に急かされて、リルちゃんは俺の足元を抜けそそくさと外へ出て行った。
「ウォルファスさん――今の言い方はちょっとおざなり過ぎるんじゃ……」
「良いんだよ、うちはお上品とは無縁だ。それじゃあなアル坊」
「……はぁ、そうですか? どうも、お疲れ様です」
なんだか釈然としなかったが、人さまの家の教育方針に口出しをするのも憚られたため、俺はそれ以上何も言わなかった。
踵を返すウォルファスさんを見送る様に、彼の背中へ目をやった。
相変わらずぎこちなく足を引きずるウォルファスさん。
そんな彼は荷物を抱えたまま器用に扉に手をかけ――そのまま一時停止した。
「――おいアル坊。お前さん最上の騎士になったつぅ事は、バルムングにも行くってことだよな」
「……ええ、恐らく、何れは」
「だったら、もしそこで阿保な真似してるフェザーフォルクの女がいたら俺の代わりにぶん殴ってくれ、いい加減現実を見ろってな」
随分意味深な言葉だった。
そしてその行動は、彼の足の傷と関係がある事なんだろうと、何となく思った。
「――その人の名前は?」
「ジークリンデ、嘗て”鏖殺の凶鳥”と呼ばれた上位冒険者だ」
それだけ言い残し、彼は今度こそ野良猫を後にした。
俺は何も口にすることもなく、その背中を見送った。




