僕たちに出来るあらゆること(中)
ごめんなさい。遅くなりました。
本当に最近忙しいのです。
本日も既に残業することが確定しています。
月曜日から残業って……憂鬱だなぁ
案の定と言うか、なんというか……
グランセル城のとある一室――他ならぬ、勇者様の為に宛がわれたその一室に踏み込んだ矢先、開口一番で投げかけられた言葉は、遠い昔に良く聞いたそれと酷く似ていた。
長期休業の最終日や、試験日の前日、切羽詰まったいっちゃんが投げかけてくるヘルプの声。
俺自身そこまで学業が得意な訳でもなかったし、要領もそんなにいい方ではなかったけれど、それでも当時の俺は彼女よりも二つ年上のお兄さん。
微かに存在していた年上の意地やら、いっちゃんに良い恰好をしたいという若干の見栄から、そんなヘルプに良く応えていたモノだった。
そんな変わらない彼女の言動に少しだけほっこりしながら、それでも俺は其れを表情に出さない様に注意しつつ、小さく溜息を吐き出した。
以前の様に接したいという気持ちは大いにあるけれど、状況が状況なだけにそんな悠長な態度など取っていられないというのが、俺たちの置かれている現状だった。
俺たちの出立は一カ月先と既に決まっているが、既に五日経過したというのに、未だいっちゃんは魔力の扱いにさえ手間取っているという状況。
戦闘の場に立つなど、まだまだ夢物語――魔力の運用練習と言う、この世界のニンゲンならば一桁台の年齢で行う行為さえ、彼女はまだ十分に行えていないのだ。
――とは言えそれは無理からぬ話。
前の世界では存在さえ認知されていなかった”魔力”という未知のエネルギー、それをいきなり自在に操れる訳もなし。
いっちゃんにしてみれば、自分の背中にいきなり翼が生えたようなものだろう。
羽ばたき方どころか、羽の動かし方さえ分からない――どの神経を使えばいいかも分からない、そんな感じだろう。
実際俺も、アルトさんと言う優秀な師匠に教えを乞うた状態で、彼女から魔力運用に対しての合格点をもらうまで、二年以上の期間を要したものだった。
余程の天才でない限り、すぐさま自在に魔力を扱えるようになるなど出来るはずもなかった。
――だが、彼女は其れでも否が応にも出来るようにならなければならない。
勇者様は魔王討伐の旅の過程で、四体の精霊王の駕籠を集めるのだが、全ての駕籠を受けて状態であれば、それはもう強大な力を手にするという。
それこそ魔王や、その側近以外ならば技術など必要なく、ただその力を振るうだけで事足りるようになるという。
だが、加護を受けていない現状では、生き抜くためにある程度の技術は必要であるし、力を得た後でも、魔王を倒す為にはそれを十全に扱う技量は必要になる。
勇者様が立ち向かわなければならない存在と言うのは、そういうものなのだ――
俺や、ステルラハルトさんはそんないっちゃんを守るための存在だけれど、俺たちが必ずしも彼女のそばに居れるという保証などどこにもないのだから。
俺は内心でそんな事を考えながら、何時ものようにいっちゃんのそばへと歩み寄る。
『――いっちゃん、何度も言うけど魔力を自由に扱うには、結局のところ慣れが必要なんだ、とにかく魔力を放出して、その過程で加減を覚えるしかないと思うよ。特に君の場合はね』
歩み寄る途中で、天蓋付きのベッドの横にあった椅子を一つ拝借し、彼女が突っ伏す机の横に置いて腰かける。
机の上には黒い色をした紙が無造作に散乱していた。
……上手くいっているかは別として、一応昨日の内に渡しておいたノルマはこなしている様だった。
そのうちの一枚を手に取り、眺めてみる――それは俺自身も経験した現象に他ならなかった。
『うん、黒くなってる事は、魔力自体はきちんと放出できてるってことだよ。後は紙が黒くならない様に放出する魔力の量を調整する――ほら、簡単だ』
「『……頭ではわかってるつもりなんだよ~、どうにもうまくいかないの。加減の仕方ってどうすればいいさ~』」
『まぁ、そうだろうね』
俺は頬を掻きながら、黒くなってしまったそれを机の端に置き、代わりにいっちゃんの目の前にある真っ白い紙の束から一枚を抜き取った。
魔導の師匠お手製の魔力検出紙――通称”魔力試験紙”、命名俺。
紙に書かれている「魔力強度:二十」の文字を見て、俺は微調整しながら魔力を生成する。
とりあえずは緑の属性を選択――すると思い浮かべるのとほぼ同時、紙が鮮やかな緑色に変色した。
何千、何万と繰り返した訓練であるため、今ではそれこそ片手間で出来る事だった。
『――とまぁ、こんな感じだね。初めのうちは少しずつ生成する魔力を強めていって、魔力試験紙の色付き方から判断した方が良いかもしれない。紙が黒くなるってことは込める魔力が強すぎるってことだからね』
「『でも、この紙って私がやっても白いままで、そんな風に色はつかないよ、急に真っ黒くなるんだけど?』」
『そうなの?』
「『そうだよ、こんな風に』」
いっちゃんは魔力試験紙を一枚抜き取ると、俺に倣って魔力を生成して見せる。
目で見た限りではきちんと魔力は生成できているようだったのだけれど、魔力試験紙は彼女が言った通り、その色を白から黒へと急激に色を変えてしまった。
そう、白から黒へ変わったのだ。
原因を探る為に頭を捻っていた俺だったが、それを見て俺は何が悪いのかが何となく分かった。
――如何やら悪いのはいっちゃんじゃなくて、魔力試験紙の方にあり、強いては俺の方だったらしい。
『分かったっ、ゴメンよいっちゃん。失念してた。そういえばいっちゃんの持ってる魔導属性は光だったじゃないか……』
魔力試験紙はそれぞれの属性に応じた魔力に反応して色を変える用紙である。
だからこそさっき試した俺の魔力試験紙は、その時練り上げた魔導属性に応じて緑色に色付いた。
色が白から緑に変化したのだ。
だが、いっちゃんだとどうだろう――彼女が扱う魔力の発光色は唯一無二の白色である。
つまり魔力試験紙は白色から白色に変化しているのだ、これじゃあ分かる訳が無い。
『白から白に変化しても分かる訳ないじゃないか、とは言え弱ったなぁ――僕はこれ以外に魔力放出の練習方法を知らないんだよね。これで自分の中に尺を作って魔力に慣れたんだよ、慣れればこんな事も出来るんだけど……慣れる前にいきなり魔力を使うのは流石に危ないしなぁ』
俺は見本でも示すように、生成した緑色の魔力をボール状にして操ってみる。
色のついた魔力は生成した本人の意思で、火やら風やらの現象を顕現することが出来るけれど、任意で魔力状態で操ることも出来る。
俺がやって見せたのは其れだった。
「『いいなぁ、すっごく綺麗――早く私もそんな風に魔力を操れるようになりたい――』」
言って、彼女は俺の生成した緑色の魔力球を目で追い、触れようと手を伸ばす。
『っ!? ダメだ、いっちゃん!! それに触れるな!!』
「『えっ!? そんな事急に言われてもっ も、もう触っちゃったよ?』」
『――っ!?』
俺は慌ててその魔力球の魔力を四散させたが、それでも遅かったようで、彼女の小さな手の指先が確りと俺の魔力球に触れるのを目にした。
最悪の事態を想定する――と言うのも、それは彼女が持っている魔導属性が原因だった。
魔導を練習するにあたり、件の魔水晶を用いていっちゃんの魔導属性と魔力量を事前に測ったのだが、その時に確認できたのは、実のところ白色だけだった。
この世界のニンゲンならば平均して三色程度の属性を宿しているのだが、彼女には一色しかなかったのだ。
この世界にも稀にそういった人は存在しているらしいが、問題になるのはそこじゃない――問題なのは彼女が緑色の属性を宿していない事にある。
持っていない魔導属性をに触れるとどうなるか――それは恐らくこの世界において、俺こそが一番経験していることだろう。
反発暴走――それはもち得ぬ属性に触れた時に起きる拒絶反応現象、触れた属性によって起こる効果は違うけれど、一概に言える事は術者が傷つくという事だった。
今回いっちゃんが触れたのは風属性の魔力――だからこそ俺は彼女の指先が鎌鼬でズタズタになるのを幻視した。
「『――? あの、朔兄? 特に何にもないんだけど』」
『――は?』
だが、一秒二秒と時が立っても、いっちゃんの柔肌が裂ける事は無かった。
俺はその結果に思わず間抜けな声を出してしまった。




